菅原伝授手習鑑 杖折檻の段 東天紅の段 宿禰太郎詮議の段 丞相名残の段 | 俺の命はウルトラ・アイ

菅原伝授手習鑑 杖折檻の段 東天紅の段 宿禰太郎詮議の段 丞相名残の段

『通し狂言 菅原伝授手習鑑』
二段目
「杖折檻の段」
「東天紅の段」
「宿禰太郎詮議の段」
「丞相名残の段」
第二四四回 文楽公演
令和五年(2023年)五月十四日
国立文楽劇場小劇場
 
杖折檻の段
豊竹芳穂太夫
野澤錦糸
 
東天紅の段
竹本小住太夫
鶴澤藤蔵
 
宿禰太郎詮議の段
豊竹呂勢太夫
鶴澤清治
 
丞相名残の段
竹本千歳太夫
豊澤富助
 
《人形役割》
 
菅丞相 吉田玉男
 
苅屋姫 吉田簑志郎
立田前 吉田一輔
宿禰太郎 吉田玉助
贋迎い  吉田玉誉
奴宅内   桐竹紋吉
土師兵衛  吉田簑二郎
判官代輝国 豊松清十郎
 
覚寿 吉田和生
 
 
 菅丞相は覚寿屋敷に到着する。苅屋
姫は自身の恋が思いもよらぬ縁の催し
とはいえ、結果的に養父を苦しめる事
になったことを悩んでいる。何として
も養父菅丞相に会って詫びたい。
 実の妹苅屋姫の気持ちを知る立田前
はその心を察し優しく気遣う。
 丞相はこの夜八つに出立する予定で
ある。
 
 柱に立田前の夫宿禰太郎がもたれかか
る。
 

   姫の顔見ぬ先は俺が女房は楊貴妃ぢゃ、

   と思ふたが、較べてみれば無楊貴妃。 

   そなたの名も変へねばならぬ

 

 太郎は草苅屋姫の美貌に見惚れる。丞相の出

立の合図は一番鶏の声であると妻に告げる。

 

 太郎が去り立田は苅屋姫を丞相に会わせようと

試みる。

 姉妹の実母で丞相の伯母覚寿が現れ杖を振り

上げ娘苅屋姫を叱り飛ばす。義理ある丞相が流

罪で罰せられることになり最愛の娘苅屋姫を覚

寿は杖で打擲する。立田前は懸命に妹を庇う。

 

 丞相の声が響き、覚寿を諫め「苅屋姫と対面

せん」と覚寿に呼び掛けた。襖を開けると丞相

の姿は無くて丞相が彫った木像があるのみであ

った。この木像は覚寿が形見として丞相に御姿

を彫って頂きたいと頼んで彫ってもらったもの

である。

 

 太郎とその父土師兵衛は丞相出立の支度を

手伝いたいと申し出た。

 

 夜の庭で土師兵衛と太郎は藤原時平に通じ

菅丞相暗殺を狙う計画を話し合い、立田前に

聞かれる。懸命に諫めれば分かってくれると

感じた立田前は夫太郎と舅兵衛を諫める。兵

衛は一旦謝罪して立田を安心させ、息子太郎

に合図を送って嫁を背後から刺して殺害する。

 

 死骸が沈む場所で鶏は鳴くという言い伝え

を思う兵衛は立田の遺骸を池に捨て鶏を挟箱

の上に乗せる。果たして鶏は鳴いた。

 

 太郎主導のもと暗殺団の仲間の贋迎いが丞

相を迎えに来る。

 丞相は駕籠に乗る。覚寿は丞相との別れを

嘆く。

 立田前が迎えに来なかったことに母覚寿は

不審を感じる。

 屋敷の捜査が始まり奴宅内が池の中から立

田前の死体を発見する。

 太郎は宅内を下手人と糾弾し斬殺しようと

する。

 覚寿は立田の遺体の口に銜えさせれた衣類

の切れ端は太郎が着用しているものと同じで

あることを見て、下手人が誰かを察した。

 太郎が宅内を斬ろうとすると、覚寿は「初

太刀はこの母」と語る覚寿は婿太郎から刀を

借りる。

 

