御誂次郎吉格子 御誂治郎吉格子 完全無音無声版 活弁版 併せて学ぶ | 俺の命はウルトラ・アイ

御誂次郎吉格子 御誂治郎吉格子 完全無音無声版 活弁版 併せて学ぶ

『御誂次郎吉格子』

『御誂治郎吉格子』

 

 現存フィルムタイトル表記は

 

    誂御

  子格吉郎治

 

映画 無声 現存版90分 白黒

昭和六年(1931年)十二月三十一日公開

製作国 大日本帝国

製作字幕言語 日本語

活動弁士説明言語 日本語

製作 日活太秦

 

原作 吉川英治(『治郎吉格子』)

 

脚色・監督 伊藤大輔

 

撮影 唐沢弘光

 

鼠小僧治郎吉 大河内傳次郎

 

床屋の仁吉  高瀬實勢

やっちょろ丑  山口喜佐雄

与力重松    山本禮三郎

 

お喜乃     伏見信子

お仙       伏見直江

 

 

大邊男=正親町勇=西方弥陀六

     =室町次郎=大河内傳二郎

     =大河内傳二郎→大河内傳次郎

     =大河内伝二郎

 

 

 

高瀬實勢=高勢実乗=高勢實

    =相馬一平

 

山本禮三郎=小沢美羅二

     =市川壽三郎

 

伏見信子=伏見延江

 

伏見直枝→藤間照子→霧島直子

      →伏見直江

 

 

伊藤大輔=伊藤葭=呉路也

 

☆無音無声版鑑賞日時場所

 

平成二年(1990年)七月一日

京都文化博物館映像ホール

 

平成二十四年(2012年)十月二日

京都文化博物館 フィルムシアター

 

平成二十八年(2016年)二月三日

京都文化博物館 フィルムシアター

 

 

平成二十八年(2016年)二月六日

京都文化博物館 フィルムシアター

 

令和三年(2021年)十二月七日

京都文化博物館 フィルムシアター

 

☆活弁版鑑賞日時場所

活動弁士 松田春翠

令和四年(2022年)十月二十五日

十四時十五分→十五時二十分

シネ・ヌーヴォ F- 10席

 

 鼠小僧治郎吉は、貧困に苦しむ庶民の

金は奪わず、武家と豪商から盗んだ。庶民

は彼に拍手喝采を送った。

 

 役人達の厳しい詮議が迫る。

 

 浅き夢見じ酔ひもせず。

 

 身の危険を感じた治郎吉は、上方に逃げる。

草鞋を履く治郎吉の足が銀幕に映る。宿場町

本が映される。

 櫂は水路を漕ぐ。三十石舟で治郎吉は眼帯

を付けて変装する。猿回しが見事な芸で猿を

躍らせる。親と共に旅する少女は瞠目する。

 

 

 色っぽい美人の姐さん仙は疲労で睡魔

に襲われ眠気を覚える。

 声明する僧はお仙の懐からはみ出しつつ

ある財布を狙う。

 

 

 財布がこぼれつつあり、掏摸の坊主は

素早く奪うが、治郎吉に注意される。坊主

は犯行を見られ諦め、治郎吉はお仙に財

布を確保する。

 

 船が港に着いた。

 

 

 眼帯をして変装した治郎吉だが、御用提灯

をかざす役人達の詮議を受ける。

 

 治郎吉は港で襲い掛かってくる御用提灯を

相手に素早く身体を動かし撃退する。

 

 その奮闘に猿が驚嘆する。

 

 

 陸にあがった治郎吉はここでも襲い掛かって

きた役人集を圧倒した。

 

 三十石舟内に居たお仙は落ち着いて眼帯の男

の大立ち回りを見ていたが財布を掏られたことに

動揺する。

 

 眼帯を外した治郎吉が舟に戻り財布を渡す。

 

 舟が再び水路を走る。

 

     「二日月の晩に出来ると

      腐れ縁だと言やはります」

 

 お仙と治郎吉は月光の下に恋心を感じ合った。

 

  大坂で宿の払いを貯めたままお仙治郎吉は

同棲するが、治郎吉は別れ話を切り出す。

 お仙は悲しみつつ、床屋の兄仁吉に売られる

苦しみを確かめる。

 

