映画『夜の鼓』と歌舞伎『堀川波の鼓』 併せて考える  | 俺の命はウルトラ・アイ

映画『夜の鼓』と歌舞伎『堀川波の鼓』 併せて考える 

『夜の鼓』

映画 95分 白黒

昭和三十三年(1958年)四月十五日公開

製作国  日本

製作    現代プロダクション

配給    松竹

 

製作    山田典吾

原作    近松門左衛門

       『堀川波の鼓』

脚本    橋本忍

       新藤兼人

撮影    中尾駿一郎

照明    平田光治

録音    空閑昌敏

編集    河野秋和

美術監督 水谷浩

衣裳考証 上野芳生

道具考証 高津年晴

音楽監督 伊福部昭

邦楽   豊沢猿二郎

      望月太明吉


 

出演

 

三國連太郎(小倉彦九郎)

 

森雅之(宮地源右衛門)

 

日高澄子(おゆら)

雪代敬子(お藤)

奈良岡朋子(おりん)

東恵美子

毛利菊枝(きく)

夏川静江(なか)

 

中村萬之助(小倉文六)

東野英治郎(黒川又左衛門)

菅井一郎(太田四郎兵衛)

加藤嘉(間瀬兵馬)

殿山泰司(政山三五郎)

柳永二郎(米林外記)

松本染升(成山忠太夫)

浜村純(和久田市之進)

島田屯(又平)

金子信雄(磯部床右衛門)

 

有馬稲子(お種)

 

監督 今井正

 

☆☆☆

中村萬之助→二代目中村吉右衛門

☆☆☆

平成十年(1998年)十月十日

京都文化博物館映像ホールにて鑑賞

☆☆☆

 

 鳥取藩士小倉彦九郎は江戸での勤めを

終え、愛しい妻種に会いたい気持ちを燃やし

帰国に向かう。

 しかし、鳥取に帰ると、種が不義密通を働

いたという噂を聞いた。不貞の相手は鼓の

師匠の宮地源右衛門だという。宮地は種を

思っていた。

 彦九郎は愛する妻種を問い質す。種はき

っぱりと否定する。

 だが、噂を蒔いたと思われる磯部床右衛門

を彦九郎が厳しく問い詰めると、磯部は種の

不義を語った。

 

 磯部も種に想いを寄せていたのだった。彼は

彦九郎が留守であったことを狙って、種に迫った

が宮地に阻まれたのだった。

 

 彦九郎は再び種を問い詰めた。遂に種は語

った。酒が入っていたこともあり、思いつめて

いた暮らしから、宮地の口説きに合って、思わず

許してしまったのだった。

 

 不義密通は許されぬことで、彦九郎は最愛の

妻に自害を命じる。種は自害せねばならないと

思うものの、死にたくないという気持ちが抑えら

れない。

 

 彦九郎は涙を飲んで最愛の妻種を斬る。

 

 一子彦六が泣く。

 

 彦九郎・彦六親子は妻仇討ちの旅に出て、宮

地を襲い、斬った。妻仇(めがたき)討ちを成就

するが、愛する妻が戻ってくる訳ではない。彦九

郎の心の悲しみも又晴れた訳ではないようだ。

 

 ☆今井正・橋本忍・新藤兼人が

  歌舞伎映像化に挑戦☆☆☆

 

 

 『堀川波の鼓』は近松門左衛門の作品

である。宝永四年(1707年)に初演された。

 

 鳥取藩士大蔵彦八郎が妻と密通した

宮井伝右衛門を京都堀川で斬った事件

を基に門左衛門が脚色劇化した。

 

 

 

 小倉彦九郎は妻種を溺愛している。

 

 だが種は一夜浮気(不義)をしてしまった。夫の

同僚磯部に言い寄られ、鼓の師匠宮地に助けら

れたが、酒を飲んでいたこともあり、宮地の誘惑

に合い、彼に身体を許してしまう。

 

 種は自害する。彦九郎は泣き、妻仇討ちとして

宮地を襲い斬った。

 

 原作と映画の最も強い違いは、原作では種が

不義を認め、従容と自害するが、映画では種が

死を中々受容できず夫の刃で斬られて死ぬこと

であろう。

 

