菅原伝授手習鑑 筆法伝授 道明寺 菅丞相 車引 寺子屋 松王丸 片岡仁左衛門の至芸 | 俺の命はウルトラ・アイ

菅原伝授手習鑑 筆法伝授 道明寺 菅丞相 車引 寺子屋 松王丸 片岡仁左衛門の至芸

 

 菅原道真。

 

 承和十二年六月二十五日(845年

 8月1日)誕生。

 

 延喜三年二月二十五日(903年3月

 26日)死去。

 

 詩歌を詠み筆道の奥義を極めた。

 

 左大臣藤原時平の讒言によって流罪

に処せられたが苦難を忍んだ。

 

   東風吹かば 

   匂ひ恋せよ

   梅の花

   主なしとて

   春な忘れそ

 

 道真が京を去る際に詠んだ歌には梅の

花への愛があふれている。

 

 『菅原伝授手習鑑』は菅丞相こと菅原

道真の忍耐と彼に関わる舎人三兄弟とそ

の一族の忠義を語る浄瑠璃である。

 

 作者は竹田出雲・並木千柳・三好松洛・

竹田小出雲である。

 延享三年(1746年)八月二十一日大坂

竹本座にて初演された。

 

 

  蒼々たる姑射の松 

  化して芍薬の美人と顕れ

  珊々たる羅浮山の梅  

  夢に清麗の佳人と成る

 

  皆是擬議して変化をなす。

  豈誠の木精ならんや。

  唐土斗か日の本にも人を以て

  名付くるに。

  松と呼び 梅といひ 或いは櫻 

  に准れば花にも情天満

 

  大自在天神の御自愛有し

  御神詠

  末世に伝えて有りがたし

  此神いまだ人臣にまします時。

  菅原の道真と申し奉り。

 

  文学に達し筆道の奥義を

  極め給へば才学智徳兼備はり

  右大臣に推任有り。

 

  権威にはびこる左大臣

  藤原時平に座を列ね

  菅丞相と敬われ

  君を守護し奉る

 

 

 

 『菅原伝授手習鑑』は「蒼々たる姑射の松」

が「化して芍薬の美人」となることを語り「変

化」を尋ねる浄瑠璃であることが示される。

 

 松・梅・桜の木の情が人の名となる。

 

 大自在天神が人臣であらせられ菅原道真と

呼ばれていた時代の物語であると確かめる。

 

 松・梅・桜の木から三つ子の兄弟の名が付け

られる。

 

 菅丞相の人形が、人間の丞相を救う物語に

窺えるように、様々なものが姿を変えて人に

命を吹き込んだり、人の命を救ったりすると

いう不思議を語る浄瑠璃である。

 

 歌舞伎『菅原伝授手習鑑』における「筆

法伝授」「道明寺」の菅丞相こと菅原道真

と「車引」「寺子屋」の松王丸を十五代目

片岡仁左衛門の至芸に学びたい。

 

 十五代目片岡仁左衛門は、昭和十九年

(1944年)三月十四日に誕生した。本名は

片岡孝夫である。父は歌舞伎役者十三代目

片岡仁左衛門(本名片岡千代之助)、母は

片岡喜代子である。

 

 初代片岡孝夫の芸名で初舞台を踏んだ。

 

 平成十年(1998年)一月歌舞伎座において

十五代目片岡仁左衛門を襲名した。

 昭和・平成・令和、二十・二十一世紀の歌

舞伎を支える名優である。

 

仁左衛門様

松竹創業百二十周年 三月大歌舞伎

通し狂言 菅原伝授手習鑑

 

二幕目 筆法伝授

三幕目 道明寺

平成二十七年(2015年)三月十六日歌舞伎座

 

 

 「筆法伝授」

 

 菅丞相    片岡仁左衛門

 

 武部源蔵   市川染五郎

 梅王丸     片岡愛之助

 戸浪      中村梅枝

 勝野      沢村宗之助

 左中弁希世  市村橘太郎

 菅秀才     浅沼みう

 菅秀才     梶栞奈

 三善清行   坂東亀寿

 荒島主税   坂東亀三郎

 水無瀬     市村家橘

 園生の前    中村魁春

 ◎ 

 市川染五郎→十代目松本幸四郎

 ◎

 

