日本のいちばん長い日 二題 昭和四十二年傑作と平成二十七年愚作を併せて考える | 俺の命はウルトラ・アイ

日本のいちばん長い日 二題 昭和四十二年傑作と平成二十七年愚作を併せて考える

『日本のいちばん長い日』

映画 トーキー 157分 白黒

昭和四十二年(1967年)八月三日公開

製作国 日本

製作言語 日本語 英語

製作会社 東宝

配給 東宝

 

製作 藤本真澄

    田中友幸

製作担当者 鈴木政雄

 

脚本  橋本忍

原作 大宅壮一

 

撮影 村井博

音楽 佐藤勝

美術 阿久根巌

録音 渡会伸

照明 西川鶴三

編集 黒岩義民

監督助手 渡辺邦彦

整音 下永尚

 

出演

宮口精二(東郷茂徳)

戸浦六宏(松本俊一)

笠智衆(鈴木貫太郎)

山村聡(米内光政)

三船敏郎(阿南惟幾)

小杉義男(岡田忠彦)

志村喬(下村宏)

高橋悦史(井田正孝)

井上孝雄(竹下正彦)

黒沢年男(畑中健二)

吉頂寺晃(梅津美治郎)

山田晴生(豊田副武)

香川良介(石黒忠篤)

明石潮(平沼騏一郎)

玉川伊佐男(荒尾興起)

二本柳寛(大西瀧治郎)

武内亨(小林海軍軍医)

加藤武(迫水久常)

川辺久造(木原通雄)

江原達怡(川本信正)

三井弘次(記者)

土屋嘉男(不破博)

島田正吾(森赳)

森野五郎(大橋八郎)

加東大介(矢部謙二郎)

石田茂樹(荒川大太郎)

田崎潤(小薗安名)

平田昭彦(菅原英雄)

中村伸郎(木戸幸一)

竜岡晋(石渡荘太郎)

北竜二(蓮沼蕃)

野村明司(中村俊久)

藤木悠(清家武夫)

北村和夫(佐藤信次郎)

村上冬樹(松阪広政)

北沢彪(広瀬豊作)

岩谷壮(杉山元)

今福正雄(畑俊六)

天本英世(佐々木武雄)

神山繁(加藤進)

浜村純(筧素彦)

小瀬格(若松只一)

佐藤允(古賀秀正)

久保明(石原貞吉)

草川直也(長友俊一)

石山健二郎(田中静壱)

滝恵一(塚本清)

藤田進(芳賀豊次郎)

田中浩(小林宏)

佐田豊(佐野恵作)

上田忠好(佐野小門太)

勝部演之(白石通教)

伊藤雄之助(野中俊雄)

青野平義(藤田尚徳)

児玉清(戸田康英)

浜田寅彦(三井安弥)

袋正(入江相政)

小林桂樹(徳川義寛)

中谷一郎(黒田大尉)

若宮忠三郎(水谷一生)

山本廉(伍長)

森幹太(高嶋辰彦)

伊吹徹(板垣徹)

久野征四郎(大隊長)

小川安三(巡査)

田島義文(渡辺多粮)

加山雄三(館野守男)

新珠美千代(原百合子)

宮部昭夫(稲富勝彦)

関口銀三(岡部長章)

関田裕(神野敏夫)

井川比佐志(憲兵中尉)

須田準之助(高橋武治)

高田稔(保科善四郎)

堺左千夫(飛行整備課長)

小泉博(和田信賢)

大友伸(吉積正雄)

笠徹(鈴木一)

大沢健三郎(少年飛行兵)

阿知波信介(横浜工高生)

頭師佳孝(浮浪児)

雷門ケン坊(浮浪児)

秋月正夫(重臣)

山田圭介(大臣)

田中志幸(大臣)

野村清一郎(重臣)

松本幸四郎(裕仁)

 

ナレーター 仲代達矢

 

 

監督 岡本喜八

 

ウィキペディアによると原作者大宅壮一と

なっているが、半藤一利が書いたという。

半藤一利は文藝春秋新社社員で大宅壮一

が原作者としてクレジットされたとされてい

 

山村聡=山村聰

 

黒沢年男→黒沢年雄

 

加藤徳之助=市川莚司

        =加東大介

 

加山雄三=弾厚作

 

藤間順次郎=二代目松本純蔵

        →五代目市川染五郎

        →八代目松本幸四郎

        →初代松本白鸚

 

仲代達矢=仲代元久

鑑賞日時場所

平成二十七年(2015年)八月四日

京都文化博物館フィルムシアター

 昭和二十年(1945年)夏、大日本帝国は連合

国と太平洋戦争を戦っていた。昭和十六年(19

41年)十二月八日真珠湾攻撃でアメリカ合衆国

と戦い、優勢を示したが、続く戦闘に負け続け昭

和二十年(1945年)夏には、敗戦は決定的なもの

となっていた。

 