 百両の大金で妹お仙の身体を売ろうとする

床屋の仁吉は、遣り手婆さんから金を渡した

のにお仙さんが奉公に来ないのはおかしいと

催促・注意されている。

 客として来た治郎吉が「妹さんを売らないで

くれ」と頼める状況ではなく、髭のみ仁吉に剃

ってもらう。

 

 床屋に武家の少女お喜乃が尋ねてきた。

 

 治郎吉はその清純な美しさに感激し一目で

恋に落ちたる。

 

 お喜乃は天王寺の長屋で病身の父を介護

している。内職しつつ将来芸子となって父を

守ろうと考えている。

 

 

 

 彼女が長屋の家に帰り、婆さんに事情を問う

た。

 

  婆さんは、お喜乃さんのお父様は脇坂家

のお侍で公金管理の勤めをしていたが、盗賊

鼠小僧にお金を盗まれ、罰せられて浪人したそ

うでっせと伝える。

 

 治郎吉は沈黙し思わず下を向いた。

 

 宿でお仙は自身が解放されるかどうかを聞く

が、治郎吉から仁吉と話していないと聞かされ

落胆する。彼の冷たい態度にお仙の目頭が熱

くなる。宿代を催促する番頭に治郎吉は明日

払うと約束する。

 

 頬かむりをした治郎吉は与力重松を調査

する。

 

 

 重松はお喜乃に惚れており、仁吉を通じて

妾にしようと圧力をかけ、彼に資金として百両

の金を与える。

 

 治郎吉は重松の屋敷から百両を盗む。

 

 

 宿でお仙は本気で治郎吉に改めて愛を語る。

治郎吉の態度は冷たく、別れ話を語り出す。お

仙は、「女の感で分かります」と述べ、兄仁吉の

店に行ってから、治郎吉の心に変化が起こった

と指摘する。

 

 認めた治郎吉は、別れを改めて強調し追われ

ている兇状持ちであることを告白するが、お仙は

彼が鼠小僧であることも知っていた。

 

 

 「鼠小僧の看板に惚れただけだ」とお仙の真心

に対して、冷たく語る治郎吉は、手切れ金として百

両を与える。

 

 お仙は「忘れ物ヨ」と匕首を渡す。

 

 

 治郎吉は「忘れりゃ、それまでだ」と冷たく語る。

 

 

 お仙は夜空に光る月を見つめる。

 

 

 長屋で仁吉はお喜乃に対して、「芸子勤めをや

めて、重松様の妾になれ」とすすめて、無理矢理

金を掴ませる。

 

 

 

 仁吉が去った後に、現れた治郎吉は百両の金を

渡して、「あっしゃ實はお父様に掛り合ひのある者」

と確かめ、「芸子の一件、待ったとしておいてくれま

せんか」と頼む。

 

 深夜仁吉はお喜乃とその父の家に侵入し、二百

両の金を奪う。お喜乃と父は抵抗するが、仁吉は

顔を隠しつつ父親を刺殺して逃走した。

 

 

 

 

 家に戻った仁吉は百両は何故二百両に化けた

かと不審を感じつつ子分の丑に殺害現場に証拠

が残ってないかどうか調べさせる。

 

 お仙が現れ、遊里に売られないために百両の金

を渡す。遊女の妹の金策を疑問を感じた仁吉は金

の取得方法を聞き、お仙は「お客に貰った」と答える。

 

 仁吉はお仙を縛り上げ、金を与えた存在は治郎

吉で人相書きから店に来た男と直感し、実の妹も

治郎吉をおびき寄せる為の人質にした。

 

 

 治郎吉は、お喜乃に「何処へ行く?」と聞き、お

喜乃は治郎吉の胸に頭を埋め、「何処へでも」と語

ってくれた。

 

 治郎吉は感激するが、泥棒の自身に無垢な武家

娘お喜乃を幸せにできないことを痛感している。

 

 「気紛れな男」と自己確認する治郎吉は、お喜乃を

愛しつつ、「いつまた飽きが来るかわからない」と述

べた。

 

 

 

   「腐り切った生涯に

   ただの一つ位は

   綺麗な思い出が 

   あってもよかろう」

 

