真夏の夜の夢 イジ―・トルンカ監督作品（五）
令和四年（2022年）四月二十三日発表記事・
令和五年（2023年）二月二十四日発表記事
を再編している。
ウィリアム・シェイクスピアが1596年頃
に書いたと言われている戯曲『真夏の夜の夢』
を、チェコの人形アニメ映画の巨匠監督イジー・
トルンカが映画化した。
William Shakespeare
ウィリアム・シェイクスピア
戯曲執筆者・俳優・詩人。
1564年イングランドストラトフォード・アポン・
エイボンにジョン・シェイクスピア＆メアリー・
アーデンの息子として誕生。同年4月26日に
洗礼を受ける。
グラマースクールを経て、俳優として舞台に
立ち、数多くの戯曲・詩を執筆する。
1616年4月23日死去。
1564年4月23日に誕生したという説もあり、
52歳の誕生日に亡くなったとも考察されてい
る。
イジー・トルンカ
Jiří Trnka
1912年2月24日チェコプルゼニのペトゥロ
フラットに誕生。
チェコの人形アニメーション映画・脚本家・
絵本作家として歴史を荷う。ブチェテイスラフ・
ポヤル・川本喜八郎を育てた人形アニメ映画監
督でもある。
1969年12月30日、57歳で死去。
トルンカの豊かな表現力により、シェイク
スピアの夢・幻想の世界は美しい映像人形劇
になった。
美しい娘ハーミアは音楽を奏でる青年ライ
サンダーと愛し合っている。父イジーアスは
二人の仲を許さず、ディーミトリアスという
青年との結婚を命じる。ディーミトリアスは
深くハーミアを愛している。ライサンダーと
ディミートリアスは恋敵として一歩も譲らず
互いにハーミアへの恋心で燃えているが、愛
されているライサンダーの優位は決定的だ。
ハーミアとライサンダーの恋仲は領主テー
セウス（シーシアス）の裁きでは許されず、
彼女の父イジーアスの望みであるディミート
リアスとの結婚が決定される。テーセウス自
身がアマゾンの女王ヒポリタと結婚をする身
であった。
ハーミアとライサンダーは恋の駆け落ち
を為す。ディミートリアスを慕う娘ヘレナ
は二人の後を追った。ディミートリアスも
愛しいハーミアを求めて後を追いかける。
テーセウス（シーシアス）とヒポリタの
結婚を祝い、六人の職人が芝居をすること
になり稽古に励んでいる。ボトムは主役を
演じたがる。職人達は芝居の稽古を兼ねて
森に行くことになる。この森には、恋の逃
避行のハーミア＆ライサンダーと二人を追
うヘレナ＆ディーミトリアスが来ていた。
森の妖精女王ティターニアは美人である。
衣服に沢山の小妖精達が居て、綺麗な女王
に仕えている。女王は夫の妖精オーベロン
と喧嘩をしてしまう。
オーベロンは妖精パックに眠りから覚醒
した時に見た存在に一目惚れしてしまう媚
薬を取ってくるように命じ、山羊に惚れら
れながら薬を入手したパックは主人の命令
のままに眠れるティータニアの目に薬を塗
る。
森の平安を守りたいオーベロンは、恋敵
と対立し剣を抜いて争うライサンダーとデ
ィミートリアスを思い、媚薬を塗るように
パックに命じる。パックは青年二人に媚薬
を塗り、二人とも覚醒してすぐにヘレナを
見て、二人ともヘレナに恋し、かつて深く
愛していたハーミアに冷たくなる。ハーミ
アは嘆き悲しむ。
パックはボトムの頭をロバの頭に変え、
ボトムの職人仲間は恐れ怯える。ティタ
ーニアは目覚めてロバの頭のボトムに恋
する。
オーベロンは妻が気の毒になり、ボト
ムの頭を人間の頭部に戻し、妻が媚薬で
かかった魔法を解いてボトムへの恋心か
らも解き放し、自身も姿を見せて夫婦は
和解する。
ライサンダーにも再びハーミアへの想
いが湧くように恋の魔法を与える。
テーセウス（シーシアス）とヒポリタ
