新・平家物語 総集編 上ノ巻 下ノ巻 脚本平岩弓枝 | 俺の命はウルトラ・アイ

新・平家物語 総集編 上ノ巻 下ノ巻 脚本平岩弓枝

 『新・平家物語』

時子・徳子・清盛・祇園女御
 

テレビドラマ 連続ドラマ  全五十二回

製作局 日本放送協会

放送日 昭和四十七年(1972年)一月二日→

     昭和四十七年(1972年)十二月二十四日

     一回分放送時間45分 毎週日曜日20時放送

 

総集編 

「上ノ巻」 昭和四十七年(1972年)十二月三十日

「下ノ巻」 昭和四十七年(1972年)十二月三十一日

 

 

「上ノ巻」

原作   吉川英治

 

脚本   平岩弓枝

 

音楽   冨田勲

 

テーマ音楽演奏 NHK交響楽団

テーマ音楽指揮 森正

演奏        インターバックグループ

琴          桜井英顕

語り         渡辺美佐子

            福本義典

時代考証      相馬皓

振付         藤間高子

殺陣         尾型伸之介

 

 

出演

 

仲代達矢(平清盛)


中村勘三郎(平忠盛)

 

新珠三千代(祇園女御こと泰子)

 

山崎努(平時忠)

山本学(平頼盛)

 

中尾彬(平忠度)

原田大二郎(平重盛)

柴田侊彦(平教盛)

古谷一行(平経盛)

高桐真(平家貞)

松本章一(平六)

若林彰(平宗清)

内田喜郎(少年時代の平清盛)

中村まなぶ(少年時代の平時忠)

郷ひろみ(少年時代の平経盛)

 

中村玉緒(平時子)

 

水谷八重子(池ノ禅尼)

―――――――――――――

 

若尾文子(常盤御前)

 

木村功(源義朝)

 

岡村菁太郎(源頼朝)

 

佐々木孝丸(源為義)

伊吹吾郎(源為朝)

石川徹郎(源義平)

児玉謙次(金子十郎)

成田次穂(鎌田正清)

飯沼慧(花沢孫六)

穂高稔(長田忠致)

立川雄三(渡辺帽)

 

芦田伸介(源頼政)

―――――――――――――

 

緒形拳(阿部麻鳥)

 

藤田まこと(朱鼻ノ伴卜)


和泉雅子(蓬子)

 

山本麟一(実相坊)

寺島幹夫(如空坊)

石光豊(乗円坊)

照井湧子(夜須良)

 

原保美(藤原忠通)

成田三樹夫(藤原頼長)

大塚道子(紀伊ノ局) 

南風洋子(佐ノ局)

小沢忠臣(藤原俊成)

櫻片達雄(藤原経憲)

岡村春彦(藤原成親)

金内吉男(惟方)

倉島襄(経宗)

亀石征一郎(藤原信頼)

 

野村万之丞(鳥羽法皇)

小山明子(美福門院)

田村正和(崇徳上皇)

 

森雅之(藤原忠実)

 

小沢栄太郎(信西入道)

 

滝沢修(後白河上皇)


―――――――――――
劇団いろは 

劇団現代 

尾型剣優会 

鳳プロ 

小野雅楽会

 

演出  清水満

     岡本憲侑

     樋口昌宏

     馬場清

技術  山口克明

美術  佐藤武俊

制作  古賀龍二

 

仲代元久=仲代達矢

 

中村勘三郎=十七代目中村勘三郎

 

山崎努=山﨑努

 

山本学=山本學

 

中村まなぶ→二代目中村梅雀

 

水谷八重子=初代水谷八重子

 

岡村菁太郎→七代目清元延寿太夫

 

野村万之丞→野村萬

 

「下ノ巻」

原作   吉川英治

 

脚本   平岩弓枝

 

音楽   冨田勲

 

テーマ音楽演奏 NHK交響楽団

テーマ音楽指揮 森正

演奏        インターバックグループ

琴          桜井英顕

語り         渡辺美佐子

            福本義典

時代考証      相馬皓

振付         藤間高子

殺陣         尾型伸之介

 

出演

仲代達矢(平清盛)

 

中村玉緒(二位尼時子)


山崎努(平時忠)


山本学(平頼盛) 

中尾彬(平忠度) 

原田大二郎(平重盛)
勝呂誉(平宗盛) 

松山省二(平知盛)
中村勘九郎(平敦盛) 

柴田イ光彦(平教盛)
古谷一行(平経盛) 

藤間文彦(平維盛) 

長澄修(平重衡)
若尾哲平(平資盛) 

立沢雅人(安部資成)
――――――――――――

若尾文子(常盤御前)

 

高橋幸治(源頼朝)


栗原小巻(北条政子)


志垣太郎(源義経)


加東大介(北条時政)

佐藤允(武蔵坊弁慶)

岡田英次(熊谷次郎直実)



