乱  | 俺の命はウルトラ・アイ

乱 

『乱』

 

映画 トーキー 162分 カラー

 

昭和六十年(1985年)五月二十一日 

日本日劇東宝プレミア上映

 

昭和六十年(1985年)五月三十一日

日本第一回東京国際映画祭NHKホール上映

 

昭和六十年(1985年)六月一日 日本封切

 

製作国 日本 フランス

製作言語 日本語

製作会社 ヘラルド・エース

     グリニッジ・フィルム・プロダクション

日本配給 東宝 日本ヘラルド映画

フランス配給 Acteurs auteurs associés

アメリカ配給 オライオン クラッシクス

 

脚本   黒澤明

     小國英雄

     井出雅人

原作   シェークスピア

 

 

エクゼクティブ・プロデューサー 古川勝巳

プロデューサー セルジュ・シルベルマン 

        原正人

プロダクション・コーディネイター 黒澤久雄

マネージャー ウーリッヒ・D・ピカール

プロダクション・マネージャー 井関惺

               飯泉征吉

               野上照代

 

合作協力           大橋隆

演出補佐           本多猪四郎

助監督            岡田文亮

撮影             斎藤孝雄

               上田正治

撮影協力者          中井朝一

 

音楽             武満徹

指揮             岩木宏之

演奏             札幌交響楽団

協力             東京コンサーツ

美術             村木与四郎

               村木忍

録音             矢野口文雄

               吉田庄太郎

照明             佐野武治

ネガ編集           南とめ

衣裳デザイナー        ワダ・エミ

題字             今井凌雪

狂言指導           野村萬作

能作法指導(金春流)     本田光洋

笛指導            鯉沼廣行

馬術指導           渡辺隆

殺陣             久世竜

               久世浩

ホームチーム・マネージャー  宮本浩司

御殿場担当          長田孫作

               長田静雄

スチル            原田大三郎

               佐藤芳夫

監督助手           小泉堯史

               山本伊知郎

               米田興弘

               渡辺恭子

               ビットレオ・ダッレ・オレ

               野崎邦夫

協力   デン・フィルム・エフェクト

     東宝録音センター

     東宝効果集団

現像   東洋現像所

撮影協力 大分県 

     熊本市

     御殿場市

     九重町

     阿蘇町

     庄内町

     大分県観光協会

     熊本県観光協会

     九重町観光協会

     姫路城

     熊本城

     名護屋城

     東亜国内航空 

     ほか

 

 

 

配役  

 

一文字秀虎   仲代達矢

 

一文字太郎孝虎 寺尾聰

一文字次郎正虎 根津甚八

一文字三郎直虎 隆大介

     

 

楓の方 原田美枝子

末の方 宮崎美子

鶴丸  野村武司

 

鉄修理 井川比佐志

狂阿弥 ピーター

平出丹後 油井昌由樹

 

 

長山主水 伊藤敏八

白根左門 児玉謙次

小倉主馬助 松井範雄

藤巻の老将 鈴木平八郎

秀虎の側室  南條玲子

秀虎の側室 古知佐和子

楓の老女  東郷晴子

末の老女  神田時枝

秀虎の側室の老女 音羽久米子

頭師孝雄

頭師佳孝

天田益男

木村栄

山田明郷

須藤正裕

渡辺哲

高橋利道

 

 

三十騎の会

騎馬者会

七曜会

JAC

若駒

 

 

畠山小彌太     加藤武

畠山小彌太の声   加藤精三

生駒勘解由     加藤和夫

綾部政治      田崎潤

藤巻信弘      植木等

 

監督   黒澤明

 

シェークスピア=ウィリアム・シェイクスピア

 

野村万作=野村二朗=二世野村万作

 

久世竜=岬弦太郎

 

仲代達矢=仲代元久

 

野村武司=二世野村萬斎

 

ピーター=池畑慎之介

 