 

 

 ふれ太鼓が響く。

 

 

 治郎吉は、駕籠屋を呼び、お喜乃を乗せて、彼女

の父の位牌を渡す。

 

 お喜乃は涙を呑んで、治郎吉の優しさに感謝しつ

つ、別れを決意する。

 

 彼女は月の美しさを讃えた。

 

 治郎吉はお仙が捕縛されている仁吉の家を目指し

歩を進めるが、御用提灯がその姿を見つめていた。

 

 

 ☆治郎吉における愛の学び☆ 

 

 

 大河内傳次郎(おおこうち・でんじろう)は明

治三十一年(1898年)二月五日福岡県に誕生

した。戸籍上は明治三十一年三月五日誕生だ

が、傳次郎が強く二月五日誕生を語ったという。

 本名は大邊男(おおなべ・ますお)である。

昭和三十七年(1962年)七月十八日、六十四歳で

死去した。

 

 

 伏見直江は明治四十一年(1908年)十一月十

日東京府に誕生した。本名は伏見直枝である。

 昭和五十七年(1982年)五月十六日七十三歳で

死去した。

 

 

 伏見信子は、大正四年(1915年)十月十日東京

府に伏見三郎の娘・伏見直枝の妹として生まれた。

現在百八歳である。

 

 高勢實乗(たかせ・みのる)は明治三十年(18

97年)十二月十三日に誕生した。本名は能登谷新

一(のとや・しんいち)である。昭和二十二年(1

947年)十一月十九日、四十九歳で死去した。

 本作の仁吉では嫌らしさと憎たらしさを粘り強く

表現した。悪役名演の代表作と確信する。

 トーキー時代は喜劇俳優として活躍し、「アーノ

ネ、おっさん」「わしゃかなわんよ」等のギャグの

言葉で一世を風靡した。

 

 山本禮三郎(やまもと・れいざぶろう)は明治

三十五年(1902年)九月十五日、東京府に生まれ

た。本名は山本博吉(やまもと・ひろきち)であ

る。父は画家山本芳翠(やまもと・ほうすい)で

ある。満年齢四歳で父を亡くした博吉は満年齢十

五歳で日本バンドマン一座に参加し「小沢美羅二」

の芸名で創作オペラスタッフを為した。大正十年

(1921年)映画界にデビューし後に山本禮三郎・

市川壽三郎を名乗った。昭和五年(1930年)芸名

を山本禮三郎に戻した。

 昭和六年(1931年)大晦日封切の本作ではお

喜乃の身体を狙い、仁吉を暗躍させる悪の親玉

重松を二十九歳の若さで勤めた。

 昭和三十九年(1964年)九月十一日、六十一歳

で死去した。

 

 

 吉川英治(よしかわ・えいじ)は明治二十五年

(1892年)八月十一日に神奈川県生まれた。本名

は吉川英次(よしかわ・ひでつぐ)である。

 昭和三十七年(1962年)九月七日、満年齢七十

歳で死去した。

 

 

 

 伊藤大輔(いとう・だいすけ)は明治三十一年

(1898年)十月十三日愛媛県に誕生した。

 

 昭和五十六年(1981年)七月十九日時西陣病院に

おいて八十二歳で死去した。

 

 

 少年時代より文学・演劇に熱中し文章を雑誌に

投稿した。伊藤葭(いとう・よし)は少年時代の

ペンネームである。内村鑑三の紹介で知遇を得た

小山内薫に自作の戯曲を送って添削指導を乞うた。

 呉の海軍工廠勤務時代には、マクシム・ゴーリ

キーの戯曲『どん底』を上演し、ワシカ・ペペル

役を勤めたという。

 小山内薫に招かれ、東京に行き活動大写真の脚

本を書く事を勧められる。大正十一年(1920年)

十一月二十四日、松竹キネマ蒲田製作、伊藤大輔

原作・脚本、小谷ヘンリー監督の活動大写真『新

生』が公開される。

 

 

