菅原伝授手習鑑 三段目 茶筅酒の段 喧嘩の段 訴訟の段 桜丸切腹の段 四段目 天拝山の段 | 俺の命はウルトラ・アイ

菅原伝授手習鑑 三段目 茶筅酒の段 喧嘩の段 訴訟の段 桜丸切腹の段 四段目 天拝山の段

『菅原伝授手習鑑』 

令和五年(2023年)九月五日

第二百二十五回 文楽公演

国立劇場小劇場

第一部 『通し狂言 菅原伝授手習鑑』

     

作 竹田出雲

  並木千柳

  三好松洛

  竹田小出雲

 

「茶筅酒の段」

太夫 竹本三輪太夫

三味線 竹澤團七

 

「喧嘩の段」

太夫 豊竹咲寿太夫

三味線 鶴澤清馗

 

「訴訟の段」

太夫 豊竹芳穂太夫

三味線 野澤錦糸

 

「桜丸切腹の段」

太夫 竹本千歳太夫

   豊澤富助

 

「天拝山の段」

豊竹藤太夫

鶴澤清友

 

《人形役割》

舎人梅王丸 吉田玉佳

舎人桜丸  吉田勘彌

舎人松王丸 吉田玉助

親白太夫  桐竹勘十郎

女房八重  吉田一輔

女房千代  吉田簑二郎

女房春   吉田清五郎

菅丞相   吉田玉男

安楽寺の僧 吉田玉輝

弟子僧   吉田玉佳

鷲塚平馬  桐竹亀次

仕丁    大ぜい

 

 四郎九郎は河内国佐村において菅丞相の

下屋敷を預かっている。本日は七十歳の誕

生日である。丞相が気に入っている梅・松・

桜の木を大切に守っている。

 三つ子の息子達には梅王丸・松王丸・桜丸

の名を付けた。

 

 菅丞相流刑と言う悲しい事態が起こった。梅

王丸は菅丞相、松王丸は藤原時平、桜丸は斎世

親王に仕えている。吉田神社で梅王・桜は松王

と対立したが、親父殿の七十の賀の祝までは喧

嘩を預けようと約した。今日は三人がそれぞれ

の嫁と祝福する日でもあった。

 

 菅丞相は七十歳の誕生日に四郎九郎に白太夫

と改名することを告げていた。百姓十作に四郎

九郎は白太夫と名乗ることを語る。

 

 四郎九郎改め白太夫のもとに梅王の妻春・松

王の妻千代・桜丸の妻八重が現れて祝福のお膳

を作る。

 息子達が現れないので、白太夫は梅・松・桜

の木を倅達に見立てて陰膳を据えて祝いを行い

八重と共に氏神詣に出かけた。

 

 松王丸・梅王丸が現れ吉田神社の怒りを再燃

させ激しく争った。二人の喧嘩で桜の木が折れ

る。

 

 氏神詣でから帰って来た白太夫は桜の木が折

れたことを怒らず静かに受け止めた。梅王丸は

菅丞相の元に行きたいと願い出るが、父白太夫

は行方不明の御台所様と若君菅秀才をお探し申

せと伝える。松王丸の前では武部源蔵・戸浪夫

妻に菅秀才をお預けしたことを梅王丸は語れな

いので父の命を聞く。

 

 松王丸は勘当を願い出て白太夫に許可される。

 

 梅王夫婦・松王夫婦は去って行った。

 

 八重の夫桜丸が現れ、菅丞相流罪の因を作った

ことの責任を取って切腹したいと覚悟を語る。驚

愕する八重は思いとどまって欲しいと懇願する。

 しかし、桜丸の決意は固かった。父白太夫は三

方を用意して息子の自害の決断を受け留めていた。

 

 朝に父を尋ねた桜丸は切腹の意志を報告した。

神意を問うた白太夫は氏神詣の結果と桜の木が

折れたことを見聞し、息子桜丸の道を受け留めた。

 

 八重は泣く。

 

   

   思ひ切つておりや泣かぬ。

   そなたもなきやんな。

 