は森に狩りに現れ、ヒポリタは鹿を追う
が、眠れる四人のカップルを見つける。
ライサンダーとハーミア、ディミート
リアスとヘレナは固く抱きしめあって眠
っている。テーセウス（シーシアス）は
イジーアスに娘とライサンダーとの結婚
を許してやるようにと語る。
テーセウス（シーシアス）とヒポリタ
の結婚式で六人の職人たちが芝居を演じる。
夜になり、テーセウス（シーシアス）
とヒポリタ、ライサンダーとハーミア、
ディミートリアスとヘレナ、イジーアス、
宮廷の人々、職人達のみんなが眠りにつ
く。
オーベロンとティターニアが空に現れ
る。
原作戯曲ではパックが観客に挨拶して
終わるのだが、映画ではパックが夜を見
守って終わる。
ナレーションは、夢は観客を包み、ウィ
リアム・シェイクスピアが描いた夢は今を
包んでいることを確かめる。
幕が踊り、影絵の存在達が踊る。愛の喜
びに溢れている。
一つの戯曲の中に神話時代の存在・人物が妖精と共
に活躍する。演劇であって、文学の味わいで感嘆させ、
音楽の調べでうっとりさせる。
演劇であって、文学・音楽でもある。この重層的で
多彩な魅力が光る。
シェイクスピアの時代は、舞台に書割が無かった。
舞台世界の情景や背景を伝えるには、戯曲の言葉に依る
以外方法がなかったと考えられる。言葉の力によって、
無限に展開する世界が語られた。
これは、作者が観客の心を引きつける術を熟知してい
たからこそ為し得た作劇の魔術であるとも言える。
言葉の宝石とも言われ、華麗な文字表現
で語られる妖精の森はセット美術での表現
は無理と思われていたが、美しく気品豊か
な人形美術で絢爛と再現した。
巨匠イジー・トルンカの功績である。
登場生物が多くてその一つ一つの命が生
き生きと活躍する。人間模様・妖精模様の
ドラマは恋と愛が根本になっており、観客
の共感を呼ぶ。ハラハラドキドキさせて楽
しく盛り上がる。芝居稽古に取り組む職人
衆は、愛嬌豊かだ。
小妖精たちが可愛い。
ティターニアの妖艶さ、ハーミアの清純
さ、ヘレナの真面目さ。三人の美がそれぞ
れに光っている。
ライサンダ－は二枚目美男人形、ディミ
ートリアスは髭ある男前の人形だ。
パックの可愛さも素敵だ。小妖精をから
かういたずらっ子でもあるパックは、水着
のような衣装で登場する。
ヒポリタに追われる鹿の瞳に浮かんだ怯え
をトルンカは鋭く映し出している。
ナレーターが筋を語り、人形達が動く絵画
のように華麗に動いて表現する。
圧巻はティータイニア人形の舞と、夫オベ
ロン人形とのダンスである。
それらの絢爛たる美に息を飲んだ。
イジー・トルンカは人形達の生き生きと
光る生命力で森の神秘に煌めく愛の物語を
書いた。戯曲の華やかさを説明するのでは
なく、その至奥の精神の生命讃嘆を鮮明に
した。
｢美｣に拘ると｢美しい｣という感覚を忘れ
がちになるが、トルンカが人形美術で語る
75分は一秒一秒のワンカットワンシーンが
美しい。
総合体としての作品は美しい映画として、
観客の心に華やかに開花している。
甘美と幻想で観客を魅了し夢の世界に包
みこむ。
吉田健一は『シェイクスピア』の「真夏
の夜の夢」における妖精達の歌は合唱・吟
誦と同じ効果があり、その内容を「舞台装
置、或いは映画のセットで再現すれば、劇
としての効果は失われも、眼には豪奢な絵巻
を展開する」（43‐44頁）と述べている。
戯曲を読み、原作に忠実に舞台化すると
なると、シェイクスピア在世のものと伝え
られる書割や道具の無い舞台で上演し、台
詞で語って行くのが最善の上演方法と思わ
れる。
ところが映像人形劇で、シェイクスピア
が台詞で語った詩・歌の甘美さを鮮やかに
映像で開花させた人がいた。
イジー・トルンカである。
ほぼ無理と考えられた映像での表現は、
