輪島大士 石川県が生んだ大横綱 | 俺の命はウルトラ・アイ

輪島大士 石川県が生んだ大横綱

 輪島大士(わじま・ひろし)

 

 大相撲第四十五代横綱

 本名 輪島博(わじま・ひろし)

 

 昭和二十三年(1948年)一月十一日、石川県

七尾市に生まれた。

 

 

 金澤高等学校・日本大学で相撲に励み、学生

横綱に輝く。

 

 昭和四十五年(1970年) 大相撲花籠部屋

に入門し、初場所幕下付け出し力士として初土

俵を踏む。最初の四股名は、本名そのままに輪

島博であった。

 昭和四十六年(1971年)初場所新入幕を果た

し九勝六敗の成績で勝ち越す。

 

 昭和四十七年夏場所十四日目

 (1972年5月27日)

 

 輪島 対 高見山

 

初優勝 高見山

 輪島 上手出し投げ 高見山

 

  関脇輪島博は十二勝三敗で初の幕内最高優

勝を成し遂げた。

 

 同年九州場所より輪島大士(わじま・ひろ

し)を名乗る。

 

 

 

 昭和四十八年夏場所十四日目

 (1973年5月26日)

 蔵前国技館 

 

 輪島対北の富士

 

 十三連勝の大関輪島は優勝に王手をかけ

て横綱北の富士に挑戦した。九勝四敗の戦

績であった北の富士は綱の意地を賭けて、

輪島の全勝優勝阻止に意欲を燃やす。

 

 立ち合い当たって、北の富士は猛烈な突っ

張りで輪島を攻撃した。北の富士の鋭く強い

突きを受けたが、輪島は堪えて左四つに組み

止め、黄金の左を差して下手を十分に引き、

右からしぼる。

 

 北の富士は上手が遠く、引きに行く。右上

手を取る。

 

 この瞬間を逃がさず輪島は左から強烈な投げを

打ち、掛け投げ気味に左下手投げを打って横綱を

倒した。

 

 十四戦全勝で二度目の優勝を決めて、横綱昇進

に近付いた。

 輪島 下手投げ 北の富士

 

 十五戦全勝 二回目の幕内最高優勝。

 

 場所後五十四代横綱に推挙される。

 

 昭和四十八年秋場所 

 十三日目(1973年9月21日)

 輪島対富士櫻

 

 

 富士櫻は立ち合い当たって猛然と突っ張る。

 

 

 輪島は突きを堪え、富士櫻の右腕を左で決め

小手投げを打つと、これが鮮やかに決まった。

 輪島 小手投げ 富士櫻

 

 

 十五戦全勝 三回目の優勝

 

 

 昭和四十八年九州場所十二日目

 1973年11月22日

 福岡スポーツセンター

 輪島対貴ノ花

 

 立ち合い当たって突っ張り合いとなり、右

四つになる。

 

 輪島は左上手を十分に引き、豪快に貴ノ花

を吊って吊り出した。

 これで初日から十二連勝を達成し優勝に大

きく近付いた。秋場所初日からの勝ち続け

二十七連勝も成し遂げた。

 

 

 しかし、この取組で右手を痛めてしまっ

た。

 

 翌日V4を達成したが、右手の怪我はこの

後も輪島にとって痛みとなって思うように

取れない事態を引き起こす。

 

 

 十二勝二敗一休  四回目の幕内最高優勝

 

 

 昭和四十九年(1974年)春場所

 

 昭和四十九年春場所

 千秋楽(1974年3月24日)

 大阪府府立体育館

 十二勝三敗 五回目の幕内最高優勝

 

 輪島対琴櫻

  東横綱輪島大士は西横綱琴櫻傑将(ことざ

くらまさかつ)と対戦した。

 立ち合い当たって輪島は左小手投げを打って

琴櫻を崩し寄り立てる。琴櫻は必死にうっちゃ

りを打つ。しかし、勢いに乗った輪島は寄って

琴櫻を寄り倒した。

 

 輪島 寄り倒し 琴櫻

 

 十二勝三敗 五回目の幕内最高優勝

 

 

 昭和四十九年(1974年)名古屋場所

 

