190524-25 DRIVE &観光:佐賀・波戸岬へ行ってきました。(娘の運転で)
波戸岬:秀吉の「文禄・慶弔の役」で拠点となった名護屋城址のあるところ、
立派な県立「名護屋博物館」あります。(拝観無料)
名護屋城:城の規模としては、当時大阪城に次ぐものであった。
名護屋城址 IMG_2040_R
佐賀県立 名護屋城博物館IMG_2141_R-144
名護屋城 模型(1/300) IMG_2051_R-53
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安宅船(あたけぶね):日本水軍の最強軍船 IMG_2058T-1280
亀船(コブクソン)亀甲船(きっこうせん):朝鮮水軍の誇る戦艦 IMG_2095_R
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文禄の役(1592)日本軍の進路 IMG_2077_R
慶長の役(197)日本軍の進路 IMG_2078_R
講和交渉、主要な倭城の分布IMG_2082-1600
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文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)は:、文禄元年(1592年)に始まって翌文禄2年(1953年)に休戦した文禄の役と、慶長2年(1597年)の講和交渉決裂によって再開された慶長の役は、慶長3年(1598年)の太閤豊臣秀吉の死をもって日本軍の撤退で終結した。
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九州・山口の主な窯跡、製作用具にハングルと同じ呼び方も、連行されてきた陶工たち、肥前陶磁の発達IMG_2102T-1600
朝鮮通信使
いろいろないきさつを経て、江戸時代には12回の朝鮮通信使を迎えている。
詳しくは:ウィキペディア「朝鮮通信使」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF#江戸時代の朝鮮通信使
をご覧ください。
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展示物の説明しか載せていませんが、博物館内には本物やレプリカが展示されており、非常に有意義でした。是非もう一度ゆっくると訪れたいと思っています。
*余談:
①日出町の松屋寺(日出城主の菩提寺---木下姓)、ここの秘宝に加藤清正より送られた虎の頭の骨があったのを思い出す。松屋寺秘宝殿
②波戸岬-国民宿舎
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