『仮名手本忠臣蔵』「四・七段目」 大星由良助の忠義 豊竹咲太夫の語りに学ぶ | 俺の命はウルトラ・アイ

『仮名手本忠臣蔵』「四・七段目」 大星由良助の忠義 豊竹咲太夫の語りに学ぶ

初代 豊竹咲太夫(初代・とよたけ・さきたゆう)

本名 生田陽三(いくた・ようぞう)

芸名歴 竹本綱子太夫

    豊竹咲大夫

    豊竹咲太夫

 

 昭和十九年(1944年)五月十日大阪府大阪市に

誕生。父は八代目竹本綱太夫。豊竹山城少掾に入

門。

 重厚な語りで役の命を明かした。

 

 令和六年(2024年)一月三十一日死去。七十五

歳。

 

 平成二年(1990年)六月中座において上演され

た六月大歌舞伎の夜の部『義経千本桜』「川連法眼

館」に豊竹咲大夫が出演した。

 源九郎狐・佐藤忠信は五代目中村勘九郎後の十

八代目中村勘三郎が人形振りで勤めた。咲大夫の

大音声の語りに感嘆し息を呑んだ。人形振りで動

く五代目勘九郎の芸にも緊張した。

 

 この公演を見聞し、自分は文楽に導かれた。

 

 豊竹咲太夫はわたくしにとって文楽の尊さを

劇場において最初に教えて下さった師匠である。

 

 平成四年(1992年)二月十日国立文楽劇場

歌舞伎公演『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』「八

段目」に豊竹咲大夫は出演した。上方演出の「八

段目」に文楽大夫は歌舞伎を応援し出演する。

 歌舞伎ファンにとっても有り難い事柄である。

 

 自分にとって文楽に熱中する身になった事の

契機は、歌舞伎公演に特別出演した咲大夫の語

りを劇場客席で聞いた事である。

 

 数々の名舞台を国立文楽劇場で聞いた。

sibai e

 文楽鑑賞を我が命とするわたくしめにとっ

て、豊竹咲大夫(豊竹咲太夫)は出会いの縁

を恵んで下さった大恩人である。

 

 本日は平成二十四年(2012年)十一月国立

文楽劇場の「四段目」「七段目」の語りを尋ね

咲大夫師の大いなる芸に学びたい。

 

 

 

 

仮名手本忠臣蔵

四段目

花献上の段

判官切腹の段城明け渡しの段

平成二十四年(2012年)十一月十九日

国立文楽劇場

当時太夫の表記は大夫である。

 

 

花籠の段

大夫 

豊竹英大夫後の六代目豊竹呂太夫

三味線 鶴澤清友



 
判官切腹の段

大夫 豊竹咲大夫 

三味線 鶴澤燕三

 


城明け渡しの段

大夫 豊竹靖大夫 

三味線 鶴澤清丈'

 

 <人形役割>

 塩谷判官        吉田和生

 顔世御前        吉田勘彌

 大星力彌        吉田文昇

 原郷右衛門       吉田玉輝

 石堂右馬之丞      吉田玉志

 薬師寺次郎左衛門    桐竹亀次

 大星由良助       吉田玉女後の二代目吉田玉男

 
 

 「花籠の段」は、「花献上」とも言われて

いる。
 幕が開き、顔世御前を遣う吉田勘彌の

姿を二重中央に見る。風格・貫録があり、

圧倒される。
 扇ヶ谷の上屋敷。塩谷判官は閉門を命じ

られている。

 無言の顔世御前が悲しみを堪えている。

 

 しつこく言い寄られ口説かれて、妻女の

勤めとして夫への愛を貫き、ストーカーの

師直の邪恋をはっきりと拒絶した。そのこと

を逆恨みした師直のいじめにあって、夫塩

谷判官は逆上し刃傷に及んでしまった。

 

 顔世御前の深い悲しみが舞台に居る姿

からしみじみと伝わってきた。

 御前は鎌倉山の花を活けて夫判官を慰め

ようと考えている。 悲しみを堪える顔世が

愛する夫の為に活けた花が清らかな美を明かす。

 大星力彌の忠義一途の心も印象的だ。

 原郷右衛門と斧九大夫が現れる。郷右衛門は

忠義の人で、判官の閉門が許されると考えている。

 九大夫は邪智・奸智に長けた人物で、冷笑的

な言葉を語る。

 

