『反逆児』学習三十三年 八回目銀幕鑑賞への夢 | 俺の命はウルトラ・アイ

『反逆児』学習三十三年 八回目銀幕鑑賞への夢

 

『反逆児』

映画 トーキー 110分 カラー

昭和三十六年(1961年)十一月八日公開

製作国   日本

製作    東映京都
製作    大川博

企画   辻野公晴 

           栄井賢 

          小川貴也   
原作   大佛次郎  『築山殿始末』より
脚本   伊藤大輔

 

撮影   坪井誠

照明   和多田弘

録音   中山茂二

音楽   伊福部昭

編集   宮本信太郎

 

記録   石田照

装置   木津弘

装置   中岡清

美粧   林政信

衣裳   三上剛

擬闘    足立伶二郎

進行主任 片岡照七

 

和楽   望月太明吉

舞踊振付 藤間勘五郎

装飾考証 高津年晴

衣裳考証 甲斐荘楠男

美術考証 鈴木孝俊

風俗考証 佐多芳郎

 

 

出演者

 


中村錦之助(徳川信康)

 


櫻町弘子(花売り娘しの後に小笹)  
岩崎加根子(徳姫)        
北沢典子 (お初)


 

安井昌二 (天方山城守)  
河原崎長一郎(小金吾)   
河野秋武 (減敬)  

原健策(羽柴秀吉)    
三津田健 (平岩親吉)


 

片岡栄二郎(久米新四郎) 

香川良介(大久保忠世) 

明石潮(酒井忠次) 
風見章子 (楓)

松浦築枝(望月) 

喜多川千鶴 (小侍従)


大邦一公(生駒主水正) 

高桐真 

嵐耿之介 
中村錦司(亀弥太)

遠山金次郎 

浅野光男
片岡半蔵 

泉春子 

久我恵子

 


佐野周二 (徳川家康)  
杉村春子 (築山殿)  
進藤英太郎 (渋河四郎兵衛)


東千代之介(服部半蔵)  
月形龍之介(織田信長)

 


監督 伊藤大輔

 

徳川信康=岡崎三郎信康=松平信康

 

 

小川貴也=小川三喜雄=初代中村獅童

      =小川三喜雄

 

大佛次郎=大仏次郎

    =由比 浜人=阪下 五郎

    =安里 礼次郎=流山 龍太郎

    =八木 春泥=白馬亭 去来

    =須田 紋太郎=浪子 燕青 

    =元野 黙阿弥=瓢亭 白馬 

    =清本 北洲=田村 宏

    =三並 喜太郎=吉岡 大策 

    =赤松 繁俊=高橋 益吉 

    =浄明寺 三郎=赤城 和夫

 

伊藤大輔=伊藤葭=呉路也

 

小川錦一→初代中村錦之助

      =小川矜一郎

      →初代萬屋錦之介

 

臼井真琴=松原千浪=櫻町弘子

    =桜町弘子

 

香川良介=香川遼

 

 月形龍之介=月形陽候=月形竜之介

        =月形龍之助=中村東鬼蔵

                  =門田東鬼蔵

 

 

 

語り手はノークレジットだが、香川良介の声と

思われる。

 

中村錦司の役名は、一部資料では木弥太だが、シ

ナリオでは亀弥太である。

鑑賞日時場所

平成二年(1990年)七月三十日

京都文化博物館映像ホール

 

平成二十七年(2015年)六月二十七日

平成二十九年(2017年)四月十五日

平成三十年(2018年)十一月二十二日

平成三十年(2018年)十一月二十五日

令和三年(2021年)十一月十八日

令和五年(2023年)三月二十八日

 

京都文化博物館フィルムシアター

 ☆

 駿河遠江三河の大名で駿河公方と称した

今川義元は桶狭間の戦いにおいて織田信長

に倒され滅んだ。今川家に仕えていた徳川家

は武田・織田の二大勢力に挟まれ、生存の為

織田を選んだ。

 