 片岡仁左衛門が勤める菅原道真は、筆道

の奥義を極め、学門に精進するひとである。

打ち続く苦難に遭っても只管に忍耐する強さ

がある。人であって神という生物の神秘性が

光っていると共に、人間道真の悲の心が溢れ

ている。

 

 市川染五郎の武部源蔵は直向で情熱的だ。

戸浪と恋仲になり、勘当されたが、筆道の奥義

を授けられることとなったことへの緊張感があ

った。

 

 市村橘太郎の希世は品があった。小悪党で

強きについて弱きを苦しめる卑怯者で、女性に

セクハラもするし、筆の奥義を継承する存在に

もなりたいという欲を深く燃やしている。どのよう

な苦境にあっても只管辛抱する道真と欲望剥き

出しに生きる希世の対照が興味深い。文楽で

は希世の人形が大暴れして、場内を沸かせる。

橘太郎の希世は上品さが豊かだが、もっと派手

に暴れていいのではないかと感じた。

 

 中村魁春の園生の前は、菅原家の御台所の

風格が大きい。

 

 源蔵・戸浪が大恩ある園生の前と再会する場

は、涙が心にこみあげてくる。

 

 歌舞伎では源蔵が菅丞相が精進潔斎する部

屋に移動する経緯が回り舞台で表現される。こ

れは歌舞伎独自の演出の凄さである。

 

 御簾があがり、仁左衛門の菅丞相が姿を現

す。美しさと神秘性に圧倒される。

 役を勤めるに当たって、公演中は肉食は一切

しないという食生活で、仁左衛門は勤めている。

 「楽屋に天神様のお軸を祀り、毎日お水とお塩

をあげ、香を焚き、精進潔斎して舞台を勤めて

います」と平成二十二年三月公演の筋書で語っ

ている。

 丞相については技術ではなくて、「無の境地」が

大事だと仁左衛門は確かめている。

 

 丞相と源蔵の師弟が再会し、筆の奥義が師か

ら弟子へと伝え教授されていく。題号の心がここ

に光る。

 

 源蔵は、師丞相から「伝授は伝授、勘当は勘

当」と告げられ悲しむ。丞相にとって、筆道の奥

義は授けるが、勘当は解かないという心である。

 

 参内の命が伝えられ、丞相が装束を改めると

烏帽子が落ちる。

 門外の場(築地の段)において、菅丞相は、罪

に陥れられ、清行や荒島主税に囲まれる。

 文楽では、原作通り、御台所(園生の前)が無

実の罪を悲しみ、「科もない身を左遷との、仰せ

は聞こへ恨めしや」と怒り、菅丞相が「道真虚名

蒙れども、君を恨み奉らず」と、醍醐天皇を恨ま

ず、天命を受ける心が語られる。だが、歌舞伎

ではカットされることが多い。この場の夫婦の語

り合いがあると、どんな苦境も忍従を以て受け

入れて歩む丞相の在り方が伝えられることにな

るのだが。

 片岡愛之助の梅王丸は忠義に熱い若者を鮮

やかに勤める。

 

 裏切者の希世はかつての師匠菅丞相を打擲

しようとして、梅王丸は怒り、希世を懲らしめよう

として、菅丞相に「七生までの勘当ぞ」と厳しく叱

責される。原作は「希世はさておき」で文楽でも

そのように語られるが、仁左衛門の丞相は「希世

はもとより」と語っているのだ。私はこの点が残念

だ。希世の裏切に対しては毅然とした態度を貫く

丞相の姿勢は明言すべきだと思うのだ。

 

 亀三郎の荒島主税はベリべりとした攻撃性が

あり、見応えがあった。

  源蔵は、菅丞相から勘当され、家来ではなく

なる訳だが、自発的意志として忠義の心を燃やし

続け、師匠を主人と思う忠誠は一切変わらず、

主君の一子菅秀才を守る。梅王丸の甥小太郎

を後に忠義の為に斬るという展開が、痛ましく

切ない。

 

 「道明寺」

 平成二十七年(2015年)三月十六日

 歌舞伎座公演 

 

 菅丞相     片岡仁左衛門

 

 立田の前    中村芝雀

 判官代輝国  尾上菊之助

 奴宅内     片岡愛之助

 苅屋姫     中村壱太郎

 荒巻左平太  尾上菊十郎

 贋迎い弥藤次 片岡松之助

 宿禰太郎    坂東禰十郎

 土師兵衛    中村歌六

 覚寿       片岡秀太郎

 ◎

 中村芝雀→五代目中村芝雀

 ◎

 