 白太夫は嫁に「泣くな」と命じ泣きたい思い

を懸命に堪え最愛の息子の切腹に当たって鉦を

打ち念仏を称える。

 

 桜丸は腹を刺す。「憚りながらご介錯」と語

るが白太夫は息子の首を斬れず、撞木で鉦を打

つ「介錯」を続ける。

 

     九寸五分取り直し

     喉のくさりを刎ね切って 

     かつぱとふして

     息絶えたり

 

 桜丸は喉を突いて絶命する。

 

 八重は泣いてかけよる。

 

 

 梅王丸夫婦が現れた。八重と春は抱きしめ

合う。

 

 父白太夫は菅丞相が流された筑紫へ向かう。

 

 一年後白太夫は筑紫で丞相の身の回りの世話

をする。安楽寺に参った丞相を牛に乗せて、白

太夫が牛を引く。



 

  我に科なければ仏に苦労かけ奉り身の上

  祈る心はなし



 

 丞相は無実の罪で島流しにあったが、罪は

ないから仏に苦労はかけたくないと語る。



 

  東風吹かば 

 

  匂いおこせよ

 

  梅の花  

 

  あるじなしとて

 

  春を忘れそ



 

 と詠むと天の童が枕元に現れ、憐みの心を

讃え、安楽寺に参ることを勧めてくれた。

 

 

 

 

 

 梅は飛び 

 

 桜は枯るる

 

 世の中に  

 

 何とて

 

 松の

 

 つれなかるらん

 

 

 

 菅丞相の歌は、梅王丸・桜丸の忠義を讃えつつ

時平に仕える松王丸にも期待する心がある。  

 

 

 

 刺客鷲塚平馬を梅王丸が捕縛され、時平が菅

丞相暗殺の計画を抱き、醍醐天皇や斎世親王を

殺害しようとするという陰謀を企図していた事

を、丞相は聞いた。

 

 時平に対して激怒の炎を燃やし、平馬の首を

梅の枝で斬りおとし、口から火を吹き出す。

 

 天拝山の頂で雷神となった菅丞相は都で醍醐

天皇を守る為に飛んでいく。

 

 ◎「泣かぬ」こころで称える念仏◎

 

 

 菅原道真。

 

 承和十二年六月二十五日(845年8月1日)誕生。

 延喜三年二月二十五日(903年3月26日)死去。

 

 詩歌を詠み筆道の奥義を極めた。

 

 左大臣藤原時平の讒言によって流罪に処せ

られたが、じっと苦難を忍んだ。

 

   東風吹かば 

   匂ひ恋せよ

   梅の花

   主なしとて

   春な忘れそ

 

 道真が京を去る際に詠んだ歌には梅の花への

愛があふれている。

 

 『菅原伝授手習鑑』は菅丞相こと菅原道真の

忍耐と彼に関わる舎人三兄弟とその一族の忠義

を語る浄瑠璃である。

 

 作者は竹田出雲・並木千柳・三好松洛・竹田小

出雲。

 延享三年(1746年)八月二十一日大坂竹本座

にて初演された。

 

 令和五年(2023年)国立劇場小劇場において

五月公演・九月公演に『菅原伝授手習鑑』の全段

上演が為された。五月十四日・九月五日に鑑賞し

た。

 

 竹本三輪太夫の語りに優しさを感じた。

 

 豊竹咲寿太夫は梅王丸・松王丸喧嘩を迫力に富

む語りで明かした。

 

 豊竹芳穂太夫は白太夫の厳しさを語る。

 

 野澤錦糸の三味線に心を打たれる。

 

 竹本千歳太夫が「桜丸切腹の段」を熱く語った。

千歳太夫は平成十四年四月国立文楽劇場『通し狂言

菅原伝授手習鑑』「桜丸切腹の段」を七代目竹本住

太夫の代役で語った。この月の十日にわたくしは

客席で聞き、「八重泣くな」に全身で熱くなった。

父の悲しみが心に迫ってきた。

 

 あれから二十一年、千歳太夫が情熱の語りで白

太夫の悲しみと八重の涙を明かしてくれた。

 

 豊澤富助の三味線は厳かだった。

 

 白太夫の七十の賀を祝い、嫁三人がお膳を作る。

 