 天正七年御厨川原の合戦で徳川家康は武

田勝頼の三万の大軍に圧倒された。頼みとし

ていた同盟者信長は、悠々と進軍し、家臣羽柴

秀吉に鉄砲使用の戦術を見せる事を時、遅く

進む。

 

 家康は浜松迄無事に逃げれるかと不安を感じ

ていたが、一子三郎信康が兵を率いて鉄砲隊

に勝頼軍を襲撃させて撃退する。

 

 徳川方の逆転勝利で当主家康は男泣きに涙

を流して息子の勇気に感動し、岳父信長は婿で

ある信康の将器に脅威を感じる。

 

 浜松城の戦勝祝いで信長は娘婿信康に一差

し披露致すまいかと舞を希望し、信康は延年と

答え、「死のうは一定」を語り、「死するば

かり」が「まこと」と男の道を尋ね、女子な

らば「恋するのみ」がまことと確かめる。

 

 信長は信康の優美な舞に感嘆する。

 

 岡崎で信康の妻で信長の娘徳姫が出産した

という知らせが浜松に届き信康は岡崎に戻る。

 

 岡崎城持仏堂では家康の正室築山殿が親戚

であった今川義元の怨みを晴らすために夫家

康・仇信長・徳姫を呪う。

 

 信康は岡崎城に着くと産室に向かい、「男だな」

と徳姫の侍女小侍従に問うが「姫君」と聞かされ

ると落胆した声を出してしまう。

 

 産室の徳姫は掟を重んじ室内に夫を入れない

ように老女望月に指示する。

 

 信康は最愛の妻から厳しい態度に出られ傷つ

く。

 

 築山殿は家康家臣大久保忠世に不満を語る。

 

 最愛の我が子三郎は未来に親戚義元公の仇で

ある信長を斬り天下統一を果たす武将になると

いう望みに築山殿は生涯を賭けている。

 

 信長は家臣羽柴秀吉に婿三郎信康の将器の

凄まじさを語る。老獪な盟約者家康だけでも

恐ろしいのに一枚上手の武芸万全の婿信康を

警戒していることを信長は秀吉に打ち明ける。

 

 

 信康は母築山殿から織田の血を引く孫など

見たくないという怨念の言葉を聞かされ深く悩

む。築山殿は三郎だけが生き甲斐でただ一人の

味方と激しく愛を語る。

 

 叢に現れた信康は草を刈り美貌の花売り娘

しのに惹かれ気まぐれのままに彼女を抱いた。

 

 信康は浮気したことを徳姫に謝ろうとするが

妻が侍女小侍従を同席させたことに不満を感じ

「詫びんぞ」と叫んで鷹狩りに出かける。

 

 家臣渋川四郎兵衛は信康股肱の臣服部半蔵・

久米新四郎・小金吾らに武田の間者が国境の

間道を歩んだ形跡があると語る。

 

 四郎兵衛の孫娘初が蛇に襲われ三郎信康に

救われる。

 信康は初に欲しいものを問う。初は「母様」

と答える。初は両親に死別し祖父に育てられ

た。信康は「父親にせよ、母親にせよ。有って

仕合わせな者もあろうが、ない方が却って仕合

わせな者もあるかも知れんぞ」と語る。

 

 信康は夜獲物の雉を焼き、半蔵・新四郎・天

方・小金吾達との熱き絆に感謝する。

 

 築山殿の計らいでしのが小笹と名を改め、

信康の側室として城にあがる。信康は一時

の気まぐれで遊んだだけだとして冷たく突き

放す。

 

 築山殿は徳姫に小笹を対面させる。徳姫

は嫉妬の感情から信康に小笹の処遇を聞き、

「築山殿」と呼び、信康は「母上と呼べ」と

怒る。

 

 

 

 築山殿の怪しい行状の噂を徳姫が述べた事

から夫婦は言い争う。噂を告げた小侍従は信

康に虐待される。

 

