峠三吉 詩碑 | ヒロシマ平和公園の四季 第2部

ヒロシマ平和公園の四季 第2部

原爆投下により広島の街は「ヒロシマ」に変容しました。その悲劇から70年あまり平和な町に復興しました。しかし、平和公園には「ヒロシマのこころ」が息ずいています。四季の移ろいとともに語り継ぎます。

碑文
 「ちちをかえせ
  ははをかえせ
  としよりをかえせ
  こどもをかえせ
  わたしをかえせ
  わたしにつながる
  にんげんをかえせ
  にんげんの
  にんげんのよのあるかぎり
  くずれぬへいわを
  へいわをかえせ
         峠三吉」
 
峠三吉は28歳の時、爆心地から3km離れた翠町の自宅で被爆しました。戦後、青年運動・文化運動を通じ次第に平和運動の先頭に立つようになり、原爆反対、平和擁護の作品を数多く発表しました。   1953(昭和28)年3月10日、国立広島療養所で手術中に死去。享年36歳でした。朝鮮戦争が始まり、占領軍による原爆反対運動への弾圧が激しさを増す中、トルーマン大統領の“朝鮮戦争に原爆使用もありうる”という声明に触発され、『原爆詩集』をまとめる決意をしました。この作品は、1951(昭和26)年ベルリンの全世界青年学生平和祭に、日本の代表作品の一つとして送られ、世界的な反響を与えました。碑文はこの詩集の序として書かれたものです。