ハワイ・マレー沖海戦 加藤隼戦車隊 山本嘉次郎監督・円谷英二特技作品 二題再考 | 俺の命はウルトラ・アイ

ハワイ・マレー沖海戦 加藤隼戦車隊 山本嘉次郎監督・円谷英二特技作品 二題再考

『ハワイ・マレー沖海戦』

映画  トーキー 白黒

昭和十七年(1942年)十二月三日公開

製作国  日本

制作 東宝

 

脚本  山本嘉次郎

      山崎謙太


 

撮影  三村明


 

出演

伊藤薫(友田義一)

原節子(喜久子)

 

英百合子(つね)

加藤照子(宇女子)

中村彰(立花忠明)

 

河野秋武(斎藤二等兵曹)

北沢彪(津村少佐)

御橋公(戸沢)

汐見洋(周右衛門)

瀬川路三郎(末永)

菅井一郎(手塚)

 

藤田進(山下大尉)

黒川弥太郎(森田)


 

大河内傳次郎(佐竹大佐)


 

特殊技術 円谷英二


 

監督 山本嘉次郎



 

☆平成二十二年(2010年)二月五日

京都文化博物館にて鑑賞☆

 2010年2月8日発表記事を再編し

ている。

 ☆

 

 

 

  友田義一少年は、親戚で友人の

海軍兵学生立花忠明に、航空兵に

なりたいと願いを語る。彼は母に育

てられ、姉・妹・祖父も共に暮らして

いる。

 母も、息子の願いを理解し、忠明に

一任する。

 忠明の計らいもあり、飛行予科練

習生になれた義一は、厳しい訓練を

忍び、一等飛行兵に進み、やがて、

三等飛行兵曹に進級する。

 

 昭和十六年十二月八日、義一は、

連合艦隊機動部隊員として、ハワイ

真珠湾攻撃に参加する。

 忠明は、マレー沖で、プリンス・オブ

・ウェールズを撃沈する。

 義一・忠明の奮闘もあり、日本軍が

英米を打ち破り、大勝利を収めたこと

を姉喜久子は家族と共にラジオで聞く。


 

 昭和十六年十二月、大日本帝国は

真珠湾攻撃・ハワイ・マレー沖海戦で、

英米を打ち破った。

 東宝では直ちに映画化が企画された。

プロデューサーの森岩雄が相談した存在

が円谷英二であった。

 

 翌十七年森は山本監督・脚本家山崎

謙太と協議し、真珠湾攻撃の映画の企

画を進めるが、山本監督・山崎は、取材

の過程で真珠湾攻撃そのものを描く企

画の難しさを痛感し、田舎の一人の少

年が海軍に入って、自己を鍛錬し、真珠

湾攻撃に参加するまでの道程をセミ・ド

キュメンタリーで描く作品にすることで、

二人の意見が一致する。

 

 山本監督が描く瑞々しさは、この映画で

も溢れている。多くは語られないが、父親

のいない家庭で、義一が海軍を志願する

ことは、愛国心だけではなく、家計を助け

たい、という気持ちもあるだろう。

 義一の国を思う心は尊いけれど、母や

姉は心配を隠せない。

 

 戦争中の国策映画なので、太平洋戦争

を讃える描写が多いのは、やむを得ない。

当時は、国策に協力しなければ、当人が

罰せられるだけでなく、家族も辛い目にあ

ったのである。

 

 藤田進演ずる山下少尉が少年兵達を教育

する場面が印象的だ。

 

 「傲慢なる英米を倒さなければ、支那

 事変は解決しない!」

 

 忠明は、義一に日本人としての姿勢を

伝える。彼は、東郷平八郎元帥の墓を

尋ね、元帥の肖像画を拝見した。

 連合艦隊司令長官として、日露戦争に

おいて、バルチック艦隊を、日本海海戦

で打ち破った、東郷元帥を思うとき、目覚

めが開かれたのである。

 

 「自分は、豁然として思うところがあった。

 自分とは無だ。全ては、大元帥陛下の

 みもとに」


 

 十二月。決戦前。

海軍大佐佐竹は、戦艦上において、真珠

湾攻撃の意を部下に伝え、全員で、宮城

に対し奉り、遥拝申し上げる。

 