 七月二十六日アメリカ・イギリス・中華民国よ

り語られたポツダム宣言が傍受された。

 鈴木貫太郎政権は黙殺を決める。だが、八月

六日広島に原子爆弾が投下され、八日ソビエト

連邦が参戦し、大日本帝国敗戦は必至となった。

 

 第一回御前会議で天皇裕仁は終戦を主張し、

政府は天皇大権に変化がないことを条件として

ポツダム宣言を受諾することを中立国のスイス・

スウェーデンの大使に連絡した。

 

 十二日連合国からの回答があった。天皇の地位

のSubject toが制限であるか隷属であるかで激論

を呼んだ。

 

 鈴木内閣の閣僚達は激しく論議を戦わせた。陸

相阿南惟幾は天皇の地位の保証と戦争犯罪人を

日本人の手で裁くことを条件として、現在の段階で

はポツダム宣言受諾に反対し抗戦を望む。

 海相米内光政は沢山の兵士と民が犠牲になった

事を確かめもはや戦闘を続ける力はなく、降伏する

のみだと語った。

 

 大西瀧治郎は二千万の日本男児の特攻を提案し

た。

 

 十四日の特別御前会議で裕仁は終戦を決意しポ

ツダム宣言受諾が決定した。

 

 阿南惟幾は陸軍の兵士達の逸る心を察し包みと

り、武力による抵抗をしないように望んでいた。

 だが大東亜戦争を聖戦と思い込み、戦う事に全て

を賭けている若き将校達にとって降伏敗戦は受け入

れられない事柄であった。

 

 畑中健二少佐を中心とする青年将校達は、クー

デターを考案する。

 阿南は天皇の判断が下ったならば従って降伏を

受け入れるべきだと説く。

 

 

 厚木三〇二航空隊の小薗安名は終戦に対する

徹底抗戦を主張した。

 

 東京警備軍横浜警備隊長佐々木は、首相・閣僚

を襲撃して終戦を阻止することに熱意を燃やしてい

た。

 

 閣議が開かれ、天皇裕仁が終戦詔書を読む声を

録音することが決定した。

 

 午後十一三十分裕仁は宮内省で終戦の詔書を

読んだ。

 児玉基地において野中俊雄は少年飛行兵達に

「皇国の勝敗」が「諸君の双肩」にあると説き、少年

飛行兵達は見送る人々に激励されつつ特攻に出撃

する。

 

 阿南惟幾は「自分は吸いませんので」と述べ、愛

煙家の鈴木貫太郎に煙草を贈り、世話になったこと

に対して礼を述べる。

 

 

 録音盤は徳川義寛侍従長に渡された。

 

 十四日から十五日に時は移る。宮城事件が起こ

る。

 

 井田正孝は、天皇の降伏決定の詔書が日本放送

局からラジオで全国へ放送されてからでは遅いと感

じ、森中将にクーデターへの協力を頼む。

 森師団長は明治神宮に参拝した後決めると伝えた。

 

 

 井田は退出するが、畑中と黒田大尉が森の部屋

に入り、クーデターへの協力を頼むが森は拒絶する。

 

 畑中・黒田は怒り心頭に達し、森師団長を殺害す

る。

 

 畑中らは森の命を偽造する。玉音放送阻止を狙い、

録音盤奪取・宮城占領と共に日本放送協会占領へと

動く。

 

 日本放送局館野守男アナウンサーは、畑中から拳銃

を突きつけられるが、ひるまず、臨時で放送があることを

伝える。

 東部軍司令部田中大将は、畑中のクーデター計画を

挫く。

 

 佐々木大尉は鈴木貫太郎暗殺を企て、首相私邸を襲

撃し、女中原百合子は恐怖に怯える。更に佐々木は平沼

枢密院議長邸も襲った。

 

 阿南惟幾は井田正孝に未来日本への期待を語りつつ、

自身の戦争責任として割腹自殺を遂げる。

 

 畑中は、憂国の心から自殺する。

 

 十五日ポツダム宣言受諾を語る裕仁の声がラジオを通

して放送され、大日本帝国の太平洋戦争敗戦は伝えられ

た。

 

 岡本喜八(おかもと・きはち)は大正十三年(1924年)二

月十七日に鳥取県に誕生した。本名は岡本喜八郎であ

る。

 岩波書店の『講座日本映画5 戦後映画の展開』(1987

年1月14日発行)に岡本喜八は、『体験的戦争映画・試論』

という一文を発表した。

 戦争映画・喜劇の名匠が、戦争を問い尋ねる営みの源

を書いたものである。

 

