菅原伝授手習鑑 全段 令和五年五月十四日・九月五日 国立劇場小劇場 | 俺の命はウルトラ・アイ

菅原伝授手習鑑 全段 令和五年五月十四日・九月五日 国立劇場小劇場

『通し狂言 菅原伝授手習鑑』

 

 

第二百二十四回 文楽公演

令和五年(2023年)五月十四日 国立劇場小劇場

 

初段

大内の段

豊竹薫太夫

竹本聖太夫

竹本碩太夫

豊竹亘太夫

竹本小住太夫

 

鶴澤清方

鶴澤清允

鶴澤燕二郎

野澤錦吾

 

加茂堤の段

桜丸 豊竹希太夫

松王丸 竹本津國太夫

三善清實 竹本津國太夫

梅王丸 竹本南都太夫

斎世親王 竹本南都太夫

八重 豊竹咲寿太夫

苅屋姫 豊竹咲寿太夫

竹澤團吾

 

 

筆法伝授の段 

豊竹亘太夫

鶴澤清公

 

竹本織太夫

鶴澤燕三

 

築地の段

豊竹靖太夫

鶴澤清馗

 

《人形役割》

菅丞相(大内の段) 吉田玉翔

藤原時平 桐竹勘次郎

春藤玄蕃 吉田玉彦

天蘭敬  桐竹亀次

斎世親王 吉田玉勢

梅王丸  吉田文哉

松王丸 吉田玉路

桜丸  吉田玉佳

苅屋姫 吉田蓑志郎

八重  桐竹紋臣

三善清實 吉田玉誉

左中弁希世 吉田勘市

局    吉田玉延

勝野   吉田和馬

御台所  吉田文昇

菅秀才  豊松清之助

武部源蔵 吉田玉志

戸浪   吉田蓑一郎

荒島主税 桐竹勘介

官女   大ぜい

仕丁   大ぜい

侍    大ぜい

奴    大ぜい

菅丞相(筆法伝授の段 築地の段) 吉田玉男

 

二段目

道行詞の甘替(みちゆきことばのあまいかい)

 

桜丸 豊竹希太夫

斎世親王 竹本小住太夫

苅屋姫 竹本碩太夫

 

ツ   竹本聖太夫

レ   竹本文字栄太夫

 

    鶴澤清志郎

    鶴澤清丈'

    鶴澤燕二郎

    鶴澤清允

    鶴澤清方

 

安井汐待の段

 

豊竹睦太夫

野澤勝平

 

《人形役割》

桜丸  吉田玉佳

里の童 吉田玉征

里の童 桐竹勘昇

苅屋姫 吉田蓑志郎

斎世親王 吉田玉勢

里の娘  吉田蓑悠

判官代輝国 豊松清十郎

立田の前  吉田一輔

 

二段目

「杖折檻の段」

「東天紅の段」

「宿禰太郎詮議の段」

「丞相名残の段」

 

 

杖折檻の段

豊竹芳穂太夫

野澤錦糸

 

東天紅の段

竹本小住太夫

鶴澤藤蔵

 

宿禰太郎詮議の段

豊竹呂勢太夫

鶴澤清治

 

丞相名残の段

竹本千歳太夫

豊澤富助

 

《人形役割》

 

菅丞相 吉田玉男

 

苅屋姫 吉田簑志郎

立田前 吉田一輔

宿禰太郎 吉田玉助

贋迎い  吉田玉誉

奴宅内   桐竹紋吉

土師兵衛  吉田簑二郎

判官代輝国 豊松清十郎

 

覚寿 吉田和生

 

令和五年(2023年)九月五日

第二百二十五回 文楽公演

国立劇場小劇場

『通し狂言 菅原伝授手習鑑』

「車曳の段」

 

 

 

《太夫》

松王丸 豊竹藤太夫

梅王丸 竹本小住太夫

桜丸  竹本碩太夫

杉王丸 竹本南都太夫

藤原時平 竹本津國太夫

 

《三味線》

竹澤宗助

 

《人形役割》

舎人梅王丸 吉田玉佳

舎人桜丸  吉田勘彌

舎人杉王丸 桐竹紋吉

舎人松王丸 吉田玉助

左大臣藤原時平 吉田玉志

 

「茶筅酒の段」

太夫 竹本三輪太夫

三味線 竹澤團七

 

「喧嘩の段」

太夫 豊竹咲寿太夫

三味線 鶴澤清馗

 

「訴訟の段」

太夫 豊竹芳穂太夫

三味線 野澤錦糸

 

「桜丸切腹の段」

太夫 竹本千歳太夫

   豊澤富助

 

「天拝山の段」

豊竹藤太夫

鶴澤清友

 

《人形役割》

舎人梅王丸 吉田玉佳

舎人桜丸  吉田勘彌

舎人松王丸 吉田玉助

親白太夫  桐竹勘十郎

女房八重  吉田一輔

女房千代  吉田簑二郎

女房春   吉田清五郎

菅丞相   吉田玉男

安楽寺の僧 吉田玉輝

弟子僧   吉田玉佳

鷲塚平馬  桐竹亀次

仕丁    大ぜい

 

四段目

北嵯峨の段

太夫 豊竹希太夫

三味線 竹澤團吾

 

寺入りの段

太夫 豊竹亘太夫

三味線 鶴澤友之助

 

寺子屋の段

太夫 豊竹呂太夫

三味線 鶴澤清介

 

太夫 豊竹呂勢太夫

三味線 鶴澤清治

 

五段目

大内天変の段

太夫 竹本小住太夫

三味線 鶴澤寛太郎

 

《人形役割》

舎人松王丸 吉田玉助

春   吉田清五郎

八重   吉田一輔

御台所  吉田文昇

星坂源吾 吉田玉路

菅秀才 吉田簑悠

よだれくり 桐竹勘介

戸浪 桐竹勘壽

千代  吉田簑二郎

小太郎 豊松清之助

三助  吉田玉峻

武部源蔵 吉田玉也

春藤玄蕃 吉田文司

法性坊阿闍梨 吉田簑一郎

苅屋姫  吉田玉誉

左大臣時平 吉田玉志

三善清貫 吉田和馬

捕手    大ぜい

寺子    大ぜい

百姓    大ぜい

舎人桜丸  吉田勘彌

 