 片岡秀太郎の覚寿が圧巻であった。昭和三

十六年八月毎日ホール公演で苅屋姫、五十六

年十一月国立劇場公演で立田の前を勤めた。

以後数多くの公演で、苅屋姫と立田の前を勤め

られている。そして、この公演でいよいよ母覚

寿を勤め、「道明寺」の女形三役全てを勤めら

れることとなったのである。娘苅屋姫が恋をし

てしまったことが因となって、藤原時平に讒言

の口実を与え、結果的に菅丞相が冤罪で流さ

れることとなり、苅屋姫を杖で折檻する覚寿。

妹苅屋姫を庇う立田の前。立田の前・苅屋姫

姉妹の母として二人を愛するが故に厳しくす

る母性を秀太郎が熱演し、胸が熱くなった。

 丞相の声が伯母御覚寿を止める。見れば

丞相の木像があるばかりである。

 

 自分にとって、菅丞相/仁左衛門、覚寿/秀

太郎の配役は夢だった。

 

 中村壱太郎が可憐な美しさを見せる。

 

 中村芝雀後の五代目中村雀右衛門の立田の

前は優しさを表した。野心家の夫と舅を諌め

て、二人に騙し討ちに遭って惨殺される。哀

れさが光っていた。

 

 彌十郎が太郎の愚かさを鋭く勤める。鶏を

宥めて絞殺する場の凄みは圧巻だった。

 

 歌六の土師兵衛は、ネチネチとした憎々し

さと卑劣さが粘り強く滲み出ていた。ゾクゾ

クし緊張興奮した。

 立田の前を惨殺し遺体を利用する段では、

観客に「悪い奴」と実感させる憎らしさがあっ

た。

 愛之助の宅内は「飛びこもか」で笑いを呼

んでいた。

 菊之助の判官代輝国は、颯爽としていて、

素敵だった。丞相に同情しつつも、感情を抑

える警固役の厳粛さがと重みあった。

 弥藤次は片岡松之助で、おかしみが印象的

だが、ワルの面も出して欲しかった。

 

 覚寿が、立田が口に銜えさせられた着物の

裾の端から、下手人が太郎と見破る段に、秀

太郎の凄みが光る。宅内に妻殺害の罪を着

せて処刑しようとする太郎かた、「初太刀」を

と頼んで刀を借りて、隙を突いて太郎を刺して

娘の仇を討つ覚寿。覚寿の仇討に、秀太郎

の苅屋姫・立田の前を勤めてきた歴史がこの

瞬間に集大成されたようにも感じられ、母の

怒りと愛が燃えたと実感した。

 

 仁左衛門は木像の歩みは、美の極みで息

を飲んだ。木像が智恵を働かせ、彫ってくれ

た菅丞相を助ける為に、丞相の姿に扮して、

弥藤次を欺く筋だが、木像の道真を思う真心

が、仁左衛門の至芸に溢れていたと思う。

 

 菅丞相本人が姿を現し、覚寿に、立田の前

が犠牲になったことを詫びる。覚寿は丞相様

の御身が無事であったことを喜ぶ。

 

 警固の役人達が棒を打ち、ジャランと音を立

て、丞相に出立の時が迫っていることを告げる

のも歌舞伎独自の演出で忘れ難い。

 

 大詰は歌舞伎と文楽の演出の違いを現して

いる。

 

 文楽においては、菅丞相は苅屋姫と距離を

置き、顔を見たい気持ちを懸命に堪える。歌

舞伎で、苅屋姫が、養父菅丞相にお詫びを言

いたい気持ちと名残を惜しむ心から袖を引き、

丞相は扇を与える。どちらが良いとは決められ

ない。どちらも深くて情がある。

 

 菅丞相が養女苅屋姫との別れを惜しみつつ、

醍醐天皇への忠義の為、無実の罪を甘受し、

流刑地大宰府に向かう。

 

 花道を歩む菅丞相。

 

 片岡仁左衛門の芸は、菅原道真が忍耐に

生きるいのちの生き方を明かしてくれた。

 

 愛する娘苅屋姫を止める覚寿。

 

 片岡秀太郎の至芸が暖かくて優しい。

 