織本順吉(新宮十郎行家) 

鈴木智(北条宗時)

西田敏行(北条義時)
生井健夫(源仲綱)

簗正昭(源兼綱) 

立川雄三(長七帽)
根岸一正(鎌田正近) 

武田正信(岡部六弥太)

 

林与一(木曾冠者義仲)

 

古城都(巴御前)

 

芦田伸介(源頼政)
―――――――――――

緒形拳(阿部麻鳥)

 


藤田まこと(朱鼻ノ伴卜)


和泉雅子(蓬子)


大塚道子(紀伊ノ局) 

真屋順子(帥の局)


山崎有右(安徳帝) 

内田稔(西光) 

岡村春彦(藤原成親)
嵐圭史(藤原基房) 

倉島襄(藤原経宗) 

湯浅実(実家)
宮崎和命(経房) 

矢吹渡(実定) 

金内喜久夫(典薬頭定成)
矢野茂(侍臣) 

青沼寂諶(僧)
―――――――――――――

 

北大路欣也(以仁王)

 

片岡孝夫(高倉天皇)


佐久間良子(建礼門院徳子)



滝沢修(後白河法皇)


――――――――――――――
劇団いろは 

劇団現代 

尾型剣優会 

鳳プロ 

小野雅楽会

 

演出  清水満

     岡本憲侑

     樋口昌宏

     馬場清

技術  山口克明

美術  佐藤武俊

制作  古賀龍二

 

☆☆☆

尾型伸之介=尾形伸之介

 

仲代元久→仲代達矢

 

山崎努=山﨑努

 

山本学=山本學

 

中村勘九郎→十八代目中村勘三郎

 

松山省二→松山政路

 

嵐圭史=初代嵐圭史

 

片岡孝夫→十五代目片岡仁左衛門

☆☆☆

 

 

 「上ノ巻」

 

  語り「祇園精舎の鐘の声

     諸行無常の響あり

     沙羅双樹の花の色

     盛者必衰の理をあらはす

     おごれる人も久しからず

     ただ春の夜の夢のごとし」

 

 厳島神社で平氏一門が経典を奉納した。平家

の頭領清盛は、美しく凛々しい目で一門の繁栄を

確かめる。

 

 彼の少年時代は、平家一門も決して繁栄してい

た訳ではなく、苦労も多かった。少年期の清盛は

美しく気高い母泰子が白河法皇の寵妃であった

ことを権威にして、父忠盛を威圧していることに悩

んでいた。泰子は祇園女御と呼ばれていた。清盛

は、自己の父は忠盛ではなくて、白河法皇ではな

いかという噂を聞き、苦悩していた。家臣の家貞は

若君清盛を包み取るように優しく接する。泰子は

忠盛に着物をねだり、二人は仲良く歌う。法皇から

妻を下賜された忠盛は、泰子に逆らえない。

 

 我儘な態度を取る泰子に、清盛が平手で叩いた。

泰子は白河法皇様の思い人であったわらわに対し

無礼と怒って、家を出る。清盛は父が誰かを問う。

忠盛は「儂の子じゃ」と清盛を抱きしめた。

 

 青年期の清盛は、平時信の娘時子と出会い、彼

女に武士の世を開きたいという夢を語り、後に妻と

して迎える。時子の弟時忠は、清盛の為に尽力す

る。

 

 武士はちげぐさと清盛は感じ、大きく伸びたいと

いう野心と夢を燃やしていた。

 

 久安三年、強訴してきた僧兵達が暴れ出し、神輿

の権威で武士を威圧するが、清盛は神輿に弓矢を

放ち、僧兵達を震撼せしめた。忠盛は息子の働きを

褒める。

 

  仁平三年一月十五日、忠盛が亡くなった。

 

 清盛の幼い弟経盛は、母を慕い、泰子を思って、

「母上」と叫ぶ。

 

 時しも朝廷では、鳥羽法皇と崇徳上皇と後白河天

皇の三者の関係が緊張感を呼んでいた。鳥羽院は

崇徳上皇を実子と思わず、祖父白河法皇の子と思

い、「叔父御皇子」と呼び、憎んでいた。崇徳が天皇

であった時代は退位させ、溺愛していた体仁親王を

即位させた。近衛天皇である。近衛天皇が十七歳の

若さで崩御すると、第四皇子で崇徳の弟の雅仁を

即位させた後白河天皇である。

 

 鳥羽・後白河対崇徳の皇族の争いと藤原一族の

忠通対頼長の兄弟争い、源氏一党の義朝対為義・

為朝の父子・兄弟争いという血族の対立で、国内

には合戦が起こりつつあった。

 

 保元元年七月二日、鳥羽法皇が崩御した。清盛は

一族を率いて、後白河天皇に忠誠を誓い、叔父忠正

と対決することとなる。同月、源為朝は夜襲を提案

するが、悪左府と言われた頼長はこれを却下した。

 義朝は息子頼朝の成長に喜びを感じつつ、父為義・

弟為朝と戦うことに苦悩する。

 