豊竹呂太夫→十一代目豊竹若太夫

 

 

 菅原道真。

 

 承和十二年六月二十五日(845年8月1日)誕生。

 延喜三年二月二十五日(903年3月26日)死去。

 

 詩歌を詠み筆道の奥義を極めた。

 

 左大臣藤原時平の讒言によって流罪に処せ

られたが、苦難を忍んだ。

 

   東風吹かば 

   匂ひ恋せよ

   梅の花

   主なしとて

   春な忘れそ

 

 道真が京を去る際に詠んだ歌には梅の花への

愛があふれている。

 

 『菅原伝授手習鑑』は菅丞相こと菅原道真の

忍耐と彼に関わる舎人三兄弟とその一族の忠義

を語る浄瑠璃である。

 

 作者は竹田出雲・並木千柳・三好松洛・竹田小

出雲。

 延享三年(1746年)八月二十一日大坂竹本座

にて初演された。

竹本座

  蒼々たる姑射の松 

  化して芍薬の美人と顕れ

  珊々たる羅浮山の梅  

  夢に清麗の佳人と成る

 

  皆是擬議して変化をなす。

  豈誠の木精ならんや。

  唐土斗か日の本にも人を以て

  名付くるに。

  松と呼び 梅といひ 或いは櫻 

  に准れば花にも情天満

 

  大自在天神の御自愛有し

  御神詠

  末世に伝えて有りがたし

  此神いまだ人臣にまします時。

  菅原の道真と申し奉り。

 

  文学に達し筆道の奥義を

  極め給へば才学智徳兼備はり

  右大臣に推任有り。

 

  権威にはびこる左大臣

  藤原時平に座を列ね

  菅丞相と敬われ

  君を守護し奉る

 

 

 

 『菅原伝授手習鑑』は「蒼々たる姑射の松」が

「化して芍薬の美人」となることを語り、「変化」

を尋ねる浄瑠璃であることが示される。

 

 松・梅・桜の木の情が人の名となる。

 

 大自在天神が人臣であらせられ菅原道真と

呼ばれていた時代の物語であると確かめる。

 

 松・梅・桜の木から三つ子の兄弟の名が付け

られる。

 

 菅丞相の人形が、人間の丞相を救う物語に

窺えるように、様々なものが姿を変えて人に

命を吹き込んだり、人の命を救ったりすると

いう不思議を語る浄瑠璃である。

 

 初代国立劇場・国立劇場小劇場さよなら公演

に当たって『菅原伝授手習鑑』全段通し上演が

二公演に亘り令和五年(2023年)五・九月に開

催されることとなった。

 この機会を逃しては『菅原伝授手習鑑』の全段

通し上演見聞機会は二度とあるかどうかは分か

らない。

 演劇に限らず映画・音楽・美術その他の芸能藝

術の鑑賞も一期一会で二度目はあるかどうかは分

からない訳だが珍しい全段通しはしっかりと見聞

し心に焼き付けたい。

 

 

 

 浄瑠璃を尊重し原作文学に忠実にその命を舞台

に現出する一座はもはや文楽しかない。文楽だけ

が日本古典を保存し上演するという課題を荷って

くれている。

 

 いかに文字として原作が保存公開されその尊さ

を読み聞くことで学び得ることが成り立っていると

しても浄瑠璃・戯曲は書かれている文字が舞台で

上演されることが保存伝承の課題になる。

 

 日本では古典浄瑠璃を尊い技芸で劇場舞台に上演

してくれる文楽がいてくれる。改めて文楽の偉大さ

を仰ぐ機会となった。

 

 令和五年(2023年)六月二十五日・二十六日・二

十七日・十二月三日・令和四年(2024年)一月三日

発表六記事を再編し、この年の五月十四日・九月四

日国立劇場小劇場の「大菅原」を改めて讃えたい。

 

 

 年号は延喜、醍醐天皇の時代の物語である。

御所に菅丞相こと菅原道真、左大臣藤原時平が

いる。渤海國より渡来した唐僧天蘭敬は皇帝の

命により延喜帝こと醍醐天皇の絵姿を描きたい

と希望する。

 延喜帝の体調不良により時平は自身が代役を

勤めるので姿を描くようにと強調する。菅丞相

は諫め帝の弟斎世親王に帝の代わりを勤めても

らうことを進言する。

 帝は丞相の進言を聞き、天蘭敬は斎世親王の

姿を描いて退出する。時平は親王から帝の装束

を強引に奪おうとするが丞相が諫める。

 

 親王は丞相の筆を讃えその筆の奥義を弟子の

中から後継者を選んで伝授するようにとの勅諚

を伝える。

 

 加茂堤に梅王丸と松王丸が転寝の時間を楽し

んでいる。二人と桜丸は三つ子の兄弟である。

梅王丸は丞相、松王丸は時平、桜丸は斎世親王

に仕えている。帝の病気平癒を祈り、丞相の代

理で弟子の左中弁希世、時平の代理で三善清實が

代参に来ていた。

 桜丸が現れて梅王丸に清實、松王丸に希世を

迎えに行かせた。

 兄二人が去ったのを見て桜丸は女房八重と

の計画を勧め、斎世親王と丞相の養女苅屋姫

の逢瀬を成り立たせた。親王と姫は深く愛し

合っている。

 この少年親王と少女姫の清純な恋を睨む清

實は牛車に潜んでいる二人の存在を予測し牛車

の中を改めさせろと桜丸に圧力をかける。桜

丸は抵抗し清實とその配下の者達を圧倒する。

 親王と姫はこの間に駆け落ちする。姫の実母

が河内國土師に住んでいる、姫は母の住まいに

向かった。桜丸は親王と姫の後を追う。

 

 丞相の邸では希世が後継者に指名されるもの

と思い込んで局に狼藉を為した。

 物忌の最終日の七日目に弟子の武部源蔵とそ

の妻戸浪が現れた。弟子源蔵と戸浪が恋仲に

なったことを不義とした丞相は源蔵を勘当して

いた。

 御台所は源蔵夫婦に暖かい言葉を語る。

 

