「 人間は一本の葦にすぎない。自然の中でも一番弱いものだ。だが、人間は考える葦である。全宇宙からみれば、これを絶滅するには、一陣の嵐で十分である。しかし、宇宙が人間を押しつぶしても、人間はなお、これを殺すものよりも尊い。人間は、自分が死ぬこと、宇宙が自分よりもまさっていることを知っているからだ。宇宙は、そんなことは何も知らない。
だから、私たちの尊厳のことごとくは、考えるということにあるのだ。まさに、ここから、私たちは立ち上がらねばならないのであって、空間や時間云々ではない。正しく考えるように努めよう。いかに生きるかの根底はここにある。」
上記を読んで、以下の問に答える問答がある。
問1 要約(200字)をせよ。
問2 論理的な反論(200字)をせよ。
問3 問1、2を踏まえた上で、どちらの立場に立つかを表明し、具体的な事例をあげて述べよ(300字)。
解答例 問1
「人間は考える葦であり、考える事こそが人間の尊厳である。人間は、自分が宇宙の中でどのような存在であるかを考えることができ、かつ自分たちが葦のように弱い存在である事を知っている。一方私たちより遥かに深淵で強大なる大宇宙は、そんなことを知る由もない。だから人間は尊い存在なのである。人間がいかに生きるかの根底は考える事にあるので、私たちは、物事を正しく考えるように努めるべきである。」(188字)
解答例 問2
「筆者は「人間は正しく考える必要があり、そこに生きる根底がある。考えることが人間の尊厳といえるからだ」と主張している。しかし、人間の尊厳を「考えること」だけに絞れば、感情、五感、喜怒哀楽、愛と煩悩等々、人間特有の感性が人間の尊厳から排除されてしまう。思考の実践はプログラミングにより人工知能でも代替可能になる。したがって、人間の生きる尊厳には「考えること」だけでなく、「感性」という要素も存在する。」(182字)
解答例 問3
私は、筆者の「人間の尊厳は考えることにあり、正しく考えることが生きる根底にある」という主張に反対だ。確かに、考える行為は人間のみが可能とするものである。しかし、「考えること」より先に、「知覚」や「感性」が存在するのではないだろうか。現代社会がデジタル化するにつれ、我々は充分に五感を機能させる機会が減ってきている。今や、グーグルマップで「旅をした気になる」人さえいる。しかし、そこからは、現地の空気、匂い、音を感じることは決してできない。実際に体験することにより、五感は最大の機能を果たす。人間はまず、「感じること」から全てが始まるのだ。感性こそが人間の尊厳と言っても過言ではない。(280字)



