 十一日、後白河天皇派対崇徳上皇派は戦った。

為朝が奮戦するが、清盛・義朝らの奮戦により、

後白河派が勝利を収めた。頼長は敗走し、板輿

の中で舌を噛み切って自決した。

 

 崇徳上皇は敗走する。医師阿部麻鳥が上皇の

身を案じ無事を祈る。

 

 信西入道は、捕縛された為義・忠正らを処刑する。

彼の恐怖政治に不満を持つ藤原信頼は、父為義の

処刑を命じられた義朝を一党に入れて、クーデータ

ーの機会を伺う。

 

 讃岐に配流された崇徳法皇を尋ねて、阿部麻鳥が

愛でて下さった笛の音を聞かせる。

 

 保元三年後白河は守仁親王に譲位した。二条天皇

である。

 

 平治元年十二月、清盛が一門を率いて熊野参詣に

出かけると、信頼・義朝は乱を起こし、後白河上皇・

二条天皇を拉致するように確保し、信西一党を攻撃

する。恐れおののいた信西は山中に逃げ、郎党に

命じて、穴を掘らせ竹をくりぬいて土の上に出し、呼吸

の道具に使い、郎党に水と食料を届けさせたが、信頼

・義朝の兵士に見つけられ、竹を奪われ、土中で呼吸

困難になって拉致され、逃げられぬことを悟って自害

する。

 

 熊野では信頼・義朝の乱が伝わり、平家一門は驚く。

時忠が詫びる。

 

 清盛は笑って、「馬鹿。信西入道が気づかれなかっ

たことをお前が気づけるか」と声をかける。長老家貞が

万が一の事態に備えて、武具をしっかりと用意・準備し

ていた。清盛は喜び、直ちに都に引き返した。時忠らの

働きで後鳥羽上皇・二条天皇を信頼の包囲から脱出

させる。

 帝・院の身柄を確保した清盛は、大義を得て、賊軍

となった信頼・義朝一党の撃破を宣言する。

大二郎・達矢・努
  「時しも年号は平治。

  所は平安の都。

  我等は平氏・・・・・・

  振るえやひとびと!」

 

 平治元年十二月九日、清盛一党と信頼・義朝

一党は激闘した。合戦の勝敗は、義朝・義平・頼

朝父子の奮戦もあったが、清盛の大勝利となった。

 

 信頼は捕えられ、平治元年十二月二十七日に

六条河原で斬首された。

 

 敗走の義朝は、最愛の側室常盤御前を思う。彼

は、平治二年一月三日、家臣長田忠致の裏切り

に遭い、斬殺された。

 

 常盤は幼い三人の息子今若丸・乙若丸・牛若

丸と共に捕えられる。老母も捕らわれ、常盤は

母の助命を、清盛に乞う。

 清盛は、義母池ノ禅尼から、平治の乱が起こった

院は、信西殿の厳しすぎる政治に在ったのではな

いかと指摘される。池ノ禅尼は、捕らわれた少年

頼朝の真面目で優しい人柄に感動し、何とか助け

たいと願う。

 

 戰の勝利者清盛と捕らわれし女人常盤が出会う。

清盛は常盤の美貌に心を打たれ、強く愛し求めわ

が物にした。戦に勝って、倒した敵の側室を無理矢

理奪い愛人にしたという世の噂を聞きつつ、清盛は

真剣に常盤を愛した。奪われたとはいえ、常盤も又、

清盛に想いを抱きつつあった。

 

 時忠は、清盛と常盤の関わりに危惧を抱く。時子

は夫と常盤の関わりに嫉妬を抑えることが難しかっ

た。

 

 清盛は、義朝の遺児頼朝・今若丸・乙若丸・牛若

丸と常盤とその母を許した。

 

  しかし、敵の関わりで出会い、そこから愛が燃え

た二人の恋愛は続けることが困難であった。

 

 常盤が清盛のもとから去る朝が来た。

 

 清盛は、淋しさを感じつつ、別れを甘受する。

 

  「下ノ巻」

 平清盛は仁安二年(1167年)に太政大臣とな

り、その権勢は頂点を極めた。

 

 義弟時忠・弟経盛・教盛・頼盛・忠度、子息重

盛・宗盛らが立派な武将としての存在感を示し

ていた。

 

 清盛は、出家し浄海入道となり、平家一門の栄

華は絢爛と咲き誇り、その力は盤石と思われた。

 

 「平氏にあらずんば、人に非ず」と平時忠が

語ったと言われる程、一門の勢力は絶大であ

った。

 

 後白河上皇は出家し法皇となった。剛毅の人

後白河は清盛を牽制した。

 浄海入道清盛と後白河院雅仁。出家した二人

の権力者は、両雄共に譲らずで、互いに強敵の

動きを注視していた。

 

