170929 国東半島DRIVE:六郷満山文化の一端を

梅雨明け直後の(7/21)、国東半島外周サイクリングに行き(https://yahoo.jp/KMszap)、(https://blogs.yahoo.co.jp/kanaokahonda/41781500.html)、次は両子寺へ登ってみたと計画していた。しかし、距離もありYPJ-Rでどこまで登れるか判らず躊躇していた。
そんな話を温泉でしていたところ、マンション隣の方が車で連れて行って頂ける話になり、ドライブに誘った頂いた。

両子寺旧千燈寺跡豊後高田そば富貴寺真木大堂宇佐神 宮;国東の六郷満山文化の一端を楽しませて貰いました。

今回は脚の悪い私とwifeを誘って頂き本当に感謝・感謝です。

次回は是非自転車で両子寺へと思っています。

国東半島は、奈良時代、宇佐神宮の神宮寺であった弥勒寺から、僧侶が修行をするためにやってきた場所で、国東半島の最高峰、両子山を中心に、放射状に延びる谷筋に沿って6つの鄕が開け、六郷と呼ばれ、山あいには天台宗と結び付いた65ヶ寺ともいわれる数多くの寺院が作られ、これらは総称して「六鄕満山」と呼び、神を仏とし、仏を神とする神仏習合の国東六郷満山文化が華開いた、と。
往時のことを想像するとこの片田舎にすごいことですね。

六郷国東半島には、中央にそびえる両子山から放射状に伸びる谷筋に沿って、武蔵(むさし)、来縄(くなわ)、国東(くにさき)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、伊美(いみ)の6つの郷が開け、六郷と呼ばれた。


本山、中山、末山:国東半島の寺院群は、学問をするため本山(もとやま)、修行をするための中山(なかやま)、布教をするための末山(すえやま)の3つの群に分けられ、これらは合わせて満山と呼ばれていた。このことから、国東半島の寺院を総称して六郷満山と呼ぶようになったと。

両子寺:江戸期より六鄕満山の総持院として全山を統括してきたが、明治初頭の神仏分離等や、時代の趨勢で荒廃。
仁王像2体、静けさの中木漏れ日で見る仁王像はすばらしいです。

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 国東市観光ガイドブックの写真、(プロの写真はすごいですね。この写真を見て是非行ってみたいと思いました)
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両子寺仁王
 石像仁王は全国に分布しているものの、その数は大分県が圧倒的に多く、
でも、国東半島には、130を越える仁王が確認されている。
 寺域や仏像、神社の守護を目的として造られた仁王は、鎌倉時代から造られ始め、桃山時代に最盛期を迎える。しかし、江戸時代の後半になると仁王
は村全体や、個人の信仰信仰の対象として造立、奉納されることが多くなる。
 両子寺の仁王は大型で容相もいかめしく、天衣や裳の表現にもすぐれている。阿形像左手に保つ金剛杵は肩上に構え、右手は腰の位置で拳にする。吽形像右手は肩下掌を前に開き、左手は腰の位置で拳にする。両像とも腹をやや突出し、骨や筋肉の表現には力強さが感じられ、国東半島を代表する仁王像である。
 銘はなく、事の伝えによると文化十一年(1814年)の作といわれ、像高
230cm(阿形・吽形)、石材は角閃安山岩である。
 
                        安岐町教育委員会


六郷満山開山1300年記念のことが頭にあり、これらの石仏もその当時のものかと想い、その往時の様子を夢見ていたが、江戸時代のものであるとの印でもう一度。考え直さなければ。






旧千燈寺跡:かつては「西の高野山」と呼ばれ、隆盛を誇ったものの、現在は廃寺。残念ながら脚が悪くこの場所までは行けませんでした。(写真は国東市観光ガイドブックより、写真からも、美しさと迫力のあるレリ-フ状の仁王像が迫ってきます。)
静けさの中、なんとも言えない迫力が伝わってくるようです。(WIFEは歩いて行ってきました)
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国東市観光ガイドブックより拝借
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2体の仁王像レリ-フ、迫力ありますね。(WIFEの携帯写真)

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豊後高田のそば


 西日本有数のそば処、挽きたて、打ちたて、茹でたての「三たて」にこだわる認定店制度もあるほど。さわやかな味の春そばと香り高い秋そばという年2回の新そばが味わえるところ。
 粗挽きそば、他では味わったことがないおいしいそばでした。もう一度食べに行きたい食感でした。
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   かき揚げ

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    手打ちそば 認定店の看板
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富貴寺
    山門、ここにも立派な仁王像が。石像です。
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  仁王像(阿形 (あぎょう))-寺案内(しおり)より
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  仁王像(吽形(うんぎょう)-寺案内(しおり)より
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  国宝・大堂、西国唯一の阿弥陀堂、九州最古の和風建築物
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  堂内は, 現状はかなり傷みがひどいようで、またうす暗くてあまり見えませんでした。阿弥陀如来の後ろの壁画?はほとんど消えかかっていたようでした。
  
  -寺案内(しおり)より、かなり昔の写真でしょう。往時ははこんなにすばらしかったのですね、驚きとともに残念です。
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阿弥陀如来座像-寺案内(しおり)より
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真木大堂 :

六郷満山六         六十五ヶ寺のうち本山本地として三十六坊の霊場を有した幻の最大の寺院であった馬上山伝乗寺のことで、約700年前に火災のため焼失したが、現存の9体の仏像は当時の人々の厚い信仰と守護のもとに難を免れて今日に至っている。話によると阿弥陀如来座像は国宝級の仏像であるらしいが、国宝に指定されると管理が大変だとし、地元の方はそれを拒みこの地に展示しているとのこと。阿弥陀如来座像 丈六(じょうろく)の座像(「一丈六尺(いちじょうろくしゃく)の仏様」の略語、)その座像で半分:約2.4m)、像高216cm。丈六の坐像で檜(ひのき)材の寄木造り
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郷満山文化遺産として、石造文化財がいたるところに残されていますね。
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国東塔
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庚申塔
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八幡さまは      古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされてきました。全国約11万の神社のうち、
八幡さまが最も多く、4600社あまりのお社(やしろ)があります。
宇佐神宮4万社あまりある八幡さまの総本宮です。
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余白・紹介:六郷満山展、9月13日~11月5日、於 九州国立博物館
平成30年(2018)、六郷満山は開山1300年を迎えるこれを記念し、
六郷満山の歴史と文化を物語る信仰遺産を紹介。
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