初代吉田玉男師の戦争放棄守護の教え 裕仁の虐殺責任を糾弾する | 俺の命はウルトラ・アイ

初代吉田玉男師の戦争放棄守護の教え 裕仁の虐殺責任を糾弾する

 初代吉田玉男

 本名上田末一

 人形浄瑠璃文楽の人形遣い

 吉田玉男師
 大正八年(1919年)一月七日誕生。
 平成十八年(2006年)九月二十四日死去。
 八十七歳。

 

 
 
 戦争中皇軍兵士として従軍されました。
 
 戦後尊い遣いで浄瑠璃の心を客席の観客に
教えて下さいました。
 
 平成十四年(2002年)四月十日国立文楽劇場
公演『通し狂言 菅原伝授手習鑑』において、
吉田玉男の菅丞相こと菅原道真を鑑賞しました。
 
 昼夜通しの一日かかりの通しの上演でした。
 
 筆法伝授の段において御簾が開き菅原道真が
現れた瞬間の緊張は二十一年経った今も強烈で
す。
 
 菅丞相 吉田玉男
 
 筆の道を歩む丞相の一途で真剣な在り方を
師匠の遣いで学びました。
 

 築地の段において菅丞相は無実の罪で罰せら

れます。

 藤原時平の陰謀によるものですが、菅丞相はこ

れを耐えます。

 

 杖折檻の段において叔母覚寿がその娘で丞相

にとっては養女の苅屋姫の恋愛を、丞相流罪の

因とされたこととして叱責します。叔母を止める言

葉が語られますが、叔母が見ると丞相の作った木

像があるのみでした。

 覚寿の娘立田の前が陰謀の犠牲になり、その

黒幕土師兵衛の丞相暗殺の謀計は露呈し罰せ

られます。

 しかし、道真は自身が滞在したことで起きた事件

を悲しみ詫びます。覚寿は称名念仏の一行に生き

て、丞相様の無事を喜び健気に振舞います。

 丞相は娘苅屋姫との別離に深い悲しみを覚え

つつ流刑の地に向かいます。

 

 初代吉田玉男師の遣いは、深い悲しみに生きる

菅丞相のいのちを明らかにして下さいました。

 

 無実の罪を着せられても忍耐を貫く在り方を学び

ました。

 

 立田前が犠牲になったことを悲しみ、叔母覚寿に

詫びる心に胸が熱くなりました。

 

 最愛の養女苅屋姫との生き別れを悲しむ心が

切なかった。

 

 文楽は「丞相名残の段」で菅丞相を判官代輝国、

苅屋姫を覚寿が止めるところで大詰となりますが、

親子の生き別れが表されます。

 

 玉男師匠は生前のインタビューで「あまり神格化

せんようにしています」と仰っていました。

 

 人間菅丞相の忍耐と悲しみと忠義が熱かった。

 

 そのことと同時に筆に命を燃やす人の一本気

な生き方が光っていました。

 

 「『道明寺』はようできてるね」とドラマの緻密さ

を讃えておられました。

 

 天拝山の段では、怒りの丞相を遣われました。

 

 鷲塚平馬の首を梅の枝で斬り、口から花火

を吹くところは怖かった。

 

 文楽では天拝山の段を上演してくれるので

有り難い。

 天皇への忠義を語る浄瑠璃で天皇制賛美の

ように見る意見もあるかもしれませんが忠義

の重さによる悲に私は主題を観ます。

 

 時平の野望に対する道真の糾弾も「悲」が

基点です。

 

 火を噴く菅原道真を文楽では花火で現しま

す。

 

 「筆法伝授の段」の厳しさ、「築地の段」
の忍耐、「丞相名残の段」の切なさ、「天
拝山の段」の義憤の源に丞相の悲がある。
 
 
 菅丞相の誠に生きる命を初代玉男が重厚な
遣いで明かされました。
 
 平成十七年(2005年)四月二十五日初代吉田
玉男は桂米朝師匠・藤本義一氏・小山仁示氏・
大谷昭宏氏ら十三人の仲間と「九条の会 おお
さか」を結成しました。
 
 
 
