奇跡 Ordet | 俺の命はウルトラ・アイ

奇跡 Ordet

『奇跡』

Ordet

映画 トーキー 126分 白黒

1955年1月10日 デンマーク封切

製作会社 パラディウム

昭和五十四年(1979年)二月十日日本封切

製作国 デンマーク

製作言語 デンマーク語

 

原作 カイ・ムンク Ordet 『御言葉』

脚色 カール・テオドア・ドライヤー

製作 エーリク・ニールセン

音楽 ポール・シーアベック

撮影 へ二ング・ベントセン

編集 エーディト・シューリセル

 

出演

 

ヘンリク・マルベイ(モルデン・ボーエン)

エミル・ハス・クリステンセン(ミケル)

カイ・クリスチャンセン(アーナス)

ビルギッテ・フェーダー・シューピール(インガ)

ゲルダ・ニールセン(アンナ)

アイナ―・フェーダーシュピール(ペーター)

ヘンリー・スケアー(医師)

オヴェ・ラッド(牧師)

プレ―ベン・レア―ドルフ・リュ(ヨハネス)

 

監督 カール・テオドール・ドライヤー

 

鑑賞日時場所

平成十五年(2003年)十二月三十一日

シネ・ヌ―ヴォ

 1930年頃のユトランド半島の夏季。

 

 モルテン・ボールエンはボーエン農場

の責任者である。妻を亡くしたが、三人

の息子と孫たちが囲んでくれている。

 

 キリスト教の敬虔な信者のモルテンは

一代で農場を立てた人物で、信仰心は奇跡

を具現するという意見を確信していた。

 

 その生真面目な信仰の在り方を冷ややかに

見る人達がいた。

 

 長男ミケルと嫁インガには娘がいた。父と

違ってミケルは神を信じていない。

 

 次男ヨハネスは敬虔で真面目なキリスト教

徒だが、自身をキリストと信じている。

 

 三男アーナスは仕立て屋ペーターの娘アンネ

に恋心を抱いている。

 ところが父モルテンとペーターは宗教問題で

対立している。

 

 インガは夫と義父の対立に悩む。妊娠中の彼

女は生まれてくる子が義父の夢である男児であ

ることを望む。

 モルテンは嫁インガに説得されて、三男アーナ

スがアンネに求愛することを許可する。だが、ぺ

ーターが承知しなかった。

 

 ミケルは妻インガが急に産気づき、母子共に危

険な状態にあることを知る。医師は胎児を犠牲に

してインガを救出する。

 だが、インガも亡くなる。

 

 ボールエン家の人々は葬儀で悲しみを覚え打

ちひしがれる。

 

 ペーターは娘アンヌと共にボールエン家に和解

したいと呼びかけた。

 

 ヨハネスがボールエン家に帰ってきた。

 

 神の言葉を語った。

 

 亡くなったと思われるインガの顔色に生気が

蘇りを見せ始めた。

 

 ◎命を生きて欲しいという願い◎

 

 

 カール・テオドア・ドライヤー Carl Theodor

Dreyer は1889年2月3日デンマークコペンハーゲン

に誕生した。

 スウェーデン在住のデンマーク人であった父は

地主であった。スウェ―デン人の母ヨセフィーナ・

ニルソンは父の家の女中であった。私生児として

生まれたカールは植字工ドライヤー家の養子とな

った。

 

 母ヨセフィーナは別の男性の子供を身籠ったが

結婚を拒絶され、硫黄を接種して中絶する道を選び

硫黄の過剰摂取で亡くなったという。

 

 カールは生母が男性社会や世の欺瞞と冷酷さに

よって命を奪われたと直感した。

 

 ジャーナリスト・演劇評論家・気球飛行研究者

として活動し、映画会社ノーディスク・フィルム

に勤務し映画技術を学ぶ。

 

 1918年監督第一作『裁判長』製作に取り組み、

1918年に完成させた。

 1928年監督作品『裁かるゝジャンヌ』La passion

de Jeanne d’Arcを発表する。異端審問裁判で裁

きを受け冷酷な判定を下されても信仰を熱く確か

め語るジャンヌを映し出した。

 