 軍人も、国民も、皆、天皇に命を捧げ、

戦争に参加・協力しなければならなかっ

た時代であることを、改めて痛感した。

 

 

 大河内傳次郎(おおこうち・でんじろう)

は明治三十一年(1898年)二月五日福岡県

に誕生した。 

 昭和三十七年(1962年)七月十八日、六十四

歳で死去した。

 

 戸籍上は明治三十一年(1898年)三月五

日誕生だが、傳次郎が強く二月五日誕生を語

ったという。

 

 本名は大邊男(おおなべ・ますお)である。

 

 男(ますお)は大邊晋・アキ夫妻の息子で

ある。

 

 九人兄弟姉妹で五番目の男子で、八番目の

子供であった。早くに父を亡くし、大阪商業

学校に学び会社員として暮らし、新民衆劇学

校において演技を学び後に新国劇に入り、沢

田正二郎に教えを受ける。室町次郎の芸名を

名乗った。

 

 次郎は大正十五年(1926年)の日活入社に

大河内傳二郎と芸名を改めた。

 伊藤大輔監督作品『幕末剣史 長恨』に主演

し主人公壱岐一馬を体当たりで演じた。

 

 四十四歳で演じた佐竹大佐役の貫禄に圧倒

された。

 

 

 原節子(はら・せつこ)は大正九年(1920年)

六月十七日に誕生した。本名は會田昌江(あいだ・

まさえ)である。平成二十七年(2015年)九月

六日、九十五歳で死去した。日本映画史を代表す

る大スタアである。

 絶世の美しさはフィルムに輝いている。

 

 円谷英二の特撮は圧巻である。真珠湾

攻撃の新聞写真を基に模型セットを作り、

1/400の縮尺を制作した。

 砧撮影所には1800坪のプールに、真珠

湾攻撃が再現された。

 千葉県館山には、実物大の空母のセット

が作られた。

 

 真珠湾攻撃のシーンは、凄い迫力である。

このシーンのモデルである事実としての戦

争では、沢山の日米人が亡くなったことを

思うと、痛ましい。

 このシーンの鑑賞で、興奮してしまう事も、

不謹慎かもしれないが、あくまでも映像鑑賞

の感想であることをご理解頂きたい。

 特撮シーンにおける、傑作中の傑作であ

る。


 

 円谷英二の特撮演出の素晴らしさは、絶

賛され、彼の名は広まった。

 だが、本作における特殊技術の凄さが、戦

後戦意昂揚映画に協力したと咎められ、公

職追放で東宝を追われることにもなったの

である。

 東宝復帰が果たされたのは、昭和二十七

年(1952年)の出来事である。

 

 大東亜戦争・太平洋戦争時代の映画であり、

勿論国策映画である。

 

 だが、喜久子が真珠湾奇襲のニュースをラ

ジオで聞くシーンの怯えの眼が忘れられない。

 

 原節子自身の胸中は勿論分からない。

 

 だが喜久子の不安は戦いの時代における戦い

への悲しみではなかったか?

 

 『加藤隼戦闘隊』

 

 

 

映画 89分 トーキー カラー

昭和十九年(1944年)三月九日公開

 

製作国    日本

製作     東宝

制作     村治夫

脚本     山本嘉次郎

山崎謙太

撮影     三村明

音楽     鈴木静一



 

出演

 

藤田進(加藤建夫)

 

志村喬(青砥部隊長)

 

大河内傳次郎(菅井兵団長)



黒川弥太郎(安場大尉)
灰田勝彦(吉田中尉)
木村功(横尾軍曹)
河野秋武(奥田中尉)
高田稔(北村部隊長)
清水将夫(岡瀬部隊長)
河津清三郎(参謀)


 

特技監督  円谷英二

 

監督     山本嘉次郎



 

 

平成二十七年(2015年)八月二十三日

京都文化博物館にて鑑賞

 

2015年12月16日発表記事を再編

している。

 

 太平洋戦争の時代において、日本陸

軍が世界に示した新鋭戦闘機隼は高性

能で、技術に秀でた軍人でないと操縦は

無理だった。それを成し遂げた男が加藤

建夫だった。

 

