エストレーリャの涙 十二回目の劇場鑑賞 | 俺の命はウルトラ・アイ

エストレーリャの涙 十二回目の劇場鑑賞

 2024年1月28日京都シネマ シネマ2

G列12番において映画『エル・スール』を

鑑賞しました。

 

 

『エル・スール』

EL SUR

 

エル・スール

 映画 トーキー  95分 

 カラー(劇中劇『日陰の花』は白黒)

 

 1983年5月19日スペイン公開

 

 昭和六十年(1985年)十月十二日 日本封切

 

 製作国 スペイン

 製作言語 スペイン語

 

 原作 アデライダ・ガルシア=モラレス

 脚本 ヴィクトル・エリセ

 製作 エリアス・ケヘレタ

 撮影 ホセ・ルイス・アルカイネ

 音楽 エンリケ・グラナドス

    モーリス・ラヴェル(弦楽四重奏曲ヘ長調)

    フランツ・シューベルト(弦楽五重奏曲ハ長調)

    『エン・エル・ムンド』

 

 出演 

 

 オメロ・アントヌッティ(アグスティン・アレナス)

 

 ソンソレス・アラングーレン(エストレーリャ幼女時代)

 

 イシアル・ボリャン(エストレーリャ 少女時代)

    

    

 ローラ・カルドナ(フリア・アレナス)

     

 ラファエラ・パリシオ(ミラグロス)

 オーロール・クレマン(イレーネ・リオスことラウラ)

 マリア・カロ(カシルダ)

 フランシスコ・メリノ(映画『日陰の花』の恋する男)

 ホセ・ビボ(グランド・ホテル バーテンダー)

 

   

 

     

 監督 ヴィクトル・エリセ

 

 ◎

 イシアル・ボリャン=イシアル・ボジャイン

          =イシアル・ボリャイン

 

 

 ◎

 1957年秋のスペイン。

 

 深夜の闇から朝日の光へと時は流れます。

 

かもめの家の寝室に少女エストレーリャは

寝ていました。

 母フリアと家政婦カシルダの会話と犬の

鳴き声で起床しました。フリアは夫アグス

ティンが居ないことに不安を感じます。

 

 エストレーリャは箱から父アグスティンが

くれた振り子を取り出し、父の固い決意を感

じ目から涙を流しました。

 

 

 フリアの妊娠時にアグスティンは女の子

と直感し、生まれてくる娘の名前をエストレ

ーリャと決めました。

 

 南(エル・スール)出身のアグスティンは

妻フリオと共に北部に移住し、かもめの家を建

て医師として勤務しています。早く退院したい

という患者にシスターの言いつけを守って下

さいと語り宥めます。

 

 7歳か8歳に成長したエストレーリャは帰宅し

たバイクの後方の椅子に乗ります。「もっと早

く」とせかされ、アグスティンはスピードを出

して並木道を早いスピードで進みます。

 

 

 アグスティンは屋根裏部屋で振り子の持ち方

をエストレーリャに伝えます。娘は振り子を用

いた父の不思議な予知の力を知ります。水道工

事の人々にアグスティンは振り子の観察で掘り

当てる場所を言い当てました。

 

 エストレーリャの初聖体拝受の日が来ました。

花嫁のように純白のドレスを着ます。

 

 アグスティンの母と乳母ミラグロスが南

の実家から祝福に来ました。アグスティン

は中年男性医師ですが、ミラグロスにとっ

ては坊ちゃまです。

 

 二人は再会を喜びます。アグスティンの

母は息子との再会に感慨を覚え孫娘の聖体

拝受に感動しました。

 

 エストレーリャは、アグスティンが何故故

郷の南部に帰らないかをミラグロスに問いま

す。大旦那様(エストレーリャの祖父)とア

グスティンの父子対立があったことをミラグ

ロスは解説します。

 

  「内戦前の共和制の頃は御爺様が悪い側

   でパパが良い側だった。フランコが勝

   ってから大旦那様は聖人に、パパは悪

   魔になった。世の中勝ったほうが言い

   たい放題なのよ。」

 

 エストレーリャはアグスティンが何故過去に

投獄されたのかを問います。ミラグロスは戦争

があると勝ったほうはいつだってそういうこと

をするのよと説きました。「子供にそういう事

を伝えたら駄目」とミラグロスは嘆きます。

 エストレーリャが父アグスティンの過去の出

来事を知っている事は、ばあやミラグロスにと

って、情報過多に映りました。

 

 教会において聖体拝受は厳かに行われました。

 