 
  日本國憲法 第九条
 
  

 第二章 戦争の放棄

 

 第九条 【戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認】

 

 ①日本国民は、正義と秩序を基調とする

国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる

戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、

国際紛争を解決する手段としては、永久に

これを放棄する。

 

 ②前項の目的を達するため、陸海空軍

その他の戦力は、これを保持しない。

 国の交戦権は、これを認めない。



 元の英文
 

 THE CONSTITUTION OF JAPAN

 

CHAPTER Ⅱ. RENUNCIATION OF WAR

 

 Article 9.

 

  Aspiring sincerely to an  international

peace based on justice and order , the
 

Japanese people foever renounce war as

a sovereign right of the nation and the
threat or use of the force as means of
settling international disputes.
 

 In order to accomplish the aim of the

preceding paragraph, land sea, and air
forces , as well as other war potencial,
will be never maintaned. Tha right of
belligerency of the state will not be
recognized.

 

 (引用出典
 『日本国憲法』 講談社学術文庫版
 1985年 講談社)
 
 戦場において戦争を生きた師匠の名言を心
に刻みます。
  
  

  戦争は恨みのない人同士の殺し合いです

  わ。絶対にしたらあかん。よその国が軍隊

  を持ってるよって、日本も持とうとするんや

  のうて、「日本の憲法は戦争はやらん言う

  てる、あんたとこもマネしなはれ」と言わな

  あかん。

 

 「戦争は恨みのない人同士の殺し合い」という

言葉は重いです。戦争に召集され帝国軍人として

戦を強いられた師匠は戦後戦争放棄の絶対平和

主義を語りました。

 

 平和があるからこそ文楽を聞ける。

 

 浄瑠璃を聞き、三味線を聞き、人形遣いの遣

いを見る。

 

 

 初代吉田玉男師匠
 
 百五歳お誕生日おめでとうございます。

 

 
  明治三十四年(1901年)四月二十九日
裕仁は誕生しました。迪宮裕仁は大正十五
年(1926年)十二月二十五日天皇に即位
しました。
 昭和六十四年(1989年)一月七日八十七
歳で死亡し昭和天皇の名が追号されました。
 
 
 裕仁が統治していた大日本帝国は亜細亜
諸国を侵略しました。
 
 
 731部隊による中国人の人体実験がありまし
た。

 

 昭和十二年(1937年)七月七日盧溝橋に

おいて銃声があり、大日本帝国軍隊と中華

民国軍隊の対立は激化し戦闘が起こりまし

た。

 

 七月二十二日「支那駐屯軍司令部ハ平津

地方ノ支那軍ヲ膺懲シテ同地方ノ主要各地ノ

安定ニ任スヘシ」という奉勅が伝えられ宣戦

布告の無い戦争が全面的に開始されました。

 二十八日支那駐屯日本軍は中国軍を攻撃

します。

 八月三日戦争の炎は上海に及びます。

 

 十二月一日大本営は首都南京の攻略を命じ

ます。

 

 十二月十三日裕仁統帥軍隊は南京を占領し

市民を虐殺しました。三十万人の中華民国市

民が虐殺されました。

 昭和十二年(1937年)十二月十四日大日本

帝国統治者裕仁は、「中支那方面ノ陸海軍諸

部隊カ上海付近ノ作戦ニ引続キ勇猛果敢ナル

追撃ヲ行ヒ首都南京ヲ陥レタルコトハ深ク満足

ニ思フ此棟将兵ニ申シ伝ヘヨ」と述べました。

 
 
(画像出典 『戦争と人間 完結篇』DVD)
 
 統帥していた軍隊が中華民国に侵攻した戦争
を裕仁は喜び満足を覚えた。戦争を侵し他国を
蹂躙し中華民国兵士・市民を殺したことを喜ん
で褒めているのです。
 
 南京大虐殺の真犯人であることを裕仁自ら証し
ている。
 
 
 
