先日、本屋さんで、目にした


『明るい人が、そばにいる事』


という、1つの考察を、読みました。

すると、


1人、2人…3人…と、


いたわ。(⁠╬⁠⁽⁠⁽⁠ ⁠⁰⁠ ⁠⁾⁠⁾⁠ ⁠Д⁠ ⁠⁽⁠⁽⁠ ⁠⁰⁠ ⁠⁾⁠⁾⁠)




私は、恵まれた学生生活と、


短期間でしたが、非常勤務の


仕事をして、過ごしていました。


結婚前までです。

至福の時間小学校は、私よりも大人な友達に、恵まれていました。

3クラスの学校だったので、


強い女子はいましたが、

同じクラスになっても、

それほど、不快な思いは、すること無く、

みんなに、恵まれていました。

(男子の話は今回は致しませんm(_ _)m)


中学も、4クラスで、

多少、苦手な女子はいましたが、

クラスでも、そばにいてくれた友達に、

恵まれていました。


むしろ、私の方に、問題があっても

流してくれて、受け止めてくれていた

友人に、恵まれていたのだと、

今更ながら、有難みを

感じたわけです。

 

お陰様で、

部活の方に専念できて、

部活のキツさのほうが、

印象に残っています。




高校です。

私の周りには、面白い人、明るい人、

いました。(⁠╬⁠⁽⁠⁽⁠ ⁠⁰⁠ ⁠⁾⁠⁾⁠ ⁠Д⁠ ⁠⁽⁠⁽⁠ ⁠⁰⁠ ⁠⁾⁠⁾⁠)


『常に、負けずに、明るい人』

『淡々と突っ込む人』

『いつも、笑顔でいてくれた人』

 

私は『誰よりも敏感に、

喜怒哀楽の本音を、

横柄に、

発信させてもらっていました。』


恵まれて卒業できました。




短大は、目的の方向別に、

ABC

の3クラスに約80名ずつ。


私は、

Bクラスにいました。


まず、その時点で、恵まれていました。


約80名でも、2年間共に過ごせば、

全員とはいきませんが、

毎回、出席確認をするので、

名前と顔が、ほぼ認識できていました。


本来なら、私はAのクラスのところ、

Cの資格も目指す人達→『Bクラス』

(2種類の資格を目指す人達)とも

合流出来ていました。


私は、1つの資格を目指していたので、

冬でも明るいうちに、帰宅が出来ていました。


体力の無い、私にとっても、

それは、恵まれていた日程でした。


私の思い込みですが、

Aクラスは、全員私と同じく、

1種類の資格を目指す人達のみ。

きちんとした服装、

失礼のないと、言われるような清楚な服装の

人達が多かったような(イメージ)………。


反面、Cクラスは、ヒールや、貴金属、

キラキラした感じの、

(そうでない人もいたかと思いますが、)

イメージがあります。


なので、Bにも、AC両方の感じの人も、

いましたが、その間くらいの

ラフな服装の人が、多かったので、

見た目でも、緊張すること無く、

自然に、友達に慣れていきました。


私は、

夏はポロシャツ、短めのパンツ、

冬は、トレーナーに、ストレートのジーパン、

でした。


しかも、自転車登校。


今、思えば、生まれる前に決めてきた通りに、

進路は、スムーズに進んでいたのだなぁ。と、


私の力ではなかったのだなと。


そして、明るい人が、とても多かったのです。


それを、斜に構えて受け止めている

ような人は、思い出せませんが、


やらかした、私の事でも、

ドン引きしないで、笑ってくれる人達が、

多かったな。という思い出です。


さらに、(長くなりますm(_ _)m)


Bクラスでも、

abc組に別れます。


Bクラスでも、名簿順でした。

私は、苗字がMでしたので、

c組でした。


なのに、なのにです(笑)


私は恵まれていました。


c組だけの、授業もありました。

常に机は名簿順でしたので、

私の、前後の人とは、よく話しました。


その中で一人は、地元が近かったことで、

年賀状のやり取りをする友達ができました。


今思うと、前にいた彼女は、2種類の

資格を目指していたので、一緒に帰ることは、

ほぼありませんでした。

あったら、親友になっていたかと思うほど、

可愛くて、優しくて、

どちらかと言うと、まだ、本心を

出さないうちに、卒業しちゃったかな?

その後の、年賀状は、最近まで、続き、

もう親友のつもりでいます。


驚いたのは、a組に、

高校の時、頻繁に、練習試合をしていて、

覚えていた人がいました。


彼女(Y子)は、

a組の中心的な存在、いわゆる人気者な上に、

b組にも、知り合いがいたのか?

なぜか?b組の中にもいました。


私は、魅力的な彼女にとても

惹きつけられたので、

声をかけずには、

いられませんでした。


自然に、a組の人達とも、

紹介されたかのように、

挨拶や言葉を交わすことが、

出来ていました。


そして、もう一つ、

b組にいた人から、逆に声をかけられました。


彼女(H子)は、中学が同じ市内なので、

市内の大会では、必ず、

顔を合わせていましたし、

練習試合もあったので、


私の学校のチームは、人数が少ない上に、

初心者が1人、出場している(私)し、


2年なのに、下げられて、

1年生と交代する私を、

覚えていてくれていたのでした。


高校3年生の時期の塾で、

私は、途中から入塾して、

そのクラスにいた彼女は、

その時点で、私を認識していたそうです。


その話も、してくれました。

彼女も、明るく、ポジティブな人でした。

私が、面食らうほどでしたので、

その前後の人達とも、

友達に、なれたのでした。


なので、私は、Bクラスの、

ほとんどの人達を、

認識できていたのでした。


もちろん、ほとんどの人達と、

友達だったと、いうことでは、

ありませんが……。




過去、連絡をとって会っている仲間は、

b組の3人(H子/M子/T子)と、

私が愛したa組のY子の5人ですが、


この中で、会えているのは、

b組の3人。

(Y子は、他県なので、

10年に一度くらいかな。会えたのは。)


特に、運命的な彼女H子が紹介してくれた、

M子

は、私にとっては、

『師匠』『尊敬する』

親友だと、思っています。


人格的には、全てが、私の

目標となる人です。

M子の話は、また次回に。m(_ _)m


近くにいた、明るい3人が、私の

『人生の先生』を、紹介してくれたのでした。


うわぁー(⁠つ⁠≧⁠▽⁠≦⁠)⁠つ


凄い出会い!

明るい人達との出会い!


わかっていませんでした。

こんなに、恵まれていたことに。


そして、私の尊敬する親友と、

『両想い』になれたことにも

感謝しかありませんm(_ _)m


『両想い』って、男女関係なく、

奇跡だと、思うんですよね。

私は勝手に、そう思っています。


《明るい人、そばにいた》


確かに、支えてもらっていたので、

試験勉強も、頑張れていました。


高校のOG会も、連絡係として、

まい進していたり、


地元の仲間10人前後から、

私と主人の高校、大学の友人を

巻き込んで、

私は、ここが、サークルとなって、

遊びまくっていました。


ワガママ三昧に、笑い尽くせていたのは、


結婚前までには、

私の近くにいた、明るい人格者の方々の、

『存在』に、支えられて、

アクティブに、動き回っていられたのだと、


恥ずかしながら、初めて

そんな考え方を

知らされたのでしたm(_ _)m


有り難いですm(_ _)m


感謝出来る思い出が、あることにも、

感謝したいと思っています。


最後まで、お付き合いくださいました

皆様にも、

感謝致しますm(_ _)m


ありがとうございました╰⁠(⁠*⁠´⁠︶⁠`⁠*⁠)⁠╯











 

 

 

 

 

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