🐕愛犬モコの命日に(5/15 没後10周年)🍁短歌


( 10年後の渡鹿堰(ぜき)5/14,15  )

🍁この道を辿れば浮かぶ愛犬と

  歩いた野道広がる河原

 ※5/15 今日は愛犬モコの命日

雌の柴犬モコは 我が家の大事な家族だった 長女の大事な高校受験期に 我が家に迎えた なぜ受験期に?と思うが 振り返れば 家族みんなが ビリビリしがちなその時期に 可愛い子犬を飼ったことは 良かったと思う 話題が広がり 少しでも受験の緊張から解放された 

また ペットコーナーで 何匹かいる中で モコに決めたのは 病後に回復した次女だった それから 長女と次女の高校と大学進学や卒業、そして 就職、結婚、初孫の誕生までを見送ってきた 最後は 初孫の誕生から命名直後の時だった


🍁愛犬が逝きし深夜は雨音で

  翌る葬儀は青空煙る

 ※5/15 10年前の5/15 は 丁度都心部に住む長女が 初産で長男を授かった頃。生後一週間、やっと命名した頃で 愛犬モコは それを知って安心したのか 夜鳴き後 ひっそりと虹の橋を渡った 私は 数日 寝たきりの老犬を世話していたから 夜鳴きと疲れもあって 体が動かなかったが 何かしら異変を感じ 起きて側に寄った時は モコの息は途絶えていた‥ 私は 何度も確かめた後 まず抱き抱えて 風呂場まで持って行き 体を拭いたりして 元のベッドに戻した そして モコの顔や体を整え 周囲に氷の袋を敷き詰めた それから東京にいる妻に この事態を知らせた 知らせを受けた妻は 産後の娘に相談して 取り敢えず帰郷することになり 飛行機のチケットを探したら ちょうど一席だけが空いて助かった 帰熊した妻(高等看護師の免許を持つ)は 早速改めてモコの遺体の処置をして 葬儀の手配をして 愛犬モコ大好きの次女にも 取り敢えず連絡をした

次女は その頃 初めての子を亡くしたばかりだったが 単身急いで 福岡市から駆けつけてくれた

妻がモコを抱いて 私らは 次女を熊本駅まで迎えに行き 思い出の地を 巡りながら ペット葬儀場まで 車を走らせた

その日は 前の日とは打って変わって 初夏の青空で 陽射しは 暑いくらいだったのを 10年後の今でも しっかり体が覚えている

車を走らせること小一時間で ペット霊園Y.社(益城町)に着き すぐ葬儀の手続きをして 葬儀が厳かに執り行われた

 そして いよいよ火葬の時を迎え 私らは 点火のボタンが中々押せず いよいよこれで今生のお別れだという思いが強くて 涙、涙のモコの遺体とのお別れであった それから モコの遺骨を似合いの骨壷に入れて Y.霊園を後にした ※真っ青な空に 旅立つモコの煙が 立ち昇る様子は 今でも忘れない‥

三回忌を迎える直前に あの熊本地震が 益城町などを襲った

(2016年4.14,4.16)

まだ余震が続く中 被害が酷かった益城町を 5月に訪ねるのは どうかなと躊躇ったが 三回忌はどうしてもしたいと考え 余震と補修前のデコボコ道に注意しながら 車を慎重に走らせて やうやく霊園に着いた ダメ元で法要を頼んだら 霊園の方は それならばと快く許諾され 急ぎの 取り合わせの?法要をしてくださった 案内されながら 園内や施設の被害の様子を説明された

散乱していた猫や犬たちの骨壷などは どうにか片付けをしたそうだが 用具などは まだ散らかったままだった

法要が済んで 料金を払おうとしたら 職員の方は「こんな時にもわざわざおいでくださったので 今回はお代はいただきません」と固辞された 被災された上に 法要までしていただいたのに本当にすみませんと 私は お詫びとお礼をして その霊園を後にした


🍁愛犬と歩いてきたよこの道は

  二、三十年夢幻の

 ※5/15 愛犬モコが亡くなって10年。シバ犬モコは 18年と4ヶ月も生きた 今日のお昼頃 モコと散歩でよく訪ねていた所(東部)を チャリンポで訪れた 堰や堤防は 10年余りの間にも 随分変わっていた 水害後などの水防工事で 堰周辺や堤防壁が 綺麗になったのだ 以前降りて歩いていた所には 今はもう入れず また草ぼうぼうで荒れ果てた河岸もある

ps 2024.5.15 草稿

モコが亡くなった直後に 一緒に歩いた地を カメラで撮った画像があるので 後で改めて見てみたいと思う

五月晴れの今日 私は 地域猫の世話のため 妻と 今日も 堤防を歩いて 猫たちを訪ねる