 裕仁統帥大日本帝国軍人が朝鮮人女性を慰安婦
にして身体を奪うという事件も起こりました。
 1945年アメリカ政府は8月6日に広島、9日に
長崎に原子爆弾を投下し、日本国民を虐殺し
ました。
 
 日本の内外で沢山の人々が、亜細亜太平
洋戦争・第二次世界大戦で、生命を奪われ
犠牲になりました。
 
 この痛ましい事実を受けて、日本政府は日本
国憲法で戦争放棄を宣言し、戦後戦争を禁じ
てきました。
 
 幣原喜重郎総理の強い意欲のもと日本国
憲法は書かれ制定に向けて作成されました。
 
 
 
 
 日本は平和を愛好するという意志が草案
に強く盛り込まれました。決してアメリカから
の押し付けだけではありません。
 
 
 大日本帝国憲法
 
 第一条
 大日本帝国は萬世一系天皇之ヲ統治ス
 
 第十一条
 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
 
 第二十条
 日本臣民ハ法律ノ定ムル所󠄁ニ從ヒ兵役ノ義務ヲ有ス
 
 大日本帝国憲法において国の統治者は天皇であ
りその天皇は陸海軍を統帥する責任者であることが
定められています。
 臣民とされた民は兵役義務が強制されました。
 
 日中戦争・太平洋戦争の全責任は統治者・統帥
者裕仁にあります。
 民を徴兵し殺し合いの戦争を強制した大日本帝国
憲法改正に敗戦迄裕仁に取り組まなかった。敗戦後
自分が助けてもらえると分かってようやく改憲を認
めたのです。
 
 

 昭和五十年(1975年)十月三十一日、宮殿石橋の

間において、裕仁と皇后良子後の香淳皇后の記者

会見が開催されました。 自身の戦争責任と広島原

爆投下について記者から質問がありました。   

 

 

 

   記者「陛下はいわゆる戦争責任について、

       どのようにお考えになっておられますか?」     

 

   裕仁「そういう言葉の綾については、私はそう

       いう文学方面はあまり研究していないの

       で、よく分かりませんから、そういう問題

       についてはお答えができかねます。」   

 

   記者「陛下は、これまでに三度広島へお越し

       になり、 広島市民に親しくお見舞いの

       言葉をかけておられる訳ですが、戦争

       終結に当たって、原子爆弾投下の事実

       を、どうお受け止めになりましたでしょう

       か?」  

 

   裕仁「原子爆弾が投下されたことに対しては

       遺憾に思っていますが、こういう戦争中

       である事ですから、どうも、広島市民に

       対しては気の毒であるが、やむを得な

       いと思っております。」 

 

 

 

 日中太平洋戦争を起こし、中華民国の人々を

殺し、沢山の日本人・外国人を戦死させた犯人は

裕仁です。

 敗戦が決定的になれば、「三種の神器はどうな

る?」と怯え、民の命を冒涜しました。敗戦後自身

の命の保証が得られるかどうか分からず、降伏

決断を遅らせませた。

 

 東京大空襲・沖縄戦・特攻隊兵士自爆死・広島

原爆投下・長崎原爆投下は裕仁の敗戦決定の遅

れによって起こった出来事でもあります。

 

 戦後は「戦争に反対していたが、部下の軍人達

に押し切られ同意させられた」と嘘を言って、ダグ

ラス・マッカーサーに媚び諂い、補弼の臣と民に

戦争責任を擦りつけて、昭和六十四年(1989年)

一月七日に死亡するまで税金で贅沢暮らしを為し

ました。

 

 戦争責任を「言葉の綾」と誤魔化し、「文学方面」

の事柄 と決めて答えられないと逃げる。広島の民

が原子爆弾で虐殺されたことに対して「やむを

得ない」とその死を冒涜した。これが大日本帝国

統治者であり、大日本帝陸・海・空軍を統帥してい

た大元帥だった男の言葉である。裕仁を守る為

命を捨てて戦った帝国臣民を裏切った。

 