 幕切の輝国の花道の歩みを、菊之助が厳か

に歩んだ。

 

 

「車引」

 平成四年(1992年)十二月南座

 

 松王丸     片岡孝夫

 梅王丸     片岡我當

 桜丸       片岡秀太郎

 杉王丸     片岡進之介

 金棒引藤内  片岡亀蔵

 

 藤原時平   片岡仁左衛門

 

 ☆

 片岡孝夫=初代片岡孝夫

    →十五代目片岡仁左衛門

 

 片岡千代之助=四代目片岡我當

      →十三代目片岡仁左衛門

車引 6
 

 

 梅王丸は主君菅丞相が流罪に遭い浪人暮らし

をしている。笠をかぶって歩いていると末弟桜

丸と再会する。桜丸は自身が気を遣って齋世親

王と苅屋姫の恋を取り持ったことが、「菅丞相

に謀反の企みあり」と嘘を捏造したがっていた

藤原時平の陰謀の根拠にされてしまったことに

深く苦悩している。

 

 父四郎九郎の七十の賀を祝いたいという気

持ちは強くあった。梅王丸と時平の舎人をし

ている下の兄松王丸、及び三兄弟のそれぞれ

の嫁たちが集うて、古来稀なる命である七十

歳を祝うということを約束していたのだ。

 

 父の賀を祝った後の行為を桜丸は固く決めて

いた。それは自責の切腹である。命を擲って、菅

丞相・御台所・苅屋姫・斎世親王にお詫びしたい

という気持ちは桜丸の心の中で決まっていたのだ

った。

 

 金棒引き藤内が威圧的な態度で藤原時平公の

車が吉田神社を参籠することを聞き、梅王丸・桜

丸は丞相様を嵌めた大敵時平が来ると聞き、仇を

討とうと怒りに燃えて吉田へ向かう。

 

 吉田神社前では杉王丸が梅王丸・桜丸に挑発

的な態度を取るが兄弟はひるまない。

 

 そこへ松王丸が現れ、兄・弟と対立する。

 

 三兄弟は味方・敵の立場に分かれて激突する。

 

 車から藤原時平が現れる。

 

 その威風と凄みは圧巻で、梅王丸・桜丸は威圧

されてしまう。

 

 時平は太政大臣となって政を行う自身が血を流

しては社参の穢れになるとして梅王丸・桜丸の命を

松王丸の働きに免じて助けると告げる。

 

 時平は大きく手をかざし、梅松桜の三兄弟と杉

王丸は見得を切る。

 

 

 

 平成四年(1992年)十二月南座顔見世において

『菅原伝授手習鑑 車引』が片岡家三代共演によ

って上演された。

 

 

 梅王丸・松王丸・桜丸の三つ子の三兄弟を片岡

我當・孝夫・秀太郎の片岡家長男・三男・次男の

三兄弟で勤めた。実際の三兄弟が戯曲の三兄弟を

勤めるということも嬉しい配役である。

 

 杉王丸は我當の長男進片岡進之介が勤めた。

片岡家は『菅原伝授手習鑑』を大事にしている一

家である。若き役者進之介は杉王丸に抜擢された。

 

 そして藤原時平を十三代目片岡仁左衛門が勤

めた。

 

 十三代目片岡仁左衛門は明治三十六年(1903年)

十二月十五日に誕生した。本名を片岡千代之助と

申し上げる。

 

 昭和五十六年(1981年)十一月国立劇場公演『菅原

伝授手習鑑』の菅丞相が神品と絶賛された。

 

 その仁左衛門が菅丞相を嵌めた極悪人時平を勤め

た舞台である。

 

 十三代目仁左衛門の時平、我當の梅王丸、秀太郎

の桜丸、孝夫の松王丸、進之介の杉王丸と三代による

配役が実現した大舞台であった。

 

 我當の梅王丸は一本気で勇敢な性根が鮮やかに示

された。

 「枯らすわえ」の稚気いっぱいの可愛さに感嘆し

心身全体で震えた。

 

 大詰に松王丸に「松の枝々へし折って敵の音を断ち

葉を枯らさん」の台詞が光っていた。

 

 梅王には少年の心もあることを学んだ。

 

 上方の桜丸は隈取をしない。

 

 秀太郎の桜丸は優美であった。

 