 エストレーリャは母・祖母・ミラグロス、そ

して、秘かに教会に来ていたアグスティンのも

とに報告します。

 

 パーティーでアグスティンとエストレーリャ

は『エン・エル・ムンド』の音楽演奏を受けて

ダンスを踊ります。フリア・カシルダ・ミラグロ

ス・エストレーリャの祖母と同席の人々は讃嘆

しました。

 

 ミラグロスと祖母はエル・スール(南)に帰

ります。

 

 エストレーリャは父がイレーネ・リオスとい

女優に強い想いを抱いている事を知ります。母

フリアにイレーネ・リオスの名を聞くと彼女は

知らないと述べました。「誰?」と母フリアに

問われ、「同級生の子よ」とエストレーリャは

述べます。「初めて嘘をつきました」とエストレ

ーリャはこの時の対応を確かめます。フリアが

知らない名前を父アグスティンは大事にしてい

る。

 

 

 イレーネは『日陰の花』という白黒映画に出

演していました。

 

 『日陰の花』上映映画館に行ったエストレー

リャは、チラシをもらい受付のおばあさんから

金髪の美人女優がイレーネ・リオスであること

を教わります。

 

 

 喫茶店カフェ・オリエンタルにおいてアグス

ティンはイレーネ・リオスことラウラに手紙を

書きます。

 窓からエストレーリャがノックします。

 

 アグスティンは店を出て愛娘に合図を送り

ます。

 

 カフェの机にはラウラへの文が置かれてい

ます。

 

 妻フリアと夫アグスティンが激しい口調で

語りあいます。

 両親それぞれの主張の厳しさに娘エストレ

ーリャは悩みます。

 屋根裏部屋でエストレーリャは泣きます。

 

 上の部屋からアグスティンは床を杖で叩

きました。エストレーリャは父が悩んでい

る事を知らせていると感じました。

 

 

 

 8歳のエストレーリャは家の前の並木道を自転

車で進みます。

 並木道を落葉が覆います。

  

 15歳のエストレーリャは自転車で帰宅します。

カシルダが台所で調理している。

 ボーイフレンドの少年カリオコことミゲルは

映画に誘ったエストレーリャが約束をすっぽか

したことに抗議の電話をかけてきます。エストレ

ーリャは彼の壁落書きに困っています。「僕は恋

人だぞ」と宣言してカリオコは電話を切ります。

 家の前にカリオコが描いた落書きは「愛して

る」と書かれていました。

 帰宅したアグスティンが驚きます。

 

 エストレーリャは写真店で掲示されている自

身の聖体拝受の白黒写真を見ます。

 

 ◎現在公開中なので物語要約はここまでにし

ます◎

 

 ◎娘が想う父の道◎

 

 

 

 ヴィクトル・エリセ

  Víctor Erice Aras

 ヴィクトル・エリセ・アラス。

 映画監督・脚本家。

 

 1940年6月30日スペインバスク地方カラン

サに生まれました。

 

 『ミツバチのささやき』から10年後の1983

年の42歳時に、長篇第二回監督作品『エル・ス

ール』を発表しました。

 

 1957年のスペインにおいて、少女エストレ

ーリャは振り子を見つめ、父アグスティンの厳

しい決定を知り涙を流します。

 

 イシアル・ボリャン(イシアル・ボジャイン)

の右目から流れる涙に観客の心は熱くなります。

 

 親子が心と心で通じ合っている。

 

 けれども娘は悲しい出来事を知っている。

 

 

 

 深夜の闇から朝の陽光を映します。

 

 ワンシーン・ワンカットの長回しでエスト

レーリャの寝室が映されます。

 

 

 母フリアとカシルダと犬の声でただならぬ

事が起こっている。

 

 エストレーリャは父の決意を直感する。

 

 

 イシアル・ボリャンはイシアル・ボジャイン、

イシアル・ボリャインとも表記されます。フル

ネイムはイシアル・ボジャイン・ぺレス=ミン

ゲスIcíar Bollaín Pérez-Mínguezです。

 

 1967年6月12日にスペインに誕生しました。現

在56歳で監督・脚本家として活動しています。監

督作品『オリーブの樹は呼んでいる』は日本で公開

されました。わたくしはこの演出フィルムを未だ見

ていません。

 16歳で演じたエストレーリャ少女時代は女優イシ

アル・ボリャンの代表作と確信しています。

 

