笹や竹の枝は乾燥させなくてもよく燃える。でも草は燃えない。だから焼却する場所の近くに草が生えていてもあまり気にならない。

 焼却する近くに笹や竹の枝があるのは危険である。この近山は孟宗竹と矢竹に覆われた竹藪(竹林)だったから手入れし始めた頃は焼却できる場所がなかった。

 ただただ安全な広い場所を作るために竹を切る作業が続いた。そういう訳で燃やせる場所が確保された今でも多くの燃やさないといけない物がたくさん残っている。

 燃やしても燃やしてもなくならない。
そして燃やすという行為にどこか心に引っ掛かるものがある。
でもそうしないと山は綺麗にならないし果樹園として使えない。
一応、その土地からでた草木は燃やしてもいいことにはなっているようだけども、いつも抵抗感がある。

 その日は風が予報通り弱かったので防風林の剪定枝や切った笹を燃やした。焚火をしている感覚ならきっと楽しいだろう。でもそんな感覚は抱かない。


 常に火の燃え具合と周りの状況に目を配り、大袈裟に言えば、気を張り詰めた時間となる。

 早く年に数回の焼却だけで済むようになって欲しいが、当分、それはやってきそうもない。