例えばドラマの「ご臨終です…」のシーン
モニターの数値がゼロになり、ピーという電子音の後で静まり返った深夜の病院の廊下に家族の慟哭…っていう感じ
夫は「そういう臨終は嫌だ、自宅で好きな音楽をかけてたくさんの人に見守られて静かに逝きたい」と言っていた

途中から「みんなに見られてるんも恥ずかしいし
なおこだけおったらええわ」と言った

抗癌剤治療を受けた感じの悪い総合病院でだけは死にたくないと言い出し、更には「病院は嫌だけど家で死んだら
自宅が“ 人が死にたてホヤホヤの家 ” になるから、なおこの友達が遊びに来てくれへんかもしれんなぁ」と悩んでいた

こういうことを気にするから
ストレスで病気になったのかもしれない

いろいろ考えた末に夫と私は
総合病院や緩和ケア病院での終末治療ではなく在宅で最期をと決めた

自宅近くの小さなクリニックが訪問診療をやっていた
ネットのプロフィールによると院長先生は京大病院の消化器内科にいたらしいので膵臓癌には詳しいだろうし安心だ
高僧のようなありがたいお顔で、とても信頼できる頼もしい雰囲気で、深夜や早朝に往診して下さった時の心強さは忘れられない

(※そもそもはじめに不快感が出た時に、この医院を受診していたら早期発見できたはず!)

何度か書いているように、夫はアブラキサン&ジェムザールのちTS-1だったので
ポートの手術をしないまま1年以上闘病していた(他の抗がん剤なら最初にポートから始まるらしい)

最期に近づいた7月3日
「あと1ヶ月半から2ヶ月」と宣告された時に
今更だけど…と院長先生は前置きして
「今後は痛み止めの点滴を24時間体制で使うし、安全に腹水を抜くためにもポートが必要」と言った

これに夫も私も安堵した
体力が本当になければ手術なんて出来ないよね!ポートを使う暇がないほど余命が短ければこんなことは言わないだろうね!と
つまり“ もうちょっといけそう”ってことだよね?と2人で、ほくそ笑んだ

体力が落ちているから早急 且つ念のために1泊2日で夫が元々通っていた総合病院で入院ポート手術になった

「手術は嫌だが仕方ない それよりこの病院で死ぬのは嫌だから生きてさっさと退院したい」と夫は不安そうだった
そもそも前夜から行くことを渋っていた

7月5日 夫が亡くなった日の朝
私は薄化粧をちゃんとして缶の回収日なので
その頃飲んでいた“栄養補助食品・エンシュア”の缶を集積所に持って行った
ご近所の人の天気がどうこうと世間話をした

平凡な1日のはずだった



歩くのがおぼつかなくなりつつあった夫のために、車椅子でサポートしてくれる介護タクシーをはじめて頼んだ
夫は辛そうなのに病院の待合室で長時間過ごした
散々待ったあと診察室で初対面の医師は「もう今更そんなこと(ポート手術)しても…」と薄ら笑いを浮かべた
私は余命が短いことは承知していると告げたが、その医師の見立ては訪問診療医よりも残酷なものだった
それでも手術を受けることになり看護師に案内されたのは四人部屋だった
個室を予約していたと文句を言うと空いていないとのことだった(※常にこんな感じの病院)
私は不満に思ったが急いでいるので仕方がないと割り切ろうとしたが
人に気を使っていつも文句を全く言わない夫が
「個室を予約したので それ以外だったら
入院をキャンセルします
個室で なおこに一緒に泊まってもらい
トイレ介助をしてもらい
一緒にいたいんです」とキッパリ言った

私は夫の部下のちに嫁になった
知り合って25年間で、こんなにも人にキツくキッパリ言う夫をはじめてみたので正直驚いた
そして内容が結構 恥ずかしい
甘えたさんハート
なのでちょっと笑ってしまった
他人に対して“妻”ではなく“なおこ”(笑)

看護師も病状を知っているだけに微妙な顔をしていたし、私も戸惑ったが
夫は「早く家に帰りたい!この病院は最初から最後まで不快だった」と言うので介護タクシーを呼んだ

タクシーに乗ろうとしたら、さっきの医師に呼ばれ看護師に診察室へと連れ戻された
そこで更に酷いことを言われた
(※内容は辛くて書けない)
私は「そんなこと本人に言う必要ないですよね?診察を待たされて疲れているだけで、本人の認知機能はしっかりしているんです そんなこと言わないでください」と言ったが虚しかった
この医師も病院も本当にクソだと痛感した