 「この花といふもの当分人の目を喜ばすばかり。

 風が吹けば散り失せる」

 

 咲き誇った花が風に散ってしまう。無常を語る

言葉が重い。罪に問われた判官が、若き命を

切腹の刑で散らされるであろうことを予感させる

言葉である。この言葉を聞いた顔世御前は深く

傷ついてしまうことは十分に窺える。

 九太夫の言葉は、彼自身の忠誠心が、判官の

没落により、吹き飛んでしまったことを物語るもの

ともなっている。

 更に九太夫は嫌味をこめて、郷右衛門が吝嗇

で賂の金銀を惜しんだことから師直を怒らせて

しまったと攻撃する。

 郷右衛門は、強大な力を持っている人とはいえ、

高師直に媚び諂うのは武士の道ではないと宣言

する。

 ここで顔世御前が、事件の発端は、金銀ではな

くて、自身が師直の邪恋を拒絶したことだと事の

真相を語る。

 人妻を執拗に口説き、振られた腹いせに八つ当

たりのいじめを為した師直の「道知らず」の振舞に

御台所は悲しみを述べる。

 刃傷の原因は賄賂問題ではなくて、「邪恋とその

拒絶にあった」とするところにも、賄賂・礼金問題が

対立の因を考えられている史実の赤穂事件を作者

が意識した心が窺える。

 豊竹呂太夫の重く深い語りが、刃傷事件を巡る

人々の深い悲しみと痛みを伝えてくれた。


 吉田勘彌の顔世御前には、悲痛さとと共に、夫判

官への深い愛が明かされていた。

 

 文昇の力彌は少年の一本気な純粋さが光る。

 

 玉輝の郷右衛門は剛直さが印象的だ。

 

 文司の九太夫は悪役芸の傑作である。悪役はネチ

ネチと陰湿な嫌らしさをにじませてこそ、舞台の迫力

が増すということを改めて教わった。

 

 呂大夫の渋い語りは、顔世の苦悩、力彌の一途さ、

郷右衛門の一徹さ、 九太夫の老獪さを鮮やかに語り

明かした。

 

 吉田勘彌の顔世御前には、悲痛さとと共に、夫判

官への深い愛が明かされていた。

 

 文昇の力彌は少年の一本気な純粋さが光る。

 

 玉輝の郷右衛門は剛直さが印象的だ。

 

 文司の九太夫は悪役芸の傑作である。悪役はネチ

ネチと陰湿な嫌らしさをにじませてこそ、舞台の迫力

が増すということを改めて教わった。

 

 呂太夫の語りは、九太夫の冷たい言葉が顔世御前

や力彌の純な心を執拗に傷つけていく様を鋭く語る。

 

 顔世御前の悲しみが、観客の胸に深く迫る段である。

 

 塩谷判官切腹の段。深く重く悲しい段である。

『仮名手本忠臣蔵』は登場人物の死を静かに

見つめて語る。


 

 『仮名手本忠臣蔵』において最も痛ましく悲しい

物語が、この「四段目」における「塩谷判官切腹の

段」ではないかと思う。

 

 この段を語るのは、豊竹咲大夫である。堂々た

る大音声に圧倒される。

 

 鶴澤燕三の三味線も深く重い。

 

 上使の石堂右馬之丞・薬師寺次郎左衛門が現れ

る。師直の昵近薬師寺は冷酷非情で、石堂は情深

く暖かい人柄である。

 

 一間の内より塩谷判官がしずしずと現れる。

 

 吉田和生の遣いは、判官の怨念と悲しみを静かに

明かす。

 

 判官は黒い長羽織を着ている。上使二人に御酒を

一献差し上げたいと申し出るが、薬師寺に嘲笑される。

 

 二重上上手に石堂・薬師寺、平舞台に判官がいる。

 

 石堂が懐中より書を取り出し、「上使の趣」として切

腹を申し付ける。

 

  「聞くよりはつと御台所」の言葉もあるのだから、こ

 の段に顔世御前も登場するという原作通りの演出も

 見てみたいとも思った。

 

  原作では御台所・家臣達が切腹の厳刑に驚き悲嘆

 することが語られる。

 