 七歳で満州事変が勃発し、八歳で上海事変が起こり、十

二歳で日本が大日本帝国となり、十三の夏に日中戦争が

起きて、十七歳の冬に太平洋戦争が起こった。少年・青年

岡本喜八郎にとって「ある日突然」の事件の連続であった

という。

 太平洋戦争勃発により、自身の寿命を「上手く行って二

三、下手すれば二一」(292頁)と踏んで死ぬまでに一本で

も多く映画を見たいと望み、ルネ・クレールやジュリアン・デ

ュヴィヴィエのフランス映画を鑑賞しつつ、『五人の斥候兵』

『土と兵隊』といった日本戦争映画も見聞した。

 

 昭和十八年(1943年)九月三十日喜八郎は十九歳で東宝

の助監督になったが、十月二十一日に明治神宮外苑競技

場で学徒出陣壮行会が行われ友人達が戦場に向かってい

った。

 彼自身も昭和十九年(1944年)中島飛行機武蔵製作所

において試運転工となり、徴兵検査で第一乙種に合格し

た。

 昭和二十年(1945年)一月十日工兵特別甲種幹部候補

生として松戸工兵学校に入隊し、豊橋予備士官学校に移

り、終戦となり復員した。

 

   私の友人のたちの殆どは二十一歳、終戦の年の正月

   から八月一五日の間に死んでいた。

    その年の四月二九日の豊橋予備士官学校では、B29

   の落とした一発の二五〇キロ爆弾の為に私の目の前で

   戦友たちが無残に死んだ

   (『講座日本映画史5 戦後映画の展開』296頁

    『体験的戦争映画・試論』)

 

 二一歳で友人達が戦争で死に、自身も死の恐怖が迫る。

予備士の激しい訓練と反比例する貧しい給与、栄養失調

という青春をみじめったらしいと感じ自身を含めた人間・

状況を「喜劇」と捉えるようになったという。これが後に映画

監督として喜劇を撮ることの原点になったと『体験的戦争映

画・試論』で記している。

 

 東宝に戻り、助監督に復帰し、『独立愚連隊』『ああ爆弾』

のシナリオで認められ、昭和三十三年(1958年)第一回監

督作品『結婚のすべて』を発表する。自分は未見である。

 

 昭和四十二年(1967年)東宝は創立三十五年を記念して

『日本のいちばん長い日』の製作を決定する。

 

   

 監督には『人間の條件』全六部を演出した小林正樹が内定

していたが、藤本真澄との関係が良くなかったようで、橋本忍

の推薦で岡本喜八が抜擢されることとなった。

 

 「日本人の死者は戦闘員・非戦闘員合せて三百万」(『講座

日本映画史5 戦後映画の展開』291・292頁『体験的戦争映

画・試論』)という戦争犠牲者の人数に「仰天」したことが、

『肉弾』脚本執筆開始や『日本のいちばん長い日』監督引き受

けの動機になったと岡本喜八は確かめている。

 

 戦死した友人達や兵士達や非戦闘員の犠牲を思い、喜八

監督は重く深いリズムで昭和二十年夏の戦争終結の物語を

語った。

 

 刻一刻事実が迫り戦局が動き、国際情勢の変動により、

犠牲者は増え続け、敗戦を受け入れざるを得ない政府の

苦渋と聖戦を生き甲斐にして徹底抗戦に命を賭ける青年

将校の闘志を描く。

 

 橋本忍の脚本は緻密である。

 

 歴史ドラマの重く深い探求にドキュメンタリーを想い起こ

した。

 

 岡本喜八の演出は厳かであり、慎重に終戦物語を描き

語っている。

 

 東宝は男優総動員ではないかと思える程超豪華な配役

を組んだ。

 

 ドキュメンタリー風の歴史ドラマではあるものの、阿南惟

幾の悲憤と切腹がドラマの軸となり、世界のスタア三船敏

郎が事実上の主役を熱く演じる。

 

 山村聰が海軍大臣米内光政役で重い存在感を示す。

 

 阿南と米内が陸軍・海軍を代表して激論を戦わすシー

ンは世界の三船と大名優・名監督山村聰の激突で凄み

があり、圧倒される。

 

 これに対し、鈴木貫太郎役の笠智衆の飄飄とした味わい

は、観客を包んでくれる空気がある。

 

 情報局総裁下村宏に志村喬、外務大臣東郷茂徳に宮

口精二、農商務大臣石黒忠篤に香川良介と大御所の名優

達が閣僚を演じた。

 風格と貫禄に息を呑む。

 

 二千万人特攻論を熱く語り、帝国の男子全員の特攻で

抗戦し終戦すべきではないと力説する大西瀧治郎を二本

柳寛が粘り強く演じる。

 

 異常・狂気の思想を語る軍人として本作では描写されて

いるが、大西瀧治郎自身は八月十六日に介錯無しで切腹

自殺を為し、特攻で命を散らした若者達への哀悼を自身

の散り方で示している。

 

 純粋な忠君愛国に燃える畑中健二少佐を黒沢年男が

体当たりで演じた。

 大日本帝国の聖戦を心の底から確信している青年将

校達にとっては戦争継続は歴史の使命が生き甲斐であ

った。

 