 源蔵が丞相に呼ばれた。

 

 御簾が開く。

 

 丞相は筆法の奥義を伝える後継者に源蔵を

選びたい心を語る。

 希世から妨害を受けるが源蔵は試験として

課された書写を見事に成し遂げ奥義を伝授さ

れた。

 

 ようやく勘当を許されたと喜ぶ源蔵に丞相は

「伝授は伝授、勘当は勘当」であり勘当を許し

た覚えはないと厳しく述べる。

 

 参内を命じられた丞相の冠が落ちる。

 

 源蔵は涙を覚えつつ退出する。

 

 丞相は苅屋姫と斎世親王の恋を叱られ、親王

を天皇の位に就けて娘を皇后にする野望であろ

うと疑いをかけられ処罰されて捕手に囲まれ罪人

として帰宅した。閉門の身になった丞相に希世

は罵り用無しの師であるからと打擲して監視役

の清實に気に入られようとする。

 裏切りに激怒した梅王丸は希世を懲らしめよう

とするが菅丞相は厳しく叱る。

 丞相が屋敷に入ると源蔵・戸浪が現れ清實一党

を追い出す。若君菅秀才をお助けしたいと申し出

る源蔵の提案に梅王丸は呼応し、屋敷から菅秀才

を呼び築地の塀越しに源蔵に託した。

 

 

 桜丸・斎世親王・苅屋姫は河内國土師

の里への道を歩むに当たって飴売りに扮し

ていた。

 飴の売買によって桜丸は買いに来た人々

の会話から菅丞相が筑紫に流される身とな

り現在摂津國安井に居ることを聞く。

 養父が無実の罪を着せられることとなった

因は自身にあると感じた苅屋姫は謝りたいと

望む。親王・桜丸と共に姫は安井に向かう。

 

 安井の港において判官代輝国が丞相を警

護している。桜丸は親王・姫と共に現れた。

菅丞相に謝りたいと親王と姫は頼む。

 輝国は丞相にかけられた嫌疑は養女を天皇

の妃にしようとするものであるから、親王は

苅屋姫と縁を切るべきであると説く、桜丸は

自責の念をこめて親王に想いをきるべきと

語る。

 苅屋姫への恋は篤いが尊敬する菅丞相の潔

白証明の為に、斎世親王は無念の別れを姫に

告げる。

 

 菅丞相の叔母覚寿の娘で苅屋姫の姉立田の

前が現れて、一家の暇乞の為菅丞相に土師の

里で一泊して頂きたいと頼む。輝国は快諾す

る。苅屋姫は同行を望む。姉立田の前は拒否

する、輝国は桜丸に斎世親王の警護を命じて

立田前には苅屋姫を覚寿に預けるようにと述

べる。

 愛し合う心を秘めて苅屋姫と斎世親王は

別れを甘受する。

 

 

 菅丞相は覚寿屋敷に到着する。苅屋

姫は自身の恋が思いもよらぬ縁の催し

とはいえ、結果的に養父を苦しめる事

になったことを悩んでいる。何として

も養父菅丞相に会って詫びたい。

 実の妹苅屋姫の気持ちを知る立田前

はその心を察し優しく気遣う。

 丞相はこの夜八つに出立する予定で

ある。

 

 柱に立田前の夫宿禰太郎がもたれかか

る。

 

   姫の顔見ぬ先は俺が女房は楊貴妃ぢゃ、

   と思ふたが、較べてみれば無楊貴妃。 

   そなたの名も変へねばならぬ

 

 太郎は草苅屋姫の美貌に見惚れる。丞相の出

立の合図は一番鶏の声であると妻に告げる。

 

 太郎が去り立田は苅屋姫を丞相に会わせようと

試みる。

 姉妹の実母で丞相の伯母覚寿が現れ杖を振り

上げ娘苅屋姫を叱り飛ばす。義理ある丞相が流

罪で罰せられることになり最愛の娘苅屋姫を覚

寿は杖で打擲する。立田前は懸命に妹を庇う。

 

 丞相の声が響き、覚寿を諫め「苅屋姫と対面

せん」と覚寿に呼び掛けた。襖を開けると丞相

の姿は無くて丞相が彫った木像があるのみであ

った。この木像は覚寿が形見として丞相に御姿

を彫って頂きたいと頼んで彫ってもらったもの

である。

 

 太郎とその父土師兵衛は丞相出立の支度を

手伝いたいと申し出た。

 

 夜の庭で土師兵衛と太郎は藤原時平に通じ

菅丞相暗殺を狙う計画を話し合い、立田前に

聞かれる。懸命に諫めれば分かってくれると

感じた立田前は夫太郎と舅兵衛を諫める。兵

衛は一旦謝罪して立田を安心させ、息子太郎

に合図を送って嫁を背後から刺して殺害する。

 

 死骸が沈む場所で鶏は鳴くという言い伝え

を思う兵衛は立田の遺骸を池に捨て鶏を挟箱

の上に乗せる。果たして鶏は鳴いた。

 

 太郎主導のもと暗殺団の仲間の贋迎いが丞

相を迎えに来る。

 丞相は駕籠に乗る。覚寿は丞相との別れを

嘆く。

 立田前が迎えに来なかったことに母覚寿は

不審を感じる。

 屋敷の捜査が始まり奴宅内が池の中から立

田前の死体を発見する。

 太郎は宅内を下手人と糾弾し斬殺しようと

する。

 覚寿は立田の遺体の口に銜えさせれた衣類

の切れ端は太郎が着用しているものと同じで

あることを見て、下手人が誰かを察した。

 太郎が宅内を斬ろうとすると、覚寿は「初

太刀はこの母」と語る覚寿は婿太郎から刀を

借りる。

 

 太郎は姑の手で罪を擦りつけた宅内の処刑

が出来るとほくそ笑む。覚寿は宅内に刀を向

けるとみせかけて隙を突いて太郎の腹部を突

き刺す。

 

 本物の迎えの役人輝国が現れる。

 

 既に丞相はお迎えの役人に警護されて出立

されたと覚寿は報告しつつ不審を感じ、輝国

は丞相が誘拐されたと感じた。

 