鑑賞日時場所

昭和六十年(1985年)七月十八日

東宝公楽

 戦国の世。七十歳の武将一文字秀虎は

国の領主であった。息子達に太郎孝虎・

次郎正虎・三郎直虎がいる。

 隣国の領主、藤巻信弘と綾部政治を秀

虎は巻狩に招く。この狩において居眠り

をして悪夢に悩んだ秀虎は隠居を決める。

 

 孝虎・正虎・直虎にそれぞれ城を恵み、

自己は政務を完全に止めて、息子達のも

とで隠居して暮らしたいと父直虎は望ん

だ。

 

 一本の矢はすぐに折れるが、三本束ね

れば折れないと秀虎は息子達に教える。

 だが直虎は笑い、三本の矢を足を以て

へし折る。

 直虎は父秀虎の軟弱な発想に危機意識

を抱く。直虎の大胆な言葉に父秀虎は激

怒する。家臣平山丹後は直虎を擁護する。

 藤巻信弘は三郎の豪快さを気に入り娘婿

に望み迎えた。

 

 太郎孝虎の正室楓の方は夫が家督を継承

したものの馬印がないので形ばかりの相続

と厳しく述べる。

 太郎孝虎は父から馬印を得ようとする。

秀虎の寵愛を受ける道化狂阿弥と孝虎の

家臣が口論を為し争う。秀虎は狂阿弥を

責める息子孝虎の家臣を弓矢で射殺した。

 

 孝虎は秀虎にこれからは領主である自分

の言葉に従って頂くと父に迫る。

 怒った秀虎は長男孝虎のもとから離れ、次

男正虎のもとに向かう。

 孝虎から事情を聴いた次郎正虎は、家来を

入れないならば父上を余の城にお迎えすると

冷たく宣言した。直虎は悲しみ、人が居ない三

郎直虎の三の城に入るしか道は無かった。

 

 孝虎・正虎の軍勢が秀虎が住む三の城を攻

撃する。城は燃えた。秀虎の女達や家臣達は

虐殺される。

 

 次郎正虎の家臣の放った銃弾で太郎孝虎は

射殺される。

 

 秀虎はさすらう。狂阿弥が老主人に寄り添

う。

 

 楓の方は未亡人になった。彼女は次郎正虎

を懐柔する。「正室である末の方を殺し私を

正室にせよ」という要求を楓の方から正虎は

突きつけられた。正虎は妖しい楓の方に惹か

れる。

 

 三郎直虎は父秀虎を救出するため挙兵した。

 

 兄正虎の軍との対決の為直虎は国境の川を

越えて姿を見せた。

 

 藤巻信弘と綾部政治も兵を派遣し一文字兄

弟の争いを見つめる。楓の方に戦うことを勧

められた次郎正虎は三郎軍に向かって突撃す

るように家臣に命じる。綾部政治軍が一文字

領に侵攻した。

 

 一の城に戻った次郎は、楓の方から自身の

一族を滅ぼした一文字家が滅ぶありさまを見

たかったという言葉を聞かされる。正虎の家

臣鉄修理が楓の方を女狐と見做し斬首した。

 

 三郎は家臣に軍指揮を任せて丹後・狂阿弥

と秀虎を探し出し父を救った。

 

 末の方の弟鶴丸少年の笛を秀虎は聞く。息

子直虎に父秀虎は感謝する。直虎は父秀虎と

共に馬に乗る。仲の良さを回復した秀虎・直

虎父子を乗せた馬は歩みだす。

 

 突然銃声が響く。

 

 三郎直虎は狙撃手に撃たれ即死した。

 

 次郎正虎が放った刺客の犯行であった。

 

 一文字秀虎は息子が射殺された光景を見て

悲しみ死ぬ。

 

 狂阿弥は神や仏はいないのかと悲憤の問い

を語る。

 

 殺し合わねば生きて行けない人間の愚かさ

は神や仏も救えないと丹後は説く。

 

