今年7月に亡くなったM君とは社会人となり30代から50代にかけてはユニコーンの「すばらしい日々」の詩のような付き合いだった。



僕らは離ればなれ、たまに会っても話題がない

いっしょにいたいけれど、とにかく時間がたりない

人がいないとこに行こう 休みがとれたら

いつの間にか僕らも 若いつもりが年をとった

暗い話にばかり やたらくわしくなったもんだ

それぞれ二人忙しく汗をかいて


すばらしい日々だ 力あふれ すべてを捨てて僕は生きている

君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける


なつかしい歌も笑い顔も すべてを捨てて僕は生きてる

それでも君を思い出せば そんな時は何もせずに眠る眠る

朝も夜も歌いながら 時々はぼんやり考える

君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける



当時の仲間たちと集まって、庄原での青春期のすばらしい日々を酒を呑みながら語り合おうと云っていたのに突然天国へ行ってしまうなんて・・・・


僕たちが入学した当時の庄原格致高校は、1学年が300名を超えていて全校生徒数が約1000名の高校であった。2年生から生活科コース(女子のみ)のF組を除きコース別のクラス編成になり、A・B組が理系進学、C・D組が文系進学、E組が就職希望者になっていた。

僕たちは文系進学クラスのC組で一緒になり、いろいろなことを通じて思い出を共有してきたのだ。次回からM君が遺した落書き帳数冊の中から高校時代に何を想い、何を書き残していたかをアップしていきたいと思います。


今年もうれしいことより、悲しいことのほうが多い年でした。

未曾有の東日本大震災に見舞われ、福島原発の収束はまだまだ先が見えない状況の中で、7月12日に庄原格致高校で共に過ごした親友が突然旅立ちました。

昨年は永年連れ添った愛妻を失い、その悲しみが癒えない時期にまた大切な人を失いました。

これから同級生も一線を退く時期も近くなり、ようやく時間が取れるようになるので高校時代の思い出を肴に酒を酌み交わすことを楽しみにしていたのに、それが果たせず本当に残念でならない。

彼の葬儀には参列したかったのですが、あまりに突然の死であったため都合がつかず、後日自宅にお邪魔し線香をあげさせていただきました。その際、彼の遺品の中に高校時代の落書き帳、私を含め4人の仲間から彼に宛てた手紙が数多く残されていました。高校を卒業して40数年経つのに、彼は大切にそれらの思い出を遺していてくれたことにあらためて涙しました。

彼が遺してくれたものは、奥様から是非私たちで保管していただきたいとのことでありがたく頂戴いたしました。

かなりの量があるのでこれらを整理し、彼の「追想記」にしたいと思っています。

このブログで40数年前の高校生の生きざま?を公開していこうと思います。

春だったね!1969-松本城

来る11月6日 1泊2日で長野県松本市で3年C組クラス会を

開催するのだ。

クラス会といっても有志だけで、おじさんばかり集まって松本

で酒を呑むだけのことなのだ。

いつものメンバーに名古屋からWHOのピート・タウンゼント似

のYクンが加わるのだ。

オリジナルメンバーのIクンが9月末で定年退職し、11月末には

40数年ぶりに故郷庄原にUターンするので、「お別れ会」も含め

て東京・名古屋の中間点の松本でブアーッとやることにしたのだ。

宿泊するホテルは松本随一のおしゃれホテル「ホテルアルモー

ニビアン」なのだ。おしゃれなホテルにおじさんだけ集まるっての

も何か哀しい気分になるのだ。

松本はこれまで何度も訪れているが、街のサイズも雰囲気もいい

ので僕のお気に入りの街の一つなのだ。

僕は40年前の大学生の頃、松本の郊外で1ヶ月アルバイトをして

いたのだ。週に何度かアルバイトを終えて、夜の松本へ繰り出すの

が唯一の楽しみだったのを突然思い出したのだ。

あの頃通っていた居酒屋は、まだあるだろうか?

