リチャード3世(在位1483年-1485年) | 西洋料理店「山猫軒」 ☆RESTAURANT WILDCAT HOUSE☆

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双極性障害(躁うつ病)患者本人です。


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グロスター公リチャード。彼は後に、イギリス国王リチャード3世として即位した。

ヨーク家最後のイングランド王。薔薇戦争の勝利者として、イギリス国王位を簒奪するが、

僅か三年で、ランカスター家によって殺された。イギリス歴史上最大の悪人とされている。

その人となりは、シェイクスピア劇「史劇リチャード3世」で有名。


私は、精神障害です。リチャード3世は、背骨の湾曲した身体障害者であったと伝えられます。

その悪の限りを尽くす姿に、憧れのようなものを感じてしまうのです。


もっとも、最近の研究では、シェイクスピア劇の中のような悪人であったという面は、

否定されているようです。

しかし、あのような大悪人であって欲しいと願います。


2012年、レスター市で発見された遺骨は、リチャード3世のモノではないのかと騒がれました。

伝説のように、脊髄には湾曲があり、頭蓋骨にはヒビが、背骨には矢尻が刺さっていました。

DNA鑑定の結果、

リチャード3世の遺骨であると発表されました。

享年32歳。意外と若かったんですね。



【シェイクスピア劇リチャード3世の中のリチャード像】

昔むかし、イギリス国王家は、ランカスター家とヨーク家に分裂し、

30年に渡り、国王の座を戦争で争っていた。これを薔薇戦争という。


ヨーク家のエドワード4世は、重臣ウォリック伯の裏切りに遭い、国外逃亡を余儀なくされていた。

ウォリック伯は、宿敵ランカスター家のマーガレット王妃と手を結び、彼女の夫、ヘンリー6世を復権ていた。

エドワード4世は、兵を建て直し、イギリスに再上陸した。

そして、ウォリック伯を討ち取り、マーガレット王妃、ヘンリー6世らを捕らえて、イギリス国王に復位する。

エドワード4世は、ヘンリー6世らの統治下でも、変わらず、自分を支持した、実の弟グロスター公リチャードを信頼していた。

グロスター公リチャードは、生まれつき、背中の曲がった醜い姿をしていた。彼は、その醜い姿に似合った、謀略を尽くして、イギリス王位を自分のものとすると誓っていた。


リチャードは、宿敵ランカスター家の、エドワード皇太子の未亡人、ウォリック伯家のアン・ネヴィルを強引に妻に迎える。

しかし、旧ウォリック伯家の広大な領地の大半は、リチャードの兄、クラレンス公ジョージが受け継いだ。

すると、リチャードは、実の兄のクラレンス公の悪口を、もう一人の兄、エドワード4世に注進して、逮捕させる事に成功する。クラレンス公は、リチャードの放った暗殺者に、酒樽に積め込まれて溺死させられた。

リチャードは、妻と兄の広大な所領全てを掌中とした。


エドワード4世は、弟クラレンスの逮捕を後悔して、取り消そうとするが、既に、獄にて死んだと聞かされて病に倒れる。


1483年、エドワード4世が急死すると、その子、少年王エドワード5世が即位した。グロスター公リチャードは、幼い王を補佐する摂政の座に就いた。

リチャード摂政は、先王エドワード4世の王妃、エリザベス一派と対立。その家臣らを逮捕して処刑させた。

さらに、リチャードの家臣、バッキンガム公ヘンリーは、先王エドワード4世と、エリザベス王妃の結婚が重婚による穢れた婚姻との噂を流した。

ロンドン市長らは、その噂を信じて、リチャード摂政に、国王位に就いてくれるように嘆願した。

リチャードは、はじめ断るが、最後は即位を承諾する。


エドワード5世は、廃嫡されて、弟と共に、ロンドン塔の獄に幽閉された。

こうして、グロスター公リチャードが、「リチャード3世」として、イギリス国王となった。

リチャード3世は、バッキンガム公ヘンリーに、廃嫡したエドワード4世の暗殺を命令するが、身の危険を感じたヘンリーは拒絶した。

結局、リチャード3世は、別の手下に、エドワード4世と、その幼い弟の殺害を行わせる。

合わせて、彼は利用価値のなくなった、自分の妻、アンも殺させるのだった。


突如、バッキンガム公ヘンリーが、反乱を起こしたものの、リチャード3世によって鎮圧されて、処刑された。

しかし、その頃、フランス国内で、宿敵ランカスター家の、リッチモンド伯ヘンリーが、フランス人傭兵を集めて挙兵した。

リチャード3世派のスタンリー卿トマスは、密かに、リッチモンド伯ヘンリーと内通していた。


リッチモンド伯のイギリス上陸の噂が流れた。

リチャードは、兄王エドワード4世の王妃、エリザベスに、その娘である、エリザベス王妃と自分の婚約をそそのかすように誘導した。

こうして、体制を立て直そうとしたが、リッチモンド伯ヘンリーの5000の兵が上陸して来た。

リチャード王は、スタンリー卿の内通を疑い、その息子を人質に取る。

そして、自ら8000の兵を集めて、ボズワースで、リッチモンド伯軍を迎撃した。


戦闘は、最初、リチャード側に有利に展開した。しかし、軍の中核を成す、スタンリー卿が中立の立場を取り、リチャードの命令を無視した。

元々、人望のない、リチャード側からは、スタンリーのように中立を守る者、脱落する者が出てきた。

ついに、スタンリー卿は、寝返り、リッチモンド伯側について、リチャードの軍勢に攻撃を開始した。

これで、リチャード側は混乱した。リチャード王は自ら斧を振るい、突撃を指揮した。

「馬を、馬を、馬をよこせ!代わりに我が王国をくれてやる!!」

リチャード王は叫びながら奮戦するが、ついには、リッチモンド伯の兵士らによって殺害されるのだった。


戦いに勝利した、リッチモンド伯ヘンリーは、ヘンリー7世として国王位を戴冠した。

ヘンリー7世は、敵側ヨーク家の、エリザベス王妃を妃に迎えた。

ここに30年間、争って来た、ランカスター家とヨーク家は、一つに合体し、内戦は終結した。