肉体の悪魔 | 俺の命はウルトラ・アイ

肉体の悪魔

『肉体の悪魔』

La Diable au corps

映画 トーキー 116分 白黒
1947年9月12日 フランス封切
昭和二十七年(1952年)十一月六日日本封切
製作国 フランス
製作言語 フランス語
 
原作 レモン・ラディゲ
脚本 ジャン・オーランシュ
   ピエール・ボスト
音楽 ルネ・クロエレック
撮影 ミシェル・ケレべ
 
出演
 
マルト・グランジェー ミシュリーヌ・プレール
フランソワ・ジャヴェ―ル ジェラール・フィリップ
 
ジャヴェ―ル(フランソワの父) ジャン・ドビュクルー
グランジェ―夫人(マルトの母) ドニーズ・グレー
ジャック・ラコンブ(マルトの婚約者) ジャン・ヴァラス

マリン           ピエール・パロー

ジャベール夫人       ジェルメーヌ・ルドワイヤン

マリン夫人        ジャンヌ・ペレス

ホテルの受付      リチャード・フランクール

バーの給仕男性     ジャック・タチ

 

監督    クロード・オータン=ララ

鑑賞日時場所

令和六年(2024年)一月十九日

Cinema KOBE CINEMA2

 第一次世界大戦が終わった。パリの人々は

歓喜を実感する。

 美少年高校生フランソワは歓喜で沸く街の

中を寂しげに歩んでいる。

 

 フランソワは学校に設置された臨時陸軍病

院において看護師マルトと出会った。マルト

の美貌にフランソワは一目惚れする。マルト

も美少年フランソワに惹かれる。彼女にはラ

コンブという婚約者がいた。

 

 マルトの母は娘が婚約者以外の男性を好き

になったことに気付く。彼女はマルトとフラ

ンソワを引き離すことを考える。フランソワ

自身も婚約者のいる年上女性を好きになった

ことを見つめ、田舎へ行く。

 

 ラコンブとマルトは結婚した。

 

 半年後マルトとフランソワは再会し恋が再燃

した。家族の視点をくぐってフランソワはアパ

ルトマンにマルトを尋ねる。二人は結ばれた。

 

 フランソワは「全てをラコンブに打ち明けて

二人の関係を認めて貰おう」とマルトに提案す

る。マルトにとって、夫に不倫を告白すること

は無理であった。

 

 マルトは妊娠し、全てをラコンブの判断に委

ねようと決めた。フランソワもその決定を甘受

する。

 

 二人は思い出のレストランに行き食事を取る。

マルトが倒れた。終戦を祝い人々が国歌を歌う。

 

 ジャック・ラコンブは懸命に妻マルトを看護

する。マルトはフランソワの名前を呼び男児を

出産するが亡くなる。ジャックは、マルトが自

分との間に出来た赤ん坊の名前をフランソワと

名付けたかったのだと考える。

 

 フランソワとマルトの息子は、事実を知らぬ

ジャックによってフランソワと名付けられた。

 

 パリでフランソワは最愛のマルトの死を悲

しみ、男性と口論してしまう。フランソワの

心に悲しみが迫ってくる。

 

 ◎少年と年上の女性◎

 

 クロード=オータン・ララ 

 Claude Autant-Lara

  1901年8月5日生まれ。

 2000年2月5日死去。98歳。

 

 ミシュリーヌ・プレール

  Micheline Presle

   Micheline Prelle

  本名 Micheline Nicole 

    Julia Émilienne Chassagne

 1922年8月22日生まれ。

 2024年2月21日死去。101歳。

 

 

 ジェラール・フィリップ 

 Gérard Philipe

 本名 Gérard Albert  Philipe

 1922年12月4日生まれ。

 1959年11月25日死去。36歳。

 

 ミシュリーヌ・プレールとジェラール・フィ

リップは共に1922年生まれである。映画封切

当時ミシュリーヌは25歳、ジェラールは24歳

である。

 

 

 

 綽名ジェジェ・ファンファンのジェラール・

フィリップは美男スタア・名優である。

 36年の生涯で数多くの名画に出演し名演を

銀幕に焼き付けた。

 

 フランソワ役で人気は決定的なものになった

と言われている。

 

 銀幕で見る24歳のジェラールは二枚目だが、

美少年というよりも、貫録十分の美男子である。

存在感も重厚である。

 

 年上の美女と美少年高校生の不倫の物語なの

だが、どうしても大人の美女と大人の美男の恋

に見える。これは勿論わたくしめの感想である。

 

 少年の直向きさ・一途さ・純真さ・恐怖・冒険

心等がフランソワの歩みから窺える。勿論名優

ジェラール・フィリップは少年の一途だが向こう

見ずな面もある想いを繊細かつ鮮やかに表現して

いる。

 

 ジェラール・フィリップがマルトを守ろうと

して守り切れなかったフランソワの悲しみを深い

芸で探求する。

 

 ミシュリーヌ・プレールの気品は香豊かだ。

フランソワとジャックの二人を思って悩む心

を鋭い芸で明かした。

 

 

 

 ジャン・オーランシュet ピエール・ボスト

のシナリオは緻密で重厚である。

 若き批評家のフランソワ・トリュフォーは

二人の堂々たる脚本を厳しく否定して糾弾し

た。力があり存在感を感じ将来越えたいと挑

戦心が湧いたからこそ批評喧嘩を売ったので

はなかろうか?

 

 オーランシュetボストの緻密な脚本をクロー

ド=オータン・ララは重厚な演出で絢爛たる恋

愛劇として演出した。

 

 レモン・ラディゲ Raymond Radiguetは

1903年6月18日に誕生した。『肉体の悪魔』

『ドルジェ伯爵の舞踏会』を著した。1923年

12月12日、20歳の若さで死去した。

 レモン自身はフランソワに自己投影したか

どうかについて自伝的物語ではないと否定し

つつも、少年時代に年上の女性と恋におちた

ことから書かれたことは認めている。

 『肉体の悪魔』を書いて命の全てを捧げ

きって亡くなったのでないかと言われている

程迫力がある。

 

 レモンが亡くなった1923年、偶然にも

ミシュリーヌとジェラールは1歳であった。

 

 レモン・ラディゲとジェラール・フィリ

ップ。若くして亡くなった天才二人。一人は

フランソワを書き、もう一人はフランソワを

勤めた。

 

 ジャックが愛する妻マルトの看護をして

フランソワの名前を闘病中の妻から聞き、

生まれてくる子供の名前と思うシーンは切

ない。

 

 最愛の妻が浮気をしていて、生まれてく

る子供は自身の子供でないという事実を知る

ことが彼の幸なのか?或いは虚偽であっても

赤ん坊フランソワを実子として育てる父性愛

が幸福なのか?これは答えの出ない問題であ

り、一人一人の読者・観客の判断に委ねられ

る。

 

 昭和五十三年(1978年)六月一日毎日新聞

社発行『別冊1億人の昭和史 昭和外国映画史』

により本作の存在を知った。画像二枚目は同書

からの引用である。

 

 四十五年の時を経て令和六年(2024年)一

月十九日、Cinema KOBE CINEMA2で作品

を鑑賞した。

 ミシュリーヌ・プレール在世の時代に出会え

た。

 

 最愛の人マルトを亡くし悲憤を実感するフラ

ンソワ。

 

 ジェラール・フィリップがフランソワの孤独を

繊細にフィルムに焼き付けた。

 

 クロード・オータン・ララ123回目の誕生日

 

               2024年8月5日

 

 

                   合掌