クラス会のスケジュールは、松本周辺観光と居酒屋での宴会そし

てきれいなおねえちゃんのいるスナックでカラオケということになる

のだろうか。

僕たちが学生だった頃、松本は日本の三大ブス都市の一つとして

有名だったけれど、確かにジモッティーにきれいなおねえちゃんは

いなかったなあ?

今回はIクンがプランをたてているので、粛々とそれに従おうと思っ

ているのだ。

乞うご期待なのだ!!




春だったね!1969-えっちゃんの百日紅

わたしと妻のウォーキングコースにある百日紅です。

わたしの住んでる街の鎌倉古道の道祖神に植えてある百日紅

は、今年はご覧のように見事な花を咲かせています。

百日紅は色々なところに植えられていてポピュラーな樹木なの

ですが、こちらの百日紅は樹齢200年をゆうに超えており、花の

色が濃い紅色です。

わたしの妻-えっちゃんのお気に入りの百日紅で、子供たちは

「えっちゃんの百日紅」と呼んでいました。

昨年は花の付きが悪くて、えっちゃんは不満だったのですが今

年の花を見ることが出来たら喜んでいたと思います。

えっちゃんは、松の内があけてすぐの1月13日午後3時32分に

突然旅立ちました。

これまで既往症もなく、寝込むことも無く、毎日元気に暮らしてい

たのですが、あっけなく逝ってしまいました。

13日の朝、いつものように車でわたしと娘を駅まで送ってくれたの

がえっちゃんとの最期になりました。

亡くなって7ヶ月が経ちましたが、まだ亡くなったのが信じられませ

ん。あの世から帰ってきた人はいないので、天国はきっと居心地の

いいところなのでしょう。





ここのところ毎日、メディアが庄原豪雨の模様を報道しています。

このような大きな災害が庄原を襲ったことは記憶にありません。

地球温暖化のせいで、集中豪雨が限られた狭い範囲で発生させ

ているのでしょうね。

被害を受けられた方には、こころよりお見舞い申し上げます。


さて、第92回全国高校野球選手権大会広島大会2回戦に登場した

母校・庄原格致高校は、20日三次きんさいスタジアムでシード校・

広島新庄高校と対戦し、0-8 7回コールド負けで今年も早々と敗退

しました。

庄原豪雨の影響があったのかも知れません。市内のもう1校、庄原

実業は勝ち進んでいます。

格致の分も頑張ってもらいたいですね!