 1968年3月20日カール・テオドア・ドライヤー

はコペンハーゲンの病院において79歳で死去した。

 熱く希望していた企画『ナザレのキリスト』は

未完になった。

 

 『奇跡』は65歳で発表した監督作品である。原

作者カイ・ムンクは牧師でナチスの抵抗運動で殺

された。

 

 ボーエン農場一家の人々のドラマを静かな演出で

語る。

 

 ワンカットワンシーンの一つ一つが重くて深い。

 

 キリスト教信仰に篤く生きる父モルテンをヘン

リク・マルベイが深い芸で現す。

 

 ビルギッテ・フェーダーシュービルが義父・夫

の和解と子供達の幸を祈るインガの優しさを探求

する。

 

 神を信じないミケルは妻インガの葬儀で妻に

とりすがり悲しむ。

 

 次男ヨハネスは精神を病んでいて、冷たい

視線を受けていたが、彼が葬儀に現れて、死

んだと思われているインガに神の言葉を語り

かける。

 

 命の息吹がインガに起こり始める。

 

 キリスト教信仰を学んだカール・テオドア・

ドライヤーの道はヨハネスの呼びかけの源に

なっている。

 

 「尊い命を生きて欲しい」という願いは

祈りとなって兄嫁の心身に響く。

 

 キリスト教の愛の精神を深く尋ねる作品で

ある。

 

 プレ―ベン・レア―ドルフ・リュがヨハネス

の広大無辺の優しさを生きた。

 

 平成十五年(2003年)十二月三十一日シネ・

ヌ―ヴォで長年の夢であった映画館銀幕鑑賞を

為し心身全体で熱くなった。

 

 ワンシーンワンカットが重厚深遠である。

 

 「永遠不滅の大傑作」「至尊の藝術」と書い

たり言ってしまうと何かが違うように思われる

のだ。

 

 「傑作」と言ってしまい書いてしまった時点

で既に不遜な振舞をしてしまったのではないか

という恐怖心が湧く。讃嘆・絶賛でも評価をし

たりするようなことは恐れ多いと痛感せしめら

れる。

 「藝術」と呼ぶことも弟子の身で師を評価し

てしまうようなことではないかと自問する。

 

 言葉も文字も超えている。

 

 「大感激」「感動」という在り方を語ってし

まったり書いてしまったりすることは、尊くて

清らかなドライヤー演出に出会っているのかと

自問してしまう。

 心に激しく動かしてくるものはある。本作

に出会ったことは喜びとして語ってよいのか

という問いが心に迫ってくるのだ。

 

 命の限りない重さをドライヤー演出は伝えて

いるのではないか?

 

 その重さは126分の上映時間にわたくしを圧

倒した。

 

 カール・テオドア・ドライヤーは神の愛に

生きる人々をフィルムにおいて尋ねその命を

明かし映し出したのだ。

 

 『奇跡』は命を生きている映画である。

 

 ◎

 

 本日20時30分から22時36分に京都みなみ

会館において1日限定で上映される。

 京都みなみ会館閉館日に最終上映作品とな

りそうだ。

 わたくしは残念ながら今日の上映に行けない。

二回目の銀幕鑑賞を京都みなみ会館で為したか

った。

 この夢は他日を期しつつ、京都みなみ会館

再開の大夢と共に心の中で熱く燃やしたい。

 

 京都みなみ会館スタッフは大千秋楽・留め・

大トリに相応しい愛の映画を上映する。

 

 これほど完璧な最終上映を企画されると再

開希望を語ってよいのかと自問することもあ

る。

 

 しかし、京都みなみ会館に育てられたわた

くしは、再開希望の声を熱く語る。

 

 京都みなみ会館はわたくしにとって心のふる

さとであり尊い学校だ。

 

 カール・テオドア・ドライヤーがフィルムに

輝かせた生命を思いつつ、本日の上映を心で応援

する。

 

                   合掌