 ◎地球映画史上最悪愚作◎

 

 黒澤明は明治四十三年(1910年)三月二

十三日東京府に誕生した。

 平成十年(1998年)九月六日、八十八歳で

死去した。

 

 黒澤明にとって『乱』は七十五歳で発表した

脚本・監督作品の映画である。

 地球映画の歴史において黒澤明は豪腕演出

で数々の傑作を発表した。監督・脚本家・製

作者・画家として巨星である事実は誰もが認

めるところである。

 

 そのアキラ・クロサワが七十五歳にして『リ

ア王』の日本時代劇翻案版に挑戦した。

 

 

 ウィリアム・シェイクスピア William 

Shakespeareは1564年4月26日に誕生し、16

16年4月23日に死去したと言われている。

 

 戯曲『リア王』の執筆年代は1605年から1

606年頃と推定されている。

 

 黒澤明が「原作」とした『リア王』の物語の

梗概をまとめておく。

 

 

 ブリテンの八十代の老王リアは政務に疲労

し、王位は名のみ残して隠居し、国を三分割し

て権力・財産と共に娘達に与える事を決める。

 

 三人の娘が自身を愛する言葉を強く語れば、

沢山の領土と力・財を恵むことを約束する。

 

 長女ゴネリルはオールバニー公爵の妻、次女

リーガンはコーンウオール公爵の妻である。独

身の三女コーディリアには、フランス王とバーガ

ンディー公爵から求婚されている。

 

 

 ゴネリル・リーガンが甘い世辞を述べると、

リアは驚喜し沢山の領土と権力と財産を与え

る。

 

 純真無垢な三女コーディリアは老父リアから

愛の言葉を言ってくれと求められた。娘として

「お父様を愛するのみ」と真心のままに明答し

コーディリアは、飾る言葉は一切言えないと

正直に態度を明示した。

 

 傲慢で我儘なリアは激怒し、「お前など生

まれて来なければ良かったのだ」と怒鳴り、

三女の追放を決定する。

 

 忠臣ケントはリアの愚かな決定を諫めるが、

激怒するリアはケントの追放も決めてしまう。

追放を宣告されたケントだが、リアに対する

忠義は変わらない。彼は変装して名も代えて

仕えたいと望む。

 

 

 

 コーディリアの求婚者フランス王は、彼女の

無垢な真心に心を強く打たれて惚れ直し求婚

する。

 

 

 

 

 野心家のエドマンドは、陰謀を巡らせ、兄の

エドガーに反乱の動きがあったという嘘を父グ

ロスターに吹き込み、兄エドガーには危機が迫

っていると告げて伯爵家から去らせて、伯爵家

後継者の地位を入手する。

 

 グロスターは、長男エドガーに裏切られたと思

い込んで憎み、エドマンドの忠義を讃える。

 

 リアは名のみの王となり、ゴネリルのもとに身

を寄せるが、彼女に虐待される。悲憤のリアはリ

ーガンを頼るが、次女からも嬲られる。国土・権

力・財産を甘い言葉で得たゴネリル・リーガンに

とって老父リアは邪魔者でしかない。

 

 リアは狂乱し嵐の中を彷徨い怒りをぶつける。

 

 

 

 道化・グロスター・ケイアスと変名するケント

がリアを懸命に守る。リアは、狂気を装い腰に布

のみ巻きトムと名乗るエドガーに出会い、人間本

来の姿を彼に見出す。

 

 グロスターは、リア救出をコーディリアと共に

為したいと望むが、エドマンドの裏切りに合い、

コーンウォール・リーガン夫妻の拷問に遭い、両

目を潰される。

 

 リーガンの冷笑から、エドマンドが裏切者で

エドガーを無実の罪で放り出した事をグロス

ターは後悔する。

 

 コーンウォールは彼の非道に怒った召使

と斬り合い斬殺するが、自身も負傷し後に

絶命する。

 