 橋本忍・新藤兼人は原作を大胆に脚色し、過去

の回想と現実の歩みを巧みに構成して脚本を書き

上げた。

 

 三國連太郎の小倉彦九郎は武骨・剛直で真面目

で誠実な男である。妻を深く愛しているが、愛する妻

を助けたいと願いつつ、武家社会の掟から斬らざるを

得ない悲しみを力強く表現する。

 

 

 三國連太郎は大正十二年(1923年)一月二十日

群馬県に誕生した。本名は佐藤政雄である。

 平成二十五年(2013年)四月十四日、九十歳

で死去した。

 

 

 

 有馬稲子のお種の魅力が光り輝いている。夫彦

九郎を愛しながら、酒を飲んで抑えていたものが乱

れてしまい、磯部は否定し得たが、宮地の誘惑にあ

って思わず身を任せてしまう心の変化を視線で鮮や

かに表現した。

 宮地の口説きに合って彼との不倫を決意した解放

感いっぱいの表情は忘れられない。

 夫を愛しながらも、宮地との不倫に喜びを感じてし

まう。

 有馬稲子の豊かな演技で、今井正は女の複雑な

心理の動きを鮮やかに捉えて銀幕に映した。

 

 森雅之の宮地は存在感が重厚である。

 

 初代中村萬之助後の二代目中村吉右衛門は少年

時代から名優であったことが窺える。

 母種を思う心が熱い。

 

 

 金子信雄は、大正十二年(1923年)三月二十七日

に東京府東京市に誕生した。平成七年(1995年)

一月二十日に七十一歳で死去した。

 

 磯部床右衛門役は好色で執拗で粘着質なワル

の魅力がたっぷりと滲み出ていた。種に言い寄る

が否定され、彼女にとって不利な噂をばらまき、彦

九郎に問いただされると臆病になって喋り出す。

 美しい人妻を虐め、強靭な存在である相手の夫

に媚びる弱さをじっくりと見せてくれた。

 

 三國連太郎の彦九郎が金子信雄の磯部と対決

して白状させるシーンは、二人の演技合戦が火花

を散らし、三國の剛と金子の柔の個性が出た。

わたくしの映画鑑賞本数が少ないのかもしれない

が二大名優三國連太郎対金子信雄の競演作品はあ

まり見た事がない。

 内田吐夢監督作品『自分の穴の中で』において

二人は出演しているが激突競演とは言い難い。

 彦九郎と床右衛門で火花散る競演を見せる本作

はこの場面のみを取っても見応え十分である。

 

 やっぱりネコさんは嫌らしくて卑劣で臆病な男

が巧い。

 

 三國連太郎の彦九郎の一徹さは光っている。

 

 彦九郎が宮地を襲い、妻仇討ちを為すシーンの

三國連太郎の怖さは凄まじい。

 

 この妻仇討ちがカタルシスを呼ばないが、それ

は近松も、橋本・新藤も想定したことだと思う。

 

 宮地とお種は不貞を働き、不義を犯した。しかし

それだけで宮地が斬られるのは哀れだ。

 

 今井正は、原作で自害する設定だったお種を、

映画では生きたいという気持ちを夫に踏みにじら

れ斬られる存在として描き、犠牲者として強く打ち

出している。

 

 有馬稲子が悲劇美を鮮明に描いている。

 

 今井正監督が独自の視点で近松門左衛門の

浄瑠璃を深く映像化した名作である。

 

 

 平成二十八年(2016年)一月二十日発表記事

に令和六年(2024年)一月十三日・二十日に再

編・加筆した。

 

関西・歌舞伎を愛する会 第三十回

七月大歌舞伎 夜の部

令和四年(2022年)七月二十二日

大阪松竹座 二階八列二番 ​​​​​

 

堀川波の鼓

作 近松門左衛門

脚色 村井富男

演出 大場正昭

 

小倉彦九郎 片岡仁左衛門

 

おゆら   片岡孝太郎

宮地源右衛門 中村勘九郎

お藤     中村壱太郎

文六     片岡千之助

角蔵     中村寿治郎

覚念     片岡松十郎

磯部床右衛門 中村亀鶴

お種     中村扇雀

 