 贋迎いが現れ、人形の丞相を預かったと嘆

く。しかし輿を開けると丞相は現れる。贋迎

いは吃驚する。瀕死の太郎を見て贋迎いと現

れた兵衛は驚愕する。

 

 陰謀は露見し兵衛は輝国に捕らえられた。

 

 菅丞相が現れる。輝国の迎えが遅く騒がし

い音を聞き、兵衛・太郎のたくらみを聞き、

立田前がはかなき最期を遂げたことを語る。

 

  某これへ来たらずばかかる嘆きもある

  ことなし

 

 娘を殺された覚寿に菅丞相は詫びる。「娘

命百人にも替へ難き大事の御身」と覚寿は涙

を堪えて丞相の命が守られたことを喜ぶ。

 

 覚寿は太郎から刺したを抜きその刀で髪を切

る。遂に太郎は息絶えた。

  

   有為天変世のならひ

   娘が最期も此刀 

   婿が最期も此刀

   母が罪業消滅の

   白髪も此刀

 

 

 菅丞相は念仏を唱える。

 

 輝国は土師兵衛を処刑する。

 

 覚寿の頼みで菅丞相が自身の姿を彫った木

像が兵衛・太郎・贋迎いの陰謀から丞相を守

った。

 

 覚寿尼は伏籠に苅屋姫に入らせ丞相に対面

させようとする。

 

 最愛の養女に会いたいと願う心を堪えて丞

相は覚寿の申し出を断る。

 

 苅屋姫は思わず泣きだす。

 

 堪えに堪えていた菅丞相は思わず苅屋姫の

顔を見る。

 

 苅屋姫は覚寿、丞相は判官代輝国に、それ

ぞれ制止される。

 

 菅丞相と苅屋姫の生き別れである。

 

 

 梅王丸は主人菅丞相が流罪になったこと

を悲しんでいる。

 桜丸は主人斎世親王と丞相の養女苅屋姫

の恋の取り持ちを為した。

 左大臣藤原時平は娘を親王の后にして皇

位を狙う菅丞相の陰謀であると嘘を捏造し

讒言を語った。

 丞相は時平の陰謀により流罪になったが、

桜丸は責任は自分にあると深く恥じ入り悲

しみを覚えている。

 

 梅王丸・桜丸兄弟は吉田神社近くで出会い

共に辛い心を述べた。

 

 行方が分からない菅丞相の御台所を探すべ

きなのか、丞相のいる筑紫の配所に行くべき

なのか、と梅王丸は悩みを弟に語った。

 

 藤原時平の行列が吉田神社に参詣にくること

を梅王丸・桜丸兄弟は知り、この機会に積年の

恨みを晴らそうと走る。

 

 時平の車の前では杉王丸が梅王丸・桜丸を

嘲笑する。

 

 梅王丸・桜丸もひるまず時平への怒りを語

る。

 

 二人の兄弟松王丸が現れ、主人時平への忠義

を語り、梅王丸・桜丸と激しく対立する。

 

 車から藤原時平が現れ鋭い眼力で梅王丸・桜

丸を威圧する。

 

 参詣前に血は流さぬとする時平は松王が働き

に免じて梅王・桜丸を許してやると述べ、「命

冥加な蛆虫めら」と二人の刺客を侮蔑する。

 

 梅王丸・桜丸は、時平の凄みに圧倒され、松

王丸に父四郎九郎の賀の祝いが終わるまでは勝

負を預けると宣言した。

 

 

 四郎九郎は河内国佐村において菅丞相の下屋

敷を預かっている。丞相が気に入っている梅・

松・桜の木を大切に守っている。

 

 

 菅丞相は七十歳の誕生日に四郎九郎に白太夫

と改名することを告げていた。百姓十作に四郎

九郎は白太夫と名乗ることを語る。

 

 四郎九郎改め白太夫のもとに梅王の妻春・松

王の妻千代・桜丸の妻八重が現れて祝福のお膳

を作る。

 息子達が現れないので、白太夫は梅・松・桜

の木を倅達に見立てて陰膳を据えて祝いを行い

八重と共に氏神詣に出かけた。

 

 松王丸・梅王丸が現れ吉田神社の怒りを再燃

させ激しく争った。二人の喧嘩で桜の木が折れ

る。

 

 氏神詣でから帰って来た白太夫は桜の木が折

れたことを怒らず静かに受け止めた。梅王丸は

菅丞相の元に行きたいと願い出るが、父白太夫

は行方不明の御台所様と若君菅秀才をお探し申

せと伝える。松王丸の前では武部源蔵・戸浪夫

妻に菅秀才をお預けしたことを梅王丸は語れな

いので父の命を聞く。

 

 松王丸は勘当を願い出て白太夫に許可される。

 

 梅王夫婦・松王夫婦は去って行った。

 

 八重の夫桜丸が現れ、菅丞相流罪の因を作った

ことの責任を取って切腹したいと覚悟を語る。驚

愕する八重は思いとどまって欲しいと懇願する。

 しかし、桜丸の決意は固かった。父白太夫は三

方を用意して息子の自害の決断を受け留めていた。

 

 朝に父を尋ねた桜丸は切腹の意志を報告した。

神意を問うた白太夫は氏神詣の結果と桜の木が

折れたことを見聞し、息子桜丸の道を受け留めた。

 

 八重は泣く。

 

   

   思ひ切つておりや泣かぬ。

   そなたもなきやんな。

 

 白太夫は嫁に「泣くな」と命じ泣きたい思い

を懸命に堪え最愛の息子の切腹に当たって鉦を

打ち念仏を称える。

 

 桜丸は腹を刺す。「憚りながらご介錯」と語

るが白太夫は息子の首を斬れず、撞木で鉦を打

つ「介錯」を続ける。

 

     九寸五分取り直し

     喉のくさりを刎ね切って 

     かつぱとふして

     息絶えたり

 

 桜丸は喉を突いて絶命する。

 

 八重は泣いてかけよる。

 

 

 梅王丸夫婦が現れた。八重と春は抱きしめ

合う。

 

 父白太夫は菅丞相が流された筑紫へ向かう。

 

 一年後白太夫は筑紫で丞相の身の回りの世話

をする。安楽寺に参った丞相を牛に乗せて、白

太夫が牛を引く。



 