 終戦拒否に命を賭ける青年将校の激烈さを橋本忍と

岡本喜八は鋭く見つめ、彼らの熱量を尋ねた。

 

 父親のように敬い慕う阿南の諫言を聞いても畑中と

その仲間たちは敗戦を受け入れることを拒否し徹底

抗戦に命を燃やす。

 

 裕仁役には八代目松本幸四郎が選ばれた。裕仁在

世の時代で、顔のアップは映さず、後ろ姿や遠景での

姿が映る。映画における「象徴」の表現であり、橋本忍

と岡本喜八の慎重な姿勢が窺える。

 

 八代目松本幸四郎後の初代松本白鸚は風格・貫禄が

ある。

 初めて本作に出会った時期は少年時代にテレビ放送

視聴であったが、天皇の描写の象徴表現に驚いた事を

よく覚えている。

 

 しかし、現在見直してみると、国民の塗炭の苦しみを

思い戦争継続を無理と判断したという裕仁の台詞に閣

僚達が「陛下が民を思って下さった」と感激し落涙する

御前会議シーンは、半藤一利らしい裕仁神格化を感じ

私は強い不審を感じている。

 

 裕仁在世の昭和四十二年(1967年)という時代を思え

ば、東宝が美化せざるを得なかったという事情は察する

のだが、八代目松本幸四郎の演技は深く重い。

 実際の裕仁の老獪で狡猾なあり方を思うと、劇映画内

演技とはいえ、あまりの違いに違和感を覚える。

 

 終戦に激怒し鈴木首相暗殺を狙う佐々木を天本英世が

熱演する。佐々木の狂気かと思えるほどの戦争情熱に喜

八監督の表現を見た。

 

 裕仁が終戦の詔書を読み、児玉基地では野中が少年

飛行兵達の特攻を激励し少年達は自爆への道に飛ぶ。

 

 十四日から十五日にかけてのシーンは戦争の残酷さを

伝えている。

 

 伊藤雄之助の凄みは光っている。

 

 この児玉基地の少年兵出撃は、橋本忍と岡本喜八の

せいいっぱいの裕仁戦争責任追求だったと自分は見る。

 

 公開時生後九日の赤ん坊であった私如きが言うのは

烏滸がましいが、高橋悦史や井上孝雄は井田正孝・竹下

正彦の帝国軍人の存在感を伝えていると感じる。

 

 加東大介・加藤武・北村和夫・小泉博・神山繁・児玉清・

小林桂樹・中村伸郎・浜村純と名優達が集い演技合戦を

為し、フィルムの緊張感を盛り上げる。

 

 徹底抗戦を主張する小薗安名を田崎潤が熱く演じる。

 

 畑中健二と黒田大尉による森赳説得工作と暗殺は、

本作のドラマの山場となっている。

 

 大名優島田正吾の重く深い芸に感嘆した。一日本人

として明治神宮に参拝し終戦受諾かクーデター共鳴か

を選ぶというもののクーデターに加わる心は無く、拒絶

し、畑中・黒田に無残に斬殺される。

 

 若き軍人達は師団長であっても斬り、クーデター実行

に全てを賭けつくす。

 

 この事件は戦争の狂気であろうが、蹶起した軍人達

にとっては彼らなりの愛国の発露であったのだ。

 

 愛国心がテロ・斬殺事件を呼び起こすこともある。

 

 岡本喜八の殺陣・流血の演出は強烈である。

 

 佐々木の襲撃により首相邸女中原百合子は恐怖を

感じるが襲撃者達を宥めようと努める。

 

 ただ一人登場する女性をスタア新珠三千代が演じ

その美しさを光らせている。

 

 橋本忍脚本では『女殺し油地獄』で犠牲者お吉、『霧

の旗』では無実の罪で捕えられる河野径子を勤めた。

 悲劇美のスタア女優である。

 

 短い出番だが、原百合子の直向きな心も忘れられな

い。

 

 井田がクーデター計画が無理と感じ「真夏の夜の夢」

とウィリアム・シェイクスピアの喜劇戯曲の題名に譬える

シーンに心を打たれた。

 

 命掛けというよりも捨命の反乱行動であったが、天皇・

政府の命令の前にあっては叶えられず潰える。無常は

夢に譬えられる。

 

 橋本忍のシナリオには詩がある。

 

 日本放送局で黒沢年男の畑中が加山雄三の館野

アナウンサーに拳銃をつきつけ玉音放送阻止を狙う

シーンは緊張感がある。

 

 畑中の乾坤一擲のクーデターの計画は田中大将に

よって阻まれる。

 

 阿南惟幾は日本の未来の平和を思い、戦争責任の

取り方として腹を切る。

 

 三船敏郎の迫真の熱演に震える。

 

 畑中は若い命を拳銃自殺で散らす。

 

