本多勝一師 九十二歳御誕生日 | 俺の命はウルトラ・アイ

本多勝一師 九十二歳御誕生日

 本多勝一(ほんだ・かついち)

 昭和七年(1932年)一月二十八日長野県

下伊那郡大島村に誕生。

 

 千葉大学・京都大学を経て、昭和三十四年

(1959年)朝日新聞に入社、昭和四十三年(1

968年)編集委員。

  

 昭和四十七年(1972年)朝日新聞社より南京

大虐殺を中国において調査・研究した書『中国

の旅』を発表しました。

 

 

 昭和十二年(1937年)十二月十三日、裕仁が統

治していた大日本帝国の軍隊は、中華民国を侵

略し南京に侵入・攻撃し、中華民国市民を虐殺

しました。

 

 1937年に起こった日中戦争において、深い歴

史事実であり、現代地球人が心に刻み学んで行

くべき事柄であります。

 

 裕仁が統帥していた大日本帝国軍隊が、三十万

の中国人を虐殺した。

 

 「戦争だから」と言って、裕仁統帥の軍隊が三

十万の中華民国国民を殺したことが許される訳で

はありません。


 戦後、大日本帝国から日本国となった日本は、

日中戦争における侵略・虐殺事件、太平洋戦争

における尊い内外の人々の犠牲を、深く痛み悲

しみ、憲法弟九条が説く戦争放棄の精神を大切

に守ってきました。


 本多勝一は、中国において南京虐殺事件を

尋ね、『中国の旅』として発表しました。



 戦争の残酷さを学ぶことによって、平和希求の

大切さを確かめた書籍です。

 しかし、残念なことに、戦後日本では、南京事

件を否定し、犠牲者・被害者を侮辱する暴言が

罷り通っています。

 安倍晋三総理(当時)は、平成二十七年(20

15年)八月十五日に、戦後七十年談話で、「子

供たちの世代には外国に謝罪させない」と語り、

同年九月十九日戦争法案というべき平和安全法制

を強引に成立させました。

 

 何故安倍晋三議員が「子供達に謝罪をさせて

はいけない」等と勝手に決めるのでしょうか。晋

三総理ご自身は真剣に南京事件を謝罪したこ

とがあるのでしょうか?

 

 

 

 河村たかしの南京大虐殺否定の暴言に「賛同します」

という意見を述べたひとは、安倍晋三です。

 

 子供達に、南京大虐殺の恐ろしさを伝え、二度と

戦争を起こさないことの大切を知ってもらうこと。こ

れは大人達の課題です。

 

 

 岸田文雄総理の野望は、大日本帝国を復活させ、

大日本帝国の亜細亜諸国侵略を美化し、アメリカ政

府の指示を仰ぎながら新たな戦争を起こす計画であ

ると思います。

 

 自民党改憲草案の天皇元首化が強行されたとし

ても、徳仁・文雄共にアメリカ政府に逆らうことは

まずないでしょう。アメリカ政府に従いながら戦争

国家として進む。これが自公維新国民民主の野望で

しょう。

 本多勝一は『中国の旅』で「中国人にとっては

「日本軍国主義」は抽象的な言葉や数字ではなく、

自分の肉親が殺され、家を焼かれた具体的風景

なのだ」(11頁)と確かめています。

 

   もし、謝罪して日本が再び戦争をしたら、嘘

   をついたことになる。日本が再び戦争しない

   国であることを貫くことが、南京大虐殺の犠

   牲者と中国人に対して、本当の謝罪になる

 

 本多勝一の言葉は重く深いです。


 八十七年経った現代において歴史事実を学び、

二度と戦争をしないと誓う平和憲法第九条の言葉

を聞き直し、九条の戦争放棄を守って行くことが、

現代日本人・定住外国人の課題です。

 

 昭和十二年(1937年)十一月から十二月に野田毅

少尉と向井敏明少尉が中華民国の兵百人斬りをど

ちらが先に達成するかを競争したと報道した記事を

紹介しました。

 

 野田毅・向井敏明が昭和二十三年(1948年)一月

二十八日に南京軍事法廷で処刑されました。

 

 『殺す側の論理』でイザヤ・ベンダサンこと山本七平

が本多勝一に対してこの話は「伝説」と否定しました。

 本多勝一は当時の新聞記事を基に説明します。

 

 野田少尉・向井中尉共に日中戦争当時の談話で百

人斬りを否定しない。

 

 

 

 

 昭和五十年(1975年)十月三十一日、宮殿石橋

の間において、裕仁と皇后良子後の香淳皇后の

記者会見が開催されました。戦争責任と広島原爆

投下事件について記者から質問がありました。   

 

   記者「陛下はいわゆる戦争責任について、

       どのようにお考えになっておられま

       すか?」     

 

   裕仁「そういう言葉のアヤについては、私は

       そういう文学方面はあまり研究してい

       ないので、よく分かりませんから、そう

       いう問題についてはお答えができか

       ねます。」   

 