 大正十二年(1923年)七月一日公開、松竹

蒲田公開、脚本伊藤大輔、監督野村芳亭の映画

『女と海賊』が公開される。この脚本を大輔は

「新時代劇映画」と名付け、これ以後現代から

見て昔の物語を語る作品は「時代劇」と呼ば

れるようになっていった。

 大正十三年(1924年)五月一日公開、帝国

キネマ演芸芦屋撮影所製作『酒中日記』は、伊

藤大輔にとって最初の監督作品である。日本映画

を支え、歴史に映画の命を吹き込んだ。「時代劇

の父」と呼ばれている。

 

 

 吉川英治作『治郎吉格子』を、日活は昭和六年

年末・七年正月映画として製作し、主演に大河内

傅次郎、共演に伏見直江・伏見信子姉妹、脚色・

監督伊藤大輔、撮影唐沢弘光のチームを組んだ。

 

 昭和六年大晦日に本作『御誂治郎吉格子』は公

開された。

 大河内傅次郎・伊藤大輔満年齢三十三歳、伏見

直江満年齢二十三歳、伏見信子満年齢十六歳で

ある。

 

 『御誂治郎吉格子』の「御誂(おあつらえ)」

の二字には大日本帝国政府・当局の厳しい監視・

検閲に対する大輔の皮肉がこめられている。

 

 お仙・お喜乃・治郎吉の恋愛劇を、直江・信

子・傅次郎の三者が熱く探求し清らかな愛の活

動大写真を生み出した。

 

 

 伊藤大輔監督は沢山の無声映画を演出したが、そ

れらの大部分はフィルムは紛失してしまった。現存し

ているものの殆どが不完全版である。

 本作は稀有にほぼ完全版の90分フィルムが現存して

いた。

 

 冒頭義賊鼠小僧治郎吉の評判を語り、役人の詮議

の厳しさを恐れる彼が上方への逃走を決意する様を

鮮やかに映像で語る。

 

 草鞋に包まれる足・街道の図・水路を漕ぐ櫂で大輔

は治郎吉の逃走を見せる。

 

 三十石舟の猿回しと猿・少女とその母・掏摸坊主の

描写も鋭い。

 

 お仙の掏摸被害を治郎吉が助ける。

 

 御用提灯をかざす役人達を相手にする治郎吉の

の激闘は小舟・港の二場面に集約する。

 

 大河内傅次郎の立ち回りは見せるが、三十石舟

と港の二場面に集約し、猿の視線で映すという方法

で大輔は超絶的な美を演出に輝かせる。

 

 掏摸から助けてくれた粋な兄さんにお仙は感謝し

月光の下で二人は愛を感じ合う。

 

 伊藤大輔の恋愛描写の美しさに驚嘆する。

 

 大河内傅次郎の逞しさと伏見直江の超絶的美貌

にも息を飲む。

 

 大阪の宿で治郎吉は飽きっぽい気性からお仙に

冷たくする。非道な兄に食い物にされていることを

聞き、兄仁吉の床屋に行き、髭を剃ってもらうが、

冷徹な仁吉の眼力を知る。

 

 高勢實乗が柔らかい笑顔と鋭い視線で仁吉の冷

徹さを表現する。

 

 お喜乃の清純無垢な美しさに治郎吉が一目惚れす

るシーンも美しい。

 

 恋するお喜乃とその父は、自身の盗みによって落

魄し生活苦に喘いでいる事を知る。大輔は治郎吉の

悩みを、傳次郎の無言の演技で鮮やかに示す。

 

 宿で自身を鼠小僧と知るお仙に百両の金を与えて

治郎吉は縁切りをする。

 

 優しいお仙は月に理解を求める。

 

 極悪非道の仁吉は、お喜乃の父を殺して二百両を

奪い、お仙を捕らえて、治郎吉を罠に嵌めようとする。

 

 高勢實乗の極悪演技の表現は豊かで深い。

 

  治郎吉は罪滅ぼしと敵討ちの課題を感じ、恋する

お喜乃を守ることに命を燃やし、盗みの暮らしをして

腐りきった自身の生涯にただ一度の「綺麗な思い出」

としてお喜乃救援を確かめる。

 

 お喜乃の幸福を自身の幸とする。

 

 クライマックスの治郎吉は無垢である。恋するお喜乃

さんが自分のような盗賊と逃げてくれると言ってくれた

事に深謝しつつ、俺のような巨悪の盗賊は清らかなお

喜乃様に相応しくないという現実を感じる。お喜乃さん

の父上を苦しめ、お命を守れなかったことに治郎吉は

悲しみを感じている。

 