 千秋楽(1974年7月21日於愛知県体育館)

において、十二勝二敗の横綱輪島と十三勝一

敗の大関北の湖が千秋楽結びの一番で激突し

た。

 

 

 

 輪島対北の湖

 北の湖は左四つに組んで一気に攻め外掛け

を打つ。しかし、輪島の粘り腰は強靭で掛け

投げ気味に投げを打ち、左足を跳ね、そのま

ま下手で投げた。

 輪島 下手投げ 北の湖

 

 優勝決定戦 輪島対北の湖

 

 立ち合い両者当たって左四つとなる。輪島は

左下手、右おっつけで攻める。北の湖は右上手

をひきつけ、一気に出るが、土俵際で輪島は

金の左で下手投げを豪快に打って、北の湖を土

俵下に投げた。

 

 

 

 輪島 下手投げ 北の湖

 

 十三勝二敗 六回目の幕内最高優勝

 

 

 

 昭和四十九年秋場所千秋楽

 (1974年9月22日於蔵前国技館)。

 

 輪島対北の湖

 

 輪島は十四日目に十三勝を挙げ優勝を決めた。

 

 新横綱北の湖は十一勝三敗であった。

 

 

 

 立ち合い輪島は当たって右上手を引き、北の湖

は左差しで右からおっつける。

 北の湖は輪島の上手を切り、右上手を一枚まわ

しで引く。輪島は右からおっつけ、右上手を引いて

より、外掛けを打って崩して寄り切った。

 

 輪島 寄り切り 北の湖

 

 

 十四勝一敗 七回目の幕内最高優勝

 

 

 昭和五十年(1975年)春・夏・名古屋の

三場所を緑まわしの輪島は休場し元力士の大

先輩相撲評論家から厳しい叱責を受けていた。

限界説も囁かれていた。二十七歳の輪島はバ

ケツ一杯の野菜を食べランニングに精進し秋

場所十勝を為し横綱としての最低限度の課題

と言われた成績を為して復活への道を示した。

 しかし、この年一度も優勝できなかった。

 

 

 

 昭和五十一年(1976年)春場所は七日目・

十三日目に府立体育館で祖父と共に観戦した。

この二日間輪島は一勝一敗である。対長谷川

戦の勝利に感動し、対貴ノ花戦の敗戦は悔し

かった。

 

 千秋楽結びの一番、輪島は北の湖敏満と大

激闘を戦い、左四つで寄り立ててくる北の湖

を左下手投げで倒した。

 

 

 

 昭和五十年初場所千秋楽に寄り切りで勝っ

て以来の対北の湖戦の勝利である。場所本割

成績は十三勝二敗。旭國との優勝決定戦であ

る。

昭和五十一年春場所

 輪島 下手投げ 北の湖

 

 

 

 優勝決定戦

 

 輪島 対 旭國

 

 立ち合い両者当たって、旭國は低く攻めた。

輪島は引いて叩くと旭國は両手を付いた。

輪島 旭國

 輪島 はたきこみ 旭國

 

 輪島涙の復活優勝であった。V8を達成した。

 

 大横綱輪島大士は感激し男泣きに泣いた。

 

 名古屋場所千秋楽(1976年7月18日於愛知県

体育館)十三勝一敗の輪島と十二勝二敗の北の

湖は、千秋楽結びに一差優勝決戦をなした。

 

 輪島 対 北の湖

 

 輪島は張って左を差して右から強烈に北の

湖の左をおっつける。北の湖は右上手を引い

て寄るが輪島は左下投げを打って残す。

 

 北の湖は怒涛の寄りを見せるが輪島は土俵際

で残し粘りを見せ、右上手を引いた。

 輪島は一枚まわしの右上手を引き、寄り立て

て寄り切った。 

 輪島 寄り切り 北の湖

 

 

 大熱戦を制してV9・名古屋場所二度目の優勝

を達成した。

 

  昭和五十二年(1977年)初場所は蔵前国技館

で開催された。

 千秋楽(1月23日)結びの一番。十二勝二敗の

相星で両横綱が激突した。 

 

 輪島 対 北の湖

 

