部屋の引き出しの中に老人が座っている。突然そんな妄想に取り付かれた。
もちろん、そんなものは妄想だ。当たり前だろう? 普通の毎日を送る普通の大学生である僕の部屋の引き出しに、なぜ老人が座っているというのだ。なぜ、体育座りで座っているのだ。普通なら、あぐらでもかいているところだろうに、なぜ体育座りで座っているのだ。
そんな疑問はやはり妄想で、考える必要も無い。僕が考えるべきなのは明日提出しなければならないレポートや、僕の元を去ってしまった彼女の事だ。一番下の引き出しを開けて老人が座っている事を確かめる必要も無い。なぜ体育座りなんだと声を荒げて問い詰める必要も。
だけど妄想の老人は頭の中から抜け出して、引き出しの中に消えていった。その瞬間に引き出しは透明になって、中の老人が見えた。白く燃え尽きた髪の毛をぶちぶち引き抜きながら、やっぱり体育座り。と言う妄想を抱く。
「おい老人、なんで引き出しの中に座っている」
実際に声に出しても聞こえないだろうから、声を出す妄想をして問いかける。だが、老人は答えない。妄想だろうが現実だろうが、耳が遠くては仕方が無い。そうか、耳が聞こえないのか。頭も腐ってきているのだろう。わはは、だから息子にでも捨てられたか。いや、息子の嫁か。ああ、彼女は正しい。ゴミは捨てるべきだ。とりあえず僕はテレビを窓から放り投げた。
息子の嫁は老人を憎んでいた。邪魔で仕方が無い。ぶちぶち抜いた白髪で手足を縛って、ママチャリのカゴに入れて運んできたんだ。途中で警察に止められて、夜はライトを点けなさいと怒られたはずだから、たぶん深夜に運んだんだ。そして僕の部屋の引き出しを開けて……いやいや、ちょっと待て! 僕はちゃんと鍵を閉めた。ちゃんと閉めたのだから、ママチャリでは入って来れない。カゴの付いてないやつなら分からないが、ママチャリじゃあ話にならない。
じゃあ、老人はどうして引き出しに居るんだ。体育座り、じゃない。三角座りの方が一般的なのか。どっちでもいい。妄想だから。どっちでもいいけど、一般的だから三角座りと言おう。
老人が生まれた時、老人は赤ん坊だった。昭和と言う時代とともに生まれたのに、双子の兄は六十四年でさっさと死んでしまった。兄の残した子供は平静な名前と裏腹に、老人を弄んだ。赤ん坊から少年になって、青年を飛ばして老人になった老人は、またひっくり返って少年になっていった。頭が腐って少年みたいになって、赤ん坊になった。
そして老人は赤ん坊よりも、もっと戻った。胎児。老人は、生まれていない。だから、母なる引き出しの中で三角座り。生まれていない老人は、三角座りが一般的だ。
手を軽く握ったまま頭を抱え込んで、三角座り。引き出しの奥でぬくもりに包まれながら。ああ、なんて幸せなんだ。人生は生れ落ちた瞬間から不幸、ならば生まれないのは幸せだ。ずっとこのまま、温かい光に包まれていたい。
ふざけるな。生まれない奴など死んでしまえ。僕の引き出しだ。不法侵入だ。領空侵犯だ。鍵を閉め忘れたからって、勝手に入っていいと誰が言った。
僕はエアガンを手にとって、引き出しを撃った。母は身を挺して息子を守る。ああ、なんて美しい光景だ。家族愛だ! うるさい死ね。僕の引き出しだと言ったはずだ。
老人を守る引き出しを強引に引っ張った。僕の力の前に無抵抗な引き出しはあっけなく開く。ざまあみろ! 暴力は愛より強い! 僕は引き出しの中の老人に向けてエアガンを撃ち込んだ。
もちろん妄想であるところの老人はそんなところで三角座りをしているわけもなく、銃口から飛び出したBB弾はさっき印刷した明日のレポートにぶつかった。
そのぶつかった衝撃が、BB弾に宇宙意識を与えた。今までこの小さな島国で生まれ育ったBB弾は、自分の事しか考えていなかった。生まれ、生き、出会い、別れ、恋をして誰かを傷つけ、それでも生きてきた。そんな自分に精一杯だったBB弾は、今初めて自分の小ささを知った。
自分はなんて小さな男だったのだろう。そう思っても、過ぎ去った時間はもう戻らない。今BB弾は発射され、レポートにぶつかってしまったのだ。ああ、時の流れは無情だ!
この期に及んでBB弾に出来る事と言えば、憧れる事ぐらいだ。BB弾は地球に憧れた。己の事しか考えられない小さな自分と違って、なんて大きいのだろう。大陸も海も動物も植物もママチャリもBB弾も引き出しも乗せて、静かに微笑み、回る地球。
だがBB弾は大きくならないので、せめて回った。レポートにぶつかって地球に憧れたBB弾は、せめて回って跳ね返った。回りながら、僕の目に向けて飛んできた。
親の心子知らずとはこの事だ。かわいい子でも目に入れると痛い。むちゃくちゃ痛い。BB弾はぐるぐる自転しながら僕から光を奪った。片目に当たっただけなのに、なぜか何も見えなくなった。その瞬間眼球もまた地球に憧れたかも知れないが、そんな事はどうでもいい。
ただ、暗闇が降りてくる瞬間、僕は確かに見た。
一つ上の引き出しから出てきた老人が、こっちを向いて笑っていた。
(了)