 盗賊の自身に、美しいお喜乃の力になりたいという

心が芽生えた。

 

 恋する人の幸を願うことに目覚めた治郎吉はそこに、

生涯を賭けた。

 

  お喜乃は駕籠に乗り安全な場所に向かう。

 

  治郎吉は、恋する人の幸を思って、仁吉との最後の

決戦に向かう。

 

 無数の御用提灯に囲まれながら悠然と歩む治郎吉を

大河内傅次郎が重厚に勤める。

 

 仁吉の家に付いた治郎吉は縛られたお仙の縄を解く。

 

 お仙は治郎吉さんが助けにきてくれたことに感激す

る。

 

   これまた鼠小僧です。何しろ鼠小僧は市井の

   英雄ですからね。しかし、市井の英雄といって

   も私、いわゆる“股旅物”は一本しか撮ってい

   ないのですよ。あとに出てくる「唄祭三度笠」

   だけです。“股旅”という言葉は長谷川伸先生

   がお作りになったのですが、ーそう、それで

   私よく覚えていることがあるんです。長谷川先

   生は自分の作品の映画化は勿論、映画をよく

   ご覧になる。それで、そうそう『キネマ旬報』で

   すよ、こう宣伝なさった、「自分の作品は伊藤

   大輔にはやらせない」とかね。「友人の作品

   の映画化をみると、伊藤大輔の手に掛かった

   映画はすべて伊藤大輔のものになってしま

   う。私は長谷川伸でなくなってしまうものは

   撮らせない」。戦後、初めてお目にかかって

   それを申しましたら、ご老体、「そうか、それは

   若気のいたり、すまなかった」で和解いたしま

   したが・・・・・・。それも一つの原因ですがー、

   私よく実体を知っているのです。きれいな羽

   二重を着て、一宿一飯の仁義とか何とか云

   ってましても、本当を云えば渡り者には非常

   に汚らしい面があるってことを。忠治のような

   英雄でさえ、みにくく扱おうと思った私です。三

   度笠傾けサッソウと、というような股旅物は

   撮れないのですよ。

   (『伊藤大輔シナリオ集Ⅱ』332頁

    『自作を語る』)

 

 吉川英治の小説『治郎吉格子』は、治郎吉が危機

に遭ったお仙を助けて別れる物語である。

 

 『御誂治郎吉格子』は、お仙を救い、仇敵仁吉との

対決を経た治郎吉が覚醒する物語である。

 

 伊藤大輔は、お仙の限りない愛を語り、伏見直江

が渾身の熱演で応えた。

 

 長谷川伸の言葉は鋭い。

 

 伊藤大輔は抗議する必要はなかった。大輔の深い

演出に驚嘆した言葉である。

 

 小説『治郎吉格子』の淋しさは魅力があるが、ここ

から無限の無償の母性愛の映画『御誂治郎吉格子』

を生み出した大輔の脚色・演出は驚異の深さである。

 

 映画『御誂治郎吉格子』は、原作小説『治郎吉格子』

を越えている。まさに伊藤大輔の世界である。

 

 単なる優劣比較ではない。『御誂治郎吉格子』が『治

郎吉格子』から生まれた事は事実である。『治郎吉格子』

を根として『御誂治郎吉格子』は、銀幕にお仙の愛の華を

咲かせたのである。

 

 伏見直江の美しさは神々しい。

 

 治郎吉は、月にお喜乃の清らかな無垢とお仙の暖か

い母性愛を確かめる。お喜乃への恋とお仙が包んでく

れた愛で、治郎吉は愛することと優しさを心身全体で学

び実感した。

 

 大河内傳次郎は鼠小僧治郎吉の愛への覚醒を熱き

芸で探求した。

 

 

 『御誂治郎吉格子』(『御誂次郎吉格子』)現存

フィルムには、完全無音無音楽版と松田春翠語りの

活弁版がある。

 

 昭和五十年(1975年)七月三日十三時三十分、

『御誂次郎吉格子』が京都府立文化芸術会館で上

映された。

 