 麻鳥・蓬子夫婦の尽力で牛若丸は母常盤と再

会し、親子は抱擁を交わした。牛若丸は遮那王と

なり、奥州平泉に行く。

 

 承安二年(1172年)高倉天皇は、清盛の娘徳子

を中宮に迎えることとなる。徳子は父清盛に感謝し

中宮となる。

 徳子が琴を弾くと、高倉天皇は喜び、親との関わ

りについて語り合う。

 

 高倉天皇と徳子の仲は睦まじかった。

 

 伊豆国蛭ヶ小島に流されていた源頼朝は、豪族

北条時政の娘政子と恋におちた。

 

 治承元年(1176年)鹿ケ谷で平家打倒の密議

が語られた。清盛は怒り、首謀者西光を処刑し、

藤原成親を備前国、俊寛を鬼界ヶ島に流すこと

を決定するが、黒幕である後白河院は罰せられ

なかった。

 

 治承二年十一月十二日(1178年12月22日)、徳

子は、高倉天皇の皇子を出産する。言仁親王、後

の安徳天皇である。

 時忠から皇子誕生を聞かされた清盛は感激する。

 

 治承三年清盛の嫡男重盛が四十一歳の若さで

死去した。

 

 だが、驕れる平氏にも落日の日が近づきつつあ

った。

 

 治承四年(1180年)源三位頼政は、後白河法皇の

皇子以仁王を奉じて挙兵した。以仁王が書いた平家

打倒の令旨は、源為義の息子新宮十郎行家によって、

全国の源氏に伝えられることとなった。

 

 清盛は友頼政の乱とも言える挙兵に悲しみと共に

怒りを覚え、大軍を以て制圧する。

 

 以仁王は若き身で敗死することを悲しむ。

 

 しかし、頼政は「御命は光明山の麓でお果て遊ば

しょうとも、令旨は死んでおりません」と申し上げる。

 以仁王は涙を流しながら、死後令旨が炎となって

平家一門を倒すことを思い、従容と死を決意する。

 

 頼政の刃で以仁王は死を迎えることを決め、頼政

も王の介錯の後自刃した。

 

 六月二日。清盛は福原に遷都する。宗盛や伴卜

が見守る中、清盛はこの地に夢の都を建設したい

という思いを確かめる。

 

 頼政の予言通り、令旨により頼朝は北条時政・宗

時・義時親子の協力を経て山木兼隆を殺害した。

 

 木曽冠者源義仲も挙兵し、妻巴と共に平家軍を

圧倒した。

 

 富士川の合戦で頼朝は平家軍を倒すが、この戦い

で、遮那王から義経と改名した弟と再会を果たした。

 

 治承五年(1181年)清盛は熱病で倒れた。麻鳥が

診察するが、不治の病であることを告げた。

  清盛は麻鳥との再会を喜び、「立派な医師にな

った」と讃える。

 

 この年の閏二月四日(1181年3月20日)。清盛は

最大の友であり、相談役であった義弟時忠を枕元

に呼び後事を託す。時子を初め、一門が懸命に相

国を看病する。

 

    清盛「儂が亡き後、無理はするな。恐るべ

        きは鎌倉の頼朝。又、法皇の君ぞ。

        院の御所より目を逸らすな。

        あの院の君にまともに抗し得るの

        は、時忠。おことのみぞ。」

 

    時忠「恐らく、この時忠の手にも余り

        ましょう。」

 

 

    清盛「龍の爪を研がしむ勿れ。」

  

    時忠「龍の爪を研がしむ勿れ。」

 

    

    清盛「構えて爪は斬れ。迂闊にかの

         君の爪にかかるなよ。」

 

    時忠「ご遺言。確かに。」


 

 清盛は四十年近く連れ添ってくれた愛妻時子に

吉野の花見に連れてあげられなかったことを詫び

る。時子は、必ずご快癒遊ばすと励ますが、清盛

は死期を感じていた。

 

    清盛「時子。儂を支えてくれ。」

    

    時子「殿」

 

    清盛「何処やらで父上のお声が

        したような。

        まだ『生まれぬか。まだ平太が

        子が生まれぬか』と。ま

         だこうしていたい」

 

    時子「殿。行けませぬ。時子を残して。」

 

    清盛「暗い。暗いの、時子。」

 

 一門の者達、弟たち・息子・甥・孫が励ます。

 

   清盛「死にとうない。

      死んでも死にきれんのう。

      時子。生きたい。

      生きねばならん。」

 

 清盛は気力を振り絞って立ち上がる。「何としても」

と語り歩みだす。だが、膝をつき、涙を浮かべ、時子

の腕に倒れ込み、その波瀾に満ちた生涯を閉じた。

 

 清盛の死後、義仲・行家が入洛する。

 

