今回宇佐海軍航空隊を調べているうち、子供の頃住んでいた 長洲/金屋が、飛行場(滑走路)からわずか西に2~2.5kmしか離れていなかったことが判り、新しい発見で、驚きとともに一寸詳細に調べてみることにしました。
(子供の頃の記憶では飛行場は駅館川の遙か上流にあると思っていました。)
・宇佐市平和資料館
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/50/ea/j/o0477031514427703986.jpg?caw=800)
宇佐市平和資料館では、宇佐海軍航空隊の歴史や空襲などに関する資料を展示
。現在、宇佐市では戦争資料の収集を進め、平和ミュ-ジアム(仮称)の建設を目差している。
零戦と対面、初期型の二一型(映画「「永遠の0」で使用された、実物大模型、一部車輪とかに本物も使われているようです。すごく迫力ありましたね。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/ee/24/j/o0800060014427704011.jpg?caw=800)
平和資料館ポスタ-写真より拝借
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/9c/e5/j/o1024063214427704059.jpg?caw=800)
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/cb/32/j/o1023057014427704115.jpg?caw=800)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/22/0f/j/o1024052114427704156.jpg?caw=800)
コックピット、非常に狭いし、いすの貧弱なのには驚かされます。これに7~8座時間も座る、それだけでもすごく過酷な条件です。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/e8/a4/j/o0800060014427704207.jpg?caw=800)
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/72/f1/j/o0369055214427704238.jpg?caw=800)
映画に使われたコックピットのセットに座ってみました。その狭さに驚くばかり、それに硬いシ-ト全然クッションなどありません。戦闘となれば七-八時間もの長時間、このような狭い空間で過ごすのは戦闘以外にも過酷としか言いようがありません。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/4d/d4/j/o1024076814427704277.jpg?caw=800)
映画「永遠の0」に使われたコックピットのセット、座ってみました。操縦桿を動かす余裕はなど無かったです。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/98/ab/j/o0480064014427704328.jpg?caw=800)
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/70/b6/j/o0800060014427704394.jpg?caw=800)
人間爆弾「桜花」の模型、昭和20年には、兵器というのもはばかれる人間爆弾、「桜花」を攻撃兵器とした初の航空特効専門部隊が編成された。第721航空隊、通称神雷隊と呼ばれた。「桜花」をつり下げる「一式陸上攻撃機」とそれを護衛する「零式艦上戦闘機」によって構成された。旧滑走路東側に今も残る中型掩体壕はこの「一式陸攻」を格納するためのものでした。
桜花の初陣は昭和20年3月21日、沖縄方面の敵機動艦隊に対する攻撃でした。戦果はなく、出撃した18機全機が敵艦隊に接近する前に撃墜されるという悲惨なものでした。続く第二陣も戦果を挙げられず、はじめて戦果を挙げたのは、4月12日の第三陣。その戦果は、駆逐艦1隻を撃沈、1隻に命中し貫通、というものでした。従来の魚雷や爆弾投下による攻撃と比べれば、はるかに高い命中率を達成したものの、桜花攻撃が難しいことがあらためて明らかになりました。そんなわけで、母機を含めて航空搭乗員を激しく消耗する桜花攻撃は、長く続きませんでした。母機は桜花を発射したあと、帰還して再出撃することになっていましたが、実際には、母機と桜花が一緒に撃墜される例も多く、損害が大きすぎたため、桜花特攻のコンセプト自体が破綻してしまったのです。
桜花を装備した第721海軍航空隊の未帰還機は、410機727名。これは海軍の全特攻部隊の未帰還機の4割を占める数です。にもかかわらず、最終的な戦果は駆逐艦1隻撃沈、5隻撃破と、とても犠牲に見合うものではありませんでした。
技術開発についての日本人の危険な一面が判る論文です。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/86/f8/j/o0609044214427704424.jpg?caw=800)
一式陸攻に搭載された桜花
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/08/06/j/o0597039814427704467.jpg?caw=800)
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/5e/a8/j/o0309054514427704506.jpg?caw=800)
平和資料館 資料より
![イメージ 27](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/ab/f5/j/o0939076814427704534.jpg?caw=800)
![イメージ 28](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/62/6c/j/o1024065814427704579.jpg?caw=800)