 立ち合い当たって左四つがっぷりとなった。北

の湖は吊り寄りで攻めるが輪島は堪える。輪島は

北の湖が腰砕けになった状態に素速く浴びせ倒し

た。

輪湖

 輪島 浴びせ倒し 北の湖

 

 名古屋場所千秋楽(1977年7月17日於愛知県

体育館)。輪島は十四勝、北の湖は十三勝一敗

の一差で、千秋楽結びの一番に対決した。

 

 輪島 対 北の湖

 

 

  

 立ち合い両者当たって、輪島は左下手、北の

湖は右上手・左下手両まわしを引く形になった。

北の湖の左手を抑えつつ、輪島は一度右上手を

引き離ししぼるかと見せて抱える。

 

 北の湖が攻めるが、輪島は一度頭をつけよ

うとする。

 

 上手投げから寄り立てる北の海だが、輪島は

残す。

 

 北の湖の外掛けを堪えた輪島は巻きかえて一度

右四つになり頭をつける。

 

 大熱戦となり輪島は北の湖をすくい投げで倒

すと土俵に俯せになって倒れてしばらく起き上

がれなかった。

  

 輪島 掬い投げ 北の湖

 

 輪島大士にとって三度目にして最後の十五

戦全勝であった。

 

 

 九州場所千秋楽(1977年11月27日 於福岡

九電記念体育館)輪島と北の湖は十三勝一敗

の戦績で千秋楽結びの一番に相星決戦を為

した。

 

 輪島 対 北の湖

 

 立ち合い、両者共に左を差した。北の湖は右

上手、輪島は左下手を十分に引く。北の湖が左

下手もぐっと引くのに対して、輪島は右上手を取

れない。輪島が右上手を引くと、北の湖は吊る。

 輪島は堪え、右手を宙において拳を握り攻め

る機会を待つ。

 北の湖が寄ると、輪島は堪えて、北の湖の左手

を右からかかえた。

 北の湖が怒涛の寄りで攻めると、輪島は左から強烈な

下手投げを打って残した。右おっつけを経て上手を引く

輪島。

 北の湖の左手を右から絞る輪島は、再び左下手投げ

を打つ。北の湖も懸命に堪えて、左差し右上手の体勢

を取る。

 

 輪島は右上手を引き、両者胸を合わした。

 

 北の湖は腰を割って吊ろうとするが、輪島も堪え

る。

 

 

 ぐっとまわしを引く北の湖。再び腰を降ろし、渾

身の力で吊りに行く。腰が入り過ぎていたようだ

った。

 

 輪島の左足は、北の湖の右足を切り返すと、北

の湖は仰向けに倒れた。

 

 

 輪島 切り返し 北の湖

 

 

 輪島V12達成の瞬間であった。

 

 輪湖優勝決定千秋楽結びの一番での

対決はこの戦いが最後で輪島が勝った。

 

 二人の千秋楽相星優勝決定戦は完全

に互角であった。

 

 昭和五十一年(1976年)初場所

 十二勝二敗対決 北の湖勝利

 

 昭和五十一年(1976年)九州場所

 十三勝一敗対決 北の湖勝利

 

 昭和五十二年(1977年)初場所

 十二勝二敗対決 輪島勝利

 

 昭和五十二年(1977年)九州場所

 十三勝一敗対決 輪島勝利

 

 偶然にも二年連続で初場所十二勝

二敗決戦、九州場所十三勝一敗決戦

となり、北の湖連勝、輪島連勝で五分の

戦績となった。

 

 昭和五十二年(1977年)九州場所千秋

楽の十三勝一敗の相星対決が輪湖最後の

千秋楽優勝決戦となった。

 

 

 昭和五十四年名古屋場所千秋楽

 優勝決定戦 輪島対三重ノ海

 1979年7月15日

 愛知県体育館

 

 

 千秋楽本割で十四勝の横綱輪島と十三勝

一敗の大関三重ノ海が激突し、三重ノ海が

気迫の寄り倒しで勝った。両者共に十四勝

一敗で優勝決定戦となった。

 

