アメリカでは、いろいろあった。

思い出せるのは、思い出せたのは、
たくさんexperienceしてきた中でもきっとほんの僅か、ほんの一部の出来事だけど


でもいろいろあった。



weekday nurseryでは怒られた。
なんかトイレうまくできなくて。

お母さん曰く、日本発つ前におむつとれたのに
アメリカに行ったらまたおむつになっちゃったとか。

母親の推測では
アメリカのトイレが大きくて私が怖がって
一人でトイレ行けなくなっちゃったから、らしい。

さすがにweekday nurseryにはおむつしてなかったと思うけど
まあトイレうまくできなくて
というかつまりよく?おもらしして?
怒られた記憶があります。恥ずかしながら。笑

あとは、
kindergardenのときかなー
Halloweenで、藁?のいっぱい乗ったトラックに乗ってちっちゃいうちらが運ばれるとき
お尻がめっちゃかゆくて不快だったのとか。笑

Halloweenの夜に近所とか
友達んちの近所とかまでも結構盛大に周るtrick or treetは楽しかったな。

アメリカではずっと?地元のチームに所属して
女子サッカーやってたし。
そのチームメイトの子が産まれてすぐ耳にピアス開けたって話とか
衝撃で印象に残ってるな。

チームメイトのすごかったプレイもちょびっと覚えてる。
いつもフォワードやミッドフィルダーの自分がゴールキーパーやらされたときに
すごく嫌がってたのも覚えてる。
ああ、こっち来ないで。攻めてこないでー(泣)みたいな状況。

今私はバスケやってるんだけど、かれこれ10年とか。
アメリカにいた時、はじめてバスケ友達とした時、
"You're traveling!!"って言われて
そのときバスケのtravelingの意味理解してなくて
"YOU're traveling too!!"って言い返したのも覚えてる。笑

うちの小学校は体育の先生を
Mr.AとかMr.Bって呼んでて、
特にMr.Bのことは印象的でよく覚えてる。
こわいとかでなくて、普通に好きだったんだと思う、良い先生だったから。
なんか褒められた記憶もある。
縄跳びをね、クラスメイトと片しててね。
まあ割愛するけども。







補習校や日本人学校には、もちろん日本人がいたわけだけど
そうゆう子達と友達になっていたわけだけど

アメリカ人らしい日本人が多かった気がする。

私みたいに現地校に通ってる子が多くて(たぶん)
補習校やKIDSだけ通ってる?現地校には行ってないって子も、
少しいた記憶はあるけど。。


結構みんな、アメリカンだった。
私もそうだった。

アメリカにいた頃の写真を見て
『めっちゃアメリカンガールだよね、このameliamerica』って家族に言われたのはとても印象に残ってる。




きっと、やっぱり、幼いときいた環境の影響は強く受けるわけで
そう信じたいだけかもしれないけど。

いやでもやっぱりきっとそうで
私の人格はアメリカ人っぽく育ったのかなって。

家でも基本英語を喋っていたらしい私。
英語、本当にぺらぺらだった。
まあそりゃそうだよね、学校にも普通に通ってたし。



小学校の記憶も結構、いやそこそこ?ある。


良いことばかりではんかった。
嫌な記憶もある。
weekday nursery schoolや小学校の先生に怒られたり
小学生ならではの友達関係とかで泣いたりね。



でも、比較的良い生活を送ってたんだと思う。






具体的には、そんなに覚えてない。


2歳から8歳までだったから、


思い出を意識的に記憶として残す、
その重要性はまだわかっていなかったから。


たぶん、普通の2歳から8歳までの子みたいに
毎日を生きてた。っていうか過ごしてたよね。


アメリカの、現地の幼稚園というか
weekday nurseryに通って。

現地の小学校に、学年下げることもなく入って。


月曜から金曜まで小学校通って。

土曜日だけ、はじめのほうは補習校通って。
日本語のお勉強。日本語で?お勉強。

私は何も考えていなかったけれど
親は、いつまでもアメリカにいるわけではないとわかっていたからね。

最終的には6年間の滞在?駐在?だったけれど
予定では4年だったとか聞いたことがある、気がする。

だから、日本に帰ったときのことを考慮して
日本語の勉強もしてた。
土曜日だけ日本人学校に通って。

そうそう、数年の補習校通いのあと
KIDSって学校?に転校(?)したんだよね。

理由は聞いてないけども。




あと、公文もやってた。確か。



そんな感じに、駐在員の家族らしく?
英語と日本語に囲まれながら、暮らしてた。


とはいっても、勿論、
英語のほうが強かったわけです。