銀嶺の果て
三船敏郎は大正九年(1920年)四月一日に
誕生した。
平成九年(1997年)十二月二十四日、七十
四歳で死去した。
獣性の迫力で世界映画の歴史に存在感を示
した。
志村喬は明治三十八年(1905年)三月十二
日に兵庫県に誕生した。
本名は島崎捷爾(しまざき・しょうじ)で
ある。出演映画は四百本を超える。日本映画
史を支えた大名優である。
昭和五十七年(1982年)二月十一日、七十
六歳で死去した。
谷口千吉は明治四十五年(1912年)二月十九
日に誕生した。平成十九年(2007年)十月二十
九日、九十五歳で死去した。三十五歳で監督第
一作である『銀嶺の果て』を演出した。
黒澤明は明治四十三年(1910年)三月二
十三日東京府に誕生した。映画監督として剛
腕を振るい迫力に富む大作を発表していた。
平成十年(1998年)九月六日、八十八歳で
死去した。
三船敏郎の俳優出演第一作と言われているが、
『講座日本映画』第五巻「戦後映画の展開」(
1987年1月14日発行 岩波書店)における佐藤
忠男のインタビューで三船は「その前に一番最
初に出たのが『新馬鹿時代』(一九四七)、これ
は山嘉次さんのシャシンで」と語っている。
『新馬鹿時代』封切は「前篇」が1947年10月
12日、「後篇」が1947年10月26日である。自分
は『新馬鹿時代』は未見である。三船自身は封
が後になったこちらが第一作と証言している。
野獣の個性の江島に三船敏郎、罪の意識に悩む
野尻に志村喬の配役である。雪山のアクションに
谷口千吉のシャープな感性が光る。欲深くて荒っ
ぽい野心家強盗江島を三船敏郎が二十七歳の若さ
で鮮やかに表現する。
老人と孫春の交流を見て罪を反省し悩む野尻を
志村喬が繊細に尋ねる。
脚本黒澤明は原作提供者でもあるのだが、若き
野獣江島と苦悶中年野尻を対比させ、男二人の葛
藤を迫力豊かに描く。
三船 シナリオは黒沢さん。編集も、撮影
済みフィルムは東京に送って、黒沢
さんがどんどん編集していました。カ
ット足らんぞと言って電話かかってく
るわけですよ。それ撮り直したりね。
半年くらいかかったんじゃないかな。
映画の撮影隊が山の中にこもっている
らしいというので、食糧がヤミだろう
と警察が調べにきたりね。白馬と唐松、
黒菱なんていう山を上りましたね。白
馬では明大の小屋と成城学園の小屋を
ずっと借りていたんです。
(三船敏郎インタビュー「戦後映画を駆け抜け
る」
『講座日本映画』第五巻「戦後映画の展開」14
3頁 1987年1月14日発行 岩波書店)
谷口千吉は冬のアルプスにロケを行った。撮影隊
は雪山の寒さに耐えてアクションドラマを撮った。
脚本黒澤明・主演三船敏郎・志村喬のチームはこ
の後数々の名画写真を産み出して行くが、本作は間
違いなく原点であろう。
高堂国典は『七人の侍』において「やるべし」を
語る儀作老人を演じる。「やるべし」の台詞回しは
有名だが、本作の老爺も強烈な印象を与えてくれて
いる。
監督谷口千吉・主演三船敏郎のコンビも又雪山
人間ドラマの名チームを成していたことを強調し
たい。
合掌