 

 両目を失い生きる事に絶望するグロスター

は自殺を決意するが、狂気のリアと再会し、

リアはグロスターと気付き、主従は再会を

喜ぶ。

 トムに扮するエドガーは父、グロスターの

自殺の決意を捨てさせようと奮闘し、ゴネリ

ルの執事オズワルドと戦って彼を斬る。

 

 フランス王妃となったコーディリアは、姉二

人に父が嬲られたことを聞き、フランス軍を

率いて父王を救出する。

 

 精神が錯乱し狂気に身を焦がしたリアは、

自身を優しく看護してくれる美しい女性が、

娘コーディリアではないかと問い、彼女は

「そうなのです」と頷き、疲労困憊した父を

労わる。

 

 しかし、ブリテン軍はフランス軍を打ち負

かす。コーディリアは命がけで父を守るが、

ブリテン軍に囲まれ、改めて父への愛を語

り、親子はブリテン兵士に捕らえられる。

 

 ゴネリル・リーガンはエドマンドを巡って

争う。

 夫コーンウオールが死亡し、未亡人となった

リーガンは有利だ。オールバニー公爵の妻で

あるゴネリルは不利を痛感し、妹の毒殺を決

意する。

 エドマンドは、部下にリア・コーディリア

処刑の命令を伝える。

 

 オールバニーは、ゴネリル・エドマンドの行為

を厳しく糾弾する。

 

 エドガーが表れ、エドマンドに決闘を申し込

み、エドマンドも応戦し、二人は戦う。兄が弟

に致命傷を与える。

 

 エドガーはオールバニーに、父グロスターに

自身の本当の名を告げ親子で再会を確かめ

合い、グロスターは亡くなった事を報告する。

 毒殺されたリーガンと自殺したゴネリルの

死体がオールバニーのもとに運ばれる。

 瀕死のエドマンドは、リア・コーディリアを殺す

ようにと部下に命じたことを告げて息絶える。

 

 リアは、愛娘コーディリアの死体を抱いて現

れて激しく悲しみ、心身全体で苦しみ狂死する。

 

 

 

 ケントは主君のもとに行くという決意を告げ

る。

 

 エドガーとオールバニーは悲しみを痛感する。

 

 『リア王』は素読するだけでも、老王リアの悲

しみが読者の胸をしめつける。ゴネリルやリーガン

の甘い世辞に惑わされて国土・権力・財産をあっさ

り与えて愛娘コーディリアの真心が判らず激怒し追

放してしまう。

 

 愚かで頑迷固陋で単純なリアは、自分に甘く他人

に厳しい人間の在り方を鮮やかに表している。おだ

てられば有頂天になり、真に思ってくれた言葉の心

が全く分からず逆恨みしてしまう。

 

 愚鈍・傲慢ではあるが真っすぐで初心な老人なの

だ。

 このリアの純真さが戯曲全体の基盤になっている。

ゴネリル・リーガンが掌を返して名のみ王となった

リアを楽隠居させず虐めぬく。裏切られたことへ

の悲憤からリアは嵐の中を彷徨い激怒を語る。愛娘

コーディリアが挙兵し父リアを救う。リアは愛する

コーディリアに再会し苦しみを癒され感動し歓喜す

る。エドマンドのブリテン軍にコーディリア軍は敗

れ、頭領の彼女は老父リアと共に囚われの身となる。

エドマンド配下の者にコーディリアは絞殺される。


 誰よりも自身を愛してくれていたコーディリアと

暮らす喜びに浸り愛に覚醒したリアは、最も悲しい

事実に出会う。


 愛に覚醒した後に最愛の娘を殺されると言う悲劇

に出会う。


 ここにウィリアム・シェイクスピアの悲劇筆法

の美が光っている。


 冷酷な長女・次女から受けた虐待よりも、優しい

三女を絞殺された悲憤は、遥かに重い。


 心身の苦しみは絶大なものになり、リアは狂死

する。

 