 当の判官は落ち着いている。

 

  「御上意の趣委細承知仕る。さて是からは各々の

  気休めにうち寛いで御酒一つ」

 

  豊竹咲大夫が判官の従容とした心境を深く語る。

 

 判官の「御酒」の言葉を冷厳に叱る薬師寺の憎た

らしさも強烈である。

 

 嘲笑され決めつけられても判官は笑みを絶やさ

ない。

 

 切腹を決意し、堂々と微笑む判官。和生の遣いは

判官の「笑み」の心を明かす。

 

 「この判官酒興もせず、血迷ひもせぬ。今日上使

  と聞くよりも、かくあらんと期したる故、かねての

  覚悟見すべし」

 

 判官は長羽織を脱ぎ、下に着た白小袖、無紋の

裃を明かす。

 

 長羽織の黒から小袖・裃の白と着物の色彩の

変化は印象的な演出だ。刃傷の後、常に「切腹」

を意識していた判官の従容とした心根を物語って

いる。

 

 「恨むらくは館にて加古川本蔵に抱き留められ、

 師直を討ち洩らし無念骨髄に通つて忘れ難し」

 

 判官の本蔵への激しい怒りを咲大夫が深く語る。

 

 ここにも作者の怨念探求の鋭さがある。

 

 元禄事件で、浅野長矩が憎んだのは吉良義央

であった。刃傷を諌止し抱き留めた梶川頼照を

への憎しみを多く語った訳ではない。だが、『仮名

手本忠臣蔵』の判官は、文字通り「恨み骨髄に徹

」して本蔵への憎悪を述べる。「武士が命を捨てる

決意で為した刃傷を制止するとは何事」という意識

が判官にあるのであろう。

 

 文楽の判官はこの段でも逞しく厳かである。

 

 歌舞伎の判官は優美で和事の芸が本流で、柔らか

でな気品の中に、怨念を熱くするという表現が基本的

な在り方だと思われる。

 

 七代目尾上梅幸によって大成された至芸が、今日

の歌舞伎の判官の探求の極まりである。

 

 文楽は判官の悲しみと憎しみの探求、歌舞伎は悲

劇美の追求に、ぞれぞれの芸能の特徴があるとも

思う。

 

 判官は落ち着いて切腹の座に向かい、無念を確か

めつつ着座する。肩衣をとりのけ座をくつろぎ、家老

大星由良之助に会いたい気持ちを語り、その子力弥

に到着しているか否かを問う。

 

 この段の判官と力弥は、歌舞伎では「危ない関わり

」の雰囲気が出ないといけないと言われている。

 

 文楽では、判官と力弥の主従の絆が篤く語られる。

 

  「力弥力弥」

 

  「ハッハア」


 

  「由良助は」

 

  「いまだ参上仕りませぬ」

 

 深い絆で心と心がしっかりと繋がり合っている

大星由良助と今生において一目会いたいと

いう判官の心が切ない。

 

 元禄赤穂事件において、切腹を前にした浅野長

矩が大石内蔵助良雄に会いたかったであろう気持

ちを思って作者が書いた名場面である。

 

 吉田和生の遣いが判官の武士道を明かす、従容

と切腹の作法に従い、三宝を引き寄せ九寸五分を

押し頂きつつ、由良助への心を繰り返し語る。

 

 「由良助は」

 

 「ハッハア。いまだ参上仕りませぬ」

 

 この問答に悲しみが極まる。

 

 

  「存生に対面せで残念ハテ残り多やな。

  是非に及ばぬ。これまで」

 

 今生において由良助に会えぬことを残念に思い

つつ、「もはやこれまで」と全てを確かめ、判官は

刀を逆手に取り直し、腹を切る。

 

 ここへ大星由良助が駆け込んでくる。



  大星由良助、主君の有様見るよりも


 「ハッ八ッハッハア」

 『ハッ』とばかりにどうと伏す。

 

 判官が切腹した時、最も会いたかった家老大星

由良助が駆けつける。


 塩谷判官と大星由良助の会話は、『仮名手本忠

臣蔵』の生命と申したい名場面である。

 

 豊竹咲大夫の語りが判官の悲しみを重厚に明か

してくれた。


「ヤレ由良助、待ちかねたやわい」

 

