日経新聞連載

伊集院静 著 夏目漱石伝

〈作者の言葉〉

 慶応3年(1867年)1月、江戸牛込に一人の男児が誕生した。町方名主の夏目小兵衛とちゑの子で江戸っ子である。兄弟姉妹が7名、8番目に生まれた“恥かきっ子”である。  生まれた日が庚申(かのえさる)の日。出世すれば大いに出世するが、間違うと、大泥棒になるらしい。但(ただ)し、名前に金の字か、金偏を入れれば難を逃れるという。そこで末っ子は“金之助”と命名された。のちの夏目漱石である。

 すぐに四ッ谷の古道具屋に里子に出された。世話をした男が気になり金之助君の様子を見に行くと、店先に古道具と一緒に並べられていたので、姉の一人にあわてて連れ帰ってもらった。金之助君、ナカナカ波乱の人生の始まりである。

 漱石の生まれた前後、大勢の、のちに日本の要となる人々が誕生し、それぞれに劇的な生涯を送る。同時に文明開化でさまざまなカルチュアーが芽を出す。その芽を、金之助、漱石はあちこち道草しながら、見つめて行く。日本の歴史の中で、新しい日本人、世界と日本がどう歩んだかを、作者も道草しながら、或(あ)る時は愉快に、或る時は切なく物語りたい。

 本紙朝刊連載小説、池澤夏樹氏の「ワカタケル」は9月10日で終わり、11日から伊集院静氏の「ミチクサ先生」を掲載します。

 主人公は作家の夏目漱石です。漱石は明治・大正を生き、小説の形で近代日本の自画像を描きました。「ミチクサ先生」では、この文豪の生涯と、彼が生きた激動する時代のありようを、ゆかりの人物らの語りを通じて浮き彫りにしていきます。時には「猫」がしゃべり出すかもしれません。

 伊集院氏は1950年山口県生まれ。81年作家デビュー。代表作は「受け月」(直木賞)、「機関車先生」(柴田錬三郎賞)、「ごろごろ」(吉川英治文学賞)、「ノボさん」(司馬遼太郎賞)など。2016~17年、サントリー創業者の生涯を描いた「琥珀(こはく)の夢――小説、鳥井信治郎と末裔(まつえい)」を本紙朝刊に連載しました。

 挿絵は力強い人物画が持ち味で、「琥珀の夢」も手がけた画家の福山小夜氏が担当します。

作者の言葉とこれまでのあらすじ

主人公は夏目金之助、後の作家、夏目漱石です。明治・大正を生き、小説の形で近代日本の自画像を描きました。「ミチクサ先生」はこの文豪の生涯と、彼が生きた時代のありようを、ゆかりの人物らとの交流を通じて浮き彫りにします。

休載前の158回では、金之助は親友・正岡子規と過ごした松山を離れ、熊本の五高に赴任しました。鏡子という人生の伴侶も迎えました。新天地での新しい暮らし、新しい出会いが始まるところから159回目が再開します。挿絵は引き続き画家の福山小夜氏が担当します。電子版でもお読みいただけます。