190915 長崎観光(浦上天主堂-平和公園-グラバ-園-大浦天主堂-眼鏡橋-中華料理-大浦湾)
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1.浦上天主堂 現在の天主堂は昭和34(1959)年に再建されました。ここは、爆心地から北東へ約500mの地点です。旧天主堂は、明治28(1895)年に起工し、大正14(1925)年に完成するまで、30年の歳月をかけて建てられました。当時は赤レンガ造りの、東洋一といわれた大きな教会でした。
原爆の日、一瞬のうちに爆風で崩壊、火災で屋根と床の可燃物は焼失しました。聖堂、司祭館などは堂壁の一部を残して敷地内にあった聖人像などの石像もほとんどが大破しました。双塔の鐘楼の片方は天主堂内部に倒れ、他方は近くの川へ転げ落ちました。
なお、遺壁の一部は原爆落下中心地に移設されています。また、長崎原爆資料館に被爆当時の南側入口の再現造型や被爆した像など(実物)が展示されています。
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20180921SS00014西方から天主堂を見る 米軍陸軍病理学研究所返還写真
IMG_7352_R 現在も、天主堂の左側の植え込みには、熱線で黒く焦げたり、鼻や腕、指がもぎとられたり、頭部を欠いた石像があります。
IMG_7369_R 平和公園より
2.平和公園(平和祈念像・平和の泉) IMG_7379_R
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21383t 平和です。
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・グラバ-園:あゆみ
1968年(昭和43年):旧グラバー住宅修理工事完了、2年4ヵ月ぶりに
一般公開再開
1970年(昭和45年):長崎市が「長崎明治村」構想を打ち出す
1974年(昭和49年):4棟の洋風建築を「長崎明治村」構想の敷地内
に移築復元。(旧スチイル記念学校、旧ウォー
カー住宅、旧自由亭、旧三菱第2ドックハウス)
・グラバー邸地区観光整備第2期工事完了、
・動く歩道完成
・長崎明治村」の名称を公募、「グラバー園」が
選 ばれる
1974年(昭和49年)9月4日:「グラバー園」開園
*昔の「グラバ-邸」の頃の記憶があるため、グラバ-園がなかなか理解できず(なんで色々な旧住宅があるのか?)、今回WEBで調べて初めて知った次第。
IMG_7405_R 歩く歩道が坂を登ります
IMG_7409_R 旧三菱第2ドックハウス (船の修理中に船員が宿泊した場所、このハウス内に等身大の竜馬がいました)
IMG_7429_R 記念に1枚
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IMG_7447_R 旧グラバ-邸(チムニ-と日本風の瓦葺きに注目)
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IMG_7471_R-475 旧グラバ-邸 前より
4.大浦天主堂 国宝 入堂料\1,000には少々驚き IMG_7484_Rtl5c3
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教会内は催し物(子供の合唱団の発表か?)が行われていて見物できず。(入り口のみ拝観で終わる)―――
入場料を取っているのであるから、事前にチケット売り場で知らせるべきであろう。(写真は許されてないが国宝指定の内部は実際に観てみたかった)仕方なくWEBで検索(いい勉強になりましたが)
20180920SS00003T WEBより拝借
この室内が催し物関係者で埋め尽くされていた。
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20180921SS00006 WEBより拝借
20180921SS00009 WEBより拝借
20180921SS00012 二十六人聖人 WEBより拝借
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20180921SS00003 WEBより拝借
マリア像
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日本之聖母像 IMG_7487t-2-800
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以上で大浦天主堂終わりです。
5.眼鏡橋 IMG_7506_R この川沿いにはいろんな橋が架けられていて、散策するにはbest point
6.昼食後、大浦湾沿いに帰路へ
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大浦湾道の駅 IMG_7524_R-527-2
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亀川着 18:30 でした。
次回は是非自転車で!!