 エストレーリャは父アグスティンの決意を察し、

父が何故その決断に至ったかを尋ねます。悲しみ

を通して娘が父を想う。エストレーリャの物語の

根であります。

 

 

 

 オメロ・アントヌッティ Omero Antonutti

は1935年8月3日イタリアに誕生しました。201

9年11月5日、84歳で死去しました。

 47歳でアグスティンを繊細かつ重厚に演じまし

た。

 

 

 

 ワンシーン・ワンカットが清らかで秀麗な映像

であす。

 ホセ・ルイス・アルカイネが撮る映像は自然の

輝きを鮮やかに映します。繊細で優美です。ワンシ

ーンワンカットが絵画のように綺麗で美を極めて

います。

 

 ソンソレス・アラングーレンの幼女エストレー

リャは元気一杯の女の子です。

 

 アグスティンとエスレーリャは仲の良い親子で

す。

 互いに振り子を事にして、畑の野菜を見て微笑

み合います。

 

 南の郷里に帰らないことがアグスティンの生き方

です。

 南の家の家政婦ミラグロスは大旦那様はフランシ

スコ・フランコ・バアモンデを応援し、アグスティ

ン様はそのあり方に反発し逆の道を歩み投獄された

ことをエストレーリャに解説します。

 

 フランシスコ・フランコ・バアモンデは1892年

12月4日に誕生し1975年11月20日に死去した。ス

ペインを独裁的に統治していた人物です。

 

 

 

 フランコ総統統治時代のスペインの人々の苦闘は

台詞によって明確に言及されている『エル・スール』

においてこそ戦後のスペインの世代問題は学ばれる

べき事柄です。

 

 総統統治時代の1973年に発表された『ミツバチの

ささやき』でフランコ統治時代の苦悩を全面的に描く

ことは無理で総統死後の1983年にようやく苦闘の跡

を『エル・スール』で発表しえた。これは察せられ

ます。

 

 

 『エル・スール』はフランコ総統に抵抗したアグ

スティンの生き方が確かめられています。故郷南部

を離れ北部でかもめの家で暮らすことは、父との対立

によって決定したことであり、フランコ政治糾弾の

道でもあった。

 

 それだけにアグスティンが老乳母ミラグロスと

母と再会するシーンに歴史の重みがあります。ミ

ラグロスの台詞によって言及され本篇に登場しな

いエストレーリャの祖父「大旦那様」は不在の重

みを見せます。

 

 聖体拝受のシーンは神々しい。

 

 ソンソレス・アラングーレンの可愛さは輝いて

います。8歳エストレーリャの美しさに感嘆する。

 

 アグスティンとエストレーリャが『エン・エル

・ムンド』の曲に乗ってダンスを踊る。このシー

ンには父娘の愛が暖かく溢れています。

 

 親子愛の暖かさが観客の胸を暖めてくれます。

 

 白無垢のドレスに始まり白無垢のドレスで終わ

るこのシーンは、ワンシーンワンショット

の長回しで撮られています。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

 

 イレーネ・リオスことラウラの姿を探求する

エストレーリャはカフェで父アグスティンを見

ます。

 親子がガラス越しに視線と視線を交わす。

 

 アグスティンとエストレーリャの心と心の呼応

があります。

 

 オーロール・クレマンがイレーネ・リオスの

気品を白黒映像に見せて、ラウラの悩みを声に

より繊細に語ります。

 

 屋根裏部屋でエストレーリャがアグスティンの

杖の音を聞く。

 

 親子は無言で気持ちを確かめ合います。

 

 並木道の自転車の進み方でエストレーリャの

七・八歳から十五歳への道が示されます。

 

 

 ソンソレス・アラングーレンの天真爛漫・純

真無垢なエストレーリャから知的で繊細で雅な

イシアル・ボリャンへ。美幼女から美少女への

転換・成長が長回しで語られる。

 

 映画の時間の語り方の素晴らしさやね。

 

 

 エリセの映像詩は美を極めています。

 

 

 

 エストレーリャの箱には『ロミオとジュリ

エット』のバルコニーの場面の絵が描かれて

います。

 

 写真店で15歳のエストレーリャが7歳か8歳

の自身の白黒写真を見つめる。

 

 イシアル・ボリャン映像とソンソレス・アラ

ングーレン白黒写真のエストレーリャ競演名場

面です。エリセ監督の歴史探求は深い。過去と

現在が照応しています。

 

 グランドホテルの結婚式における『エン・エル

・ムンド』演奏と新郎新婦の踊りには心身全体で

緊張します。

 

 

 愛娘エストレーリャがいるのに何故アグステ

ィンは悲しい選択をしたのか?