 太郎は姑の手で罪を擦りつけた宅内の処刑

が出来るとほくそ笑む。覚寿は宅内に刀を向

けるとみせかけて隙を突いて太郎の腹部を突

き刺す。

 

 本物の迎えの役人輝国が現れる。

 

 既に丞相はお迎えの役人に警護されて出立

されたと覚寿は報告しつつ不審を感じ、輝国

は丞相が誘拐されたと感じた。

 

 贋迎いが現れ、人形の丞相を預かったと嘆

く。しかし輿を開けると丞相は現れる。贋迎

いは吃驚する。瀕死の太郎を見て贋迎いと現

れた兵衛は驚愕する。

 

 陰謀は露見し兵衛は輝国に捕らえられた。

 

 菅丞相が現れる。輝国の迎えが遅く騒がし

い音を聞き、兵衛・太郎のたくらみを聞き、

立田前がはかなき最期を遂げたことを語る。

 

  某これへ来たらずばかかる嘆きもある

  ことなし

 

 娘を殺された覚寿に菅丞相は詫びる。「娘

命百人にも替へ難き大事の御身」と覚寿は涙

を堪えて丞相の命が守られたことを喜ぶ。

 

 覚寿は太郎から刺したを抜きその刀で髪を切

る。遂に太郎は息絶えた。

  

   有為天変世のならひ

   娘が最期も此刀 

   婿が最期も此刀

   母が罪業消滅の

   白髪も此刀

 

 

 菅丞相は念仏を唱える。

 

 輝国は土師兵衛を処刑する。

 

 覚寿の頼みで菅丞相が自身の姿を彫った木

像が兵衛・太郎・贋迎いの陰謀から丞相を守

った。

 

 覚寿尼は伏籠に苅屋姫に入らせ丞相に対面

させようとする。

 

 最愛の養女に会いたいと願う心を堪えて丞

相は覚寿の申し出を断る。

 

 苅屋姫は思わず泣きだす。

 

 堪えに堪えていた菅丞相は思わず苅屋姫の

顔を見る。

 

 苅屋姫は覚寿、丞相は判官代輝国に、それ

ぞれ制止される。

 

 菅丞相と苅屋姫の生き別れである。

 

 ◎『菅原伝授手習鑑』のいのち◎

 

 豊竹芳穂太夫は立田前の優しさと苅屋姫の

可憐さと太郎の刹那的性格と覚寿の厳しき母

性を深く語る。

 

 野澤錦糸の三味線に感嘆した。

 

 覚寿は義理から苅屋姫を杖で折檻し立田前

は身を挺して母を諫め丞相の木像は伯母を宥

める。

 

 木像が起こす不思議の物語を文楽技芸員が

尊い芸で神秘性豊かに国立劇場小劇場の舞台

に語った。

 

 吉田和生の覚寿は当たり役だ。厳しくも暖

かい老母覚寿の愛を重厚に遣う。

 

 くどいようだが、平成二十六年(2014年)

四月国立文楽劇場通し上演で苅屋姫を遣った

一輔の芸は重く姉立田前の義を深く遣い姉妹

愛を語る。

 

 竹本小住太夫が土師兵衛の老獪さと嫌らしさ

を憎たらしさいっぱいにネチネチと語った。

 吃驚した。生意気な物言いだが、ここ数年の

竹本小住太夫の躍進に瞠目している。

 

 平成二十六年(2014年)の文楽番組で故七

代目竹本住太夫が弟子竹本小住太夫に「本読ん

でへんのとちゃうけ?家で読んでこい言うたや

ろ」と怒鳴り、小住太夫は頭を低くし涙目にな

っていた。

 鬼の住太夫は床本を家で繰り返し読むように

と怒鳴って叱る。

 

 「弟子に阿呆・馬鹿と叱るのは可愛いからで

  す。なんとかしてやりたいという気持ちで

  す。」

 

 と竹本住太夫は生前新聞のインタビューで語

っていた。

 

 五月十四日の竹本小住太夫は自在に土師兵衛

の冷酷さと宿禰太郎の強欲と立田前の哀れさを

語りその芸に心身で震えた。竹本住太夫に怒鳴

られ叱られ鍛えられた人は芸に燃えて師匠の芸

魂を呼び起こして自身の活力にしているのでは

ないか?

