「北九州市平和のまちミュージアム」 | ヒロシマ平和公園の四季 第2部

ヒロシマ平和公園の四季 第2部

原爆投下により広島の街は「ヒロシマ」に変容しました。その悲劇から70年あまり平和な町に復興しました。しかし、平和公園には「ヒロシマのこころ」が息ずいています。四季の移ろいとともに語り継ぎます。

「北九州市平和のまちミュージアム」は、戦争の記憶の風化が懸念されている現代で、戦争の悲惨さや平和の大切さ、命の尊さを考えるために設立された展示施設です。ここでは戦時下の市民の暮らしや戦後復興を果たした「まち」の姿を展示しています²。北九州市においても、市民が戦災に遭い、戦時中はもちろん戦後も過酷な生活を送っていたことを物語る貴重な市民の戦争体験や日用品などが展示されています。

戦前の小倉の様子、陸軍工廠ができ軍都となったまち、1945年8月8日の八幡空襲、8月9日飛来の原爆搭載機が小倉上空を旋回して第2目標の長崎へ向かったことが順々に展示解説されています。原爆投下都市の候補となっていた横浜、新潟、京都、広島、小倉、長崎などへの空襲禁止を命じた当時の米軍文書など興味深い展示がありました。