 『ハムレット』『オセロ』『マクベス』と共に四

大悲劇と言われている。悲劇の痛ましさでは最も強

烈である。

 

 地球文学・演劇史上最も深く重い悲劇であること

は確かであろう。

 

 上演にせよ映像化にせよラジオドラマ化にせよ朗

読にせよ、『リア王』を原作にするならば、観客・

視聴者に「悲しい」という感覚を痛感させることが

課題になる。

 

 ブリテンの八十歳王リアの悲劇を日本時代劇映画

『乱』として映像化する。

 黒澤明が為した試みは主人公一文字秀虎の悲しみ

が全く描かれていない。「伝わってこない」という

段階にすら達しておらず、黒澤明は全く描いていな

いのである。

 

 黒澤明・小國英雄・井出雅人の脚本がひどすぎる。

シナリオの体を為していない。

 昭和五十一年(1976年)二月十五日に御殿場市の

黒澤明の山荘でシナリオ執筆が始まり、三月十九日

に初稿が成り立ったという。決定稿は昭和五十六年

(1981年)六月に書きあげられたと言われている。

 

 橋本忍によると、小國英雄は人物の設定を巡り黒

澤明と対立しチームから降りたという。

 黒澤天皇と呼ばれた明は、スタッフの諫めを聞か

ない状況にあったのではないか?

 

 

 秀虎が三人の息子に国土を与えたい隠居したい

という序盤から、長女・次女の甘い世辞に惑わさ

れ三女の真心に激怒すると言う原作『リア王』の

リアの大愚の悲劇が映像化されていない。

 

 これは娘から息子に子供達の性別を転換すると

いう設定を聞いた時から一抹の不安があった。


 『リア王』は薄情な長女・次女と優しい三女と

老父の物語なのだ。子供達の性を女から男に変え

ることは余程慎重になって新作劇しないと破綻す

るだろうとは思っていた。『乱』本篇を見ると一

抹不安どころか完全な破壊になっていて呆れかえ

った。

 

 秀虎(仲代達矢)の隠居提案に直虎は笑って弓矢

を折り、父秀虎は怒るが直虎の悲劇性が全く無い。

 隠居した秀虎に孝虎(寺尾聰)や正虎(根津甚八)

が否定的な態度を取るが、二人の言葉や接し方に嫌

らしさが全く無い。憎たらしさも感じない。

 

 エドマンドを女性に転換した楓の方(原田美枝子)

にしても憎たらしくないのだ。

 

 直虎の居城になる筈だった三の城が燃えるシーン

にしても炎があがっているだけでさまよう秀虎の悲憤

は一切伝わってこない。そもそも黒澤明は秀虎の痛み

や苦悩を尋ねたいのか?この問いすら起こった。仲代

達矢の秀虎が歩んでいる光景をカメラが撮るだけで、

嵐の中で悲憤をぶつけたリアの苦悩は全く映像化さ

れていない。

 

 孝虎が銃殺されるシーンから嫌な予感はしていた。

 

 『リア王』原作でゴネリルがリーガンを毒殺した後

自殺するのに対して、次男正虎が兄を殺す設定である。

この改変も成功していない。楓が正虎を誘惑するのも

生々しさや凄まじさが感じられない。

 

 楓の方には、エドマンドが咲かせた悪の華が全くな

い。

 

 一文字一族の憂き目を狙ったと自分で語った楓が

鉄修理に生首を斬られる。あまりの阿呆らしさに笑い

が止まらなかった。

 『リア王』においては兄エドガーが裏切者の弟エ

ドマンドを糾弾し決闘を挑みこれを斬る。兄は犯罪

を犯した弟を討つが、最後に兄弟はグロスターの息子

どうしの兄弟愛を確かめ合う名場面だ。これがあった

からこそ、エドマンドはリア・コーディリア絞殺命令

を下したことを伝えて死んでいくのである。

 

