東日本大地震が起こりましたね
当時 私は茨城県の水戸にいました
あの日は お仕事中
昼頃伺ったお客様宅で
お餅をついていて
お昼だし
せっかくだから食べていきなさい と
つきたてお餅をご相伴に預り
程よく満たされて また仕事して
3時前に仕事を終え 帰宅
当時小学六年生だった息子が帰る前に
昼寝でもするかなぁ〜と
リビングのホットカーペットに
ゴロンと横になっていたら
地鳴りがして あ?地震かな?って
思ったらドン!って下から突き上げる
縦ゆれが大きくきて
そのあと横揺れで家中ガタガタしだして
あ!マズイ…いつもの地震と違う!って
慌てて飛び起きて
まず台所でガスの元栓確認、
家中の窓やドアを開け コートを持ち外へ
家の中は怖すぎて
居られないと即判断し 駐車場へ避難
主人と連絡がとれて
会社と娘の学校が近いので
様子を見てくるように頼む
それから息子のいる小学校へ
我が家は小学校が避難場所になってました
小学校まで徒歩1分 近くて良かった
でも今日はなんだか見える光景が違う
道が異常に狭いのだ
え?なんで?
冷静によく見てみると
両脇の民家の塀(大谷石で出来た塀)が
全て崩れ 道を塞いでいたからだと
やっと氣づく
車一台通れる細い道が、人が二人並んで
通れない道に変わってました
でもそんな事よりも
子供たちの様子が心配と
学校へ行くと
ちょうど子供たちが校舎から
避難して出て来るところでした
その間も 大きな揺れがきて
地響き と 校舎の窓ガラスが共振して
バリバリバリと鳴る音とその光景に
怯えて泣く子供 蒼白になってる子供
妙にハイテンションになってる子供と
反応も様々で
起きている現実が 夢なのかなんなのか
私もよく分からない状況の中
息子やお友達の顔を見つけ ひと安心
息子も私を見つけ コクンと一回頷く
息子は緊張した様子でした
拡声器で注意を促す先生
親が迎えに来ている子から
帰宅許可が出て 連れて帰りました
家の中 凄いことになってるかもと
恐る恐る覗くと
すでに廊下に色んなものが散乱
もう土足でないと危なくて…
高いところにあったものは
全て下に落ちていて
テレビは倒れて
タンスはあり得ない方向に移動して
いました
台所の食器棚は扉が開き
上段に入れていた中の食器はほぼ全滅
お湯が入っていたポットも床に落ち
水浸しに
どの部屋も散乱状態で
唯一被害が無かったのは
お風呂場とトイレのみ
(トイレットペーパーは散乱したけど)
余震が後からくる中で
息子は広い駐車場に待機させ
家の中をどうしようかと
思っていたら
上の階の人が声をかけてくれて
コンビニに食料買いに行くから一緒に
行こう!と言われ
我にかえる私
そうだった!食料確保しておかないと!
慌ててお財布握り
コンビニにへ行くと
お酒の香りで充満する店内
地震でお酒類の瓶が全て割れ
モップで掃除している中に
買い出しに来た人で溢れる という
カオス状態…
ちょっとしたパンと残っていたお惣菜と
お水はもう無くて
ペットボトルのお茶なんかを
買ったと記憶しています
カップ麺とかあったけど
お湯を沸かせる状態にない以上
買っても仕方ないと判断
家族4人分の食料には程遠い量しか買えず
備蓄って大切だ!と
実感した瞬間でした
でも コンビニの人達だって
被災してるんですよね
電気も止まってるから全て手計算で
在るもの全部売ってくれてました
有り難かったなぁ…
買い出しから戻り
また部屋を見渡すが
どこから手をつけていいのやら
まだまだ余震も続いてて
ずっと家の中には居られず
結局車に避難
主人からまた連絡があり
高校行ってみたら
娘達は すでに帰されていて会えず
とりあえず無事であると確認とれ
ひと安心
会社から車で帰ろうとするも
全ての幹線道路が大渋滞
信号がストップして機能せず
それが原因だったみたい
歩いて帰るとのことでした
だんだん暗くなってきて
まだ3月の寒い日だったから
車のエンジンかけて暖をとり
息子と2人車の中で待っていたけど
その間も頻繁に起こる余震…
娘が無事に帰宅…近所の友達と一緒に
歩いて帰ってきました
1時間以上かかったようでした
見たら足元は上履き…
校庭に避難した後 高校の校舎が古くて
中に戻るのは危険と判断されたらしく
まさに着の身着のままの状態で帰された
ようでした
娘が帰ってきてから小一時間経った頃
主人も無事に帰宅
手には途中やっていたコンビニで
買えたお弁当を持ってました
子供たちのご飯を心配してくれたんです
温かいものを食べたいだろうけど
これしか無かったよ〜って言いながら
俺って氣が効くだろうって
笑った顔を見て
やっと私も安堵出来ました
揺れ続ける中で部屋に戻り
ダウンコートやら
必要な物だけ車にうつし
その晩は4人で車の中で過ごしました
カーラジオからは
情報が入ってきてたけど
今は何を言っていたか
思い出せません
ただただ揺れ続ける車内で
ウツラウツラしては
ハッと目が覚めるという
不安しかない夜でした
ここまで書いてて
我ながらよく憶えてるなぁと
思いました
それだけ凝縮した1日でした
それから後の記憶の方が
マダラになってきてます
電気は私たちの地区は翌々日には復旧
スーパーで買い物しようと
長い行列に並んでいる中
パッとついた看板灯に
並んでいた皆んなでオー!って
歓声上げて喜びました
食品は あるものを買うので好き嫌いは
言えなかったし ひと家族一点のみ…
なんて配給みたいな感覚だったけど
食べることが出来る有り難さも実感
飲み水は学校に汲みに行き
お風呂の残り湯があったので
トイレも困らなかった
ガソリンを入れるために3時間以上
並んだこととか
震災三日目には出勤
4日目には現場へ
ヘルメット着用しつつ仕事してました
お客さんには こんな状態なのに
仕事するのか?と驚かれたけど(笑)
息子の小学校卒業式も
余震の中 無理矢理決行され
式もあっという間に終わりました…
津波で家や家族を失ったり
原発で避難せざるおえなかった方々を
思うと 私の被災体験なんて
まだまだいい方だと思いますが
(比べる事でもないのだけど)
人の記憶は薄れていくものなので
このまま 大切な記憶を忘れないように
ここに残しておきます…