2度目の診察の間「病院前から少し離れて待機している」と言った介護タクシーが、なかなか戻って来なかった
待っている間に「そこら辺クルっと見てまわろか~」と夫はのんきなことを言っていた
「はよ 家に帰りたいなぁ」とも言った
本当は焦燥感にかられていたのかもしれないが、いつものんきで上機嫌に聞こえるような話し方の人なので、この時の気持ちは分からない

そして夫はしみじみとつぶやいた
「もう ぼく あかんねんなぁ…」
私は何も返事が出来なかった

やっと来たタクシーの中で、夫はたくさん汗をかいていたし、体温が下がり朦朧とし始めた
総合病院に戻ろうか?タクシーを停めて救急車を呼ぼうか?と私は提案した
「どっちにせよあの病院に戻るから嫌だ」と夫は言った
そりゃそうだと私は納得してしまった

この時  もし救急車を呼んでいたら
助かったかもしれない
数週間…数日間は生きられたかもしれない
たとえ ほんの数時間であっても
生きていたら
最期に息子や姉兄に看取って貰えたのに

私は 夫の希望通り家に帰ると決めた
顔色がどんどん悪くなって呼吸も荒くなって
もうダメだと素人目にもわかったが
本人は楽しそうにダジャレを言っていた

このまま自宅に帰って手をこまねいていてはダメだ、今のうちに訪問診療医に往診依頼の電話を…と思った時
「ここなら家より医院の方がわずかに近い」と気づいた
往診に出かけている時間帯だから行っても無駄かもしれないが一か八か…
いや絶対に院長先生がいる!と念じて
タクシードライバーに医院へ行先変更を告げた

医院に着いて看護師さんに助けられながらベッドに運ばれた時
もう夫が息をしていたかどうか分からない
本当に偶然 院長先生がいてくれたが、手の施しようもなく「ご臨終です」とだけ告げられた

総合病院は嫌だと言った夫
自宅が穢れたら困ると言った夫
しかしまさかタクシー(または医院の駐車場のストレッチャーの上)で
亡くなるなんて酷すぎると思った

畳の上で死ねないなんてね…

夫が嫌がっているのにポート手術を受けさせるべきではなかった
四人部屋でも入院させれば良かった
診察後異常に体温が下がっていたし顔色も悪かった 
病院にいたのだからその場で処置を受ければ良かった
もっとさっさと介護タクシーを呼べばギリギリ自宅に辿り着けたのに私がグズグズしてたから…

あのドライバーが、あの看護師が、
あの医師が、この主治医が…

いや やっぱり私が…!

そう思った時に 院長先生が

ご主人の治療に関わった
医療者全員に代わってお詫びします
力が及びませんでした

と言った
そう言われたら仕方がないなと思えた

常套句なのだろうけど 納得するしかない
強い温かい言葉だったので
あちこちにクレームを入れるようなことを
私は  この1年間1度もしなかった




私は かなり早い段階から葬儀社を決めていたので病院スタッフが驚くほどサクサクと葬儀社を呼んだ
「今いるところは病院ですが、総合病院の霊安室ではないので、午後の診療が始まるまでに速やかに“ 運び出して ”ください」と冷静に告げている私に看護師さん達は不気味ささえ感じていたようだった

梅雨が明けたばかりで朝 家を出る時も
病院を出た2時少し前も快晴だった
2時過ぎに亡くなり
葬儀社が迎えに来た3時半過ぎには
激しい雷雨だった
4時からの午後診に間に合ったから
気ぃ使いぃの夫もホッとしただろう

大雨の中 車に運び入れられる夫を
院長先生以下 看護師 事務員など約20名の方々が傘もささず
びしょ濡れで黙祷して見送って下さった

葬儀社の担当者が
「普通の病院では事務的に2人ほどですよ
こんなにも大勢の人に見送られる方は
はじめてです ご主人様は
きっと良い方だったのですね」と言った

畳(ベッド)の上では死ねなかったが
温かいお見送りだったから良しとしておく
夫はタクシーではなく
信頼していた院長先生の元で
医院のベッドで穏やかに亡くなったことにする
そしてこの【大雨の感動的なシーンだけを
親族に伝える】と私は決めた

1年間 誰にも言っていない
多分 一生言わない…

夫は律儀で正直者で嘘がつけない人だった

私は いくらでも嘘をつく

他人の批判から自分を守るために
そして自分自身を騙して
自分の心を楽にするために
嘘をついているうちに
本当に夫はベッドで亡くなったような気さえしてきている

それで自分を
みんなを安堵させるのなら
別にいいじゃない…