![イメージ 29](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/6f/8d/j/o1024048914427704629.jpg?caw=800)
![イメージ 30](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/4f/35/j/o1024061214427704669.jpg?caw=800)
![イメージ 31](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/28/d3/j/o1024067614427704723.jpg?caw=800)
*昭和20年3月-8月、当時4歳でした。防空壕に何度も逃げた記憶があります。この爆撃だったんですね。平和資料館の方と話をしていたら、私の住んでいた金屋も瓦屋(瓦焼き工場)が爆撃されたようだと話していました。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/86/bd/j/o0693050314427704765.jpg?caw=800)
終戦日ご間近だったと思うが親父に連れられて、どこか近く?の高射砲のあるところを見に行った記憶が微かにある。何処だったかは定かではないが。
戦闘機・爆撃機、一式陸上攻撃機11型は 山本長官搭乗機だった
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/90/61/j/o0946117114427704825.jpg?caw=800)
城井1号掩体壕史跡公園(えんたいごう)、この地区の中心となるのが城井1号掩体壕です。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/eb/51/j/o0800060014427704891.jpg?caw=800)
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/08/b2/j/o0681044714427704932.jpg?caw=800)
城井1号掩体壕
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/89/4e/j/o1280066914427704988.jpg?caw=800)
こには戦闘機が1機格納できるようになっており、胴体部分が入る中央部が高い位置まで開口があり、両翼は翼の高さに合わせ、低い位置での開口となっており、外観は半球体を半分に割ったような形状となっており、天井部は分厚いコンクリートで覆われています。
![イメージ 33](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/c7/11/j/o0538040814427705029.jpg?caw=800)
中央に展示されているのが、杵築沖の海中から引き上げられた零戦のエンジンとプロペラだそうです。掩体壕の奥の部分です。小さな明かり取りの丸い穴があります。
![イメージ 19](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/b0/27/j/o0800060014427705072.jpg?caw=800)
16気筒、空冷エンジン
![イメージ 20](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/de/0f/j/o0800060014427705128.jpg?caw=800)
掩体壕前の平和記念碑、球体が載る記念碑の台には、東大寺別当揮毫による鎮魂の二文字が記されています。
![イメージ 21](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/ca/38/j/o1024058414427705197.jpg?caw=800)
記念碑に偶然にも親戚の名前見つける
![イメージ 32](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/1d/2a/j/o1024076814427705254.jpg?caw=800)
宇佐飛行隊から神風特攻隊として飛び立った八幡護皇隊の搭乗員の名が記された石碑
![イメージ 22](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/c1/ba/j/o0800060014427705292.jpg?caw=800)
周りにはいくつもの掩体壕が残されている(ほとんどが農家の倉庫や駐車場として使用されている。)
![イメージ 23](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/82/2b/j/o1280048014427705334.jpg?caw=800)
城井1号掩体壕の東側にある掩体壕、ここも農機具の倉庫として使用されています。
![イメージ 24](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/a8/7d/j/o0800060014427705394.jpg?caw=800)
滑走路跡
![イメージ 25](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/3b/00/j/o0800060014427705435.jpg?caw=800)
宇佐海軍飛行場滑走路跡、「平和への願い」のモニュメント
![イメージ 26](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/21/ameidhonda/67/d1/j/o1024076814427705488.jpg?caw=800)
宇佐海軍航空隊跡は時間が足りませんでした。是非再度訪問したいと思っています。
金屋で防空壕に何度と避難した記憶が蘇ってきますし、親父と本当に話がしたい気持ちで一杯です。