 青年将校達は徹底抗戦の希望を砕かれ、死を選ぶ。

 

 命の無常と哀れさを感じた。

 

 生き残った裕仁によって終戦が詔書に宣言され、八月

十五日ラジオで放送される。

 

 仲代達矢のナレーターが平和の尊さを確かめて激動

の物語は幕を閉じる。

 

 太平洋戦争・大東亜戦争敗戦終戦の歴史物語として

輝く傑作である。

 

 終戦決定か否定かで命と命をぶつけあって政治家・軍

人が戦った宮城事件を忘れてはいけない。

 

 東宝が戦争の恐ろしさを忘れず確かめる劇として渾身

の力を振るって撮った超大作である。

 

 

『日本のいちばん長い日』

THE EMPEROR IN AUGUST

日本のいちばん長い日

映画 136分 トーキー カラー

平成二十七年(2015年)八月八日公開

製作国   日本

製作    松竹

配給     アスミック・エース 松竹

製作     迫本淳一

原作     半藤一利

脚本     原田眞人

音楽     富貴晴美

 

出演

 

役所広司(阿南惟幾)

 

本木雅弘(天皇裕仁後に昭和天皇)

 

松坂桃李(畑中健二)

 

池坊由紀(良子後に香淳皇后)

戸田恵梨香(保木令子)

蓮佛美沙子(阿南喜美子)

神野三鈴(阿南綾子)

キムラ緑子(絹子)

 

中嶋しゅう(東条英機)

嵐芳三郎(大西瀧治郎)

松山ケンイチ(佐々木武雄)

茂山茂(入江相政)

中村育二(米内光政)

 

金内喜久夫(平沼騏一郎)

麿赤児(藤田尚徳)

福本清三(鈴木孝雄)


 

堤真一(迫水久恒)

 

山﨑努(鈴木貫太郎)


 

監督 原田眞人

 

鑑賞日時場所

平成二十七年(2015年)九月十九日 

神戸国際松竹


 

 昭和二十年(1945年)春。大東亜戦争(亜細

亜太平洋戦争)の戦局は厳しく、大日本帝国

が連合国に敗れつつあることは明らかであった。

 

 昭和天皇は国民の幸福を思い、戦争の終結

を希望され、鈴木貫太郎に組閣を命じた。貫太

郎は海軍軍人であったが、数え年七十八歳の

高齢で任に堪え難しと迷うが、天皇の熱意を受

け、内閣総理大臣の大任を勤める決意を定め

る。

 陸軍大臣に就任したのは阿南惟幾である。

阿南はかつて天皇の衣服を直したことがある

が、臣と君であって兄弟のような絆があった。

天皇は「アナン」と呼び、深く信頼していた。阿

南は娘の結婚式が近くあったが、華やかな式

は避けるべきだと考えていた。

 

 鈴木は車の中で「本土決戦なら桜は見納め

だな」と桜の美しさを目に焼き付ける。

 

 連合国の攻勢に遭い、大日本帝国は各地の

戦いで圧倒され、数多くの兵士・民が犠牲にな

った。

 

 連合国はポツダム宣言を発表した。日本政府

は黙殺の立場を取った。

 

 八月六日広島に原子爆弾が投下された。

 

 阿南は敗色が厳しい現実になったとはいえ、

天皇・皇室の地位の保証と戦後処理を日本人

自身の手で行うことが条件と強く主張する。海

軍大臣米内光政と強く対立する。

 

 八月九日最高戦争指導会議で天皇は国民

の塗炭の苦しみを思い、自分自身の名の下に

戦争終結をしたいと語る。閣僚たち・軍人達は

心を打たれる。

 その日長崎に原子爆弾が投下された。

 

 阿南は「天皇直属の軍人だ」と自らの在り方

を語る。若き陸軍軍人達は戦争継続を願うが

阿南は彼らを諌める。

 

 東條英機は天皇に戦争継続を主張するが、

天皇は優しく東条を宥めて、戦争を終えなけれ

ばならないことを語り聞かせる。

 

 それでもわからぬ東條は陸軍青年将校達に

戦争継続こそ軍人達の課題であることを説く。

 

 天皇は、「結婚式は無事に済んだか?」と阿

南に優しく声をかけた。

 

 

 神風特別攻撃隊の創始者海軍中将大西瀧

治郎は「二千万人が特攻隊で出撃すれば戦争

に勝てます」と主張するが、阿南に「ふざける

な」と否定・叱責される。

 

  戦争によって苦しんでいる国民の幸福と平

和を願った昭和天皇が、戦争終結の聖断を下

され、終戦をラジオで語ることを決めた。

 鈴木貫太郎内閣は命がけで、戦争集結に尽力

する。

 

 鈴木は天皇・皇室の安泰をほぼ確かめ得て、

阿南と共に喜ぶ。阿南は「私は嗜みませんので」

と葉巻を鈴木に贈る。鈴木は阿南の別れの挨拶

と直感する。

 