  我に科なければ仏に苦労かけ奉り身の上

  祈る心はなし



 

 丞相は無実の罪で島流しにあったが、罪は

ないから仏に苦労はかけたくないと語る。



 

  東風吹かば 

 

  匂いおこせよ

 

  梅の花  

 

  あるじなしとて

 

  春を忘れそ



 

 と詠むと天の童が枕元に現れ、憐みの心を

讃え、安楽寺に参ることを勧めてくれた。

 

 

 

 

 

 梅は飛び 

 

 桜は枯るる

 

 世の中に  

 

 何とて

 

 松の

 

 つれなかるらん

 

 

 

 菅丞相の歌は、梅王丸・桜丸の忠義を讃えつつ

時平に仕える松王丸にも期待する心がある。  

 

 

 

 刺客鷲塚平馬を梅王丸が捕縛され、時平が菅

丞相暗殺の計画を抱き、醍醐天皇や斎世親王を

殺害しようとするという陰謀を企図していた事

を、丞相は聞いた。

 

 時平に対して激怒の炎を燃やし、平馬の首を

梅の枝で斬りおとし、口から火を吹き出す。

 

 天拝山の頂で雷神となった菅丞相は都で醍醐

天皇を守る為に飛んでいく。

 

 

 京の北嵯峨にある菅丞相の御台所が隠れ

住む家に法螺貝の音を響かせる山伏が訪れ

た。御台所の世話をする春は山伏を追い返

す。覚醒し御台所は藤原時平の陰謀を知った

菅丞相が雷神に変わった夢を見たと述べた。

 春は法性坊阿闍梨に助けを求める為に八重

に御台所を託して出かける。

 

 時平の家来星坂源吾達が襲い掛かり御台所

を拉致しようとした。八重は懸命に御台所を

守るが討たれた。

 山伏が現れて御台所を保護した。

 

 菅丞相の子菅秀才は武部源蔵・戸浪夫妻に

匿われていた。夫妻は芹生の里で寺子屋を開

き、菅秀才を自分達の子として守っていた。

 子供達は書を習いつつ師匠源蔵がいないこ

とをいいことに暴れ出す。菅秀才は暴れるよ

だれくりを注意する。

 

 小太郎と言う少年が寺子屋に入門する為に

母親と現れた。源蔵の留守を聞いた母親は隣

村まで出かけるといって立ち去る。

 

 源蔵が帰って来た。時平は菅秀才の身を源

蔵が匿っているという情報を聞き、首を切って

差し出せと命じてきた。

 

 見聞役には時平の家臣春藤玄蕃と松王丸が

来ると言う。

 寺子の中から小太郎を身代わりにして斬首

し、「菅秀才の首」として差し出すという策

を取ることを源蔵は決める。小太郎の母親が

寺子屋に来ることを戸浪は告げた。源蔵は、

涙を堪えて小太郎とその母を斬ると決める。

 

 玄蕃・松王丸が現れた。寺子の一人一人の

顔を玄蕃が調べ松王丸が首を振る。

 

 源蔵は小太郎の首を斬った。その様子を松

王丸は感じた。

 源蔵は首桶に入れた小太郎の首を菅秀才の

首と偽って差し出し、松王丸に嘘を見破られ

れば斬りかかると決める。

 

 松王丸は首桶を取り小太郎の首を見て、「菅

秀才の首に相違ない」と語った。源蔵は驚く。

松王丸は病を事由に時平への暇を願った。玄蕃

は小太郎の首を持って主人時平の元に向かった。

 松王丸も去り、源蔵・戸浪夫妻は安堵する。小

太郎の母が現れた。源蔵が斬ろうとすると小太郎

の母千代は意外にも菅秀才様身代わりの役を小太

郎は勤めましたかと問う。源蔵は驚く。

 

 松王丸が現れた。

 

 千代は松王丸の妻であった。二人は菅丞

相への義の為に最愛の子小太郎を菅秀才の

身代わりに差し出したのだった。

 

 松王丸は北嵯峨で守った御台所を呼び、菅

秀才と引き合わせた。

 

 

 都では雷神となった菅丞相の怒りを鎮める

為に法性坊阿闍梨を招いて加持祈祷が行われ

た。

 

 

 斎世親王が菅秀才と苅屋姫を伴って参内す

る。

 

 法性坊は菅秀才の相続を認める事と菅家

再興を天皇に奏上すると約束する。

 

 時平は玄蕃が贋首に騙されたことに怒り

彼の首を引っこ抜く。側近の希世、清貫は

雷神に打たれ急死する。

 

 時平の耳から二匹の蛇が現れ、桜丸・八重

夫婦の亡霊に変化した。桜丸・八重は時平を

打ち据えた。

 

 菅秀才・苅屋姫は時平を討つ。

 

 菅秀才の菅原家相続は認められた。

 

 菅丞相は北野の右近の馬場に建立された

天満宮に祀られた。

 

 

 

 ◎菅丞相の悲心 三つ子の忠義◎

 

  床の上部の御簾から若い大夫たちが熱く語る。

 

 人形遣いは「大序」の形式で黒衣で人形を遣う。

 

 幕が開き、吉田玉翔の菅丞相・桐竹亀次郎の藤原

時平が現れる。「大序」の厳かな空気に緊張した。

 

 

 吉田玉翔は菅丞相と讃えられる菅原道真の風格

を重厚に遣う。

 

 桐竹勘次郎は時平の燃える野心を鮮やかに遣

う。

 

 吉田玉勢が遣う斎世親王は繊細な少年で気品

豊かだ。

 

 桐竹亀次の天蘭敬は厳かで存在感が重い。

 

 「無位無官に着せた装束穢れた同然。内裏に

置かず我が預かる」と語って親王から冠を奪い

取る時平は怖い。作者は時平の権力の強大さと

胸に燃える野心の熱さを鮮やかに描く。

 

 菅丞相は時平が帝位を簒奪しようと狙ってい

る事を直感するが耐え忍ぶ。

 

 斎世親王は醍醐天皇の心として、道真に対し

て、「何時知らぬ世の中に名斗ばかり残すは其

身の為。道を残すは末世の為」と述べて、弟子

の中から後継者を選びその弟子に「筆道の奥義

を授」けるようにと命じる。

 

