一人の人間の心に全て合致する宗教など、存在しない。 

入信したら教義や習慣に必ず不都合や不一致が出てくる。 

だから、信徒の自主性に委ねてくれる宗教でないと、不幸になると言いきれる。


 創価学会は一人の人間の心がどう感じて思うのかというところまで、統制しようとする。 

欠点が改良される部分もあるが、その人らしさが奪われる。

 学会員はみないつもニコニコしているけど、眉間にシワがよった固まった笑顔で、親身になって、友達の話を聞いて、献身的に尽くしてくれて、心を開いたら勧誘してくる人というみんな同じ型にはまった人しかいないだろうと思う。  


それは、魅力的だろうか?本当に心がある人だろうか? 

 自分を見失った、人生の哲学の追及を放棄した人に私は見える。 


今の仏教と神道の去るもの追わずの自由さが、どんなにありがたいものか

 皆さんに伝えたい。


お寺は一見、敷居が高く感じるが、真摯な気持ちがあれば釈尊のように受け入れてくれる。

檀家ではなく信徒として、法会等のイベントに参加するのみの関わりもある。

 創価学会みたいに、プライベートを全て犠牲にして自分らしさを失わなくとも、歴史が大切に守ってきた、最高峰の知恵とパワーを身につけ、あらゆる願いを叶えてくれる寺社仏閣 が日本にはコンビニの数ほどあるのである。

仏教乙女のトキメキと神道オーナメントを活用しないのは本当に損!!