 畑中健二との仲間達はクーデターを起こそう

として宮城事件を起こし、森赴を殺害する。しか

し、クーデターは失敗する。

 

 阿南は部下に生き残ることの大切さを説く。

彼は自身の戦争責任を取って割腹自殺をす

る。

 天皇が終戦を宣言した言葉はラジオで放送さ

れた。玉音が放送され、大東亜戦争(亜細亜太

平洋が集結し、国民は戦争の苦しみから救われ

た。

 畑中は終戦を悲しんで自決した。

 

 鈴木家では弟孝雄が兄貫太郎が二・二六

事件で銃撃され負傷しても死なず、終戦の

大任を果たし得たことを讃え、家族も貫太郎

の偉業を絶賛する。

 

 昭和天皇の平和希求の御意志・御決断の

優しさと慈悲により、大東亜戦争・亜細亜太

平洋戦争・十五年戦争は終わり、大日本帝

国・連合国の兵士・国民は戦争の恐怖から

救われたのである。

 

 天皇は自決した阿南を思って泣いた。

 

 ☆裕仁神格化という戦争犯罪を犯した松竹

  を糾弾する☆

 

 昭和天皇を平和の守り神・慈悲・愛の化身

として美化する戦争犯罪映画である。原田眞

人監督の迎合と媚態は醜い。

 

 大日本帝国を統治する存在は天皇である。

陸海空軍を統帥する存在も天皇である。大

日本帝国が行う戦争は、全て天皇の名によ

って戦われる。このことは大日本帝国憲法に

よって定められている。

 

 日本国民は、万世一系の現人神として天

皇を崇敬することが義務付けられていた。

 亜細亜太平洋戦争・日中戦争・大東亜戦争・

太平洋戦争・十五年戦争の最大の責任者は

昭和天皇である。戦争に負けたが、責任を

取らずに戦後象徴として生きて、閣僚軍人

国民が東京裁判で裁かれ、天皇の戦争責任

を代わりに引き受けた。

 

 連合国は日本に天皇制・皇室の存続を許す

代わりに、日本が平和国家として歩むことを義

務付け、ここから憲法九条の平和主義を戦後

の課題とすることが決まった。

 

 このことは明白な歴史事実である。

 

 だが、原田眞人監督は、「戦争は昭和天皇の

御聖断で終わり、陛下が今の平和を開いて下さ

った」という観念を映像化し、天皇制の絶対化を

喧伝している。

 

 天皇を元首とずる新憲法を制定し、大日本帝

国復活を狙う安倍晋三内閣(2015年当時の政権)

に媚び諂う映画である。

 

 原田眞人は阿諛追従の茶坊主であり、昭和

天皇と安倍晋三に媚態を送り尾を振る姿は薄

汚い。それでも表現者か?

 

 

 原田は安倍晋三の政策には表向きでは危惧

を表明している。

 

 日本会議が神格化を狙う昭和天皇を美化す

る作品をちゃっかり描いて、安倍晋三の野望

にしっかりと胡麻をすっていたのである。

 

 あらゆる表現は自由である。そのことを前提と

して自分は申し上げているのである。昭和天皇を

平和の守り神として美化する映画もあっていい。

 だが、歴史上の人物を描き事実を語る虚構は、

鑑賞者は勿論のこと、描かれる時代と人物に対

する眼を忘れてはいけない。

 

 昭和天皇が平和を祈り、国民の幸を願う元首で

あったとする。

 

 この映画をご覧になる亜細亜の人々の気持ちを

思うと胸が痛くなる

 昭和天皇が統治していた大日本帝国の軍隊に

虐殺された人々。

 昭和天皇をお守りする為に醜の御盾として徴兵

され連合国と戦い戦死した大日本帝国兵士たち。

裕仁が起こした戦争によって沢山の日本国民・

日本在住地球人・外国人が死亡した。

 

 その戦争犠牲者たちの無念と生きたかったで

あろう心と戦闘の激痛と死の恐怖と苦しみを思う。

 

 

 原田眞人監督が昭和天皇を神格化・美化する

にしても、説得力のある表現になっているかどう

かなのだ。

 

 結論を先に言うと原田眞人は勉強不足である。

 

 到底『日本のいちばん長い日』の如き大作の

脚本・監督を担当する学力はない。

 

 昭和四十二年八月三日公開東宝版の『日本
のいちばん長い日』は脚本の橋本忍と監督の

岡本喜八が詳細な取材・研究を為して撮った

傑作である。

 

 それを思うと平成二十七年八月八日松竹版

は学芸会にもならない噴飯物である。

 

 役所広司の阿南は迫力がある。

 

 本木雅弘の昭和天皇は品格がある。

 

 山﨑努の鈴木貫太郎は年輪の風格がある。

 