 これが題号の『菅原伝授手習鑑』に通じる。

 

 道真は私宅にこもって、七日間斎を為して、

器量の弟子を選んで筆道を授けることを申し

上げる。

 

 「加茂堤の段」は長閑で微笑ましいムード

から始まる。

 三兄弟の仲の良さをしっかり上演する劇団

は文楽だけになった。

 この段の三兄弟の親密さが示されるので後

の段の兄弟別れの悲劇が観客の心を鋭く打つ

のだ。

 豊竹希太夫・竹本津國太夫・竹本南都太夫

が桜丸・松王丸・梅王丸の仲良しの関係性を

鮮やかに語る。

 

 豊竹咲寿太夫が八重の優しさと苅屋姫の可憐

さを清らかに語る。

 

 「筆法伝授の段」は吉田勘市が左中弁希世の

エゴイズム・自己顕示欲剥き出しを鋭く遣い場

内の笑いを呼ぶ。強い者に迎合し立場の弱い人

を虐め、自信過剰・自己能力溺愛から野望が熱

い。エゴイズム全開の希世の卑劣な生き方は人間

の本音をむき出しにしている。観客は「今だけ・

名誉だけ・自分だけ」の我儘な希世に自己のエゴ

イズムを痛感する。

 

 吉田玉男の菅丞相の重厚さに圧倒された。

 

 筆に生きる人の生き方があった。

 

 吉田玉志が真面目一筋の武部源蔵を鮮やかに

遣った。

 

 吉田文昇の御台所が着物の裾に吉田蓑一郎

の戸浪を隠して丞相の姿を見せてあげる。ここ

は名場面だなと毎回心を打たれる。

 

 菅丞相の書いた文字の書写という伝授の試験

を希世の妨害・ハラスメントに遭っても成し遂

げた源蔵は後継者に選ばれ伝授の巻物を授けら

れる。

 

 希世が巻物を頂けると勘違いして丞相から

何も貰えず吃驚する場で場内に笑いが起こる。

 

 丞相と源蔵の師弟交流の道に観客は全身全

心で熱くなる。

 

 竹本織太夫の重く深い語りに圧倒された。

 

 鶴澤燕三の三味線に息を呑み緊張した。

 

 菅丞相の冠が落ちる場に作者の物語作劇の

繊細さを感じる。

 

 「築地の段」において菅丞相は時平の讒言

を聞いた醍醐天皇から厳罰に処せられる身と

なった。

 何があっても帝を恨まず全ての命令を甘受

することを菅丞相は力強く宣言する。一見天

皇制絶対化のようにも思える。

 

 確かに菅丞相は醍醐天皇への忠義に全ての命

の情熱を燃やしている。

 

 だが、「忠誠を尽くせ」と他者に強いること

を説いている訳ではないだろう。

 

 自ら見出した主題である「忠義」に何処迄

自己の命を捧げ賭け尽くせるか?これこそ『菅

原伝授手習鑑』の主題であろう。

 

 豊竹靖太夫の語りと鶴澤清馗の三味線に品格

を感じた。

 

 

 『道行詞の甘替』はこの令和五年(2023年)

五月十四日国立劇場小劇場が初鑑賞である。

 原作浄瑠璃を岩波文庫版で読み長く見たいと

願っていた。ようやく文楽公演で見聞し感無量

である。

 

 爽やかで明るくて晴れ晴れとした空間から始

まる。

 

 重く厳しい「築地の段」の直後で観客の心に

ほっと息をつかせてくれるものがある。

 

 飴売りに扮した桜丸は美男で素敵だ。

 

 子供達の人形が可愛い。

 

 飴売りに変装しての斎世親王・苅屋姫の恋の

逃避行には浪漫と緊張がある。

 

 吉田玉佳は桜丸の忠義と配慮を遣う。

 

 吉田蓑志郎は苅屋姫の一途さを遣う。

 

 吉田玉勢は斎世親王の悩みを繊細に遣う。

 

 『安井汐待の段』もこの令和五年(2023年)

五月十四日国立劇場小劇場上演舞台が初鑑賞

である。

 

 この段は丞相の駕籠に苅屋姫が詫びたいと

真剣に望む貴重な場であり、立田前との姉妹

再会の場という点においても大事である。

 

 「親子の生き別れ」「姉妹の別れ」という後

の主題に連関している。

 

 書割の青い空のと広い海辺が丞相の置かれて

いる厳しさとの対照になっている。自然の豊か

な光景の中で無実の人が罪を着せられている。

 舞台の一秒一秒がドラマを無言で語ってい

る。

 

 豊竹睦太夫の語りは重厚であった。

 

 野澤勝平の三味線は鋭い。

 

 豊松清十郎が情の人判官代輝国を厳かに遣う。

 

 吉田一輔は立田前の厳しさを繊細に遣う。妹

苅屋姫を愛しているが故に菅丞相への義理から

厳しく接さざるを得ない。この厳しい心根を一

輔が鮮やかに遣う。

 

 

 これまでの通しでカットされることが多か

った『道行詞の甘替』の牧歌的な魅力や『安井

汐待の段』の緊張感は貴重な名場面であること

を学んだ。

 

 筋が分かりやすく学べるというだけでなく、

一段一段が照応しあって「親子の別れ」という

大いなるテーマを紡いでいることが察せられた。

 

 技芸員達の気迫の至芸により『道行詞の甘替』

『安井汐待の段』の尊さを学んだ。

 

 

 

  豊竹芳穂太夫は立田前の優しさと苅屋姫の

可憐さと太郎の刹那的性格と覚寿の厳しき母

性を深く語る。

 

 野澤錦糸の三味線に感嘆した。

 

 覚寿は義理から苅屋姫を杖で折檻し立田前

は身を挺して母を諫め丞相の木像は伯母を宥

める。

 

 木像が起こす不思議の物語を文楽技芸員が

尊い芸で神秘性豊かに国立劇場小劇場の舞台

に語った。

 

 吉田和生の覚寿は当たり役だ。厳しくも暖

かい老母覚寿の愛を重厚に遣う。

 

 