 ところが、『乱』の楓の方は謀略に流血もない。

彼女も悪女に見えない。孝虎・正虎も悪党に見えな

い。黒澤明は悪に学ばず悪を描いていない。これは

『リア王』演出者としては完全に失敗である。致命的

なミスを犯している。

 

 最大の脚本・演出の失敗は直虎銃殺シーンを映像

として描写したことだ。

 秀虎が直虎に救出されるシーンに親子再会の感動

が迫ってこない。

 

 『リア王』ではエドマンドがリア・コーディリア

絞殺指令を部下に出したことを伝えて死に、リアが

コーディリアの死体を抱えて登場する。コーディリ

アはエドマンド部下に絞殺された。リアはコーディ

リア殺人犯を自身の手で殺した。このコーディリア

がエドマンドの部下に殺され、エドマンドの部下が

リアに殺されるという激動のシーンをウィリアム・

シェイクピアは一気に切った。ここに演劇の「省略」

の妙味が光り輝いている。

 

 純粋無垢なヒロインコーディリアが無残に殺され

るシーンを描かず観客に悲しむ時間すら与えない。

 リアの悲しみの深さはこの娘死亡場面の省略によ

り強烈に伝えられるのである。愛娘コーディリアの

死体を抱え最愛の娘の蘇生を望み果たせず老王は憤

死する。

 

 『乱』において直虎が父秀虎を支えながら銃殺さ

れるシーンに笑いを越えて怒りを覚えた。これほど

『リア王』を読めていない者はいないのではないか?

  父親の目前で愛する子供が殺されるシーンを撮

ってしまったら、「省略」の鋭さが全くない。

 

 本作に関して言うと演出は醜悪であり、完全に失

敗している。

 

 何やってんだ!黒澤明。

 

 秀虎の死が神の視点で見られている?

 

 笑わさんといてくれ。

 

 こんなものは『リア王』を誤読した監督が悲劇を

描いたつもりで軽薄な改竄・歪曲を犯したものに過

ぎない。

 

 『乱』において監督黒澤明が映し出した162分映

像は冒頭から最後迄全て醜悪である。完全なる阿呆

愚作である。

 

 偉大な原作を獲得しながら、醜悪な映像しか映っ

ていない。

 

 これは単なる怠慢ではすまされない。ウィリアム・

シェイクスピアの大いなる戯曲『リア王』を汚し歪

曲改竄した罪は限りなく重い。地球史上最悪の映画

である。映画のみならず、演劇・ラジオドラマ・テ

レビドラマ・音楽・美術・舞踊・スポーツ・祭典・

催し物等人類が為してきた全ての芸道の中での最悪

愚作である。

 地球芸道の歴史においてワーストワンであると確

言する。

 

 わたくしは一切忖度はしない。

 

 『乱』のごとき醜悪作に対て甘やかし事実を指摘せ

ず、大傑作であるかのような嘘を語り、黒澤明を擁護

し守ろうとすることは、ゴネリル・リーガンの御世辞

よりも卑劣である。

 

 コーディリアの良心・娘愛に学ぶならば、『乱』は

『リア王』を破壊改竄歪曲した醜悪愚作と直言すべき

なのだ。

 

 黒澤明は傲慢不遜な発言が多いし本人も威張ること

を意識的に為していたようだった。映像や文字を調べ

て見ると若き日から飛ぶ鳥を落とす勢いで映画界にお

いて激走していた。数々の傑作を生みだした黒澤明は

傲慢発言を豪語することで自分自身を奮い立たせ実際

に白黒名画で結果を出していた。

 

 ところがカラー時代になってから急に衰えが現れる

ようになってきた。

 