「ハアハ。御存生の御尊顔を拝し、身に

とって何ほどか」


 

「定めて仔細聞いたであらう。聞いたか

聞いたかエエ無念。口惜しいわやい」

 

「委細承知仕る。この期に及び申し上ぐ

る詞もなし。ただ御最期の尋常を願はし

う存じまする」

 

「オヽ言ふにや及ぶ」

 

 ここで判官は腹を横へ切る。

 

 「由良助。この九寸五分は汝へ形見。

 我が鬱憤を晴らさせよ」

 

 判官は腹を切った激痛に苦しみながら、

由良助に九寸五分の刀を与え、自身に

止めを刺して息絶える。

 

 由良助は血に染まる切先を打ち守り

拳を握り無念の涙をはらはらと流す。

 

 咲大夫の重厚な語りが、塩谷判官の死

という重い物語を語る。

 

 判官が倒れ、吉田和生が舞台から去る。

 

 判官の人形が「死」を明かす。

 

 文楽の凄まじさはここに極まる。

 

 歌舞伎の場合も、偉大な名優が塩谷判官

を勤めて、重い「死」の物語を明かして、役の

いのちの終わりを厳かに伝える。

 

 だが、歌舞伎では、偉大な役者は、判官一

役を勤めるだけでなく、数多くの役を勤める。

 

 換言すると舞台の上で無数のいのちを生

きて、無数の命の死を語る。

 

 人形は、その役の一つの為に産みだされ、

彫られ、遣われ、役のいのちを燃やす。

 

 文楽が最も重く深く判官の「死」を伝える

演劇であることの所以は、この人形の一回

性・一期一会にある。

 

 命が一つであることを、人形は明かす。

 

 午前十時に「大序」で凛々しかった判官は

午後の「四段目」で亡くなる。

 

 判官の生と死を教えられた。

 

 判官切腹の段に由良助が間に合って、腹を切

った九寸五分を渡して、「鬱憤を晴らせ」と復讐

を託すのは、浅野長矩が切腹の際に、大石内蔵助

良雄に会って、復讐・雪辱を言いたかったであろ

うという願いを推察して大胆に脚色したものだ。

 

 由良助と判官は、家臣と主君であると同時に、

男と男であり、固く友情の絆で通じ合い、いのち

を賭けて心と心で共鳴し合っている。

 

 だが、仮定でも、「鬱憤を晴らせ」と言う言葉を、

浅野長矩に大石良雄会えたとしても、言ったか

どうかは疑問が残る。

 

 幕府への反逆を意味するからだ。

 

 だが、浄瑠璃ではそうした配慮はいらない。

 

 南北朝時代に時代を設定して、江戸時代の

習俗で上演する。

 

 判官から由良助へと主人は死に際して最期

の願いを家老に託す。

 

 家老はいのちを賭けて、与えられた課題にい

のちを燃やす。

 

 作者は劇中の出来事として仇討にいのちを燃やす

由良助の忠義を語る。

 

 御台所顔世御前が判官の死を嘆く。

 

 吉田勘彌の遣いによって、この場の顔世御前の美

が極まる。

 

 判官の遺体が籠におさめられる。

 

 人形が勤める判官の死。場内にはすすり泣きの声

が溢れる。ここで「四段目」が「通さん場」になっ

ていることが窺える訳だ。

 

 「御台所は正体なく嘆き給ふ」で、咲大夫が悲しみを

伝える。

 

 鶴澤燕三の三味線も重く深い。

 

 大星由良助を遣うのは吉田玉女である。

 

 主人公・主演の人形遣いの登場により、舞台の迫

力は更に深まる。

 

 玉女の遣いは、由良助の忠義の心を鮮やかに明か

す。
 城明け渡しの段は由良助が城を出て判官の最期

 の刀を見て、その無念と怨念を胸に刻み、復讐の

大義に命を燃やすことを決意する。

 

 玉女後の二代目玉男の由良助は、復讐の大義に

生きる男で、凄まじい熱気を放っていた。

 

『仮名手本忠臣蔵』「七段目」

平成二十四年(2012年)十一月二十四日

国立文楽劇場

 

大夫(当時の太夫の表記は大夫)

 

大星由良助    豊竹咲大夫

 

おかる       豊竹呂勢大夫

 

