正門ゲートでの長い長い持ち物検査の列に並びながら、私はある種の義憤を覚えます。
言論には言論の刃を、政治には選挙の票をもって対抗すべきであり、
爆破予告などという卑劣な手段で他者の集いの自由を奪い
開かれた学びの門を閉ざすことがあってはならないと....
いつもは5月の連休に訪れる、静かでひっそりとした本郷のキャンパス。
しかし今年は仕事の都合もあり、お祭りの熱気に包まれた日に足を運んだことを描写します。
東大駅から正門まで、異常な行列ができていました。
入校の際に手荷物検査があったためです。
安田講堂前も多くの人々が集てました。
本郷キャンパスは、歴史ある赤門や安田講堂、三四郎池、
そして重厚なゴシック様式の校舎が立ち並ぶ広大な空間です。
お祭りの喧騒があっても、一歩歴史的建造物の陰に入れば、
本郷特有の「アカデミックで静謐な空気」が残っています。
爆破予告というノイズに振り回された今年の五月祭でしたが、
本郷が本来持つ「静かで知的な五月祭の気風」は、
学生たちの毅然とした態度や、学術展示を真摯に楽しむ人々の姿の中にしっかり息づいていたように思います。
そして
凄まじい活気と喧騒を抜けて地下の中央食堂へと向かいました。
私を待っていたのは、東大名物「赤門ラーメン」です。
もやしと挽肉のあんかけが絡む麺をすすりながら、
この「麺をすする行為」は、国境や政治的信条、世代を超えて、
あらゆる人間が共有できる「原初的な生への肯定(生きること=食べること)」です。
思想や宗教の対立、政治の混迷がどれほど激しくとも、私たちは皆、一杯の温かい麺を前にすれば、
等しくその旨味に相好を崩す「麺類」という名の同胞なのです。
赤いスープの奥にある、どこか懐かしく普遍的な味わいは、トゲトゲした世相の中で、
人間が持つ変わらぬ日常のたくましさを教えてくれるようです。
そう、「人類はまさに、麺類です」







