リチャード二世  | 俺の命はウルトラ・アイ

リチャード二世 

『リチャード二世』

King Richard the Second

テレビドラマ トーキー 158分 カラー

 

1978年12月10日イギリス放送

 

1981年10月25日(日曜日)21時→23時50分

日本NHK教育テレビ  字幕スーパー版放送

 

製作国 イギリス

製作言語 英語

製作 BBC

イギリス放送局 BBC

 

原作 ウィリアム・シェイクスピア

 

出演

 

リチャード二世   デレク・ジャコビ

 

 

ヘンリー・ボリングブルック後のヘンリー四世  ジョン・フィンチ

 

イザベラ ジャネット・モー 

グロスター公爵夫人 メリー・モリス

ノーサンバランド伯爵 デヴィッド・スウィフト

 

 

ヨーク公エドマンド・オブ・ラングリー チャールズ・グレイ 

ヨーク公爵夫人 ウェンディ・ヒラ―

 

ジョン・オブ・ゴーント ジョンギールグッド

 

 

演出 デヴィッド・ジャイルズ

 

 

 イギリス国王リチャード二世はウィンザーの

城において叔父ランカスター公ジョン・オブ・ゴ

ーントがその息子ヘンリー・ハーフォード公爵を

連れてきたかどうかを問う。ボリングブルックの

異名を持つヘンリーは貴族トマス・モーブレ―と

対立している。

 ノーフォーク公トマス・モーブレ―は公金を

私的に乱用しグロスター公暗殺に力を関わったと

ボリングブルックは訴える。モーブレ―は根も葉

もない誹謗中傷と反論し決闘で黒白をはっきりさ

せたいと望む。

 

 王リチャードは一旦決闘を認めた。試合場で

リチャードは言葉を翻し決闘を中止し二人を追

放する。

 モーブレ―は終身、ボリングブルックは六年

の刑を宣告された。

 

 ジョン・オブ・ゴーントは重篤になり、甥の

王リチャードの乱行と国費乱用を諫める。王リ

チャードは死の危機にある叔父の諫言に耳を貸

さぬばかりか、叔父を馬鹿者呼ばわりして愚弄

する。

 ゴーントの訃報を聞くやリチャードはもう一

人の叔父ヨーク公の諫めも聞かず、追放中のボ

リングブルックの権利を無視して、ゴーントの財

産を強奪した。

 

 リチャードがアイルランド遠征の軍を興した。

王妃イサベラは夫の遠征に悲しみを覚える。ボ

リングブルックは父の資産を奪ったリチャードの

非道に怒り挙兵した。ヨーク公は王とその従兄弟

の公爵の争いに悩み中立的立場を模索する。

 

 遠征から帰ってきたリチャードは貴族たちが

ボリングブルックに組したと聞き愕然とする。

リチャードはフリントの城に追い込まれ、勢い

に乗るボリングブルックの要求を飲む。

 王妃イザベラは庭師からリチャードがロンド

ンに送られたことを知る。庭師はリチャード様

がご自身の庭を手入れしていたらこのようなこと

にはならなかったろうにと嘆く。

 ウェストミンスターホールで議会が開かれる。

リチャードは一切の権力を失った。ボリングブル

ックに王位を渡さざるを得ないところまで追い詰

められている。

 リチャードは王の位は譲るが悲しみは譲れない

と述べた。弾劾状を読むことを求められたリチャ

ードは要求を拒否する。

 悲しみを確かめようとして鏡を見るが、悲しみ

は見いだせず、鏡を木っ端微塵に砕く。

 

 ヘンリー四世となるボリングブルックは「先

王殿の悲しみの影が先王殿のお顔の影を砕いた」

と分析する。

 リチャードはロンドン塔へ送られる。ボリング

ブルックの命を受けたノーサンバランドはリチャ

ードをボンフリントに、イザベラをフランスへ行

くように伝える。 

 リチャードはノーサンバランドに彼と新王ボリ

ングブルックに将来対立が起こると予言する。

 

 ボリングブルックはヘンリー四世として即位す

る。

 ヘンリー四世の意向を察したエクストンはポン

フレット城で先王リチャード二世を殺害する。

 ヘンリー四世はエクストンの暗殺に怒り、リチ

ャードの死に哀悼の心を述べて、聖地巡礼の旅に

出て罪の償いをしたいと気持ちを述べた。

 

 ◎深重歴史劇◎ 

 

