得体の知れない何かにすがっていませんか? | 聖書の言葉を気軽に読もう

得体の知れない何かにすがっていませんか?

『国々の偶像は金銀にすぎず、人間の手が造ったもの。口があっても話せず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかぐことはできない。手があってもつかめず、足があっても歩けず、喉があっても声を出せない。偶像を作り、それに依り頼む者は、皆、偶像と同じになる。』 (詩編115編4-8節)


 「日本人は信心深い」って事を聞いたことがありますが、それは何に対してなのでしょうか。わたしが不思議に思うのは、信心深いわりには「神さま」がいっぱいいることです。さて、ここで言う「神さま」ってなんでしょうか。わたしにはそれがわかりません。なぜかって、万物の創造を行った神は「ひとり」しかありえないわけですよね。一番最初に命のあったもの、それが神ですよね。であるならば、何でこの世の中にはたくさんの神さまが存在するのでしょうか。

 そこで、今日の言葉をもう1回読んでみてください。そう、この世の大多数の神さまは「人間が作ったもの」なんですよ。要するに、人間自身が崇拝されたいと思って神になっているケースが多いんです。麻原●晃しかり、大川●法もまたしかり。もちろん、自分のことを「神の使い」といっている人もしかり。人間はそんなに偉いんでしょうか。今流行りのスピリチュアル何とかっていうのもそうです。人間に何がわかるっていうんですか。

 しかし、分かる人がいるのは確かなんです。霊的能力を持たされているのは事実なんです。それはなぜかというと、悪魔が人間を惑わすために選ばれた人が、そのような能力を持たされているのです。わたしから言わせてみれば、江原なにがしっていう人はなんてかわいそうな人なんだろうと思います。悪魔に操られて、自分の生活を台無しにされてしまっているんですからね。これでは、最初の人間夫婦が悪魔にだまされたのとまったく同じです。

 ですからわたしはあえて、このように今日の結論を出します。

 「悪魔を信仰するなら、何も信じないほうがいい。」

いかがですか?わたしはみなさんを唯一神へと導こうとは考えていません。なぜなら、それは唯一神からの賜物である「自由意志」の行使を邪魔してしまうからです。唯一神は、自分の使いたちにも自由意志を与えられ、その自由の中で万物の創造に携わりました。そして今があるのです。ですから本来、自由意志というものはよい特質だと思うのですが、現在はそうではないようです。「自由」という言葉を履き違えてしまっているのです。

 それでもみなさんは、形だけの存在の偶像に身をかがめますか?