 自責の念を抱く者の思いつめた生き方を繊細に明

かしてくれた。

 

 初代孝夫の松王丸の貫録と重さと凄みは三十二年

経った今も強烈である。

 

 十三代目仁左衛門の藤原時平は大いなる名演であ

った。

 

 十三代目はインタビューで「菅丞相に『時平公を

勤めさせて頂きます。すみません』という心境で勤

めます」と語っていた。

 

 菅原道真公への感謝を軸にして、藤原時平役を

勤められたのである。

 

 その至芸は観客に深い恐怖を与えた。

 

 十三代目は八十八歳・八十九歳で悪役の王と

も言うべき時平で冷酷美を極められたことを強調

しておきたい。

 

 十三代目の菅丞相を舞台で見れず、記録映画

でのみ鑑賞した私だが、時平を実際の舞台で拝見

したことは有り難い機会であった。

 

   「命冥加な蛆虫めら」

 

 梅王丸・桜丸を圧した時平の恐ろしさは忘れら

れない。

 

 十三代目片岡仁左衛門の藤原時平には、大い

なる悪の華が絢爛と咲いた。

 

 南座の客席で松嶋屋三代の『車引』を鑑賞し

感激した。

 

 迂闊な自分は平成四年十二月の何日かのメモ

を書き忘れていた。

 

 

 

 松嶋屋三代の『菅原伝授手習鑑』「車引」に忠義と

孝行を確かめる梅松桜三兄弟の道と時平の巨悪を教え

られた。

 

 初代片岡孝夫後の十五代目片岡仁左衛門の松王丸

の眼光の輝きに圧倒された。
 

 「寺子屋」

 平成二十六年(2014年)七月二十一日

 大阪松竹座公演

 

 

 松王丸   片岡仁左衛門

 

 千代     中村時蔵

 戸浪     尾上菊之助

 与太郎    中村国生

 百姓吾作  片岡松之助

 春藤玄蕃  片岡市蔵

 武部源蔵  中村橋之助

 

 園生の前  片岡秀太郎

 ◎

 中村国生→四代目中村橋之助

 

 中村橋之助→八代目中村芝翫

 

 中村時蔵→初代中村萬壽

 ◎

 

 

 

 片岡仁左衛門の松王丸は当たり役で

ある。

 

 菅秀才捜査の凄みも狂言とはいえ、玄

蕃の目を欺くものであるから凄みと鋭さ

が問われる。松嶋屋は眼力の光でこの課

題に応えている。

 

 幕が開くと、寺子屋の子供達の可愛い

手習風景が伝えられる。

 

 

 

 国生の与太郎が十五のよだれくりのおか

しみを見せる。母三田寛子は京都出身の歌

手でもある。関西芸人の血を感じさせてく

れる奮闘に拍手を送りたい。

 

 三代目中村橋之助後の八代目中村芝翫の

武部源蔵が現れる。

 

 芸が大きく迫力がある。寺習子の一人を

選んで斬殺しその首を差し出すという酷い

課題を背負って歩む男の哀しみが肩に溢れる。

 

 恋女房戸浪を駆け落ちした男の色気も豊

かだ。

 

「いずれを見ても山家育ち」を重く深く語

った。

 

 尾上菊之助の戸浪は繊細で古風な美が鮮

やかだ。

 

 菅丞相の名を語る際に源蔵は深々と一礼

する。

 

 御名を申し上げること自体、弟子にとっ

ては大きな出来事なのだ。

 

 「伝授は伝授、勘当は勘当」を丞相から言

い渡され、弟子ではあるが家臣ではなくなっ

た身だが、その勘当の身ゆえの大胆さから若

君菅秀才保護を願い出てその大役を勤めてき

た。

 

 しかし、寺子と称して秘かにお育て申し上

げていることが時平とその家臣玄蕃にばれて

しまい、身替りとして手習子の一人を犠牲に

することを決めたのである。

 

 橋之助が「のっぴきならぬ手詰」を「のっ

ぴきさせぬ手詰」と語ったことは残念であっ

た。東京の俳優は先輩からの教えを墨守する

ことが求められていると聞いているが、台本

の誤りである「のっぴきさせぬ手詰」を守る

必要はない。

 

 後輩の市川海老蔵後の十三代目市川團十郎

白猿が同じ松竹座の舞台で源蔵を勤めた時は

しっかりと「のっぴきならぬ手詰」と語って

いた。

 