   記者「陛下は、これまでに三度広島へお越

       しになり、 広島市民に親しくお見舞い

       の言葉をかけておられる訳ですが、戦

       争終結に当たって、原子爆弾投下の

       事実を、どうお受け止めになりました

       でしょうか?」  

 

   裕仁「原子爆弾が投下されたことに対して

       は遺憾に思っていますが、こういう戦

       争中である事ですから、どうも、広島

       市民に対しては気の毒であるが、や

       むを得ないと思っております。」 

 

 戦争責任を「言葉の綾」と誤魔化し、「文学方

面」の事柄 と決めて答えられないと逃げる。広

島の民が原子爆弾で虐殺されたことに対して

「やむを得ない」とその死を冒涜しています。

  これが大日本帝国統治者であり、大日本帝

国陸・海・空軍 を統帥していた大元帥だった

男の言葉です。裕仁を守る為命を捨てて戦った

帝国臣民を裏切った。

 

 南京大虐殺の真犯人・最高責任者は裕仁

です。

 

 日本国が真剣に戦争責任を果たそうとするな

らば、裕仁の虐殺の罪を糾弾し、天皇制を廃止

することが課題になります。

 

 

 朝日新聞や半藤一利は虐殺者裕仁を美化す

る罪を犯しています。

 日本国憲法は天皇条項の第一条から第八条

は完全削除し、第九条の戦争放棄は改変不可

・永久守護とする事を明記するように「改正」す

べきです。

 

 

 

 日本国政府が憲法第九条戦争放棄を改変する等

とんでもない暴挙です。

 

 「自民党の改憲本丸は緊急事態条項独裁で戦争放棄

に自衛隊明記は安全」という思い込みは自民党を利

するだけです。

 

 勿論mRNA致死猛毒強制を成り立たせる緊急事態

条項独裁やパンデミック条約等粉砕しなければならな

い。

 

 戦争放棄は大日本帝国崩壊敗戦・日本国成立以後

象徴となった元元首裕仁に二度と戦争をさせない変

わりに天皇の位を保証するという成立事情がありま

した。

 

 戦争放棄を変えるならば、当然天皇制は廃止し

なければならない。徳仁・文仁・悠仁・明仁が率

先して天皇制・皇室廃止に取り組むべきです。
   
 

 

 平成三年(1991年)本多勝一は朝日新聞社を退社

し、平成六年(1994年)五月『週刊金曜日』編集長に

就任します。

 

 平成十五年(2003年)四月二十八日向井敏明少

尉・野田毅少尉の遺族から名誉を傷つけられたと

して、本多勝一・柏書房は訴えられましたが、平成

十七年(2005年)八月二十三日東京地方裁判所、

平成十八年(2006年)五月二十四日高等裁判所、

平成十八年(2006年)十二月十二日最高裁判所は

原告の訴えを退けました。

 

 

 日本政府は公式見解として、外務省のホームページ

において、

 

    日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の

   殺害や略奪行為等があったことは否定できない

   と考えています

 

 と述べています。しかし、被害者の数の問題では

諸説あるという立場を取っています。

 

 

歴史問題Q&A|外務省 (mofa.go.jp)

 政府の見解として虐殺を認めています。

 

 南京大虐殺事件の犠牲者の方々に哀悼の意を

表し、日中の平和を祈念します。

 

 

 雑誌『週刊金曜日』1015号・1016号・1017号・101

8号・1019号で本多勝一と藤岡信勝が南京事件に

ついて討論をされました。

 

 藤岡信勝は事件を否定し「犠牲者はゼロだった」と

とんでもない意見を述べました。

 

 本多勝一は「殺す側の論理」であることを語り、数

のトリックでごまかしは効かないことを明かし、南京

事件は研究が進み史料によって事件の事実が裏付

けされていることを明かしました。

 

 藤岡信勝の駄々をこねた暴言に対して、本多勝一

は丁寧に応えます。

 

 中国で事件を取材・調査・探求した本多勝一の発言

は重いです。

 

 本多勝一は南京事件の研究書として藤原彰・笠原十

九司の著書を推薦されています。

 

  『南京事件』は南京大虐殺の被害を笠原十九司が研

究した大著です。

 

 凄惨な記録に震えが起きますが、犠牲者達の痛みと恐

怖を心に刻みます。

 ネトウヨさんたちは「本多勝一は日本が嫌いな

のだろう」と決めつけていますが、本多勝一の著書

を読んでないなあと痛感します。「我が祖国日本」

と明記しているし、「骨のズイまで日本人」と自己

確認しています。天皇制・皇室・君が代・日の丸で

はなくて郷里長野の自然や川や米に「日本」を感じて

いる。本多勝一は日本の自然を熱愛・敬愛している

人です。

 

 本多勝一の教えに平和の大道を学びます。

 

 本多勝一師

 

 九十二歳御誕生日

 

 おめでとうございます

 

 

                  文中一部敬称略

 

 

 令和六年(2024年)一月二十八日

                       合掌


                 南無阿弥陀仏


                      セブン