春だったね!1969-広島ゆめてらす

首都圏で県産品を売り込むため、広島県が東京・新宿で運営し

てきたアンテナショップ「広島ゆめてらす」が6月30日夜、閉店し

た。

広島グッズがそろう店として人気が高まる一方で、賃貸料が年々

上昇。県は都内で移転先を探し、早ければ来春に再オープンさせ

る。

ゆめてらすはJR新宿駅南口の商業ビルにあり、瀬戸内の海産物

や地酒、広島カープグッズなど県内300社の1300品目を販売。開

店した1998年に35万人だった来館者は2009年には69万人と倍増

し、売り上げも1億4千万円から3億3千万円に増えた。

だが、当初は年間約3900万円だった賃貸料が年々上がり、09年

には6200万円に上昇。お好み焼きやカキ飯のレストランを経営す

る業者も2月に撤退したこともあり、県が閉店を決めた。

わたしも1998年のオープン以来、よく利用させてもらったのでとて

も残念です。



春だったね!1969-さとやま博パンフ

中国新聞Webによると、10月3日から庄原市内で開く庄原さとやま博

(市観光キャンペーン実行委員会主催、来年11月30日まで)をPRする

パンフレットが完成したそうだ。期間中に展開する体験イベントなどを

紹介している。

博覧会のメーンとなる体験イベントは、自然、クラフト、食など6部門30

種類を掲載。吾妻山の山野草を観賞する散策、高野町でのダイコン掘

り、西城川河川敷での化石発掘―などを日程や料金とともに載せてい

る。

市内で開かれる夏祭りや秋祭りのスケジュール、温泉施設や飲食店な

どの観光情報も盛り込んでいる。

開催期間が13ヶ月と長いので、陳腐化しないよう頑張ってもらいたいと

思います。パンフはA4判、18ページ。1万部印刷し、広島県内の旅行会

社や希望者に配る。

ハルダッタネ!1969-里山博士


庄原市全域で今秋から1年にわたって開かれる「庄原さとやま博」の

マスコットキャラクターが19日、市役所ロビーでお披露目された。

山をかたどった緑の体に黄色い帽子をかぶった本名・里山博士(ひろ

・し)、愛称・キョロやまくん=写真。市から「さとやま博広報部員」の辞

令を受け、親しみやすい「ゆるキャラ」としてイベントを盛り上げる。

全国88点の応募作から、東広島市の会社員、水戸啓之(ひろ・ゆき)さ

ん(32)の作品が採用され、最優秀賞に。母親の実家が庄原市。「山の

姿で緑豊かな庄原の自然を、帽子をかぶせることで里山に働く人々を

イメージしました」という。

名前と愛称は市内の小学生から公募し、1300点の中から、名前は永末

小5年の稲垣真悠(ま・ゆ)さん(10)、愛称は板橋小6年の池田美沙輝(

み・さ・き)さん(11)の作品が選ばれた。

庄原市史上初の一大イベント「庄原さとやま博」官民で盛り上げていき

ましょう!


ハルダッタネ!1969-三次ガイドブック

中国新聞WEBによると、三次市や同市観光協会などの観光キャ

ンペーン実行委員会が、市内の観光名所や特産品などを紹介す

る三次ガイドブックを3年ぶりに改訂したそうです。

B6判で45ページ。これまでのテーマ別紹介を改め、北部(君田、

作木、布野)中部(市街地周辺)南部(吉舎、甲奴、三和、三良坂

)と、方面別構成にし、より使いやすくした。

例えば北部では、君田温泉森の泉(君田)、常清滝(作木)、中村

憲吉生家(布野)を掲載。ミニ知識欄「なるほど!三次」も設け、子

どもの守り神の番神さん(君田)などを紹介している。アユ加工品

やピオーネなどの特産品、地産地消の店、季節ごとの行事カレン

ダーなども掲載した。

改訂ガイドブックとは別に、市は、外国人観光客向けに、英語、中

国語、韓国語の市内観光パンフレットも初めて作った。英語版2千

部、中国語版千部、韓国語版千部。八つに畳むとB6判で持ち歩け

る。いずれも市商工観光課や市観光協会で配っている。



ハルダッタネ!1969-ピオニウォーク


私の住んでいる東松山市高坂に埼玉県西部地区では最大規模の商

業施設が去る3月19日にグランドオープンしました。

大手GMSユニーが展開するウォークモール(モール型SC)としては8

箇所目、埼玉県下初となる施設で、『ともに発見、ともにしあわせ』をキ

ーワードとしている。また、環境に優しいショッピングセンターをコンセプ

トにしており、通路照明などにLED照明を採用しているほか、電気式ヒート

ポンプチラ空調システムの導入、駐車場照明の一部に風力発電や太陽

光発電を採用している。

名称の由来は、東松山市は花とウォーキングの街であり、東松山市の

花である牡丹を表す「PEONY(ピオニー)」と、ユニーのモール型ショ

ッピングセンターの名称につく「WALK(ウォーク)」また、ウォーキング

の「WALK」を併せて「ピオニウォーク」と名付けられたものである。

UR都市機構が東松山市南部で開発事業を進める土地区画整理事業

「むさし緑園都市・うらら花高坂」のプロジェクトの1つとなる施設で、国

道407号東松山バイパスと高坂駅東口通りが交差する場所に位置して

いる。

オープンして、まもなく1ヶ月経ちますが、土日祝日は大変な賑わいで

す。