 人形が調理をする。

 

 吉田一輔・吉田簑二郎・吉田清五郎の遣いで

人形が舞台で料理を作る。科学的に立証すること

は難しいが、舞台の上では技芸員の芸で人形が

命の営みを為すのだ。

 

 吉田勘彌は桜丸の散り方を鋭い遣いで明かし

た。

 

 桐竹勘十郎が白太夫の父性をじっくりとした

遣いで現した。

 

 平成二十六年(2014年)四月七日・二十一日・

二十六日国立文楽劇場公演『通し狂言 菅原伝授

手習鑑』において桐竹勘十郎の松王丸を見て忠義

に生きることの厳しさと悲しみを学んだ。あれから

九年経った。松王丸の父白太夫を遣う桐竹勘十郎

を見た。

 息子から父への道に心を打たれた。梅王・松王

を叱り、桜丸の切腹を甘受し念仏を称える。

 最愛の息子の死を見聞し助けたいが助けられな

い苦悩を確認し、念仏申す。南無阿弥陀仏は最も

苦しく辛い時に働くと言う仏教の根本を「桜丸

切腹の段」において学んでいる。

 わたくしにとって文楽は「好きな芸能」という

ことを飛び越えて仏教の実働を教えて下さる「命の

学び舎」なのだ。

 

 最愛の息子が腹に刀を刺して助けたいが助け

られず、念仏を称え、介錯の頼みに首を斬れず、

念仏を称え続ける。

 

 吉田勘彌が遣いを終えて舞台裏に行く。

 

 「桜丸が亡くなった」ことを観客は教わる。

 

 白太夫は誕生日に息子を失い、泣きたい心を

抑えて念仏を称え崇拝する主君菅丞相のもとへ

行く。

        

 筑紫において菅丞相が刺客鷲塚平馬の襲撃を

かわし、平馬から時平の陰謀を聞き激怒して、

梅の枝で平馬の首を斬る。

 菅丞相が口から火を噴く。人形の口から花火

があがる。

 

 これも文楽で無ければ見せらない演出である。

 

 豊竹藤太夫が怒れる菅丞相を熱く語った。

 

 吉田玉男が菅丞相の激怒を深い遣いで現す。

五日の舞台では「はっ」の声を玉男が語る。菅

丞相が天拝山で雷神と化する。

 

 この場の凄みは圧巻である。

 

 時代物の全段通し狂言を尊い技芸で上演する

劇団は文楽座しかいない。

 

 このことを教わった。

 

 流行の漫画やアニメの舞台化で話題を呼び

観客を集めることに汲々として古典上演の課題

を捨てて腐敗している松竹歌舞伎の情けない醜態

とは全く違う。

 

 迫力ある漫画はアニメーションで表現する

ものであって、日本古典演劇である歌舞伎が

上演すれば原作漫画を冒涜するものにしかな

らないだろう。

 

 現代松竹歌舞伎の商業主義・流行迎合は古典

演劇の道としては間違っている。

 

 歌舞伎はテレビ映画必殺シリーズと同様に質

の追求を捨てて商業主義成功のみ求め自壊して

行くのかもしれない。

 

 日本語ウィリアム・シェイクスピア劇の崩壊

も想起する。

 

 日本に文楽が無かったらどうなっていたか?

 

 文楽だけが大いなる古典を最強の技芸で現代に

上演してくれている。

 

 白太夫と桜丸の親子の別れに胸が熱くなった。

 

 竹本住太夫が平成二十六年(2014年)四月七日・

二十六日に国立文楽劇場で語った「桜丸切腹の段」

にわたくしは「宇宙の至宝」を感じた。

 

 竹本千歳太夫が令和五年(2023年)九月五日国

立劇場小劇場で語った「桜丸切腹の段」も「大いな

る宝」である。

 

 

 本日は国立文楽劇場令和六年初春文楽公演初日

である。

 

 

 

 本年も文楽に日本古典浄瑠璃を学ぶ。

 

 文楽は日本古典の命を明かして、現代舞台に生

命を灯している。

 

 

 

               南無阿弥陀仏