能登半島地震で被災された地域の、一日も早い復興を願います。



そして、お亡くなりになられた方々、謹んで御冥福をお祈り致します。



僕自身、東日本大震災の時、気仙沼の避難所となった体育館で半年間生活した。



ほとんどの方が家は津波で流された。



家族が行方不明の方も多くいた。



夜は冷えるし、ダンボールで仕切られただけの空間でプライベートもない。



赤ちゃんが泣くと、うるさいと怒られ、外に出るしかない人。



みんな限界だった。



お風呂も二週間入れなかった。



自衛隊の方々が、お風呂に入れてくれた時は、こんなにお風呂がありがたいことなんだ、と初めて思った。



その後僕達も、お風呂がない地域にはボランティアさんと井戸から水をひき、ボイラーでお湯を沸かし、サンマ漁の桶でお風呂を作った。



自衛隊の人達は災害派遣に訪れた際、任務終了までの間、被災地では自分達はお風呂に入らない、炊き出しも食べず、持参した非常食しか食べないことを聞き、心を打たれた。



自衛隊の方々が撤収する時、こちらからお願いして、僕達の作った仮設のお風呂に入ってもらった。


最後に整列、敬礼してくれた時のことは忘れない。


感謝することはあっても、自衛隊の方々に感謝されることなんて一生ないと思った。



災害は、いつどこで起こるかなんてわからない。



地震や津波で流されてしまっては、立派な家も、高価な車も、なんの意味もなくなります。 



お金を持っていても、お店も何もかも流され、なんの役にも立たなかった。



そこにいる全ての人が、同じどん底を味わった。



何もかも無くなった時、必要最低限なもので生きて、今まで、どんなに欲にまみれ、当たり前に過ごしてきたのかと思い知らされた。



電気がない夜の星空はとっても綺麗だった。



震災は、人と人との助け合い。



物を盗んだり、我先に奪う人もいれば、譲り合い、助け合う人もいる。



そういう状況の時こそ、人間の本性が現れる。



僕は震災で多くを学び、生き方を考えさせられた。


今日もありがとうございます。



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