 

 

 1986年4月3日有楽シネマの初鑑賞からずっと

この問いを抱いています。

 

 妻フリアとイレーネ・リオスことラウラとの関

わりで自分を追い込んでしまったのか?

 

 スペイン内戦時代からフランコに組した父との

対立や敗戦後の苦闘のトラウマがあって自分を苛

んでしまったのか?

 

 理由は分かりません。

 

 分からないまま頂くことがエリセ映画の鑑賞道

と思います。

 

 

 謎のまま提示されます。

 

 1986年4月3日有楽シネマの客席で17歳だったわ

たくしめは大感激して人目を憚らず涙を流しました。

17歳の少年ではあったけれども、エストレーリャの

優しく清らかな心に自己自身の汚さを痛感したのか

もしれません。

 

 しかし、泣いておるということは、エストレーリ

ャの悲しみを通した愛の熱さやアグスティンの厳し

き決意の重さを受け止めているかどうか?

 

 

 2024年1月28日京都シネマ・シネマ2G列12番。

56歳の身になって、12回目の劇場鑑賞をしました。

初鑑賞時17歳の少年だったわたくしめも56歳初老

となりました。

 

 親から子への伝達と子が親を想う包摂が呼応して

いる物語であり、緊張を呼び起こしてくるドラマと

学びました。

 

 昨日1月28日の鑑賞は95分は緊張の時間でした。

 

 

 エストレーリャは悲嘆を通して父アグスティンの

道を尋ね思い心で包みます。

 

 ヴィクトル・エリセ監督は、エストレーリャの南

への旅の物語を部分的に撮っていました。

 

 完成版に約150分の上映時間を想定し、北のかも

めの家の物語を前編、エストレーリャの南の物語を

後編とする予定であったと言われています。

 

 

 エストレーリャの南の物語にはアグスティンの出番

があり、オメロ・アントヌッティが演じたシーンもあ

るという。

 

 ヴィクトル監督の母上も女優として出演したそうで

す。

 

 「オメロ・アントヌッティや母が良い演技をしてい

るのにフィルムをカットしなければならなかった」と

ヴィクトル監督は語っています。

 

 撮影中に製作資金が困難になり、エストレーリャの

南への旅立ち前で物語を締める95分版が公開されるこ

ととなりました。

 

 ヴィクトル・エリセ監督にとっては95分は未完成

フィルムで完成版として封切られたことは残念だった

ようです。

 

 監督にとっては苦渋の問題であったことは察しま

す。

 

 叱責されても95分は美しくて深いフィルムと頂い

ています。

 

 エストレーリャの旅立ちの決意をラストに位置付

けることで、南への道・南での暮らし、南において

のアグスティンへの追想は、全て観客の心の中にお

いて広がって行きます。

 

 ◎

 2024年2月9日日本封切予定『瞳をとじて』におい

て、主人公ミゲル監督のフィルムは未完成であること

を聞き緊張しています。

 

 女優アナが彼女の父について語るシーンを予告で

見て更に熱く胸がときめきます。

 

 『ミツバチのささやき』『エル・スール』二本を

一日で鑑賞したことは、前記1986年4月3日有楽シ

ネマ以来でした。

 

 当時の記憶と共に映画製作・撮影の時代1973年・

1983年の記憶も呼び起こされました。

 フィルムに映るのは勿論1973年スペイン、1983

年スペインですが、時代の空気・雰囲気は日本の観

客・ファンの心にも当時を想起させてくれます。

 

 アナとエストレーリャは、ショックを受けつつ、

未来に向かって歩みだします。二人は強い女性で

す。

 

 ヴィクトル・エリセ監督は「リュミエール兄弟の

当初の計画から今に残っているのは映画館だけだ。

技術の発展により、私達は自宅で映画を鑑賞する

ようになり、観客としての経験もすっかり変わって

しまった。しかし、私は映画を観るという公共的な

経験を守りたい。」(『瞳をとじて』公式X)と20

24年サンセバスティアン映画祭で語りました。

 

 アナの純真無垢なこころやエストレーリャの清純

な涙は、映画館で見聞・鑑賞すべき映像・写真です。

 

 この再上映の機会に映画館でご覧になることを

お薦めします。

 

 『瞳をとじて』に映画館で出会える。

 

 このことを想うと、私の胸の緊張感は一気に熱く

なります。

 

                     合掌

 

 

 

 

                合掌

 

                セブン