椿三十郎
『椿三十郎』
三十郎は若侍達が町外れの寺に隠れ
ていると贋情報を語って椿屋敷の侍達
を移動させる。その間隙を縫って屋敷
を襲撃する作戦を立てた。襲撃の合図
に椿の花を小川に流す事を決める。
椿屋敷に現れた三十郎は町外れの寺
の山門で若侍達を見たと室戸に報告す
る。室戸は配下の者達を寺に派遣した。
町外れの寺に山門がないことを室戸は
不審に思い椿の花を集めていた三十郎
を捕える。
室戸は寺に向かい部下達を呼びに行
く。
三十郎は黒藤に赤の椿が襲撃の合図
で白の椿が中止の合図だと伝えた。慌て
た黒藤は懸命に白椿を川に流した。
若侍達が屋敷を急襲し菊井を捕え睦田
の身柄を無事確保した。
帰ってきた半兵衛は、黒藤らが縛られ
た姿であることを見て落胆する。
睦田は若侍達に深謝し、菊井が切腹した
ことを告げる。
伊織ら若侍は姿を消した三十郎を追う。
町外れに三十郎と半兵衛が居た。
「どうしてもやるのか」と三十郎は決闘
の意志を半兵衛に聞いた。半兵衛は「やる」
と答え、「お前みたいな酷い奴は初めてだ」
と殺意を露わにして決闘の意志を明かす。
「どちらか死ぬ。つまらねえぜ」と三十郎
は諫める。
「それでもやる!」と半兵衛は決闘の戦意
が燃えていることを確かめた。
両者は激しく睨み合う。
◎豪快・豪胆・剛直 三十郎◎
三船敏郎は大正九年(1920年)四月一日に
誕生した。
平成九年(1997年)十二月二十四日、七十
四歳で死去した。
獣性の迫力で世界映画の歴史に存在感を示
した。
「四十郎」の年四十歳で椿三十郎を豪快に
演じ勤めた。
黒澤明は明治四十三年(1910年)三月二
十三日東京府に誕生した。映画監督として剛
腕を振るい迫力に富む大作を発表していた。
平成十年(1998年)九月六日、八十八歳で
死去した。
五十一歳で痛快娯楽時代劇の本作を鋭い演出
で表現した。
黒澤明監督・三船敏郎主演の「三十郎」物の
第二弾である。『用心棒』(昭和三十六年十月
二十五日)に続く作品である。資料に明記はさ
れていないし、椿三十郎の台詞からも明言は無
いが、『用心棒』の強豪浪人剣客桑畑三十郎と
椿三十郎は同一人物のようだ。
手に汗握る興奮・緊張を黒澤明演出は観客の
身に呼び起こした。
『用心棒』の凄み豊かな殺陣は時代劇を大き
く変革したと言われている。わたくしはその意見
を全面的に肯定する者ではない。だが、『用心棒』
を京都文化博物館のスクリーンで見聞しその迫力
に緊張した事は事実だ。
喜劇の魅力も豊かである。
正義感に燃える伊織ら若侍の熱い行動を三十郎は
心配し守る。三十郎は何の義理も無いのに、偶々社
殿で若侍の密談を聞いたことから、彼らを守る。
三十郎と若侍達九人は精神的父子・兄弟の関係と
なっていく。
三船敏郎の迫力は本作においても圧巻である。
大柄な体躯で豪快豪放なチャンバラを見せ、無敵
の強さを顕示する。
ライバル室戸半兵衛の冷徹さを仲代達矢が鋭く
表現する。仲代達矢の眼光は怖い。
加山雄三・田中邦衛・平田昭彦・土屋嘉男ら
は少年のような初心さを鮮やかに見せる。
睦田夫人は、三十郎に「良い刀は鞘に納まって
いる」と説く。暴れてしまう三十郎にとっては厳
しい警句だ。
入江たか子が三十郎を包む睦田夫人を暖かい
ムードで演じる。
志村喬の黒藤と藤原釜足の竹林は憎めない魅力
がある。
睦田は大詰近くに登場する。
伊藤雄之助が飄飄と演じる。
ラストの三十郎対半兵衛の決戦は三船敏郎対仲代
達矢の演技合戦が燃え盛ることによって表現される。
息を呑む流血シーンである。
黒澤明はポンプを使って流れ飛ぶ血を現した。
これが日本時代劇映画のリアリズムの本流という
評価には首を傾げる。
だが、迫力豊かな名場面であることは確かであ
る。
伊藤大輔は『用心棒』『椿三十郎』を絶賛した。
老人から子供まで全ての世代の人々が愉しめる
娯楽大作である。
日本時代劇映画の代表作かどうかということに
ついては過去記事で疑問を呈してきた。
だが、否定している訳ではない。
『七人の侍』が迫力満点の傑作であることは確
かな事だ。だが、敵の野武士集団は攻撃してくる
存在で悪役としての魅力に欠ける。
だが、室戸半兵衛は剃刀のような切れ味を持った
男で三十郎のライバルとしてスクリーンに現れる。
豪快浪人三十郎対冷徹武士半兵衛。
ドラマの魅力の源は対決にある。
三船敏郎対仲代達矢の決戦場面にその事を学ん
だ。
合掌