 四郎兵衛の働きで勝頼から築山殿への謀反

誘導の密書が抑えられ、信康は謀反仲介役の

医師減敬を捕らえる。

 

 築山殿は小笹ことしのの勤めが足りないと

して拷問にかける。

 

 身体にやけどを負った小笹は、築山殿が家康・

信長・徳姫を調伏にかけた藁人形を徳姫に見せ

る。自身の肩に負った傷も見せ築山殿の冷酷

を告発する。

 

 徳姫は悲憤の思いで実父信長に築山殿の謀

反を手紙で通報する。

 

 

 

 信康は祭りに減敬を馬で引き摺って嬲り殺し

にする。

 

 謀反の手紙を焼く信康は母築山殿に何故謀反

を計画したかを問う。

 

 今川を裏切って仇の織田に付いた家康への

怒りを築山殿は述べる。信康は父上のなされ

ように自身もおかしいと感じるが堪えて欲し

いと頼む。

 

 

   築山殿「三郎!父と母とどちらを大事と思

      うてじゃ?」

 

   信康「どちらも!」

 

   築山殿「父と母のどちらが間違っている

        と思うてじゃ?」

 

 

   信康「どちらも!」

 

   築山殿「何と言やる?」

 

 

 

  信康は「母上」と呼びかけ刀を掴んだ。築山

殿は恐怖心を覚える。

 

  信康は悲憤と苦悩を語った。

 

     「生きるに生きられぬ者は、この信康で

     ござりまする。父上がこの信康の父上で

     なければ、信康は斬ります!母上も信康

     の母上でさえなければ、信康は斬ります!」

 

  刀を抜く信康。築山殿は恐怖で震える。立ちあ

がった信康は左右の屏風を意識する。

 

 

     「しかし、もしも天下に父上・母上の御為

     にならぬ奴等が有らば、是非を論ぜず、

     信康は斬る!」

 

 信康は刀を振るい屏風の内に潜む巫女・楓や小笹

を斬る。勝頼の密書は信康によって焼かれ謀反計画

は隠蔽されたかに見えた。

 

 だが、徳姫からの手紙を理由に信長は築山殿と信康

を死罪にすることを決める。

 

 信康は、妻徳姫に小笹を斬ったこととに辛く当たっ

たことを詫び、愛し合う。「遅かった」と徳姫は号泣

する。遅い事はないと信康は告げ最愛の妻徳姫を抱き

しめ接吻する。

 

 

 ◎悲劇美 完成◎

 

 

 伊藤大輔は明治三十一年(1898年)十月十三日

愛媛県に生まれた。昭和五十六年(1981年)七月

十九日京都市において八十二歳で死去した。

 

 少年時代より文章執筆に熱心に取り組み、文学・

演劇に熱中し自作の戯曲の添削指導を小山内薫に

頼んだ。

 師小山内の導きで活動大写真脚本家となり後に

数多くの監督作品を演出し時代劇映画の巨匠とし

て日本映画界を支え永遠不滅の時代劇映画を産

みだした。

 

 昭和三十六年大輔は満年齢六十三歳と成り、東

映京都で時代劇を撮ることとなった。 

 

 

 初代中村錦之助は昭和七年(1932年)十一月二

十日東京府に三代目中村時蔵・小川ひな夫妻の

四男として誕生した。

 本名は小川錦一である。後に小川矜一郎と名乗

った時期もあった。

 戦後日本時代劇映画の黄金期を築いた一大ス

タアである。

 

 昭和三十六年錦之助は満年齢二十八歳であ

った。

 

 六十三歳伊藤大輔と二十八歳初代中村錦之助

の「ダイスケ・キンノスケ」の二人が、『反逆

児』において出会った。大輔・錦之助コンビ第

一回作品である。

 