 後白河法皇は叔父・甥の不仲を見破り、両者の争い

を刺激する。頼朝・義経に義仲追討を命じる。

 

 寿永二年(1183年)七月二十五日、宗盛は安徳天

皇を奉じて西国へ逃げた。

 

 義仲は巴に「俺は負けはせん。必ず勝つ」と宣言

するが、頼朝の軍が迫っていた。

 寿永三年(1184年)一月二十日。義仲は頼朝・義経

に倒され、矢を受け、巴の名を呼んで戦死する。

 二十六日、頼朝に平家追討の命令が下った。義経

は家臣武蔵坊弁慶の働きを得つつ、平家を追う。

 

 二月七日。一の谷の戦いで義経は平家一門を撃

破した。

 熊谷直実は美少年平敦盛がひるまず戦うことを

讃える。戦い捕えると、余りの若さに吃驚する。

 

   直実「公達。お年は?」

 

   敦盛「十七。」

  

 直実の一子小次郎も十七歳であった。どうしても

討てず、逃がすことを決め、早く去るように勧める。

  

   直実「直実に御身は討てん。和殿一人助けた

       とて、戰の勝敗に関わりもなし。さ、早う。」

 

   敦盛「最早四方は源氏の白旗。逃れる術は無い。

      熊谷とやら、疾く討て。」

 

   直実「是非もなや。公達。お許しあれ。ごめん。」

 

 直実は涙を飲んで、敦盛を斬る。

 

 頼朝は池ノ禅尼の一子頼盛を助ける。池殿こと

頼盛には、三種の神器を取り戻す為の戦であり、

御一門平氏の方々の流血を望んでいる訳では

ござらぬと安心させる。

 妻政子と二人になって梅を見つめる。梅は池ノ

禅尼に賜ったことを思い出す。政子は平家と和を

結ぶお心ではないことを問う。

 

   頼朝「平家一門を生かしておけぬ。政に情

      は無用」

 

 頼朝は大笑する。

 

 寿永四年(1185年)二月義経は屋島で平家を

倒した。

 三月二十四日壇ノ浦の戦いで義経は平家一門

を完全に打ち負かした。

 

 二位尼時子は孫安徳天皇を抱き参らせ、入水

した。祖母・孫共に水死する。

 

 徳子は義経に助けられる。

 

 大原に住む建礼門院徳子を、後白河法皇が尋

ねた。

 

 法皇は、平家が滅んだ後、義経も兄頼朝に討た

れたことを告げる。策を弄しつつも何の為の戦い

であったかと悩む。

 

  「これは汝の父浄海入道清盛より貰いしもの」

と法皇は無憂華の香木を時子に届ける。

 

 時子は無憂華の香に、父清盛を思い、「父上」と

叫び、涙を流す。

 

 法皇は大原を去った。

 

 

  語り「祇園精舎の鐘の声

     諸行無常の響あり

     沙羅双樹の花の色

     盛者必衰の理をあらはす

     おごれる人も久しからず

     ただ春の夜の夢のごとし」

 

   ☆英治小説

    

    ブラウン管に

 

    綴らる☆

 

  

 吉川英治(よしかわ・えいじ)

 

 

 本名 吉川英次(よしかわ・ひでつぐ)

 明治二十五年(1892年)八月十一日

 神奈川県生まれ。

 昭和三十七年(1962年)九月七日死去。

 

 平岩弓枝(ひらいわ・ゆみえ)

 

  昭和七年(1932年)三月十五日生まれ。

  令和五年(2023年)六月九日死去。九十一歳。

 

  

 

 吉川英治は、昭和二十五年から三十二年の七年

にかけて、小説『新・平家物語』を『週刊朝日』

の連載で書いた。

 平清盛の青春時代から、源頼朝の死の時代・吉野

雛を見つめる阿部麻鳥・蓬子夫妻の感慨までの歴史

を書いた超大作である。

  

 『平家物語』は勿論のこと、『保元物語』『平治物語』

『義経記』『玉葉』等の古典を原典としつつ、『仏説観

無量寿経』も参観しながら、英治はこの長編を綴った。

 

 十五年戦争の時代に、愛国心から書いた小説が

戦後に「戦争協力小説」とも叱られたこともあった。

 確かに英治の小説には熱い皇国への想いがあり、

その気持ちが熱過ぎた点から、皇国史観が戦前の

作品に反映したことは否定できないと思う。戦後英

治は戦争への痛みをこめて、永遠の平和を願って、

この『新・平家物語』を書いたことは強調したい。

 英治が戦後の随筆で「机は右にも左にも向けて

おりません」と語ったことは大切である。

 

 小説が発表され、大映が三部作の映画化に取り組

んだ。以下の三作である。

 

 『新・平家物語』(昭和三十年九月二十一日公開 

監督溝口健二 主演市川雷蔵)

 