 池上彰・池澤夏樹・小林よしのり・半藤一利・

保阪正康が語る裕仁平和主義者は捏造であり、

嘘です。

 

 『昭和天皇物語』は出鱈目の捏造漫画です。

 

 

 戦争は無責任な存在が勝手に侵して、徴兵され

た民は殺し合いを強制され、負ければ元首は民に

責任を押し付けて逃げる。

 

 日本国憲法は、第一条から第八条までで天皇制

を認めるが、第九条で戦争を放棄するという憲法で

す。

 つまり裕仁に生命は保証するが侵略虐殺を禁止

するという憲法なのです。

 

 裕仁は戦後日中太平洋戦争は自身が負けた戦

争であったことを熟知し、自分の命を助けても

らった事の交換条件として、「日本国憲法第九

条で戦争は禁止されている」事を受け入れました。

 

 


 
 国民投票法案改正は、自民党の憲法草案を
支持するCMをテレビ・インターネット・ラジオで
無制限に流すことを可能にします。電通は数百
億円の資金をテレビ局に払って有名人・芸能人
を起用して、「時代に合った新しい憲法を作りま
しょう」と宣伝して国民を洗脳する作戦です。
 
 
 岸田文雄内閣総理大臣・橋下徹弁護士は「今
の時代に合った憲法を作る」と語っていますが、
彼らの求める憲法は、天皇元首・国旗国歌への
服従・民人権抑制・戦争可能化・緊急事態条項
の恒久独裁です。
 
 天皇を神格化し、民から人権を奪い、君が代・
日の丸を敬わせ、徴兵して戦争で外国人を殺害
させる。自民党・公明党・日本維新の会・国民民主
党の連立政権は緊急事態条項による独裁で政権
の座に常にいることになります。
 mRNA薬物接種を日本在住地球人に強制する
ことが緊急事態条項で可能になります。
 
 コロナワクチンと称していた薬物の危険性が
世界各地で明らかになり、ファイザー社は焦って
います。ヨーロッパで使用されなくなった薬物
の在庫処理の人体実験を日本で犯す作戦かもしれ
ません。
 
 ワクチンパスポートは処刑台送還と同じです。
本当に病を予防する薬品ならば、何故日本国内
だけで2000人以上の方々が死亡するのでしょう
か?
 
 mRNA薬品で死亡された方々に哀悼の意を表
します。
 
 
 岸田文雄首相は死亡者が出ているのにmRNA
接種を民に強いています。
 能登大震災が起こっている現況において憲法
改変に固執しています。
 
 生き埋めにされている被災者の命を岸田文雄
首相は全く考えず改憲に固執している。
 岸田文雄・麻生太郎・安倍晋三・森喜朗・
小泉純一郎の爆笑風景。
 
 恐ろしいですね。
 「今の時代に合った」とは、「自公政権の
好みにあっている天皇崇拝・人権抑圧・戦争
による外国人殺害」ということです。
 
 福島第一原発事故放射能汚染水の海洋投棄を
岸田文雄首相は犯しました。
 
 平成二十四年(2012年)五月十日創生の憲法
改正決起集会において長勢甚遠元法務大臣は「国
民主権・基本的人権・平和主義。この三つを無く
さないと自主憲法にならない」と述べました。
 故安倍晋三議員・新藤義孝議員・下村博文議員
は拍手しています。

 

 令和四年(2022年)七月八日山上徹也の

鉄槌により安倍晋三元首相は死亡しました。

 

 日本国憲法について改正するならば、第一条

から第八条までを削除し、天皇制全廃を決め、

第九条は改変禁止を明記し、君が代・日の丸・

靖国神社・原発・日米安保・危険薬物の廃止を

記入し、文楽誹謗禁止を書くべきです。

 