 本文を尊重する姿勢に感動したことは今

も鮮烈である。

 

 市蔵の春藤玄蕃は憎たらしさと嫌らしさ

と執拗さが絶品であった。よだれくり与太

郎を打擲する場の憎たらしさも光る。

 

 松之助の吾作も大いに笑わせてくれた。

 

 仁左衛門の松王丸が駕籠から現れる。

 

 その存在感は絶大である。激しくせき込

んで病の身と語っていることを強調する。

 

 仁左衛門の松王丸が橋之助の源蔵をぐい

ぐいと追い詰め問い詰めて行く流れに、歌

舞伎の凄みを思った。

 

 机の数を見て松王が厳しく問い質す場も

緊張する。

 

 菊之助の戸浪が大先輩仁左衛門の松王丸

を相手に奮闘し、苦慮のこころを緊張感豊

かに表現する。

 

 「無礼者め」の見得は、先輩達が指摘す

る通り、歌舞伎独自の演出であり、仁左衛

門が迫力豊かに歌舞伎の美

を見せる。

 

 源蔵が小太郎を斬った際の松王丸の苦悩を

仁左衛門が深く表現する。

 

 首実検の場では松王丸と源蔵の激突が白熱

する。役者と役者の芸と芸が熱くぶつかり合

う時でもある。

 

 仁左衛門と橋之助の演技合戦は熱く凄絶で

あった。

 

 「菅秀才の首に相違ない」の一言を仁左衛

門は哀しみをこめて深く語った。

 

 時蔵の千代は母性愛が豊かで大きかった。

 

 松王丸が菅丞相の歌を寺子屋に投げいれる

場では、橋之助の源蔵が「梅はとび 桜は枯

るる世の中に」までを語り、仁左衛門の松王

丸が「何とて松のつれなかるらん」を語ると

いう深い演出である。

 

 このせりふの割り方は歌舞伎ならではの個

性がある。

 

 松王丸が源蔵に詫びて、時平に仕える身で

菅丞相に忠義を尽くす道を考えていたことを

語り、妻千代と共に一子小太郎を犠牲にして

斬ってもらったことを改めて報告する。

 

 最愛の我が子を犠牲にして忠義を為した松

王丸・千代夫婦の哀しみを思い、源蔵・戸浪

夫妻は切なさを胸で確かめる。

 

 我が子小太郎が従容として死を受容したこ

とを源蔵から聞かされ、松王丸は佐太村で自

責の念から切腹して散った弟桜丸を思い大泣

きする。

 

 仁左衛門の「源蔵殿、ごめん下され」の叫び

には弟を思う兄の真心が溢れていた。

 

 秀太郎の園生の前が松王に呼ばれて現れ、舞

台を締めてくれた。菅原家の御台所の風格は圧

巻である。

 

 歌舞伎では松王丸・千代夫婦と千代源蔵が園

生の前・小太郎母子をお守りするこころを示す

場で絵面となって終幕となる。


 

 片岡仁左衛門の松王丸は、最愛の子を犠牲に

して若君を救いし弟を思う男の義と愛の悲しみ

を深く語り明かしてくれた。

 

 十五代目片岡仁左衛門は『菅原伝授手習鑑』

の主人公である菅丞相と松王丸を勤めた。

 

 

 菅丞相は無実の罪で流刑に遭い、立田の前を

殺された伯母覚寿の悲しみを思い、養女苅屋姫

の顔を見て語り合いたい心を抑え忍ぶ。

 

 松王丸は菅丞相への忠義の為我が子小太郎を

犠牲に差し出しその生首を見て菅秀才の首と偽

り、若君を助ける。

 

 胸に迫る悲しみは熱い。

 

 十五代目片岡仁左衛門は菅丞相役・松王丸の

至芸において、忍の生き方をわたくしに教えて

くれた。

 

平成二十六年(2014年)三月十四日発表記事・

平成二十六年(2014年)八月二十五日発表記事・

平成二十六年(2014年)十二月十五日発表記事・

令和三年(2021年)五月二十九日発表記事・

令和四年(2022年)七月四日記事を再編してい

る。

      令和六年(2024年)三月十四日

 

                 合掌

 

                    

              南無阿弥陀仏

 

 

                 セブン