 片岡仁左衛門の小倉彦九郎は美しい。

舞台に現れた瞬間光と輝きに息を飲む。

愛妻のもとに帰ってきた喜びと幸福感

が溢れている。その後妻の一夜の浮気

を知り罰せねばならない苦悩が迫って

くる。

 

 『堀川波の鼓』は幸福感に始まり悲

惨さに終わる。

 

 開幕から幕切れまでこの構成なのだ。

 

 

 中村扇雀は夫を愛しつつ酒が因で浮気

してしまうお種を鮮やかに勤めた。

 情が豊かで優しい女性である。色気も

素敵だった。

 

 中村勘九郎の宮地は気品豊かだった。

仁左衛門が休演している間は彦九郎を

勤めていたという。隼人の宮地と共に

こちらも観たかったのだが、時間が取

れたのは七月二十二日だけだった。

 

 壱太郎のお藤は姉思いの心が豊かだっ

た。

 

 彦九郎への求愛を本気と思い込んでお

種がお藤を打擲する場も強烈である。

 夫への愛がお種の根本に在り、それを

裏切ってしまったという自責が割腹の因に

なる。

 

 片岡孝太郎のおゆらは迫力豊かだ。

 

 父・息子による兄妹激突は凄みがある。

 

 仁左衛門が相手ということもあり、孝

太郎が思いっきりぶつかっっていること

が窺える。

 

 千之助の文六は繊細で綺麗だった。

 

   黙っている間の芝居が大事で、

   武士として成敗しなければなら

   ないという思いと、助けたい気

   持ちが彦九郎の中で格闘してい

   ます。

 

 公演筋書50頁のインタビューで片岡

仁左衛門は彦九郎の苦悩を確かめている。

 

 持仏堂で武士の役目として不義を罰し

成敗しなければならない課題と愛妻の生

命を助けたい心の板挟みになる様を無言

で現した。

 

 「女」と妻種に呼び掛ける声が重い。

 

 扇雀は痛みを堪える芸が鋭く、致命傷

で彦九郎への愛を貫く死に様を重厚に勤

めた。

 

 「何故尼にして命乞いしてくれなかった

か」の彦九郎のおゆら・お藤・文六への

悲憤は愛妻を守り切れなかった彦九郎自身

への糾弾である。

 

 片岡仁左衛門の重く深い声がその心を教

えてくれた。

 

 震えの芸は泣きそうで堪えていることを

伝えてくれる。

 

 最愛の妻に腹を斬られ介錯せざるを得な

かったことへの限りない悲しみが示されて

いる。

 

 片岡仁左衛門は当時七十八歳であったが

若く美しい。

 ◎

 令和四年七月三十一日発表記事を

再編している。

 ◎

 『夜の鼓』では有馬稲子の種がなかなか自害

を受容できず、三國連太郎の彦九郎の刃にかか

って死ぬ。

 

 歌舞伎『堀川波の鼓』において種は従容として

死を受け入れ夫に介錯される。

 

 共に彦九郎は種を愛したが、救えなかったこと

に自責の念がある。

 

 歌舞伎では最近宮地討ちまで上演してくれない

のだが、大詰上演は大事だと思う。

 

 『夜の鼓』で彦九郎が宮地を討って改めて妻

を失くした悲しみがこみあげる大詰は切ない。

 

 文楽・歌舞伎の映像化は、昭和時代になされ、

数多くの名作を日本映画界は発表公開した。

 

 だが、現在は殆ど見られなくなってしまった。ス

タッフが難解だが深い浄瑠璃を読み聞くという営

みを避けているのではないか?

 

 日本の尊い古典浄瑠璃の世界に飛び込む。この

ことも映画界の課題である。

 

 歌舞伎界は漫画やアニメの舞台化に汲々とせず、

近松門左衛門の名作の舞台化に挑んで欲しい。

 

 映画と歌舞伎においても同じ原作を映像化・

舞台化して共に名作を呼び起こしている。

 

 『堀川波の鼓』の舞台化と映像化版『夜の鼓』

を併せて考察するという試みは一度書いてみたか

ったのである。

 

 

                         文中敬称略

 

                             合掌


 

                       南無阿弥陀仏


 

                            セブン