 竹本小住太夫が土師兵衛の老獪さと嫌らしさ

を憎たらしさいっぱいにネチネチと語った。

 吃驚した。生意気な物言いだが、ここ数年の

竹本小住太夫の躍進に瞠目している。

 

 

 

 鶴澤藤蔵の「はっ」と声が出る弾きは迫力豊か

である。熱い弾きに感嘆した。

 「東天紅の段」は太郎と兵衛が優しい立田を野

望の為に殺し遺体も利用し鶏を鳴かせ謀殺計画を

進める。悪党たちの黒い行動におかしみがある。

 

 

 「宿禰太郎詮議の段」は豊竹呂勢太夫の鋭い語

りに震える。

 ミステリアスな空気はここでも篤い。

 

 太郎の冷酷と覚寿の復讐心を呂勢太夫が鮮やか

に語る。

 

 大御所鶴澤清治の風格豊かな三味線に心を打た

れた。

 

 「杖折檻の段」「東天紅の段」「宿禰太郎詮議

の段」「丞相名残の段」を総合して「道明寺」とも

言う。歌舞伎ではこの名で上演している。

 「道明寺」は覚寿・立田前の親子死に別れ、苅

屋姫・立田前の妹・姉の死に別れ、兵衛・太郎の

親子死に別れの三つの別れを語り大詰に菅丞相・

苅屋姫の生き別れを語る。 

 

 竹本千歳太夫の全身挙げての熱き語りに観客の

心は別れる親子の愛を学ぶ。

 豊澤富助の三味線は厳かであった。

 

 吉田玉男が菅丞相の悲しみを深く重い芸で遣う。

 

 菅丞相は自身が滞在したことで兵衛・太郎が野

心を起こし優しい立田前が犠牲になったことに心

を痛め覚寿に謝る。

 覚寿は娘命百人にも替え難い方と丞相命守護を

果たせたことを気丈に語る。

 

 吉田玉男と吉田和生は菅丞相と覚寿の心の呼応

を深く現す。

 

 菅丞相が彫った木像は丞相その人を救うという

不思議の物語を幻想性豊かに文楽は明かしてくれ

た。

 

 苅屋姫は父が流罪されるに当たってどうしても

自身の恋が原因になってしまったことを詫びたい。

 

 伏籠に姫が潜む場は名場面だ。

 

 菅丞相は「苅屋姫を斎世親王にして親王に帝位

を奪わせ娘を皇后にしたいのであろう」と藤原時

平に讒言されたことを受け、身の潔白を示す為に

愛しい養女に会えない。ここでも菅丞相が自己自身

で選び決めた主題に全てを賭け尽くして挑み明かそ

うとしていることが窺える。

 無実の罪で罰せられることは辛いけれども醍醐

天皇への忠義は貫く。ここに菅丞相の生き方があ

った。

 

 最愛の養女苅屋姫の顔を見たいけれども堪える。

 

 この切なさに観客の胸は熱くなる。

 

 苅屋姫は思わず声を出して泣く。

 

 流刑地に赴く菅丞相は堪えに堪え忍びに忍ん

でいたが別れの時において遂に顔を娘苅屋姫に

向ける。人間菅丞相の父性愛に観客は心を打た

れる。

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 覚寿が苅屋姫、輝国が丞相を止める。

 

 菅丞相と苅屋姫の大詰の生き別れにおいて養父

養女の親子愛が燃えていることが観客の心を包む。

 

 吉田簑志郎は苅屋姫の清らかな心を遣った。

 

 吉田玉男は菅丞相における別れの悲しみを明か

した。

 

 令和五年(2023年)五月十四日国立劇場小劇

場客席において菅原道真の悲しみの物語を学んだ。

 

 同年九月五日国立劇場小劇場において「三段目」

「四段目」「五段目」を鑑賞した。

 

 

 

 豊竹藤太夫が松王丸の闘志を熱く語った。

 

 梅王丸の怒りを竹本小住太夫が力強く語る。

 

 

 竹本碩太夫が桜丸の苦悩を繊細に語る。

 

 竹本南都太夫の杉王丸は手強くて渋い。

 

 藤原時平の魔王的な魅力を竹本津國太夫が

凄み豊かに語った。

 

 竹澤宗助の三味線を聞き緊張感を覚えた。

 

 

 吉田玉佳は梅王丸の忠義の苦闘を深い遣い

で現す。

 

 吉田勘彌は桜丸の悩みを繊細に遣う。

 

 桐竹紋吉は杉王丸の若さを明かした。

 

 吉田玉助の松王丸は迫力があって圧倒さ

れた。

 

 吉田玉志が遣う藤原時平は怖かった。

 

 時平の怪物のような恐ろしさを文楽では

強く表現する。

 

 

 時平は陰謀を図り讒言を述べた時期若き

青年であった。

 

 歌舞伎では時平が梅王丸・桜丸を威圧し、

梅王丸・桜丸と松王丸の兄弟対立を見せる

ところで見得を切って幕になる。

 

 文楽では時平が吉田神社に参詣への歩み

を踏み出すところまで語る。

 

 竹本三輪太夫の語りに優しさを感じた。

 

 豊竹咲寿太夫は梅王丸・松王丸喧嘩を迫力に富

む語りで明かした。

 

 豊竹芳穂太夫は白太夫の厳しさを語る。

 

 野澤錦糸の三味線に心を打たれる。

 

 竹本千歳太夫が「桜丸切腹の段」を熱く語った。

千歳太夫は平成十四年四月国立文楽劇場『通し狂言

菅原伝授手習鑑』「桜丸切腹の段」を七代目竹本住

太夫の代役で語った。この月の十日にわたくしは

客席で聞き、「八重泣くな」に全身で熱くなった。

父の悲しみが心に迫ってきた。

 

 あれから二十一年、千歳太夫が情熱の語りで白

太夫の悲しみと八重の涙を明かしてくれた。

 

 豊澤富助の三味線は厳かだった。

 

 白太夫の七十の賀を祝い、嫁三人がお膳を作る。

 

 人形が調理をする。

 

 吉田一輔・吉田簑二郎・吉田清五郎の遣いで

人形が舞台で料理を作る。科学的に立証すること

は難しいが、舞台の上では技芸員の芸で人形が

命の営みを為すのだ。

 