 戦国の世に勇敢さと軍略で活躍した英雄徳川

信康はその卓抜した器量を舅織田信長に嫉視さ

れ切腹を命じられる。

 

 

 大佛次郎作の戯曲『築山殿始末』の映画化であ

る。昭和二十八年(1953年)十月歌舞伎座で大佛

次郎作・演出、二代目尾上松緑の家康、三代目市

川左團次の築山殿・天方山城守、九代目市川海老

蔵後の十一代目市川團十郎の信康、七代目尾上

梅幸の徳姫の配役で上演された。

 

 昭和二十八年の舞台は見落としたが、戯曲『築山

殿始末』を読んで感動した大輔は、映画化への夢を

次郎に語り、松竹に提案してもらい、許可を貰い火

口会(かこうかい 書こう会の意とのこと)同人八

尋不二・柳川真一・依田義賢・民門敏雄・若尾徳平

の協力を得て脚本を書いた。

 

 松竹は映画版主演に舞台版と同じ松緑の家康の配

役を決め、準主演に山田五十鈴の築山殿、高橋貞二

の信康という配役で企画を進めた。だが、この企画は

流れてしまった。シナリオは昭和二十九年に完成して

いたようである。

 

 老獪な家康は盟約者信長の命令とはいえ、妻子

を見殺しにする物語で狸親父の印象が強い人物を

主役にするのを松竹は躊躇ったのではないかと

大輔は想像している。

 

 大輔は大映においても『築山殿始末』映画版の

企画を出したが実現しなかった。

 

 

 東映において「信康を主人公にするならば」と

提案され、『築山殿始末』の脚本の一旦解体し再

構築作業を八尋不二に託した。クレジットは「脚

本 伊藤大輔」の名で記されているが、完成版に

は八尋不二と過去に組んだ作品の継承が様々なシ

ーンで見受けられる。

 

 

 大佛次郎・初代中村錦之助と共に大輔は信康ゆ

かりの地を訪ねハンティングを行った。八尋によ

って書かれた脚本第一稿を土台にして、決定稿を

大輔が書いた。

 長い時を経て最終的に大輔によって書き上げられ

た脚本は、精緻な構成の元に戦国大名一家の痛まし

い悲劇を語る。

 

  

   此の話の主眼点は、戦国の武将(徳川家康)が、そ

   の妻(築山御前)を殺し、嫡男である愛児(信康)を

   殺してまでも生き延びようとする、仏家の所謂末法

   五濁の世に於ける修羅相の一ツの示現にあるべき

   だと観ぜられるのである

   (『反逆児』シナリオ 「あとがき」

   『伊藤大輔シナリオ集 Ⅲ』147頁

   昭和六十年九月二十五日初版発行 淡交社)

 

 大輔は、築山殿・信康を殺してでも生き延びよ

うとした家康の自己保身を仏教における末法五

濁悪世の修羅の姿と確かめ、自己愛の深さを見

つめる。映画化に当たっては、保身に汲々として

妻子を見殺しにして処刑する家康も又家の重圧

に泣く存在として愛情深く見つめられている。築

山殿も息子可愛さから陰謀を起こしてしまった女

性として深き愛情で見つめられている。

 

  

 御厨川原の合戦で勝頼に家康は圧倒され、徳川

の危機となるが若武者信康の活躍で形成は逆転す

る。

 

 佐野周二の涙が心に染みる。

 

 信康の延年の舞には歌舞伎で鍛えられた初代中村

錦之助の芸が輝いている。

 

 天正六年の御厨河原の戦を「天正七年」と字幕

表示したことは、後の信長・家康の台詞「信行」

と共に伊藤大輔らしからぬミスだ。

 織田信行はドラマが始まる前に兄信長によって

殺害されている。何故脚本からこのミスがあったの

か?