大星力彌     豊竹睦大夫

十太郎       竹本津国大夫

喜多八       竹本文字栄大夫

弥五郎       竹本南都大夫

仲居        豊竹咲寿大夫

仲居        竹本小住大夫

一力亭主     豊竹始大夫

斧九太夫     豊竹松香大夫

鷺坂伴内     竹本三輪大夫

 

寺岡平右衛門  豊竹英大夫後の六代目豊竹呂太夫

 

三味線

 

竹澤宗助

鶴澤燕三

 

≪人形役割≫

 

大星由良助    吉田玉女後の二代目吉田玉男


 

大星力彌      吉田文昇

矢間十太郎     吉田玉勢      


 

竹森喜多八     吉田文哉

千崎弥五郎     吉田清五郎

一力亭主     桐竹紋秀

斧九太夫     吉田文司

鷺坂伴内     桐竹勘壽


 

寺岡平右衛門  桐竹勘十郎

 

おかる      吉田簑助


 

 文楽『仮名手本忠臣蔵』七段目は神秘性が光り輝

いている。
 華麗で絢爛豪華な魅力は演劇の美が無限の力を

放っていることを感じさせてくれる。

 三宅周太郎は文楽の『仮名手本忠臣蔵』に厳しい

意見を書いているが、「七段目」だけは讃えて居る。

まるで元禄の時代の祇園の遊里に居るのではない

かと錯覚を覚えさせる程の幻想性を放っているとい

う意見は鋭い。

 

 物語の時代は南北朝であっても、登場人物の生活

様式は元禄である。この時代を超越した演劇表現は、

文楽と歌舞伎の個性である。

 南北朝時代に鉄砲が出てきたり、建築されていない

金閣寺が言及されたりする。作者達は時空を越えた

物語を書き、その自由な表現を以て、仇討の物語を

壮麗な表現で描き上げたのである。

 その華やぎを最も強く感じさせるのが「七段目」で

ある。いくら「自由奔放で行く」と言っても、物語・

ドラマの骨子がしっかりしていないと観客の心には

響かない。

 

 七段目は遊里で遊ぶ大星由良助が、おかるに秘密を

知られたと感じて、彼女を身請けするが、不憫ながら

口封じを意図し、彼女の兄寺岡平右衛門は自身の手

で妹を斬って仇討一党に加わろうとして、妹おかるは

最愛の夫早野勘平の死を知り、兄の為に身を捧げよう

として、由良助はその忠義を知り、兄妹を諌める。

 床下に潜むスパイの斧九太夫をおかるに刀を持たせて

刺させて、夫の仇討として、平右衛門の仇討一党参加を

許す。

 忠義と兄妹の絆と夫婦愛を語る大傑作である。

 

 文楽大夫は一人で複数の役を語れる技量を持って

いる。その名人たちが一人一役で役を勤めて、掛け合

いで語るから、演技合戦の豪華さは圧巻である。

 

 開巻で九大夫と伴内が一力に現れ亭主と語りあう。祇

園の華やぎが舞台に溢れる。

 豊竹始太夫の亭主が渋い。平成三十年二月十日に五

十歳の若さ急死された。

 この平成二十四年十一月二十四日の舞台では円熟の

芸を聞かせてくださった。

 

 由良之助の人形は紫の着物を来て、遊び人の粋な風情

を鮮やかに見せる。

 

 吉田玉女後の二代目吉田玉男が、遊びの世界に優雅に

生きる由良助を鮮やかに遣う。

 

 咲太夫が太い大音声で「捕まよ、捕まよ」を重厚

に語る。

 

 「遊んでいても心の底に忠義」という胆力が難し

く、歌舞伎だと役者の個性がどうしても出てしま

うけれども、人形では遊興そのものの世界にある

由良助がいる、という趣旨で三宅周太郎は『文楽

の研究』で讃えていた。

 

 咲太夫の語り、玉女後の二代目玉男の遣いによ

り、忠義の心を確かめつつ、悠然と遊ぶ由良助の

姿が生き生きと舞台に輝く。

 

 三輪大夫と松香大夫の時事ネタを入れた会話を

語る。自分が聞いた四日間は内容が毎回違ってい

た。

 

 二十四日公演は以下の通り。

 

 伴内「あの手水鉢の水かけて、文楽の補助金と

    とく」

 

