190425 日出-回天基地-JR大神-R213-PMS,
このコ-スはアップダウン多く、GTEの能力を調べるのには向いている。今回は一度も坂で止まることなく走る事が出来、GIANT,E-BIKEのパワ-は満足できた。

イメージ 1

イメージ 2


大神、回天基地跡
・ボランティアで展示品の管理をやっておられる方と色々話をすることが出来ました。(私より3歳若いのに驚き)今回は回天作戦のの戦没者名をまとめて掲示されていた。(すごく努力された結果であろう、色々と説明を受けた)


イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 8

イメージ 7


詳しくは「ウィキペディア」をご覧ください。


回天(かいてん)は、太平洋戦争大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり[1]、日本軍初の特攻兵器である
開発当初は潜水艦からの発射で、まさしく人間魚雷であった。終戦間近には本土防衛のため、訓練基地からの発射も考えられるようになる。

訓練基地
「回天」の訓練基地として山口県周南市(旧・徳山市)の徳山湾に浮かぶ大津島が知られている。
大津島の基地は、まもなく手狭になり、同じ山口県内の周防灘側の(光基地)と平生(平生基地)にも基地が設けられ、さらに大分県速見郡日出町大神(大神基地)にも基地が設けられた。大津島を含めて、4ヵ所に基地があったことになる。回天の出撃は、大半が大津島基地からで14回、他に光から12回、平生から2回、大神から1回である。

今日はハッチが開けられてまして、内部の写真を撮ることが出来ました。
イメージ 9

潜望鏡
イメージ 10

操縦席
イメージ 11

後部空気室、エンジン室
イメージ 12

前部計器類
イメージ 13

回天の機関(エンジン)について(ブリタニカ国際大百科事典及びウィキペディア より参照)
イメージ 14

九三式魚雷(きゅうさんしきぎょらい)

1933年制式兵器として採用された旧日本海軍の巡洋艦および駆逐艦用魚雷。燃料の酸化剤に酸素を使用していたので酸素魚雷と呼ばれた。イギリス,アメリカその他の魚雷に比べ格段に高性能で,第2次世界大戦終了までこれに匹敵する魚雷は出現しなかった。初期の魚雷は圧搾空気のみを動力とするものであったが,第1次世界大戦頃から圧搾空気で液体燃料を燃やし,これに水を噴射して,燃焼ガスと蒸気によってピストンまたはタービンを駆動する形式の熱走魚雷となった。空気に換えて酸素をもってすれば,航行性能が画期的に向上するのは明らかで,各国海軍とも研究したが完成しなかった。しかし日本海軍のみがこれに成功し,大きな効果をあげた。高速で射程が画期的に大きく,かつ無航跡であるため,特に第2次世界大戦の初期には,連合国側は被害を魚雷によるものとは信じなかった。主要目は,全長 9m,直径 61cm,射程は48kn2m36kn4m,炸薬量 490kg




・回天での技術的改善

回天では、ジャイロスコープの回転は圧縮空気駆動から電動になり、その回転速度は20,000回転に改善された。九三式魚雷の炸薬量は480kgである。これは長門型戦艦の装備した16インチ主砲の1t砲弾に匹敵する炸薬量だったが、回天ではこの炸薬量は3倍以上の1.55tに増加された。九三式魚雷1発の破壊力は、アメリカ艦隊型軍艦を沈没あるいは大破させるに十分な威力を戦歴で示している。一方、アメリカ海軍は大戦終盤の19456月、洋上攻撃を受けたイ367潜から発進した振武隊の回天1基が駆逐艦に命中したことを認めたが、九三式魚雷の3倍以上の炸裂火薬量をもつ回天の確実な命中を受けたにもかかわらず沈まなかったと主張した。


九三式魚雷は長さ9.61mだが、回天では14.75mに延長された。九三式魚雷の重量は約3tだが、回天では8.3tに増加した。九三式魚雷は水深20mの耐圧があれば十分だったが、回天は潜水艦の外部に搭載されるため、水深80m(潜水艦の深度限界の100mに近い)まで耐えるよう補強された。九三式魚雷は、最大速度52ノットで射程22,000mだが、回天は速度30ノット (55.6km/h) で航続距離23km、速度10ノット(18.5km/h) で航続距離78kmに変更された。回天は水面直下かつ低速での安定した走行性能をもつよう改善された。これは誘導を搭乗者による潜望鏡からのきわめて狭い視界によったためである。


*******************************************************************************


*昭和16年1月生まれで、司馬遼太郎の小説で明治の海軍のすばらしさを色々読んできた私にとって、大日本帝国海軍が日本軍初の特攻兵器を開発したことに非常に残念な想いで一杯です。
また回天の開発のいきさつを知ると、そこに組織としての日本人の弱さ・怖さを感じます。


合掌