 天皇制は日本の文化・芸術・娯楽・伝統と深く

関わっています。それだからこそ、廃止すべきな

のです。

 

  古代に最強の権力を握った豪族の血統を

神格化しているのです。 

 

 「天皇家の人々は美徳を具現されているら

尊敬しましょう」という観念を政府・官僚・マス

コミが広め、民を洗脳しているのです。「皇室

を尊敬していないと日本では集団の中に入れ

ず阻害される」という民の恐怖心を刺激してい

ます。

 

 皇室は平和・平等を祈ってくれている存在

であり、民に手を振る。民の血税に「寄生して

いる」事実は、政府・官僚・マスコミの手で「寄

り添っている」と改竄されている。

 天皇制・皇室は差別制度です。戦争を侵し沢山

の外国人を虐殺し、責任を民に擦りつけるという

蛮行を裕仁は犯しました。

 

 日本の伝統に深く関わっているからこそ、

けじめをつけて、裕仁虐殺・戦争責任逃亡

の罪を糺し天皇制・皇室を全廃する新憲法

を制定すべきなのです。

 

 山口敬之による伊藤詩織さん強姦事件

の不逮捕、安倍晋三元総理による森友学

園国有地格安売却・桜を見る会有権者買

収・河井案里選挙支援1億5千万円振り込

み問題の不逮捕。

 

 mRNA薬品による世界の民の虐殺。

 

 今日本の司法は統一教会・日本会議勢力に牛耳

られ、上級国民は大罪を犯しても逮捕されない

不平等が起こっています。

 

 法律すら守れない自公政権に法律の根幹

になる憲法を改変させる訳にはいかない。

 

 

 

 犯罪者達が犯罪を犯しても裁かれない事

の根元は裕仁美化の観念にあります。

 

 

 

 

 文仁や悠仁を過剰な敬称で呼ぶ事は拒否し

ます。

  

 日本共産党は、「天皇の制度を永久に守る」

と天皇制・皇室の未来永久保存という差別肯定

暴言を吐き、裕仁に殺された亜細亜戦争被害者

を愚弄しています。

 

 れいわ新選組は天皇制敬意の政党です。残念

です。

 

 日本の国会議員には天皇制廃止論者は一人も

いません。異常事態です。

 

 宇都宮健児弁護士は天皇制廃止を語っていま

すが、ファイザー社薬物接種には賛成を示して

います。残念無念です。

 

 戦争を起こし外国人を虐殺し日本の民を戦死

させ、戦後戦争責任を補弼の民に押し付けて税金

で贅沢暮らしを犯した。

 

 裕仁の罪を徳仁・文仁・明仁は亜細亜諸国の犠

牲者に謝罪し天皇制皇室廃止に取り組むべきです。

 

 ロシア・ウクライナ戦争の終結、イスラエル・

パレスチナ戦争の終結、mRNA猛毒恒久禁止を

祈ります。

 

  

 本多勝一は『中国の旅』で日本軍の行為

を謝罪しないと中国人に語りました。



   「もし、謝罪して日本が戦争する国にな

    れば、嘘を言ってしまったことになる。日

    本が二度と戦争をしない国になること。

    これが謝罪なんだ」

 本多勝一の教えを確かめて学びます。

 

 奥崎謙三。

 

 

 昭和四十四年(1969年)一月二日皇居において

「ヤマザキ、ピストルで天皇を撃て!」と語り、裕仁

にパチンコ玉を放って戦争責任を糾弾しました。

 

 奥崎謙三の勇気に学び裕仁の虐殺責任・戦争

責任を糾弾します。

 

 
 映画・音楽・演劇といった芸術を鑑賞す
ることは、平和があるから成り立ちます。
 
 吉田玉男師匠が教えて下さった日本国憲法第九条
戦争放棄の尊さを心に刻み世界平和を祈ります。
 
 
 
             文中一部敬称略
 
 
 
                  合掌