 『新・平家物語』 義仲をめぐる三人の女』(昭和三

十一年一月十五日公開 監督衣笠貞之助 

主演長谷川一夫)

 

 『新・平家物語 静と義経』(昭和三十一年十一月

二十八日公開 監督島耕二 主演淡島千景)

 

 溝口健二監督は、雄大で強靭な男性映画として

『新・平家物語』を撮った。八代目市川雷蔵が二十

四歳の若さで、燃える武将平清盛の野望と闘魂を

勤めきった。

 

 NHKは毎週日曜日の二十時を放送時間として一話

四十五分のドラマを放送し、八か月・一年かけて一

作品を描いていた。昭和三十八年の『花の生涯』を

第一作とするこの連続ドラマは、当初「大型時代劇」

と言われ、後に「大河ドラマ」と称されるようになった。

 因みに、NETの『大忠臣蔵』も放送当時「大河ドラマ」

と称しており、この言葉は、NHKの作品だけを指す訳

ではない。

 

 昭和四十七年のNHK大河ドラマは、第十作記念で

吉川英治の超大作『新・平家物語』が選ばれた。

 脚本は吉川英治と交流があった作家平岩弓枝が書

き、音楽は冨田勲が担当した。

 

 

 主役の平清盛には仲代達矢が選ばれた。渾身の熱演

で清盛の生涯を演じ切った。青年時代の野望に燃える

猛将と晩年の熱病に苦しむ儚さに、心を強く打たれた。

 

 昭和三十年の溝口健二映画版で平滋子を演じた

中村玉緒が、大河ドラマ版では滋子の姉時子を勤

める。

 

 又、溝口健二映画版で平時子を演じた久我美子は、

大河ドラマでは待賢門院を演じた。安徳天皇にとって、

時子は祖母、待賢門院は曾祖母に当たる。

 

 平岩弓枝の脚本の美しさは、言葉を越えている。

長大な原作を鮮やかに纏めている。「時しも年号は

平治。所は平安の都。我等は平氏。」の台詞は、元々

『平治物語』に記録される重盛の言葉で、原作も重盛

の言葉なのだが、ドラマでは清盛の言葉で語られた。

 原田大二郎が語ったとしても、名場面になったと思う

が、このシーンの仲代達矢は圧巻であった。

 

 冨田勲の音楽はまさに美を極めている。『平家物語』

『新・平家物語』に通底する盛者必衰の悲しみを、深い

音で表した。生命の故郷と申したい音を奏でて下さった。

 

 舞台・映画・テレビの重鎮・スタア・名優が集まり、夢

の超豪華キャストが実現した。

 だが、NHKには大河ドラマ十年記念ということで、二

代目尾上松緑(『花の生涯』)・長谷川一夫(『赤穂浪士』)

・四代目尾上菊之助後の七代目尾上菊五郎(『源義経』)

・岡田茉莉子(『三姉妹』)・石坂浩二(『天と地と』)・平幹

二朗(『樅ノ木は残った』)・初代中村錦之助後の初代萬

屋錦之介(『春の坂道』)という歴代大河ドラマ主演者全

員の出演という大計画も抱いていたようである。

 

 緒形拳(『太閤記』)・山﨑努(『三姉妹』)・栗原小巻(『三

姉妹』)・北大路欣也(『竜馬がゆく』)の出演は成り立った。
 

 

 映画『人間の件』六部作で仲代達矢と新珠三千代

は梶・美千子夫婦を熱演した。今回は清盛・泰子の役柄

で二歳違いで息子・母の関わりを演じている。

 新珠の気品豊かな美しさは、祇園女御様そのもので

はないかとさえ感じられた。原作では、驕慢な母泰子に

怒っていた清盛が、最晩年に熱病にうなされ、実は泰子

の母性愛を強く求めていたことを思わず語るシーンが感動

的だ。

 

 十七代目中村勘三郎の平忠盛は忍耐の強さを教えて

くれる。

 

 山﨑努が沈着冷静で落ち着いた武将時忠を重厚に勤

める。

 

 緒形拳が作者吉川英治が自身の分身として描いた医師

阿部麻鳥を熱演し、その優しさの表現で視聴者の胸を熱く

した。

 

 藤田まことが商人伴卜の頭の良さを渋く演ずる。

 

 山内久司はこの作品のイメージを巧く用いて、全く逆の

役柄の藤枝梅安・念仏の鉄を緒形・山﨑に配したとも言

われている。

 藤田まことにとっては、切れ者の伴卜が中村主水の原

点になったのではなかろうか?