 ウィリアム・シェイクスピアが戯曲『リチャー

ド二世』を執筆した時期は1595年から1596年と

推定されている。

 リチャード二世は1367年に1月6日誕生した。

1400年2月14日に死去した。シェイクスピアは

死因を他殺として劇化したが、史実研究では謎

で餓死説・自殺説もある。勿論ヘンリー四世に

よって殺害されたという説もある。

 

 ジョン・オブ・ゴーントは1340年3月6日に

誕生した。1399年2月9日に58歳で死去した。

 

 ヘンリー四世は1366年4月6日に誕生した。1

413年3月20日、46歳で死去した。

 

 

 デレク・ジャコビ Sir Derek George Jacobi

は1938年10月22日にイギリスに誕生した。ロー

レンス・オリヴィエに師事し演劇を学んだ。舞台・

映画・テレビで活躍している。

 BBCウィリアム・シェイクスピア全集版第二作

『リチャード二世』において主役リチャード二世

を40歳で勤めた。傲慢で冷酷な性格のリチャード

が従兄弟ボリングブルックに倒され悲しみを覚え

る。デレクの芸は王の悲劇を気品豊かに表した。

 ゲイの男優でリチャード・クリフォードと同性

結婚を為した。現在85歳である。

 

 ジョン・フィンチ John Finchは1942年3月2日

に誕生した。2012年12月28日、自宅で死亡してい

るジョン・フィンチが発見された。70歳であった。

 36歳でボリングブルック後のヘンリー四世を重厚

に勤めた。

 

 

 ジョン・ギールグッド

 Arthur John Gielgud

 1904年4月14日 イギリスロンドン生まれ。

 2000年5月21日死去。96歳。

 

 サー・ジョン・ギールグッドはウィリアム・

シェイクスピア劇の大巨星である。

 

 朗々たる声による台詞は音楽のように美しい。

 

 深く緻密な芸は役の命を輝かせた。

 

 72歳でジョン・オブ・ゴーントを重厚に演じた。

 

 ウィリアム・シェイクスピアは奢り高ぶる王リ

チャードが傲慢さ故に失政を犯し虐めた従兄弟ボ

リングブルックに逆襲され殺される悲劇を厳かに

描いた。

 

 ジョン・オブ・ゴーントは愛息ヘンリーを冷遇

し、王の権威をひけらかして暴政を犯す甥リチャ

ードの暴政を悲しみ懸命に諫める。

 

 イギリスのみならず地球シェイクスピア劇の至宝

ジョン・ギールグッドが重鎮ゴーントを深い芸で勤

めた。

 本作を支える大地の役割をジョン・ギールグッ

が荷った。

 

 深重の風格を見せるシェイクスピア歴史劇はイギ

リススタッフでないと映像化は無理である。流石に

本場は違うと痛感した。生意気な物言いだと叱られ

るかもしれないがこれほど壮大で重厚な歴史劇テレ

ビドラマは1978年イギリススタッフの力量と情熱

があったから成り立ったと思う。

 

 セドリック・メシーナのプロデュースとデヴィッ

ド・ジャイルズの演出に歴史劇の重みと悲劇の優美

さを学んだ。

 

 悲惨で痛ましい物語なのだが、悲劇としては完璧

な美を魅せている。

 

 ジョン・ギールグッドを始めウェンディ・ヒラ―、

チャールズ・グレイと大御所達が年輪の芸で勤めた

シェイクスピア劇は映像至宝である。

 

 巨星ギールグッドの存在感に飛ばされなることなく

悲劇美を魅せたデレク・ジャコビと凄みを示したジョ

ン・フィンチは流石だった。

 

 豪華キャストによって語られるシェイクスピア劇台

詞は楽の調べのように美しい。

 

 美を強調しているように聞こえるかもしれないが、

瀕死のゴーントが驕れる甥王リチャードを命がけで

諫めるシーンの迫力には息を呑み圧倒される。

 

 ボリングブルックは簒奪者として有能な新王として

存在感を示すが罪の意識は強くなっていく。

 

 リチャードは自ら招いた失策で無能さをさらけ出し

権力を全て失っていくが詩人としての才は滅びに従っ

て冴えて行く。

 

 この対比は絶妙である。

 

 ジョン・オブ・ゴーントの重厚さを明かしたジョン・

ギールグッドの至芸は地球映像の星である。

 

                     合掌