 軍人として優秀で部下思いでコーヒーを

愛する男。



 加藤の厳格で熱い指導・特訓を受けて、加

藤隼戦闘隊が誕生する。厳しく部下を叱責す

ることはあっても、加藤が叱る声の根底には

優しい愛情があった。
 

 映画は、太平洋戦争の時代、加藤が活躍し

亡くなるまでを描く。



 『ハワイマレー沖海戦』に続き、脚本山崎謙

太、出演藤田進、特撮円谷英二、監督山本嘉

次郎のチームが再び結成された。

 時しも戦局は厳しく、日本が連合国に押され

て敗色が濃くなっていた時代である。加藤を軍

神・英雄として描き戦意を高め、昂揚せしめる

ことを課題として製作されたことが窺える。

 しかし、山本監督の演出は、神格化の中に人

間加藤建夫の暖かさを描き、彼が戦死するまで

を静かに描写し、戦争によって、偉大な軍人が

亡くなった悲しい事実を冷静に伝えている。

 戦争中の映画のほうが、平成現代の戦争映

画・戦争終結映画のように観念に縛られたり

せず、落ち着いて題材を尋ねている。

 主演の藤田進の名演に心を打たれた。

 

 戦争中の国策映画だが、悲戦映画とも見れ

る。

 円谷英二の特撮は圧巻である。

 

 二大名作の円谷英二特撮は、戦後の「ウ

ルトラシリーズ」の原点・源流であろう。

 

 

 戦争中の戦意昂揚映画で、今日の観点か

ら見れば、問題に思えるシーンも多いが、国

策に協力しなければいけなかった、先人達

の苦衷を察していかなければならない。

 天皇裕仁を神と崇拝することが義務付け

られていた。

 亜細亜太平洋戦争を正義の戦争と思い込み

参加協力することが民に義務付けられていた。

 

 上記の通り2010年2月5日、大河内傳次

郎生誕112年の日に『ハワイ・マレー沖海

戦』を鑑賞した。同月8日に感想文を発表

した。

 

 2015年8月23日『加藤隼戦車隊』を鑑賞

した。同年12月16日感想文を発表した。

 

 

 

 2023年7月18日、山本嘉次郎監督・円谷

英二特技の二題の名作を併せて学んだ。

 

 

 本日改めてこの二大戦争映画に学んだ。

 

 

 日本国憲法において戦争を放棄する誓い

である第九条が岸田文雄政権によって破壊

されようとしている。「自衛隊の名誉」と

いう名目で改変される。改憲後宗主国アメ

リカ合衆国の指令を受けて日本国は自衛名

目の戦争を始めるだろう。自民党の改憲草

案には「戦争をする」とは書いていない。だ

が文面は同盟国の活動に協力するとある。

 

 この「活動」は拡大解釈され戦争を侵し

ながら「自衛の活動」と誤魔化す作戦であ

る。

 

 天皇元首化・自衛名目の戦争可能化・

mRNA致死猛毒注射強制を成立せしめる

緊急事態条項独裁を狙う自民党改憲は粉

砕しなければいけない。

 

 野党が改憲発議に動かず黙って与党

の横暴を手助けしているという悲嘆をよ

く聞く。

 

 こういう時代こそ民一人一人が平和と

人権と健康の大切さを確かめ、政府の横暴

を止めることが課題になる。

 

 岸田文雄政権による日本国憲法改変発議

を止めよう。「憲法改正」という名目の「憲

法壊世遺」である。日本国憲法を壊滅し世を

棄てる。自民党改憲草案の狙いは民殺しで

ある。「国防の為に改憲して防衛システムを

整備して国防軍を作ってくれる」という政府

やマスコミの嘘にだまされてはいけない。「憲

法に存在が明記されていないのは自衛隊が気

の毒」という故安倍晋三・岸田文雄の詭弁に

騙されたら駄目だよ。憲法に明記されたら

自衛名義の戦争を自衛隊は課され戦場に送ら

れる。

 

 どのような戦争も自衛・防衛の名目で行

われるのである。責任者は安全地帯に居て

兵士の血が流される。

 

 

 『ハワイ・マレー沖海戦』『加藤隼戦

車隊』に学び、新たな戦争を起こしてはい

けないという課題を改めて痛感した。

 

 

 

 

           文中一部敬称略




 

               合掌