 

 郷ひろみが、少年経盛の母恋しの心を熱演する。当時

から個性が光っている。時代劇の芸が勤められる男性

アイドルは、やはり郷ひろみだ。

 

 小山明子の美福門院は、存在感が力強い。

 

 成田三樹夫の藤原頼長は、名演の極まりである。頭が

切れ過ぎて誇り高く、長け過ぎた知恵に驕って墓穴を掘り

破滅する悪左府の悲劇を格調ある演技で勤めきった。

 

 森雅之が、最愛の息子頼長を助けられぬ父忠実の悲し

みを深く演ずる。

 

 木村功の義朝の気品、岡村菁太郎の頼朝の清潔さ、

伊吹吾郎の為朝の男気、佐々木孝丸の為義の古武士

の貫録は、輝いている。

 

 原田大二郎の重盛は繊細で知的な魅力が豊かだ。

 

 初代水谷八重子の池ノ禅尼の母性愛が暖かい。この

義母の諌めを聞いたばかりに、後の清盛政権が痛烈な

痛手を受けることも、歴史劇の重さがある。

 

 田村正和の崇徳上皇には、悲哀がある。崇徳上皇役

が、正和にとって、最後のNHK大河ドラマ出演作品とな

った。

 

 芦田伸介の頼政が、中村玉緒の時子を尋ねて、二人

が語り合うシーンは原作にはない。平岩弓枝の筆力の

凄まじさを語る名場面である。

 

 小沢栄太郎の信西の憎たらしさは強烈である。権力を

手にして、配下の者には威張り散らし、逆らえない者を

徹底的に虐めぬく。迫真の演技に、視聴者から、「あの

坊主を早く殺して」とNHKに投書が殺到した。

 

 滝澤修の後白河上皇の存在感に、ドラマを締める重厚

さを感じた。

 原作では後白河院は、権謀術数に長けており、剛毅の

人と描写されているのだが、滝澤修がその強さを演じき

った。

  大河ドラマ・時代劇研究サイトによると、滝沢修は

第一話で白河法皇を二役で演じたそうである。

 

 今回現存しソフト化されている「総集編」の感想を書い

たが、昭和四十七年という時代に、テレビドラマが黄金

時代を迎えていることを実感した。

 

 清盛と常盤が別れるシーンの切なさが心に染みる。

 

 冨田勲の名曲が、今も自分の心に響いている。

 

  

 『下ノ巻』は平家一門の繁栄と没落の盛衰を厳

かに語る。

 

 平岩弓枝の完璧な脚本、冨田勲の深い音楽が

圧巻である。格調ある台詞は音楽のように綺麗だ。

 平岩がいかに吉川英治が書いた日本語の美し

さを大事にしているかが窺える。

 映像化すると、少なく見ても、連続ドラマならば

五年はかかると思われる超大作『新・平家物語』

を一年のドラマに集約した脚本力は凄い。

 

 

 

 大長編小説を真剣に読んで確かめて纏め、シナ

リオとして再生産する。その営みには、原作を読み

こむ活眼が求められることは言うまでもない。

 

 主人公清盛を、仲代達矢が渾身の熱演で勤め

る。『下ノ巻』では権力者の老いの悲しみを重く深

く表現された。

 

 「大先輩の滝沢修さんが頭を剃られて丸坊主に

されて、後輩の私が剃らない訳には参りません」と

述べて、浄海入道清盛の役作りで丸坊主にされた

ことは有名である。

 

 本編放送当時三十九歳、総集編放送当時四十

歳の若さで清盛の老人の悲痛さを演じたのだから

凄い。

 

 中村玉緒は三十三歳の若さで、夫清盛を送り、孫

安徳天皇を抱いて入水する「婆様」二位尼時子を

勤められた。清盛を包み込む母性が印象的だ。

 

 清盛が、「徳子。死んでも死にきれん」と悲しんで

妻の腕の中で死ぬ大詰は、達矢・玉緒の迫真の名

演が光る。

 

 山﨑努は、三十五・六歳の若さで落ち着いた智恵

者時忠を勤めた。

 

 緒形拳は三十四・五歳で優しい医師麻鳥を演じ

切った。

 

 成田三樹夫は三十五・六歳で藤原頼長の悲劇を

気品豊かに演じた。公家演技の名演は輝いている。

 

 「下ノ巻」における清盛病床の時忠・麻鳥看病の

映像が、山崎努・緒形拳の最後の競演の劇映像

になった。

 

 勝呂誉の繊細な宗盛と松山省二の勇敢な知盛も

素敵だ。二人が兄弟の役柄は、『怪奇大作戦』の

影響かもしれない。

 

 原田大二郎の知的な重盛も印象的だ。

 

 山本学が気が弱くて人の良い頼盛を粘り強く演じ

る。

 

 藤田まことの伴卜も渋い。

 

 若尾文子の常盤の暖かい母性に感動した。

 

 志垣太郎の義経を抱きしめるシーンに母性愛が

溢れた。

 

 栗原小巻が政子の冷酷美を光らせる。

 

 高橋幸治の頼朝は、冷酷非情を映像で描く営み

において神秘的な風格を以て表現された。

 

