伊藤大輔における文芸作品に対する感傷を学ぶ 2024/3/7 | 俺の命はウルトラ・アイ

伊藤大輔における文芸作品に対する感傷を学ぶ 2024/3/7

 伊藤大輔は日記が付けられぬので酒を

飲んで感じたことを録したいとして『酒

中鈔』と題する文を昭和22年(1947年)

から昭和25年(1950年)に記した。

 

 この随想は『伊藤大輔シナリオ集Ⅱ』(

昭和六十年七月二十五日発行 淡交社)に

収録されている。

 昭和22年(1947年)3月19日の『酒中

鈔』において大輔は「好きな文芸作品の映

画化は見に行きたくない」(385頁)と語

っている。

 

 『白き処女地』『白痴』の映画化作品の

見聞を拒否した理由として小説を読んで心

に浮かんだイメージを大事にしていることを

大輔は述べている。

 

  空想と現実のひどい食い違いをさせない

  であろうつもりで見に行ったリリアン・ギ

  ッシュの『緋文字』『ラ・ボエーム』も、

  甘い期待は裏切られて、今ではギッシュ

  の顔以外のヒロイン達を想像出来ない結果

  を来してしまった。(386頁)

 

 換言するならばリリアン・ギッシュの演技が

強烈で伊藤大輔にヒロイン像を強く打ち出した

ということであろう。大輔がこの感覚を辛いと

いうのは文学読後感の感傷を大切にしていたか

らだ。

 

 

 『マノン・レスコー』『罪と罰』『ハムレッ

ト』『ロミオとジュリエット』『ファウスト』

『神曲』等、好きな文学とその映画化作品には

イメージの違いを感じご自身の想見したもの

との違いに悩んだことを大輔は記している。

 

 イエス・キリストの映画化ならば信者は全て

「ノン」と言うであろうと大輔は想像している。

 

 少年時代から世界の文学に接し沢山の書を読

んできた大輔は文学・演劇への敬意が原点にあ

った。

 

 東京に上り小山内薫から指導を受けて「これは

シナリオになるかね?」と文学作品のうちシナリ

オ化しうるかどうか問われたことを別の随想で確

かめている。

 

 世界各国の文学に出会い熟読した。若き日の小

説・戯曲の多読が後の大輔脚本執筆活動に着想や

構成で示唆を与えた事は間違いないだろう。

 

 

 

 映像版に初めて接した世代と違ってまず文学に

接しその感傷を大切に確かめる。明治三十一年(1

898年)十月十三日生まれの伊藤大輔は、文学か

ら得たイメージを原点にした人であった。読書し

て心の中のイメージ・印象を大事にする。

 

 

 

 

 学びとしても尊い。

 

 1947年と言えば世界の文学文芸作品の映

像化が盛んであった時期である。

 

 自分は大輔が言及した映画版『白き処女地』

『白痴』(1946年版か?)や『緋文字』『ラ・

ボエーム』を銀幕未見である。

 

 換言するならば映像版に力があったからこ

そ大輔は原作文学読後の印象が変わることを

恐れてたのであろう。

 

 しかし、どれほど優れた映像版であっても

原作読後における読者一人一人の印象の強靭

さは決定的で読者にとっては文学作品の原点

になる。

 

 それゆえに「原作文学に対して『忠実に学

ぶか?』『勝手に歪曲するか?』のどっちか

を二元好き嫌いで選ぶ感覚」ではないのだ。

 

 

 読書をして文学の印象を心の底から確かめる。

 

 この感傷を宝として時に他の映画人が撮り名

優が出て役を演じていても敢えて鑑賞拒否を為し

て自身の感傷を大事にする。

 

 現代のように「読み替え」と称して原作文学を

誤解誤読歪曲して舞台で歪曲改竄する蛮行とは違

っていることは言うまでもない。

 

 傑作映像版でも見聞拒否し心の中の感傷を尊

び原作文学を敬う姿勢である。

 

 大輔は古典文芸諸名作の映画化に対し、「自

分自身の意地で拒む」と宣言した。

 世界の名作文学の映像化作品を大輔に沢山撮

って欲しかったという想いは抑えがたい。だが、

「意地で拒む」と他者演出の名作文学映像化作品

鑑賞をしないと明言するほど、文学から獲得した

印象を大事にする人だった。

 

 谷崎潤一郎小説『春琴抄』から『春琴物語』を

伊藤大輔は演出した。

 

 名作小説の映像化作品を繊細に為した人では

あるが、好きな文学は読書感想を大事にしたい

という感傷を心の底から確かめた文学青年でも

あった。

 

 

 この頑固とも見える一徹さが、大輔をして様々

な小説の秀麗な映像傑作を生みだした源泉である

と自分は見る。

   

 伊藤大輔演出のウィリアム・シェイクスピア劇

を見たかった。この熱き心は今も燃えている。

 

 『反逆児』において徳川信康が築山殿の前で

抜刀し屏風を刺すシーンは『ハムレット』からの

学びとわたくしは見る。

 

 名作文学から表現を学習して映像に映す。

 

 これが、伊藤大輔における文学敬意の表現

方法だったのではないか?

 

 2023年7月17日発表記事に加筆し再編して

いる。

 

                  合掌