 三人の名優の魅力はあるものの、脚本・演出

の稚拙さは覆い難い。

 

 東條英機が戦争継続を望むが昭和天皇が制し

諌めた。これでは中嶋しゅうも気の毒だし、まず

東條英機に失礼だ。

 

 東條英機が戦争体制の責任者であったことを

自分は否定しない。だが、彼が東京裁判で、昭和

天皇の責任を身代わりで受けて、自身が戦争の

最大責任者として裁かれることを甘受し、晩年に

は浄土三部経の教えを学び従容として死刑判決

を受けたことに、軍人の生き方・死に方を思った。

 

 嵐芳三郎の大西瀧治郎は、二千万人特攻を

強行に主張する狂人愚将として描かれている

がこれも違和感があった。

 

 確かに大西瀧治郎は神風特攻隊の創設者で

あり、沢山の若者に自爆抗戦を命じ戦場に送っ

た。だが、彼は終戦を見届け、昭和二十年八月

十六日特攻隊で出撃した若者達に謝罪する気持

ちをこめて、切腹し、介錯を拒否し自己自身を苦

しめ抜いて自決したのである。

 

 東条や大西を阿呆馬鹿として矮小化し、天皇を

平和主義者として描くのは、東久邇宮稔彦の一億総

懺悔に影響されすぎなのではないか?

 

 昭和天皇神格化を映画表現として「してはいか

ん」と申し上げているのではないのだ。

 

 問題は描写の方法なのである。原田眞人の脚

本が台詞説明で歴史ドラマの重みが全く無いのだ、

 

 

 一番不満だったことは、映画の中に亜細亜太平

洋戦争に敗れ、存亡の危機にある大日本帝国の

苦渋と疲弊と悲痛さが、映像から全く伝わってこな

いのだ。


 無理からぬこととはいえ、軍服がサマになってい

な俳優も多かった。

 陸軍軍人達の8・14、8・15クーデーター宮城事件

の描写が軽薄で、怒りを通り越して呆れた。
 

 横浜警備隊佐々木大尉の鈴木首相襲撃や野中

の特攻隊兵士の若者達への訓示・送り出しや厚木

基地の小園保名の徹底抗戦や東郷茂徳のポツダ

ム宣言解読も一切無いのだ。

 

 全編昭和天皇に対する美化と媚び諂いのみなの

だ。

 

 大日本帝国の敗戦が決定的になりつつあった

昭和二十年に天皇・政治家達は敗戦の決定が

遅れた。それは天皇・皇室の戦後の安全が確認

できなかったからである。その決断が遅れた為に

東京大空襲・沖縄戦・広島・長崎の原爆投下で沢

山の国民・兵士が犠牲になったのである。

 

 昭和天皇が日本国民の苦しみを悲しんで戦争

集結を決めて尽力して下さったのならば、何故

昭和五十年(1975年)十月三十一日の記者会見

で広島への原子爆弾投下を「やむを得なかった」

と述べたのか?

 

 このことを原田眞人監督に問いたい。

 

 

 

 原田眞人監督の媚び諂いは醜悪であり、昭

和天皇神格化を推し進める危険な表現であり、

平成の戦争犯罪である。

 

 昭和天皇が馬鹿で無能だと言うつもりは、自

分には全くない。昭和天皇程頭の回転が速くて

老獪・冷酷で賢明な人はいないよ!

 

 戦争中は、「天皇陛下の為に死ね」「天皇陛下

万歳」という観念が国民に強いられ、その体制

において神として崇められ、戦後は「戦争に反対

し平和を願っておられた陛下」として象徴の地位

で生きられた。大日本帝国は負けたけれども、天

皇ご自身は凄まじい政治力でアメリカ政府に取り

入ってぬくぬくと生きた。逞しさと図太さと頭の

良さでは世界一でしょう。

 

 自身が起こした戦争で約二千万人の日本人・外

国人が戦死しても、一円の金銭も稼がず、税金で

暮らして、昭和六十四年(1989年)一月七日まで

八十七歳まで贅沢に生きた。

 

 戦前戦中は天皇陛下の為に死ぬことが、日本

人にとって最大の美徳とされていた。戦後は平和

が最大の尊さとされた、その戦後の観念から、最

大の美化表現として、「昭和天皇が平和主義者だ

った」という観念を捏造したのが本作である。

 

 現代の観念を無理矢理押し付けて、戦前・戦中

の物語を語ることは、いくらフィクションでも無

理なのである。

 

 その尊い犠牲を思うとき、このような天皇美化・

神格化・礼賛の現代映画に怒りを覚える。

 

 

 原田眞人は、亜細亜太平洋戦争・日中戦争・大東

亜戦争・昭和戦争戦争犠牲者に対して哀悼の心を抱

いていないのだろうか?