 

 

 しかし、完璧な傑作である本作の美を損なっ

ている訳ではない。

 

 わが子誕生と聞いて岡崎に戻った信康は姫が

生まれたと聞き落胆の声を発してしまう。戦国の

世は男子誕生が求められていた。徳姫は悲しみ

を覚え、しきたりと掟を語り夫の入室を断る。

 

 

 岩崎加根子の芸は深い。 

 

 

 

 今川家の血を引く築山殿は、愛息信康が天下人

となり、亡き義元公の遺志を継ぐことに生きる希望

を賭けている。実の孫でも、信長の娘徳姫が生んだ

姫たちは可愛くないと冷厳に語る。信康にそなただ

けが頼りと息子への激しい愛を語る。

 

 杉村春子が息子への溺愛と冷遇への悲しみを抱

く築山殿の生き方を渾身の熱演で見せる。

 

 

 

 信康としのが舟で出会い身体を寄せ合い、叢に

向かう場面は、牧歌的なムードがある。同時に無垢

な娘しのの悲劇はこの時始まったのだ。

 

 岩崎加根子の「わらわ。綺麗なかや?」の気品

豊かな美貌に息を飲む。眉を剃りお歯黒を付け

上品に微笑む。まさに御台所だ。

 

 「我慢?」の岩崎加根子の台詞術が鋭くて深い。

徳姫の押さえていた感情の噴出がある。

 

 信康と初は明らかに惹かれ合っているが、プラ

トニックで純な憧れに両者は徹している。主従で

あって精神的な兄妹でもある。

 

 

 キャンプファイアー(シナリオ記述)のような火

が河原に焚かれる。主従の宴で信康は感じている

壁を語る。家臣達は励ます。幸福感の中で信康が

押し潰しにくる圧力を感じていることは興味深い。

 

 

 櫻町弘子が大泣きせず目に涙をわずかに

溜めていることが、信康に裏切られ冷遇され

るしのの痛みを物語る。

 

 母築山殿と言い争った信康が母を守る為に

屏風の内に潜む女性達を無残に刺殺する。

 ガートルードを糾弾したハムレットがカー

テン内に潜み救援を求めるポローニアスを

クローディアスと間違えて刺殺する。

 

 『ハムレット』を深く愛した伊藤大輔の学

びではなかろうか?

 

 

 信康が純真で優しい男性であるだけでなく、

残忍な殺人鬼であることも描かれる。

 

 

 小笹ことしのの悲劇に関しては信康は極悪人

である。悪に徹して母を守ろうとすることに、

大輔演出の意図があったと見るべきだろう。

 

 

 母の陰謀を隠すために秘密を知る減敬・巫女・

楓や一度は抱いた小笹さえも無残に殺害する描写

は重要である。

 純真であって凶悪という人間三郎信康を錦之助

が熱演する。

 

 

 舞台版『反逆児』の脚本では信康が小笹に

暇を出し命は助ける設定になっている。ここは

オリジナル映画版通り信康が無残に小笹を斬殺

する残酷さが悲劇の特徴になっているから映画

版を讃える。

 

 愛し合っているが、徳川の若殿と織田の姫

という家の誇りから信康と徳姫は争ってしま

う。

 

 河野秋武は、追い詰められた減敬の悲しみを

粘り強く勤める。

 

 月形龍之介の信長が重厚である。巨悪の冷

酷非情が光っている。

 

 徳姫が父信長に送った手紙が因となって信康

に厳罰が下される。信康はその事と知らぬまま、

妻徳姫に心からの熱愛を伝える。徳姫は、夫に

危機が迫っている時に、愛を確かめ合える時が

成り立った事に悲しみを覚える。蟠りやしがらみ

を越えてようやく愛し合い理解し合い抱きしめ

合える。その時夫の身には刑が下されることに

なっていた。

 

 中村錦之助と岩崎加根子のラヴシーンに切な

さが極まる。

 

 

 

 築山殿がこの世の名残に一目我が子信康に

合わせて別れの言葉を交わさせてほしいと警固

の侍に懇願する。杉村春子が母の悲しみを深い

芸で明かす。

 