 吉田勘彌は桜丸の散り方を鋭い遣いで明かし

た。

 

 桐竹勘十郎が白太夫の父性をじっくりとした

遣いで現した。

 

 平成二十六年(2014年)四月七日・二十一日・

二十六日国立文楽劇場公演『通し狂言 菅原伝授

手習鑑』において桐竹勘十郎の松王丸を見て忠義

に生きることの厳しさと悲しみを学んだ。あれから

九年経った。松王丸の父白太夫を遣う桐竹勘十郎

を見た。

 息子から父への道に心を打たれた。梅王・松王

を叱り、桜丸の切腹を甘受し念仏を称える。

 最愛の息子の死を見聞し助けたいが助けられな

い苦悩を確認し、念仏申す。南無阿弥陀仏は最も

苦しく辛い時に働くと言う仏教の根本を「桜丸

切腹の段」において学んでいる。

 わたくしにとって文楽は「好きな芸能」という

ことを飛び越えて仏教の実働を教えて下さる「命の

学び舎」なのだ。

 

 最愛の息子が腹に刀を刺して助けたいが助け

られず、念仏を称え、介錯の頼みに首を斬れず、

念仏を称え続ける。

 

 吉田勘彌が遣いを終えて舞台裏に行く。

 

 「桜丸が亡くなった」ことを観客は教わる。

 

 白太夫は誕生日に息子を失い、泣きたい心を

抑えて念仏を称え崇拝する主君菅丞相のもとへ

行く。

        

 筑紫において菅丞相が刺客鷲塚平馬の襲撃を

かわし、平馬から時平の陰謀を聞き激怒して、

梅の枝で平馬の首を斬る。

 菅丞相が口から火を噴く。人形の口から花火

があがる。

 

 これも文楽で無ければ見せらない演出である。

 

 豊竹藤太夫が怒れる菅丞相を熱く語った。

 

 吉田玉男が菅丞相の激怒を深い遣いで現す。

五日の舞台では「はっ」の声を玉男が語る。菅

丞相が天拝山で雷神と化する。

 

 この場の凄みは圧巻である。

 

 

「北嵯峨の段」は初めて見聞した。

 

 吉田玉助が山伏実は松王丸を重厚な遣いで

見せてくれた。忠義に命を賭けた八重が散る

展開に切なさを感じた。

 

 寺入りの段は寺子の人形たちが可愛い。

 

 豊竹亘太夫が千代の母性を深く語った。

 

 豊竹呂太夫の語り、鶴澤清介の三味線が松

王丸の悲しみを重厚に明かした。

 

 吉田玉助の遣いも深い。松王丸が忠義を貫

いて我が子の生首を見る。観客の心にも熱い

ものがこみ上げてくる。

 

 吉田玉也は武部源蔵の忠義一途の生き方を

遣う。

 

 豊竹呂勢太夫の語りと鶴澤清治の三味線は

時代物の風格を伝えてくれた。

 

 松王丸の忠義の悲しみと源蔵の受け止めが

明かされる。

 

 文楽では大詰で松王丸が思わず腕で涙を隠す。

 

 吉田玉助が松王丸の悲を明かしてくれた。

 

 

 『大内天変の段』も令和五年九月五日が初鑑賞

であった。こんなに面白い段が何故上演されなか

ったのかと疑問に思った。

 

 時平が玄蕃の生首をねじ切るのは文楽で無いと

見せられない演出である。

 

 雷神となった菅丞相は時平を糾弾する。

 

 時平は耳から出てきた蛇が変化した桜丸・八重

の霊に叩かれ苦しめられ、菅秀才と苅屋姫に討た

れる。

 

 吉田玉志が野心家時平の崩壊美を鮮やかに見せ

た。

 

 竹本小住太夫の深い語りと鶴澤寛太郎の鋭い三

味線が忠義物語の終章を厳かに明かしてくれた。

 

 五段目において菅秀才・苅屋姫の時平を斬り仇

討ちを為すところまでを見聞し、『菅原伝授手習

鑑』上演舞台の鑑賞が成り立つということを教わ

った。

 

 

 

 

 令和五年(2023年)五月十四日・九月五日国立

劇場小劇場において『菅原伝授手習鑑』全段上演

を鑑賞した。

 

 延期三年(1746年)はこの全段上演が通常の興

行形式であったのではないか?

 

 延喜三年ならば通常上演形式と思われるもので

も、令和五年ならば大上演になる。偉大な文楽と

雖も全段通し上演が如何に難しい課題であったか

が察せられる。その遠大な課題を令和五年(2023

年)に達成した文楽は偉大だ。

 

 古典演劇は原作文学に忠実に学び舞台化する。

原作の精神を掘り起こす技芸は演劇至宝である。

この課題を成しうる演劇集団は現代日本では文楽

だけである。

 

 戯曲の理想的上演は全段上演である。

 

 全段鑑賞により戯曲の全体像に出会えた。

 

 令和六年(2024年)六月二十五日現在国立劇場・

国立劇場小劇場建て替え工事は停止している。国立

劇場・国立劇場小劇場主催東京公演は他の劇場を借

りて上演されている。

 

 国立劇場・国立劇場小劇場を本拠地とする劇場を

速やかにオープンさせるべきである。

 

 原作戯曲に忠実に舞台化するという課題を達成し

てくれる文楽の東京公演の場を確保してほしい。

 

 国立劇場・国立劇場小劇場を一度取り壊しホテル

を一緒に建てるという計画そのものを一度停止し再

考すべきである。

 

 耐震の力があるならば、そもそも取り壊しの必要

もない筈だ。

 

 正倉院の校倉造りに学んで建てた外観は大事である。

 

 取り壊し・再建の計画を中止し、劇場を再開しては

どうか?

 

 戯曲の生命を舞台に灯す。

 

 この偉業は現在文楽技芸員でなければ成し得ない。

 

 文楽技芸員の尊き芸に敬意を表する。

 

 『菅原伝授手習鑑』が令和五年(2023年)五月十

四日・九月五日国立劇場小劇場に生きている事を学ん

だ。

 

                  南無阿弥陀仏