夜の女たち | 俺の命はウルトラ・アイ

夜の女たち

『夜の女たち』

映画 トーキー 75分 白黒

昭和二十三年(1948年)五月二十六日封切

製作国 日本

製作言語 日本語

製作会社 松竹京都

 

製作 絲屋寿雄

脚本 依田義賢

原作 久坂栄次郎(『女性祭』)

 

撮影 杉山公平

美術 水谷浩

音楽 大沢寿人

演奏 中村寿士とM・S・C楽団

装置 松野喜代春

装飾 山口末吉

録音 高橋太郎

照明 田中憲次

編集記録 坂根田鶴子

衣裳 中村ツマ

床山 井上力ミ

結髪 木村よし子

普通写真 三浦専蔵

移動 吉田六吉

演技事務 藤井キヨ

製作進行 桐山正雄

製作担当 清水満志雄

 

 

 

配役 

 

大和田房子 田中絹代

 

君島夏子 高杉早苗

 

大和田久美子 角田富江

栗山謙造  永田光男

病院長  村田宏寿

ポン引きのおばさん 浦辺粂子

徳子 大林梅子

古着屋の女将 毛利菊枝

川北清 青山宏

純潔協会の夫人 槇芙佐子

婦人ホームの院長 玉島愛造

平田修一 田中謙三

刑事甲 加藤貫一

刑事乙 加藤秀夫

アパートのおばさん 岡田和子

安子 西川寿美

和子 林喜美子

竹子 滝川美津枝

不良少女 忍美代子

 

監督 溝口健二

 

 

田中絹代=田中錦華

 

浦辺粂子=遠山 みどり

    =静浦 ちどり
    =遠山 ちどり

 

毛利菊江=毛利菊枝

鑑賞日時 場所

平成十二年(2000年)二月六日

京都文化博物館映像ホール

 

物語の要約で障害者の人権を傷つける

差別用語を本篇のままに引用します。

 昭和戦後大阪新世界。

 大和田房子は戦争で夫を亡くし子供は

結核で死去した。栗山謙造の秘書と愛人

を兼ねて暮らす。妹夏子と再会する。両親

を引き揚げの途中で亡くした夏子はダンサー

をしながら暮らしている。

 愛人栗山と妹夏子が関係を持ったことを

知り房子は傷つく。房子の義妹久美子は家

を出るが不良学生に騙されて身体を奪われ

不良処女に身ぐるみを剝がされる。

 夏子は房子が娼婦の仕事をしていると聞

き探しに行くが警察に彼女も身柄を拘束さ

れ病院に送られて姉房子と再会する。検査で

栗山の子供を妊娠していることを夏子は告げ

られる。その栗山は密輸の罪で捕まる。房子

は婦人ホームに夏子を連れて行く。夏子は出

産するが子供は亡くなる。

 売春で働くことを決めた房子は売春婦仲間

にリンチにかけられる女性を見つける。久美

子であった。「バケモンみたいな片輪の子産

んで」と売春婦の未来を房子は語る。久美子

を連れて帰ることを房子は決意する。

 

 ◎昭和二十年代 夜の新世界◎

 

 みぞぐち

 溝口健二は明治三十一年(1898年)五

月十六日に東京に生まれた。

 活動大写真・映画の演出において人間の

命の在り方を探求した。妥協を排する完全

完璧主義で撮影演出に臨んだ。パワハラや

虐めを行った事でも有名である。完成した

映画演出作品は藝術美を極めている。

 昭和三十一年(1956年)八月二十四日、

京都市において五十八歳で死去した。 

 本作は満年齢五十歳誕生日十日後に発表

された写真である。 

 

  

 依田義賢は明治四十二年(1909年)四月

十四日に京都府京都市に生まれた。京都市

立第二商業学校を経て銀行員として勤務し

昭和五年(1930年)日活太秦撮影所に入り

シナリオを書いた。

 昭和十一年(1936年)第一映画に入り

溝口健二の指導を受けた。『溝口健二の人

と芸術』(1964年9月25日発行 映画芸術

社刊)はによると、溝口は、依田に「脚本

を書くには現場のほこりを吸ってこなきゃ

だめだ」と指導した。

 依田はスクリプターを命じられ、この仕

事で撮影現場を学んだ。

 平成三年(1991年)十一月十四日に依田

義賢は八十二歳で死去した。

 

 田中絹代は明治四十二年(1909年)十一月

二十九日山口県に生まれた。

 十歳で筑前琵琶の免許を貰い田中錦華の芸名

を得たが映画女優への夢を抱き、大正十三年(1

924年)松竹に入社し以後映画女優として活躍し

た。日本映画史を支え牽引した大スタアである。

 昭和五十二年(1977年)三月二十一日東京都

において六十七歳で死去した。

 『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』

書籍版では田中絹代の生年月日は明治四十三

年(1910年)十一月二十九日である。

 

 高杉早苗は大正七年(1918年)十月六日に

誕生した。出生名は清水ヒロである。松竹で

映画女優として活躍し昭和十三年(1938年)

三代目市川段四郎こと喜熨斗政則と結婚し本名

は喜熨斗弘子となる。昭和十四年(1939年)十

二月九日長男政則、十六年(1941年)四月三日

に長女靖子、二十一年(1946年)七月二十日次

男宏之を出産する。政則は後の三代目市川團子・

三代目市川猿之助・二代目市川猿翁である。宏之

は後の初代市川亀治郎・四代目市川團子・四代

目市川段四郎である。九代目市川中車こと香川

照之・四代目市川猿之助こと喜熨斗孝彦は孫、

五代目市川團子こと香川政行は曽孫である。

 昭和四十六年(1971年)NET『大忠臣蔵』に

おいて桂昌院、五十四年(1979年)七月十三

日朝日放送『必殺仕事人』「蛍火は地獄絵への

案内か?」でおひさを勤める。後者は自分にと

って初めて高杉早苗を映像で見た作品であった。

 平成七年(1995年)十一月二十六日、高杉早

苗は七十七歳で死去した。

 

 田中絹代は始め貞淑な未亡人で娼婦の仕事に

取り組み傷つきながらも逞しく歩む房子を重厚

に演じた。序盤の淑女のおしとやかさと後半の

売春婦の凄みの演技は圧巻である。

 夏子役の高杉早苗の存在感も重い。

 

 溝口健二は売春の業界を題材に選び身体を売

って生きる女性達をヒロインに描いた監督だが、

本作の迫力は凄まじい。溝さん自身取材で遊里

に行ったようである。

 

 クライマックスで房子は久美子を助けつつ

「バケモンにたいな片輪の子産んで」と語る

が酷い台詞であり障害者の人権を傷つけるこ

とを思う。わたくし自身の差別も問い叱られ

ているのだろう。

 房子の自暴自棄の在り方と心の荒み方が

窺える。

 

 戦後すぐの昭和二十三年の新世界が撮られ

ていて勉強になった。

 身体を売らなければ生きていけない房子

や久美子の苦しい在り方を溝口健二は見つめ

る。  

 

 封切約七十五年後の現代令和三年(2023年)

も飛田は風俗街である。

 誇りを持って身体を売って主に男を癒す仕事

を選んだ女性達は多いと思うが危険が多く心身

のストレスが激しいことは間違いないだろう。

 

 危険な仕事を選んで逞しく生きる売春婦達

の悲しみと強さを溝口健二は見つめフィルム

に焼き付けた。

通天閣 13

 溝さんの写真は主に男は臆病で女は強い。

 

 田中絹代の母性の暖かさは房子役に光って

いる。

 

 

                 合掌