 横綱昇進を確実にした三重ノ海は決定戦

で勝って逆転優勝を成し遂げたいところで

あった。この時期三重ノ海は本割の対戦で

輪島を圧倒していた。輪島ファミリーの一

員と言われ遊び仲間でもあった三重ノ海は

仲が良いだけに輪島戦に凄まじい闘志を見

せ土俵では圧倒することがしばしばあった。

 

 前述の昭和五十二年九州場所の輪島の

V12で唯一の黒星を付けたのは三重ノ海

である。凄まじい張り手の攻めで三重ノ

海は輪島を寄り切った。

 昭和五十四年千秋楽、わたくしは確実に

三重ノ海に輪島は連破されると思い込んで

いた。

 だが、輪島は意地を見せた。四度目の

優勝決定戦出場の輪島と初出場の三重ノ

海は緊張感の受け止めが違ったのかもし

れない。

 

 優勝決定戦 輪島対三重ノ海

 輪島は立ち合い当たって左を差し、三重

ノ海の右手を小手に決め上手を引く。

 

 

 吊り寄りで輪島が攻めそのまま土俵際

に追い込んだ。三重ノ海は投げを打って

抵抗した。だが輪島が寄り三重ノ海が土俵

を割った。

 

 

 

 輪島 寄り切り 三重ノ海

 

 名古屋場所四回目の優勝・通算十三回目の

優勝を成し遂げた。

 

 

 昭和五十五年(1980年)九州場所は福岡

九電記念体育館で開催された。

 輪島は初日から連勝街道を邁進し優勝争い

をトップで走った。

 十四日目(1980年11月22日)。十二勝一

敗の東横綱若乃花は、十三勝の東張り出し横

綱輪島を寄り倒しで破り、二人は十三勝一敗

で並んだ。

 

 千秋楽(1980年11月23日)。結び一番前に

輪島対貴ノ花、結びが若乃花対北の湖の対戦

であった。この日わたくしは祖父とテレビ観

戦を為した。

 

 輪島対貴ノ花

 

 立ち合い両者当たり、輪島は左差し右おっつ

けの体勢で一気に寄る。貴ノ花の引きに乗じて

電車道で進み押し倒した。

 輪島 押し倒し 貴ノ花

 

 十四勝一敗の成績を輪島は成し遂げた。

 

 

 結びの一番で北の湖が若乃花を寄り切っ

た。若乃花は十三勝二敗となり、輪島の優

勝が決まった。

 

 

 輪島大士 

 幕内最高優勝十四回目 

 十四勝一敗

 

 これが最後の幕内最高優勝となった。

 

 

 昭和五十六年(1981年)春場所二日目

関脇琴風豪規に寄り切られた輪島は翌日

(1981年3月10日)に引退を表明する。この

日対戦相手だった巨砲丈士は不戦勝とな

った。

 

 輪島大士

 生涯通算成績 

 六百七十三勝二百三十四敗八十五休

 

 幕内成績

 六百二十勝二百十三敗八十五休

 

 年寄花籠昶光(はなかご・ひさみつ)・花籠

大嗣(はなかご・ひろし)・花籠大士(はなかご・

ひろし)を名乗り、親方として活動したが、昭和

五十七年(1982年)十二月に廃業した。

 

 昭和六十一年(1986年)から六十三年(1988

年)までプロレスラーとして活動し、その後相撲

評論家・タレントとして歩んだ。

 

 平成三十年(2018年)十月八日東京都内の

自宅で死去した。七十歳。

 

 

 令和六年(2024年)一月一日能登半島大地震

が起こった。

 

 亡くなられた方々に哀悼の意を表します。

 

 被災されている方々にお見舞い申し上げます。

 

 石川県の方々の無事を祈っています。

 

 幕内最高優勝十四回の偉業を成し遂げた輪

島大士は石川県の星と想像している。

 

 石川県が生んだ大横綱輪島大士は今もファン

の心をときめかせ胸を熱くする。

 

 本日令和六年(2024年)一月十一日は七十六

回目の誕生日である。

 

 右からのしぼりで相手を起こし黄金の左によ

る下手投げを豪快に決める。

 

 輪島大士は史上最強のヒーローである。

 

                文中敬称略

 

                   合掌

 

 

               南無阿弥陀仏

 

 

                  セブン