 林与一の義仲は負けるとわかっていても、挑ま

れた戦を受けてしまう若者の熱気を光らせる。

 

 

 古城都の巴は、義仲を支える優しさが印象的だ。

惜しむらくは、放送期間が一年しかなかったことで

原作ではじっくり描かれる義仲と女達の恋の物語

が割愛されたことだ。

 

 岡田英次の熊谷が、五代目中村勘九郎の敦盛を

助けたくて助けられないシーンが視聴者の心の涙腺

を刺激する。

仲代さん 政路さん

 中村勘九郎後の十八代目中村勘三郎はこの時、

実際に満年齢十七歳であった。

 

 少年時代から名優であったことは、悲しみの深い芸

から窺える。

 

 平敦盛は当たり役だ。

 

 片岡孝夫後の十五代目片岡仁左衛門の高倉天

皇と佐久間良子の建礼門院徳子は、美男美女の華

が絢爛と咲いている。

 

 北大路欣也と芦田伸介は、この前年の昭和四十六

年(1971年)『戦争と人間第二部 愛と悲しみの山河』

において、甥伍代俊介と叔父伍代喬介で競演してい

るが、本作では皇子と家臣の絆を深く表現する。翌年

昭和四十八年(1973年)に引き続き『戦争と人間 完結

篇』で甥俊介と叔父喬介で競演している。

 欣也は、翌年の『仁義なき戦い 広島死闘篇』で山中

正治を熱演する。

 以仁王の気品豊かな台詞回しは素敵である。

 

 芦田伸介の重厚な存在感も強烈で、命を捨てて義

の戦いを起こす老将の生き様を感じた。

 北大路欣也と滝沢修は前記『戦争と人間 第二部

愛と悲しみの山河』で息子伍代俊介と父伍代由介で

息子と父の役柄で共演したが、本作においても息子

以仁王と後白河院で息子と父の関係の配役であった。

 昭和四十八年(1973年)の『戦争と人間 完結篇』で

二人は引き続き俊介と由介の息子と父を演ずる。

 

 滝澤修の後白河法皇は、時代劇演技の王道を明か

すものであろう。

 

 大原御幸で後白河法皇が建礼門院徳子を尋ねる

場面に深い情感が溢れる。

 

 智謀と策略で政争に明け暮れる日を生きてきた法

皇は清盛を亡くし、義経の訃報を伝え、徳子に虚しさ

を語る。

 

 法皇が清盛を貰った無憂華の香を徳子に渡し、徳子

が亡父清盛を想い起して涙する場面に心を打たれる。

 

 吉川英治の大長編小説を忠実に映像化しようとすれ

ば、長い時間がかかる。平成五年(1993年)十二月六日

から平成七年(1995年)一月二十六日にかけてNHKは

『人形歴史 スペクタクル平家物語』として、『新・平家

物語』を人形劇として映像化した。これは吉川英治著

『新・平家物語』の大部分を忠実・丁寧に映像化した

大傑作である。

 

 本作で平知盛を演じた松山省二は松山政路に改名し

て『人形歴史スペクタクル 平家物語』で藤原頼長を

語った。

 

 NHKが大河ドラマで映像化した作品をセルフリメイ

クした。小説『新・平家物語』を忠実に映像化するな

らば、人形劇版のように数年の歳月を要する。

 

 昭和四十七年(1972年)に一年間のドラマに吉川英

治の大作小説を凝縮した平岩弓枝の脚本術に驚嘆

する。

 

 滝沢修が、仲代達矢より年下役、田村正和の弟役

という事は、配役バランス問題としては難しいけれど

も、後白河法皇は大名優でなければ勤まらない大役

なので、年齢による配役不均衡問題はやむを得ない。

 

 仲代達矢の清盛と滝沢修の後白河院の激突競演

はスタア名優対演技巨星の火花散る演技合戦であっ

た。

 

 総集編は大原御幸で終わる。

 

 本放送最終第五十二回では、ラストに吉野雛のシー

ンがあり、緒形拳の阿部麻鳥と和泉雅子の蓬子が老

夫婦となって登場し、仲代達矢の平清盛の幻影を見る

事を先輩から教えて頂いた。
 

 

 『新・平家物語』は、NHKが大河ドラマ十年の記念と

して製作した時代劇ドラマの決定版である。

 

 『総集編』からも諸行無常の響きは聞こえてくる。

 

 平岩弓枝の脚本は日本語が綺麗だ。

 

 仲代達矢は清盛の栄光と悲嘆を熱く探求した。

 

 ☆

 平成二十八年(2016年)五月六日・三十日・

 令和三年(2021年)五月三十日・令和四年(20

 22年)一月三十一日の記事を再編

 している。

 ☆

 

                     文中一部敬称略

 

 平岩弓枝先生

 

 尊いドラマを書いて下さったことに

 深謝します。

 

 

                    

                     南無阿弥陀仏


 

                       セブン