 九太夫「その心は?」

 

 伴内「凍結されてはたまりません」

 

 当時市長の橋下徹弁護士は文楽を憎悪し、「文

楽はお客さんを考えていない」「自分たちの見た

い演目ばかり技芸員は上演している」と大嘘を捏

造し、誹謗中傷し、悪口雑言を喚いた。

 大阪市の補助金を人質に取って、「観客数が少

ない文楽に支給しない」と駄々をこねて口汚く罵

っていた。

 

 橋下徹弁護士に忖度する朝日新聞が、彼の暴言

を垂れ流した。

 日本維新の会が乱造乱発する出鱈目の大嘘を鵜

呑みにするブロガーやネットユーザーが文楽を聞

くこともなく文楽座や日本古典を誹謗するという

異常事態が起こった。

 

 国立劇場はそもそも日本古来の演劇を原作尊重

で演出することを課題として建設された。国立文

楽劇場は浄瑠璃を尊重して上演する事を課題とし

て建った。そして歴史的名舞台が技芸員の尊い芸

で現代劇場に明かされたのである。

 

 技芸員の演劇への情熱が沢山の名舞台を具現し

た。日本行政がそのことに支援をするのは当然の

事である。日本古典を「嫌だ嫌だ」と学びもせず

罵る橋下徹弁護士の蛮行こそ、日本侵略・日本破

壊の大罪である。

 しかし、技芸員諸氏はその暴挙に怒りもせず、

演目の中で笑いを取って語る。大人の対応をさ

れている。

 

 お軽の妖艶さに息を呑んだ。

 

 吉田簑助の至芸に圧倒された。おかるが可憐

で綺麗だ。

 

 呂勢大夫はおかるを華やかで妖艶な声で語

る。

 

 

 桐竹勘十郎が寺岡平右衛門の一徹な忠義を深

く探求する。

 

 英大夫後の六代目呂太夫の渋い語りが、平右

衛門の義と兄妹愛の心を熱く明かす。

 

 豊竹松香太夫が九太夫の老獪さと哀れさを渋

く語ってくれた。

 

 大詰において豊竹咲太夫の由良助が語る「賀

茂川で水雑炊を喰らわせい」の大音声に感動した。

 

 桐竹勘十郎の平右衛門は九太夫を持ちあげる。

 

 文楽ならではの演出であろう。



 

 文楽「七段目」は歴史的傑作だが、この十一

月二十四日の舞台は、文学・音楽・美術が一体

となって、演劇に顕現し、その演劇の命が燃え

たことを実感した。歴史的名舞台の七段目を鑑

賞した喜びで胸が一杯になった。

 

  平成二十四年(2012年)十一月の『通し狂

言 仮名手本忠臣蔵』は、大序・二段目・三段

目・四段目・五段目・六段目・七段目・八段目

・九段目・十一段目の上演であった。戯曲のほ

ぼ全体を一日で舞台化する快挙である。

 

 古典演劇は原作に忠実に舞台化してその命が

輝く。原作を尊び原作に学び原作に師事する。こ

の精神がなければ古典上演は成り立たない。

 

 

 読書も演劇鑑賞も読者・観客は心の真剣勝負

である。

 

 

 

 

 本日は平成三十一年(2019年)三月三十日発

表記事・四月八日発表記事を再編して名舞台を想

起した。

 

 大河大海が涸れた。巨星が堕ちた。

 

 浄瑠璃の心を語る師匠が亡くなった。

 

 咲大夫師を失くした穴は大きい。

 

 お弟子の太夫たちは偉大な師の語りに学び、師

が語り残した教えを未来に語り、観客の心を潤し

てくれるだろう。

 

 令和五年(2023年)完全優勝日本一の大夢を

達成した岡田彰布阪神タイガースは、咲太夫の声

援に応えV2連覇に向かって奮闘すると念じている。

咲太夫は熱き虎ファンであった。

 

 

 『仮名手本忠臣蔵』「四段目」「七段目」に

おいて、豊竹咲大夫は大星由良助における悲憤

の中に起こる忠と兄妹の真心を讃える義を語っ

た。

 

 豊竹咲大夫の大いなる声は、今もわたくしの

心に響いている。

 

 

                   合掌

 

忠臣蔵 十月一日