 竹本住太夫の『菅原伝授手習鑑』は「桜丸

切腹の段」しか聞いたことはない。しかし、五

月十四日の竹本小住太夫の深く鋭い語りにはっき

りと竹本住太夫の重厚な語りを想い起した。竹

本住太夫の鬼の気迫を竹本小住太夫は探し尋ね

自身のものとして継ぎつつあるのだ。

 

 鶴澤藤蔵の「はっ」と声が出る弾きは迫力豊か

である。熱い弾きに感嘆した。

 「東天紅の段」は太郎と兵衛が優しい立田を野

望の為に殺し遺体も利用し鶏を鳴かせ謀殺計画を

進める。悪党たちの黒い行動におかしみがある。

 

 

 「宿禰太郎詮議の段」は豊竹呂勢太夫の鋭い語

りに震える。

 ミステリアスな空気はここでも篤い。

 

 太郎の冷酷と覚寿の復讐心を呂勢太夫が鮮やか

に語る。

 

 大御所鶴澤清治の風格豊かな三味線に心を打た

れた。

 

 「杖折檻の段」「東天紅の段」「宿禰太郎詮議

の段」「丞相名残の段」を総合して「道明寺」とも

言う。歌舞伎ではこの名で上演している。

 「道明寺」は覚寿・立田前の親子死に別れ、苅

屋姫・立田前の妹・姉の死に別れ、兵衛・太郎の

親子死に別れの三つの別れを語り大詰に菅丞相・

苅屋姫の生き別れを語る。 

 

 竹本千歳太夫の全身挙げての熱き語りに観客の

心は別れる親子の愛を学ぶ。

 豊澤富助の三味線は厳かであった。

 

 吉田玉男が菅丞相の悲しみを深く重い芸で遣う。

 

 菅丞相は自身が滞在したことで兵衛・太郎が野

心を起こし優しい立田前が犠牲になったことに心

を痛め覚寿に謝る。

 覚寿は娘命百人にも替え難い方と丞相命守護を

果たせたことを気丈に語る。

 

 吉田玉男と吉田和生は菅丞相と覚寿の心の呼応

を深く現す。

 

 菅丞相が彫った木像は丞相その人を救うという

不思議の物語を幻想性豊かに文楽は明かしてくれ

た。

 

 苅屋姫は父が流罪されるに当たってどうしても

自身の恋が原因になってしまったことを詫びたい。

 

 伏籠に姫が潜む場は名場面だ。

 

 菅丞相は「苅屋姫を斎世親王にして親王に帝位

を奪わせ娘を皇后にしたいのであろう」と藤原時

平に讒言されたことを受け、身の潔白を示す為に

愛しい養女に会えない。ここでも菅丞相が自己自身

で選び決めた主題に全てを賭け尽くして挑み明かそ

うとしていることが窺える。

 無実の罪で罰せられることは辛いけれども醍醐

天皇への忠義は貫く。ここに菅丞相の生き方があ

った。

 

 最愛の養女苅屋姫の顔を見たいけれども堪える。

 

 この切なさに観客の胸は熱くなる。

 

 苅屋姫は思わず声を出して泣く。

 

 流刑地に赴く菅丞相は堪えに堪え忍びに忍ん

でいたが別れの時において遂に顔を娘苅屋姫に

向ける。人間菅丞相の父性愛に観客は心を打た

れる。

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              覚寿が苅屋姫、輝国が丞相を止める。

 

 菅丞相と苅屋姫の大詰の生き別れにおいて養父

養女の親子愛が燃えていることが観客の心を包む。

 

 吉田簑志郎は苅屋姫の清らかな心を遣った。

 

 吉田玉男は菅丞相における別れの悲しみを明か

した。

 

 令和五年(2023年)五月十四日国立劇場小劇

場客席において菅原道真の悲しみの物語を学んだ。

 

 文楽技芸員は浄瑠璃『菅原伝授手習鑑』のいの

ちが国立劇場小者劇場の舞台に燃えていることを

尊き芸で明かした。

 

 

                 文中敬称略

 

 

                南無阿弥陀仏