1933年制式兵器として採用された旧日本海軍の巡洋艦および駆逐艦用魚雷。燃料の酸化剤に酸素を使用していたので酸素魚雷と呼ばれた。イギリス,アメリカその他の魚雷に比べ格段に高性能で,第2次世界大戦終了までこれに匹敵する魚雷は出現しなかった。初期の魚雷は圧搾空気のみを動力とするものであったが,第1次世界大戦頃から圧搾空気で液体燃料を燃やし,これに水を噴射して,燃焼ガスと蒸気によってピストンまたはタービンを駆動する形式の熱走魚雷となった。空気に換えて酸素をもってすれば,航行性能が画期的に向上するのは明らかで,各国海軍とも研究したが完成しなかった。しかし日本海軍のみがこれに成功し,大きな効果をあげた。高速で射程が画期的に大きく,かつ無航跡であるため,特に第2次世界大戦の初期には,連合国側は被害を魚雷によるものとは信じなかった。主要目は,全長 9m,直径 61cm,射程は48knで2万m,36knで4万m,炸薬量 490kg。
・回天での技術的改善
回天では、ジャイロスコープの回転は圧縮空気駆動から電動になり、その回転速度は20,000回転に改善された。九三式魚雷の炸薬量は480kgである。これは長門型戦艦の装備した16インチ主砲の1t砲弾に匹敵する炸薬量だったが、回天ではこの炸薬量は3倍以上の1.55tに増加された。九三式魚雷1発の破壊力は、アメリカ艦隊型軍艦を沈没あるいは大破させるに十分な威力を戦歴で示している。一方、アメリカ海軍は大戦終盤の1945年6月、洋上攻撃を受けたイ367潜から発進した振武隊の回天1基が駆逐艦に命中したことを認めたが、九三式魚雷の3倍以上の炸裂火薬量をもつ回天の確実な命中を受けたにもかかわらず沈まなかったと主張した。
九三式魚雷は長さ9.61mだが、回天では14.75mに延長された。九三式魚雷の重量は約3tだが、回天では8.3tに増加した。九三式魚雷は水深20mの耐圧があれば十分だったが、回天は潜水艦の外部に搭載されるため、水深80m(潜水艦の深度限界の100mに近い)まで耐えるよう補強された。九三式魚雷は、最大速度52ノットで射程22,000mだが、回天は速度30ノット (55.6km/h) で航続距離23km、速度10ノット(18.5km/h) で航続距離78kmに変更された。回天は水面直下かつ低速での安定した走行性能をもつよう改善された。これは誘導を搭乗者による潜望鏡からのきわめて狭い視界によったためである。