 

 

 このような天皇神格化映画が製作・公開・絶賛

されていることに、2015年の戦争体制作りの危険

さを強く感じている。

 

 役所広司・本木雅弘・山﨑努のファンとしてこ

のような危険な映画が作られたことを深く悲しむ。

 

 原田眞人は現代の戦争犯罪人である。

 

 製作者の迫本淳一弁護士は松竹の社長であるが、

裕仁美化の媚態は不気味であり醜悪である。

 

 「大東亜戦争・太平洋戦争を国民の幸を祈る昭和

天皇が終えて下さった」という嘘を捏造した愚作であ

る。

 

 裕仁が国民の幸福を考えているならば大日本帝国

第二十条の兵役義務廃止に何故取り組まなかったの

か?

 

 それどころか陸海空軍の統帥者として君臨し民にの

み戦争・戦闘をさせた。負ければ敵国アメリカ政府に

迎合して全ての罪を東條英機に押し付け逃げた卑怯者

である。

 

 半藤一利は少年時代に東京大空襲に遭い

戦争の残酷さを身を以て経験したが、後に

裕仁美化を書き、「昭和天皇平和主義者」

という嘘を捏造した。

 「昭和天皇の戦争責任を否定していない」と

一利は語っていたが、どの時期どこで戦争に責

任があるのか明言せず、裕仁戦争責任を糾弾し

なかった。

      ◎

 

 昭和四十二年版は戦争映画の傑作であり、平成

二十七年版は出鱈目・大嘘の愚作である。

 

 岡本喜八監督作品の歴史的価値は重く、太平洋

戦争終戦の歴史を学ぶ営みにおいても大切な

映像教材・映像教科書ともなっている。

 

   『日本のいちばん長い日』は、日本の中枢

   神経たちの二四時間であり、私の身近な庶

   民は丸っきり出て来ない八月十五日だった

   (『講座日本映画史5 戦後映画の展開』

    298頁『体験的戦争映画・試論』) 

 

 岡本喜八監督は政治家・天皇・軍人・官僚達の

二四時間出逢った事を確かめる。撮り終えて庶民

の戦争物語『肉弾』を撮りたいという欲求が熱く

なったことを述べている。

 

 喜八監督は終戦の歴史を壮大なスケールで撮った。

 

 岡本喜八版封切り九日前に生まれた身としては、

命を生きるという営みは平和があって成り立つこ

とを痛感している。自己が生まれた時代の貴重な

記録に学びたい。

 

 戦争のない時代が続きますようにと祈りたいも

のの、現代は世界経済フォーラム(ダボス会議)

の指令により、世界各国の政府はmRNA薬物を

民に接種せよと強要している。

 

 ワクチン実はmRNA薬物接種で沢山の人々が

死亡している。

 

 事実上の世界大戦にあると言うべきかもしれ

ない。

 

 カナダやフランスやブラジルでは命をワクチ

ンから守ろうとする人々が弾圧されている。

 

 日本国内では自民党・公明党・立憲民主党・国

民民主党の与野党がワクチン接種を勧めている。

日本共産党は半藤一利と結びつき、天皇の制度永

久保存を語り、ワクチン接種推進迄強調している。

 

 怒りを通り越して呆れている。

 

 平成十七年(2005年)二月十九日岡本喜八は

八十一歳で死去した。

 

 平成二十七年(2015年)八月八日封切の原田

眞人監督版『日本のいちばん長い日』は岡本喜八

監督版に光る平和希求の心を踏みにじるものであ

る。

 

 

 同じ題材で白黒版は傑作、リメイクカラー版は

歴史的愚作という結果になった。

 

 1967年版のナレーター仲代達矢と2015年版主演

の役所広司は無名塾の師弟である。

 

 映画化作品だけでなくテレビドラマの傑作の再

映像化にも原田眞人は失敗する。

 

 昭和五十六年(1981年)一月二・三・四日放送

TBS製作『関ケ原』は永遠の傑作である。この作品

に三船敏郎は主人公の一人島左近を演じている。

 平成二十九年(2017年)八月二十六日公開の原田

眞人監督作品『関ケ原』は史上最悪の愚作であった。

司馬遼太郎の原作小説『関ケ原』が全く読めていな

い。

 三船敏郎出演の大傑作映画・テレビドラマのリメイ

クに挑んだ原田眞人は両作品とも大愚作を乱造した。

 

 両作品とも役所広司が大役で出演しており、役所

広司の深い芸力を乱用し反映させられず宝の持ち腐れ

にした原田眞人の怠慢に怒りを覚える。

 

 原田眞人監督『日本のいちばん長い日』『関ケ原』

は、勉強不足・調査力皆無では歴史大作を撮れない

ということを露呈した。

 

 岡本喜八が昭和四十二年(1967年)に撮った『日本

のいちばん長い日』は平和への感謝を私に教えてくれ

ている。

 

                       

                     文中敬称略 

 

 

                      合掌

日本のいちばん長い日2