七代目尾上梅幸主演『道行旅路の花聟』 平成二年十二月 | 俺の命はウルトラ・アイ

七代目尾上梅幸主演『道行旅路の花聟』 平成二年十二月

 

 

『道行旅路の花聟(落人)』
平成二年 祇園

 平成二年(1990年)十二月

 祇園甲部歌舞練場公演

 

 

 

 お軽 七代目尾上梅幸

 

 

 

 鷺坂伴内 六代目尾上松助

 

 

 早野勘平 三代目實川延若

 

 勘平とお軽は愛し合っている。主君

塩谷判官の大事に居れなかったことを

勘平は恥じて切腹しようとするがお軽

が諫める。

 鷺坂伴内がお軽に横恋慕して迫るが

勘平は撃退する。

 お軽の父母のもとに落ちることに勘平

は同意する。

 

 

 七代目尾上梅幸(しちだいめ・おのえ・

ばいこう)は大正四年(1915年)八月三

十一日に誕生した。本名は寺島誠三である。

平成七年(1995年)三月二十四日、七十九

歳で死去した。

 

 大正十年(1916年)五月市村座四代目尾

上丑之助の芸名で初舞台を踏む。昭和十年

(1935年)三月三代目尾上菊之助、昭和二

十二年(1947年)二月東劇において七代目尾

上梅幸を襲名す。

 女形として活躍した。上品な舞台は豊かな

気品を伝えてくれた。昭和・平成・二十世紀

の歌舞伎を牽引した名女形である。立役では

塩冶判官が当たり役であった。わたくしは歌

舞伎座において『仮名手本忠臣蔵』の通しで

塩冶判官/尾上梅幸を見てその悲劇美に心を強

く打たれた。

 

 平成二年十二月祇園甲部歌舞練場顔見世の

『落人』はおかる/尾上梅幸を見れた貴重な機

会でもあった。

 

 尾上菊五郎は息子、寺島しのぶ・尾上菊之

助は孫、徳大寺伸は兄である。

 

 六代目尾上松助(ろくだいめ・おのえ・まつ

すけ)は昭和二十一年(1946年)七月十三日に

誕生した。本名は井上真一である。平成十七年

(2005年)十二月二十六日に五十九歳で死去し

た。

 尾上緑也・初代尾上松鶴を経て六代目尾上松

助を襲名した。『落人』の伴内は襲名披露狂言

の役でもあった。おかしみは素敵だった。振ら

れる男の哀れさも光っていた。「ない」の大音

声は今も強烈である。子役時代の息子尾上松也

がこの顔見世で奮闘していた。大谷桂三は弟で

ある。

 

 

 三代目實川延若は大正十年(1921年)一月

三日に誕生した。本名は天星昌三である。平成

三年(1991年)五月十四日、七十歳で死去した。

 

 ウィキペディアでは一月十三日誕生となって

いるが『演劇界 歌舞伎俳優名鑑』では一月三

日と書かれている。当ブログでは三日説を取る。

 

 

 昭和九年に實川延二郎、三十八年に三代目實川

延若を襲名した。

 

 

 平成二年十二月南座が改築工事中で、祇園

甲部歌舞練場で顔見世興行は開催された。

 

 平成二年十二月の何日に鑑賞したかは 

日付メモを取り忘れ思い出せない。

 だが、舞台の品格の尊さは強烈で、三十年

以上経った今も私の心に感動を恵んでくれて

いる。

 

 祇園甲部歌舞練場の顔見世はアットホームな

感じで素敵な空間だった。

 

 六十九延若の勘平と七十五歳梅幸のお軽は気

品豊かで素敵だった。二大老名優の二人が若者

の恋愛の情熱を上品に伝えてくれた。これが歌

舞伎鑑賞の妙味なのかもしれない。

 香りと気品に溢れる名舞台であった。

 

 

 

 延若は優雅さと古風さを兼ね備えた二枚目であ

った。

 

 この祇園甲部歌舞練場の顔見世における早野勘

平役は延若にとって最後の舞台となった。

 

 端正で瑞々しくて素敵な二枚目役者だった。

 

 

 七代目尾上梅幸と三代目實川延若がお軽勘平の

強い愛を気品豊かな芸で明かした。

 

 ◎

 2014年5月14日発表記事・2021年1月3日

発表記事を再編している。

 ◎

 

 
 

                 合掌