 

  幼かった頃、父家康と母築山殿の仲が良くて

 自身の背丈を柱に印してくれた。小刀で彫った

 跡を見た信康は幼年時代に両親が自身の背丈

 の伸びを記録したことを思い出す。

  

 佐野周二と杉村春子が同じ場面に競演するのは

この幻影のシーンのみで、それが一層別れの悲し

みを深く伝えるものともなっている。

 

 『切られ与三郎』について自分は残念な作品

であることを記した。だが、柱につけた背丈の

跡のシーンは確実に本作に影響を与えたことが

分かる。

 

 親子愛・夫婦愛が胸に迫る。

 

 伊福部昭の音楽が観客の全身全心を包む。

 

 柱の彫った跡を見て「母上」と信康が泣く。

 

 本作のタイトルの候補に『血の柱』があった。

 

 

 信康は家臣小金吾に「徳姫に伝えよ。愛して

いた」と伝える。

 

 初代中村錦之助の熱演に監督伊藤大輔は

思わず泣いた。

 

 京都文化博物館上映ではクライマックスに

観客の涙声が響く。

 

 主演中村錦之助が熱涙を見せる。

 

 監督の伊藤大輔が撮影現場でもらい泣きす

る。

 

 時を超えて観客は泣く。

 

 涙の名画である。泣くことは恥ではない。

赤子に帰って赤子と共に泣く。この心は『反

逆児』鑑賞で教わった。

 

 初代中村錦之助後の萬屋錦之介は平成九年

(1997年)三月十日六十四歳で死去した。

 

 

 

 拙ブログでは令和元年(2019年)七月十九

日から十一月二十日に全三十一回で『反逆児』

の感想を書いた。

 

 三十三年前の今日銀幕初鑑賞を為して命全体

で熱くなった。以後六回銀幕で見聞した。七回

の銀幕鑑賞は自分にとって大切な学びの機会で

あった。

 

 七月三十日はわたくしにとって『反逆児』と

の出会いの日なのだ。

 

 勿論自分の学びの幼さ・未熟さを反省してい

る。「未熟者めが」と自己自身を叱咤している。

 それ故に八度目の銀幕鑑賞を夢見ている。日本

各地で名画座閉館の悲しいニュースが伝えられ

ている。そういう厳しい時代だからこそ悲劇美

を極め尽くす本作を名画座で上映し名画座の灯

を守りたい。

 伊藤大輔・初代中村錦之助協働作品は、監督・

主演チームの『反逆児』『源氏九郎颯爽記 秘

剣揚羽の蝶』『徳川家康』『幕末』、企画・主

演の『祇園祭』(監督山内鉄也)、脚本・主演

の『真剣勝負』(監督内田吐夢)の六本がある。

 

 大輔・錦之助映画引用映像作品には『ちゃん

ばらグラフティー斬る!』(監督浦谷年良)『時

代劇は死なず ちゃんばら美学考』(監督中島

貞夫)がある。

 八本全て銀幕で見聞することが成り立った。

 

 ウィキペディア伊藤大輔の項で生年月日は全

て1898年10月13日と精確になったことに安堵

している。

 本人が明治三十一年十月十三日に生まれた

と明記しているのだから確かな事柄である。

 

 ラストで「終」の字を掲げることが希だった

大輔は「完」を愛しよく掲示した。ドラマはラスト

で完結・完成する。逆に言うと観客の心の中で

無限に流れて行くのだ。

 

 信康の悲しみと無念と怒りは完の一字と共に観客の

心に熱く響く。

 

 大輔は完成された悲劇美を「完」の一字に銀幕

に焼き付けた。これほど完璧なラストは他にない。

 

 伊藤大輔演出・中村錦之助名演という師弟

の照応は信康の死生を語り、映画悲劇美を明

かした。

 

 

                 合掌

 

 

              南無阿弥陀仏

 

 

                 セブン