太田洋子 記念碑 | ヒロシマ平和公園の四季 第2部

ヒロシマ平和公園の四季 第2部

原爆投下により広島の街は「ヒロシマ」に変容しました。その悲劇から70年あまり平和な町に復興しました。しかし、平和公園には「ヒロシマのこころ」が息ずいています。四季の移ろいとともに語り継ぎます。

 太田洋子は、1903年広島県山県郡(現在の北広島町)に生まれる。大田洋子は“原爆作家”と呼ばれる以前からすでに女性作家として名を成していた。昭和元年(1926)に上京して菊池寛の指導を受け「女人芸術」同人として活躍。昭和14年(1939)には『桜の国』が朝日新聞懸賞小説に当選。東京から疎開、妹宅(広島市中区白島九軒町)に身を寄せていて原爆に遭遇。『屍の街』は、大田洋子の原爆被爆後の第1作。障子紙やちり紙まで使って懸命に書き続けた。1963年12月取材で宿泊中の旅館で急死。60歳没。