もしも中高年のこみちが学生時代に戻ったらどう生きるだろう?
「偏差値」って何だ?もちろん偏差値って集合体も分布ってことは理解してますよ。感覚として、中学時代の偏差値が「70」で、高校時代に偏差値が「60」になる気がします。理由は中3の生徒の中で、大学受験する人は割と上位や中盤に多く、いわゆる中央値が上がるので、中学時代と高校時代では「10」くらい違うと思います。こみちの時代は、模試などの種類で受験生のレベルも違うので、この模試では「60」でももう一つなら「55」くらいになるなどもあって、偏差値の数字だけでは正確に判断できないですよね?社会人になってこそ思う「偏差値」社会人になって振り返ると偏差値の数字が70と65、60と55、50と45という具合いに「5」くらいの差ってあまり関係ないかもと思います。例えば理解力などを示す「IQ」ってありますよね。IQが高い人は、直面した事柄の「構造」を理解しようとするするそうです。つまり、勉強でも「それはなぜか?」という疑問を理解するために学んでいます。当然ですが試験で「〇〇は?」と問われた時に、「それは〇〇だから」と答えられるということです。では一般的な人が学ぶ場合、先生は最初に「ここではこれを覚えてください」と目標や目的を説明し、これから学ぶことが何を理解することなのかを説明するはずです。つまり良い先生は、この導き方がスムーズということでしょう。偏差値に話を戻すと、70くらいの数値が取れる生徒は、多分放っておいてもそれなりの成績にはなるはずです。全く勉強しなければ得点は上がりませんが、本質は自問自答しながら解決できる資質があるからです。一方で、60くらいの生徒は良い先生に出会えれば伸びるはずです。理解力もあるし、勉強が何を求めているかも知っているからです。では逆に50くらいの生徒はどうでしょうか。偏差値50というとその集合体の平均です。「ココではこれくらいの理解を目指したい」と思うレベルに到達できる資質を持つ人たちです。でも興味深いのは、スポーツなら偏差値70超えのレベルとか、料理や美術などで優れた才能や適性を持つこともあります。なので、大学進学というルート以外も含めると偏差値の数字だけで人生は決まりません。偏差値70超えの人が生きるために今になって思えば、偏差値の数字よりも、IQのような意味での「理解力」を考えるべきです。理解力というと「頭が良い」そんなイメージかもしれませんが、社会人になって直面するのは「生きづらさ」の方です。例えば仕事で一日中、「コレをここに入れてください」という指示で働くとします。作業そのものを理解するのは一瞬で、その以降ずっと何も変わらない労働が待っています。単純で簡単な仕事って人によっては楽ですが、理解力が高いと強いストレスにもなります。自由度もなく改善策も限られて、折角の解像度の高さを活かすチャンスがないからです。だからこそ、偏差値の高い生徒はいい大学に行くべきです。僕は私は〇〇大学を出ました!」そう言うことで、仕事でも自分に合った仕事を任されるかもしれないからです。こみちはあまり頭が良い生徒ではありませんでした。しかし、大学で出会った友人との思い出って、やはり高校時代では巡り会えなかったものばかりです。また社会人になって任されたりした仕事も「自由度」がありました。一方で、今は決まった時間に出社し、朝の朝礼をして、作業を始める。それはそれでありがたいことですが、今になって思えば当時の働き方は時間を忘れて仕事ができました。嘘に思うかもしれませんが、秋葉原界隈を歩いてパソコンパーツを探すことが仕事になっていた時代です。毎日、それだけをしていたのではありませんが、会社が「決まった仕事をして欲しい」だから雇っているのか、「今はまだ思いつかない仕事を開拓して欲しい」だか雇っているのかの違いです。やっぱり、大学名だけで決めるものとも思いませんが、その人らしく生きるための環境ってあるので、勉強が得意ならその得意を活かして欲しいです。逆に偏差値はそこそこでも、そこで何を学んだのか。苦労して学んだ人は、話を聞けば分かる人には分かります。それは、学んだ内容ではなく、学ぶためにどれだけ自分を律したのかを社会が評価してくれます。まとめ例えば映画を見終えて、それぞれに感想ってありますよね。面白いストーリーだった。その中でも感動して良かったのか、展開の妙に感動したのか。映像の美しさや演出の巧みさに感銘を受けたのか。それって立場や経験、何に感動するかって、幅広いものです。できるなら同じポイントを分かち合える人と生きた方が幸せです。自分は「嗚呼、面白かった」と思ったのに、相手はもっと深い内容を語り出して、それが全く理解できないとやっぱり一緒にいても楽しめません。ただ、能力だけではなく、経験によってそれを穴埋めできるので、これなら自分も得意があると、全く異なる立場やアプローチする人とも分かり合えたりします。少しくらいの差なら気にならないけれど、自分のレベルに合った環境で生きた方がいいですよ。偏差値が高いからいいのではなく、高い人は高い学校で、高い人と生きた方が幸せですし、全く別のアプローチでは自分とは違う才能や特技を持った人と互いを尊重できると世界は広がるはずです。勉強が嫌いでもそれが学校の勉強なら、違う興味ある勉強を極めて、その分野ならかなり対等に渡り歩けるレベルまで高められたら、それは自分の武器になります。勉強はある程度、解説があるので、他の分野よりも努力の効率がいいはず。他に好きなものもないし、そこまで極めるほどの熱量も持てないなら、学校の勉強は無駄にはなりません。地元の国立大学を卒業し、教員免許持っています!なんて言われた、こみちは尊敬しちゃいます。なぜって、そんな生き方、こみちにはできませんから。つまり社会はそんなあなたをそう評価してくれます。社会で生きる時に、「私の居場所」を探し易くなるんです。追記よかったら、youtube で「こみちチャンネル」を運営しています。絵を描くだけの個人チャンネルですが、ここがこみちの居場所にもなっています。