カムイ外伝の時代背景をもう少し詳しく書いてみます。(AI記事により少し文脈のおかしいところもあります)
『カムイ外伝』(および本編である『カムイ伝』)の物語の舞台となっているのは、江戸時代の中期、およそ4代将軍・徳川家綱から5代将軍・徳川綱吉の時代(17世紀後半、1660年代〜1700年前後)が背景となっています。
白土三平さんが描くこの作品は、単なるファンタジーの忍者活劇ではなく、当時の日本の社会構造や矛盾を凄まじいリアリズムで切り取っているのが特徴です。その時代背景には、以下のような歴史的要素が深く絡み合っています。
1. 「戦」が終わり、忍者が不要になった時代(徳川家綱〜綱吉の治世)
戦国時代から寛永の鎖国・島原の乱あたりまでは忍者の需要もありましたが、4代家綱の時代になると社会は完全に平定され、「武力による統治(武断政治)」から「学問や法による統治(文治政治)」へと移行します。 つまり、忍者が完全に「職を失った時代」です。公儀(幕府)や藩に仕える忍者たちも、お互いを監視し合うような陰湿な組織へと変貌しており、そこから自由を求めて抜け出そうとするカムイ(抜け忍)の苦闘は、この「過渡期の息苦しさ」が前提にあります。
2. 厳格化していく「士農工商・非人」の階級制度
作中でカムイは、当時の身分制度の最底辺(あるいは枠外)とされる過酷な境遇の出身として描かれています。江戸時代の中期は、幕府が支配を安定させるために、身分ごとの格差や差別を最も強固に固定化していった時期でした。 カムイが命をかけて強さを求め、忍びの術を身につけた根底には、この「階級制度という名の不条理」から這い上がり、人間として生きるための意地がありました。
3. 表の歴史の裏にある「民衆の飢えと一揆」
江戸中期は、たびたび大飢饉や悪政が重なり、農民や漁民が極限まで追い詰められて一揆を起こした時代でもあります。『カムイ外伝』でも、カムイが身を隠す漁村や農村には、常に搾取する側(藩・役人)と搾取される側(民衆)の生々しい対立が描かれます。カムイはその狭間で、どちらにも完全に属せない「孤り」の存在として風の中を駆け抜けることになります。
水原弘さんが歌う「忍びが通る 獣道……」という歌詞は、単に森の中を走っているという意味だけでなく、こうした「厳格な階級社会や組織の網の目から外れ、人間としての尊厳を守るために、獣のように孤独に生きるしかなかった時代」の背景を知ると、よりいっそうあの低音の重みが胸に迫ってきますね。
そして、前回触れた狂犬病のエピソードについても触れてみます。
(物語としては『カムイ外伝』の「狂犬(くるいぬ)」というエピソードになります)
このエピソードの詳細と、なぜ江戸時代が舞台のアニメでそんな近代的な言葉が飛び出したのか、その背景を紐解いてみましょう。
エピソード「狂犬(くるいぬ)」の概要
カムイが出会った凄腕の猟師(またはマタギ)が連れていたのが、非常に賢く忠実な紀州犬の「アカ」でした。カムイもアカと心を通わせるようになりますが、ある時、アカは山の中で「狂犬病(作中では『シリフリ』とも呼ばれる病)』に罹った野犬に噛まれてしまいます。
狂犬病を発症したアカは、優しかった面影を失い、目を見開いてヨダレを垂らし、敵味方の区別なく人間を襲う恐怖の狂犬と化してしまいます。最愛の飼い主である猟師をも噛み殺し、村を恐怖に陥れるアカを、カムイは涙を飲んで自らの手で仕留めることになる……という、非常に切なく凄惨な物語です。
なぜ江戸時代なのに「毒ガス」「狂犬病」なのか?