  大阪のある篤志家の所蔵の中から発見された

  もので、府のフィルムライブラリーの、貴重

  なコレクションの一つとされたものだった。

  そしてその日の試写は、夫人とご一緒なら、外

  出も出来るようになられた先生への特別試写 

  であった。

  (『時代劇映画の詩と真実』339頁

    加藤泰稿『おわりに』

   昭和五十一年四月十四日発行 キネマ旬報社)

 

 昭和四十九年(1974年)十月十八日体調不良と

なった伊藤大輔は闘病の日々を送っていた。

 失われたと思われていた『御誂次郎吉格子』フィ

ルムが大阪の篤志家のコレクションから発見され

京都府立文化芸術会館で大輔への特別試写の課題

もこめて上映された。

 

 この日のスチール写真は京一会館のプログラム

で見た記憶がある。京一会館の受付スタッフのお

婆さんが教えてくれた「伊藤大輔監督はな、京都

府立文化芸術会館」とはこの日のことであったか。

 

 京都府立文化芸術会館における京都府所蔵日本

映画上映は昭和六十三年(1988年)十月一日から

京都府立文化博物館に受け継がれた。

 

 昭和五十年(1975年)七月三日に京都府立文化

藝術会館で上映された版は、現在京都文化博物館

で所蔵されている完全無声・無音版であったか?

 

 この日活弁付上映であったかどうかは分からな

い。

 

 伊藤大輔自身にとっても四十三年七か月前に撮

った監督作品との再会は感慨深いものがあったで

あろう。

 

 完全無声無音版は音が全く入っていないのだが、

伏見直江の瞳がお仙の母性愛を語り、伏見信子の

可憐な顔がお喜乃の純真を明かし、大河内傅次郎

の眼光が治郎吉における愛の学習を伝えてくれて

いる。

 

 ふれ太鼓のシーンでは観客の心に太鼓の音が響

く。

 

 無声フィルムが言葉・魂を語っている。本作完全

無声・無音版から教えられた。

 

 前述の通り、令和四年(2022年)十月二十五日、

十四時十五分あら十五時二十分にシネ・ヌーヴォF-

10席において本作活弁・音楽付版を見聞した。

 

 松田春翠は活弁の大御所である。名調子に痺れた。

 

 その松田春翠の深き話芸を以てしても完全無音完

全無音楽フィルムの純粋な無償の愛の永遠性には及

ばないことを痛感した。

 

 

 松田春翠活弁版を否定している訳ではない。聞き

応えは十二分にある。この版には迫力があり一気に

時をかけ抜ける。迫力豊かな活劇となっている。

 

 だが、本作の生命力は愛の表現にある。その事は

完全無音・完全無音楽フィルム版によって伝えらて

いることを確かめたい。

 

 本作について感想を書くのは当記事で十五回目に

なる。

 令和三年(2021年)十二月三十一日発表記事・

令和四年(2022年)十月三十一日発表記事を土台

に確かめつつ、新たな意見を加えて再編発表してい

る。

 

 完全無声無音版を京都文化博物館で五度、活弁

・音楽付版を一度シネ・ヌ―ヴォで見聞した。見る

度聞く度に新たな発見がある。

 

 

 伊藤大輔は、お喜乃の純真とお仙の愛に育まれる

治郎吉の生き方を探求した。

 

 伏見直子・伏見信江・大河内傳傳次郎の熱き芸が

その課題に応えた。

 

 治郎吉は月を見る。

 

 月光にお仙とお喜乃を思う。

 

 伊藤大輔は『御誂次郎吉格子』(『御誂治郎吉格

子』)において二人の女性の無償の愛に暖められる

治郎吉の生き方を尋ね、大河内傳次郎の至芸が治郎

吉の命をフィルムに吹き込んだ。

 

   二十二時七分追記

 

 本日蓮華寺にある伊藤大輔墓にお参りした。

 

 「伊藤大輔監督。百二十五歳御誕生日おめ

でとうございます。」と申し上げた。

 

 

  

 

 伊藤大輔百二十五歳誕生日

 

         令和五年(2023年)十月十三日

 

 

 

                     合掌

 

 

                   南無阿弥陀仏

 

 

 

                     セブン