特に妖精たちの森の美術に絢爛と描かれて
いる。引用した動画からもその甘美さは窺っ
て頂けると確信する。
シェイクスピアが台詞で書いた魅惑的な言
葉の表現は、トルンカの人形劇美術を待って
華麗に咲き誇った。
吉田健一がイジ―・トルンカ監督作品『真
夏夜の夢』を見聞したかどうかは分からない
けれども、御覧になったのならば意見を聞き
たかった。
「言葉の宝石」である戯曲『真夏の夜の夢』
における妖精達の森は台詞で観客の想像に訴え
るものでセットで表現する必要はないという吉
田の意見は察する。
しかしこの無理難題と思われた事柄をトルン
カは人形劇美術で具現した。
イジー・トルンカの人形には暖かさが溢れ
ている。優しい感性で妖精達の森と言う幻想
の世界を人形美術で豊かに表した。
絢爛豪華なセットを組んで人間が舞台やフ
ィルムで役を勤めてもこれほど清らかな幻
想を現出し得るだろうか？
人間の名演は勿論沢山ある。しかし、どの
ような名演にも名優の芸が基盤にある。人形
劇はその役の為に人形が生みだされている。
人形の優位は大きいと感じた。
「役が名優になった」と感じる事も数多く
覚えた。だが、役と人形の一体性は決定的で
ある。
IMDｂを見ると英語版ではリチャード・バ
ートンがナレーター、アレック・マコウェン
がボトムを声優として語った版があるらしい。
この版も聞きたい。
『皇帝の鶯』『バヤヤ』『チェコの古代伝説』
『電子頭脳おばあさん』と言った他の傑作と共に
トルンカ作品ではフィルム内に人形が命を生きて
いる。
トルンカの遺作となった『手』は国家が民
を抑圧することへの悲しみを訴えている。
弟子の川本喜八郎が師匠トルンカに「人形と
は何ですか？」と質問を語った。トルンカは「人
形は人間のミニチュアではない。人形には人形
の世界がある」と答えた。
「日本の伝統を大事にするように」とトルンカ
は愛弟子川本に伝えた。「文楽に学び継承する」
という課題を川本喜八郎は確かめた。
トルンカ人形劇映画はウィリアム・シェイクス
ピア戯曲の華麗で優美な世界を秀麗に具現化した。
2019年12月15日チェコチェコランドの真鍋氏
が京都みなみ会館でトークショーで語られた際に、
トルンカ・ポヤルファンの一人としてロビーでご
挨拶申し上げた。
チェコの政府はトルンカが『電子頭脳おばあさん』
『手』のような体制の圧迫を語る人形劇映画を発表
しても、トルンカ在世は彼を恐れて圧迫せず、没後
にトルンカ関係者に圧力をかけたと教えて頂いた。
真鍋様
ありがとうございます。
シェイクスピア原作戯曲に忠実である
ことは原作の言葉を熟読し、その言葉を
聞き、言葉が指し示し語る世界に教わる
ことから始まる。戯曲を読み込むことは、
世界の広がりを味わい、自由を獲得して
いく事なのだ。
ウィリアム・シェイクスピア戯曲の映
画化作品の歴史において、原作の神秘性
と幻想性と愛の交感を華麗に明かしたと
いう点において、『真夏の夜の夢』は永
遠不滅の大傑作として輝いている。
2023年の現代こそ1959年のトルンカ
脚色・演出に学ぶ時である。
美しい戯曲を美しい舞台に具現化する
ということは難中の難というべき大課題
である。
美しい戯曲を美しい映画に具現する。
この偉業をイジ―・トルンカは成し遂げた。
ウィリアム・シェイクスピア戯曲世界映像
史に輝く大傑作である。
イジ―・トルンカ監督が命を吹き込んだ人形
たちはフィルムの中で生き生きと輝き躍動して
いる。幻想は広がり観客を包み陶酔させてくれ
る。優しさはトルンカ人形アニメの特徴だが、
本作フィルムは豊かな幸福感を呼び起こして
くれる。
『真夏の夜の夢』はわたくしに生きる喜
びを恵み与えてくれている人形劇フィルム
である。
合掌