江戸時代中期を舞台にしながら、カムイの口から科学的な専門用語が飛び出すのは、白土三平作品の最大の特徴である「唯物論的・科学的な裏付け(解説)」があるからです。
1. 「狂犬病」という言葉について
江戸時代当時、この病気は「恐水病」や「癪(しゃく)」、あるいは狐憑きなどと恐れられていましたが、作中(特にアニメのナレーションやカムイのセリフ)では、あえて視聴者に向けて「狂犬病」という現代の医学用語を使ってそのメカニズム(脳が冒され、狂暴化し、最後は麻痺して死ぬこと)が冷徹に解説されます。 白土三平さんは、忍術や怪奇現象を「オカルト」として片付けず、常に科学の目(医学や物理学)で解き明かそうとしたため、こうした演出がなされました。
2. 「毒ガス」という言葉について
自分が驚ろいた「毒ガス」のセリフですが、これはカムイが忍びの武器である「忍び煙(あるいは毒煙玉)」を使用する際、または敵の忍びが罠として仕掛けた「青酸(シアン)系の有毒なガス」を見破る際に出てきます。 作中でのカムイは、単に術を使うだけでなく、「これは硫黄と〜を混ぜて発生させた毒ガスだ」といった、現代でいう化学・科学兵器としての認識を持って行動しています。そのため、セリフとしてストレートに「毒ガス」という言葉が使われました。
大学生の時に感た「違和感」の正体
大学生の時に再放送を観て「あれ?」と思った感覚は、まさに正常ですよね。時代劇の枠組みの中に、突如として「毒ガス」「狂犬病」という昭和の高度経済成長期や戦争を彷彿とさせる生々しい言葉が飛び込んでくるわけですから、そのギャップは相当なインパクトです。
しかしこれこそが、白土三平さんが漫画・アニメを通じて若者たちに伝えたかった「近代の目(科学の目)で歴史や社会の不条理を視る」というメッセージの核でもありました。
悲劇の犬「アカ」の狂暴化していく姿のリアルな恐ろしさと、それを「病気」として冷静かつ冷酷に処理せねばならないカムイのセリフ。1960年代後半のアニメが持っていた、子供向けに手加減を一切しない「凄み」が、今でも鮮烈に記憶に残っているのは本当に納得がいきます。
なぜカムイは「空気の重さ(比重)」を知っていたのか?
作中において、忍者の「術」とは魔法ではなく、高度な「科学・心理学・物理学の応用」として描かれています。
カムイたち忍びは、敵が仕掛けてくる毒煙(硫黄や草根木皮を燻したガス)に対抗するため、あるいは自分が罠を仕掛けるために、「どの毒が空気より重く、どの毒が軽いか」を経験と知識から完全に叩き込まれていました。
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低い姿勢を保つカムイ 敵が空気より軽い毒ガス(上昇するもの)を使ったときは地面に伏せ、逆に空気より重い毒ガスが使われたときは、木の上に飛び上がって難を逃れる……といった具合に、ガスの「比重」を瞬時に見極めて体勢を変える描写があります。
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「科学の目」の演出 江戸時代の登場人物が「空気より重い」という概念を言葉にするのは、歴史的なリアリティ(時代考証)としては確かに少し進みすぎています。しかし、白土三平さんは「当時の忍びが命がけで体得していた『生活の知恵・経験則としての科学』を、現代の読者に一番わかりやすい言葉で翻訳する」という手法をとっていました。だからこそ、カムイの口から「空気より重い」という近代的なフレーズが自然に飛び出してきたのです。
1960年代後半の大学生を熱狂させたリアリズム
『カムイ外伝』が放送・連載されていた1960年代後半は、ちょうど大学生を中心に「全共闘運動」などの社会的熱気が最高潮に達していた時代でした。
当時の大学生や青年たちがこの作品に熱狂したのは、ただの時代劇なら「怪しげな妖術」で片付けられてしまう忍術を、カムイが「徹底した合理主義と科学的な知識」によって打破していく姿に、新しい時代のインテリジェンスを感じたからでもあります。
「毒ガスは下の方にたまる」という冷徹な知識を武器に、過酷な階級社会と追っ手の網をかいくぐっていくカムイの姿。それは、水原弘さんのあの重厚なエンディングテーマ「忍びが通る 獣道……」の虚無感と合わさることで、単なる児童向けアニメを完全に超越した「大人のための本格サスペンス」になっていました。