 1980年代『蜘蛛巣城』をテレビ放送版で視聴した

わたくしは『マクベス』の時代劇映画翻案版に震え

感嘆し感動した。「これは見事なシェイクスピア劇

映画版」と讃嘆している。

  平成十五年(2003年)八月二十三日京都文化博

物館映像ホールにて『蜘蛛巣城』鑑賞を為した感慨

は今も大きい。

 

 『蜘蛛巣城』テレビ放送版視聴の興奮もあり、198

4年と1985年7月17日までは「黒澤明はどのように『リ

ア王』を翻案してくれるか?」と胸躍らせてときめき

鑑賞日を待ちわびていたのだ。

 

 ただ、四億円の城を建設し、「燃やすのはもったいな

くないか」と問われた黒澤明が「燃やす為に造ってる

んだから勿体ないことはないよ」と豪語した言葉を聞

いた時は不安を感じた。

 

 1985年7月18日東宝公楽で『乱』を鑑賞し不安的中

どころかあまりの酷さに落胆を通り越して悔しい気持

ちでいっぱいになった。

 

 戯曲を読まない者が「些細な事だ」と喚いても、人

類史上の一大汚点である事実は変わりない。最も深く

重い戯曲『リア王』が、最も汚く軽い映画『乱』に改

竄された。

 

 日本在住地球人の演劇ファン・映画ファンの一人と

して当時十七歳のわたくしめは悲憤の心で胸がいっぱい

になった。

 

 『リア王』歪曲は核戦争や猛毒注射犯罪よりも重く

深い罪である。戦争時代・平和時代を含めて人類は、

美しく深い戯曲を原作の精神に忠実に舞台化・映像

化・ラジオドラマ化していかなければいけない。

 

 ましてやプロデュ―サーセルジュ・シルベルマンに

二十六億円の巨額製作費を調達してもらっているのだ。

傑作を要求されるのは当たり前だ。第一黒澤明自身が

完全主義を標榜し一切非妥協の撮影方針を打ち立てた

のだから、結果愚作しか映像化できなかったことは徹

底的に糾弾する。当然のことだ。三十八年経った今で

も「162分の時間返せ」と問いただしたい気持ちは変

わりない。

 

 何が「人類に対する遺言」だ。

 

 『乱』以外の黒澤明監督作品・脚本作品はヒューマニ

ズム絶叫以外は迫力があることは強調する。

 

 ただ、命を尊ぶことや攻撃に対して防衛することは

監督が観客に対して俯瞰的に説教することなのか?

 この問いは『生きる』や『七人の侍』には感じた。

 

 しかし、疑問は感じるものの『生きる』や『七人の

侍』が傑作である事実は変わりない。

 

 

 「黒澤明を嫌って悪口を言っている」と見做す方

がいるかもしれない。期待外れの喪失感から覚えた

戯曲冒涜への悲憤であると読んでくれる方がいるか

どうかは分からない。

 

 1985年7月18日東宝公楽で覚えた『リア王』破壊

への悲しみはリアルタイムでないとわからないかも

しれない。

 

 仲代達矢・寺尾聰・根津甚八・原田美枝子・隆大介・

ピーター・井川比佐志は犠牲者だ。名優達の貴重な時

間が奪われたことに怒りを覚える。

 

 『乱』を越える阿呆愚作には会えない。これは1985

年7月18日に覚えた悲憤のこころだ。

 

 ところが丁度24年後の2009年7月18日大阪松竹座に

おいて『乱』をも遥に越える完全愚・絶対悪・永遠醜の

歌舞伎公演を鑑賞した。

 

 『乱』は地球史上最悪の愚作であった。

 

 ところがこの2009年7月18日大阪松竹座客席にお

いて鑑賞した歌舞伎公演は一切の比較を完全に断っ

た宇宙極悪一公演であった。

 

 蜷川幸雄演出『NINAGAWA十二夜』である。

 

 『乱』の黒澤明を越えたウィリアム・シェイクスピア

戯曲破壊大罪演出者は居た。

 

 その名を蜷川幸雄という。

 

                     合掌