シネ・ヌ―ヴォ 牧野省三・衣笠貞之助・伊藤大輔・伊丹万作特集 3回券ゲット | 俺の命はウルトラ・アイ

シネ・ヌ―ヴォ 牧野省三・衣笠貞之助・伊藤大輔・伊丹万作特集 3回券ゲット

 2022年10月18日です。

 

 本日公休日であった自分はシネ・ヌ―

ヴォに行き『時代劇が前衛だった牧野省

三、衣笠貞之助、伊藤大輔、伊丹万作』

の3回券を買いに行きました。

 

 画像は会場前のポスターですが、『雄

呂血』の主役久利富平三郎役の阪東妻三

郎の殺陣を写しています。

 

 迫力ありますね。

 

 プログラムで伊藤大輔の誕生日を1898/

10/13と正確に書いてくれました。

 

 

 

 明治三十一年(1898年)十月十三日愛媛県

において伊藤大輔は誕生しました。一部資料に

十月十二日説がありますが、それは誤りであり、

十三日が師のお誕生日です。

 昭和五十六年(1981年)七月十九日京都市

西陣病院において伊藤大輔は八十二歳で死去し

ました。

 

 

 令和四年(2022年)十月十三日は伊藤大輔

百二十四回目の誕生日でした。

 

 先生のお誕生月に大いなる傑作を銀幕で見聞

したい。この夢・欲が燃えている時にシネ・ヌ

―ヴォが企画してくれました。

 

 2022年10月22日→11月4日

 シネ・ヌ―ヴォ

 日本映画の青春期

 時代劇が前衛だった

 

 10月22日

 12:40 御誂治郎吉格子(御誂次郎吉格子)

 14: 20   王将(1948)

 16:15    牧野省三プログラム

     豪傑児雷也

     逆流

     雄呂血

 

 10月23日

 10:00 下郎の首

 12:00 忠次旅日記 御用篇

 14:45 狂った一頁(染色版)

 16:25 十字路

 

 10月24日

 10:10 牧野省三プログラム

      豪傑児雷也

      逆流

      雄呂血

 

 12:35 王将(1948)

 14:30 下郎の首

 16:30 御誂治郎吉格子

 

 10月25日

 10:20 王将(1948)

 12:15 下郎の首

 14:15 御誂治郎吉格子

 15:50 牧野省三プログラム

      豪傑児雷也

      逆流

      雄呂血

 

 10月26日

 10:20 御誂治郎吉格子

 12:00 牧野省三プログラム

      豪傑児雷也

      逆流

      雄呂血

 14:25 王将(1948)

 16:20 地獄門

 

 

 10月27日 

 10:20 王将(1948)

 12:15 われ幻の魚を見たり

 14:20 赤西蠣太(発見部分 24分版)

     国士夢双 

 16:35 御誂治郎吉格子

 

 10月28日

 10:00 われ幻の魚を見たり

 12:05 赤西蠣太

     国士夢双

 14:15 地獄門

 16:00 忠次旅日記 御用篇

 

 10月29日 

 10:50 狂った一頁(染色版)

 12:35 十字路

 14:25 忠次旅日記

 

 10月30日

 10:00 われ幻の魚を見たり

 12:05 赤西蠣太

     国士夢双

 14:15 地獄門

 

 10月31日

 10:15 地獄門

 12:05 下郎の首

 

 11月1日

 10:00 赤西蠣太

      国士夢双

 12:10 地獄門

 

 

 11月2日

 10:15 われ幻の魚を見たり

 12:15 赤西蠣太

      国士夢双

 

 11月3日

 15:55 下郎の首

 17:50 牧野省三プログラム

      豪傑児雷也

      逆流

      雄呂血

 

 11月4日

 14:00 狂った一頁(染色版)

 15:40 十字路

 

 

 『忠次旅日記 御用篇』

 

 大河内傳次郎は満年齢二十九歳の

若さで苦悩する忠次を熱演しました。

 

 伊藤大輔にとっては二十八歳から

二十九歳の道程において演出した三

部作です。

 

 

 『忠次旅日記 甲州殺陣篇』

 『忠次旅日記 信州血笑篇』

 『忠次旅日記 御用篇』

 映画 無声 断片版のみ現存

 

 『甲州殺陣篇』公開日

  昭和二年(1927年)三月十日

 

 『信州血笑篇』公開日

  昭和二年(1927年)八月十四日

  

    『御用篇』公開日

     昭和二年(1927年)十二月二十七日

 制作  日活太秦

 原作・脚本 伊藤大輔

 撮影 唐沢弘光

 

 出演

 大河内傳次郎(国定忠次こと長岡忠治郎)

 

 中村英雄(勘太郎)

 中村吉次(壁安左衛門)

 阪本清之助(三ツ木の文蔵)

 磯川元春(沢田屋喜兵衛)

 沢蘭子(お粂)

 村上英ニ(銀次郎)

 中村紅果(岩鉄)

 市川百之助(高崎の重吉)

 尾上卯多五郎(お釈迦の源次)

 浅見勝太郎(卯之助)

 嵐亀三郎(お茶を運ぶ老人)

 嵐璃左衛門(中山精一郎)

 

 伏見直江(お品) 

 

 

 監督 伊藤大輔 

 

 

 

 『忠次旅日記(一) 一九二七年 伊藤大輔監督作品』

http://amba.to/15X28Zc


 

 

 『忠次旅日記(二)』 http://amba.to/15X2dw3

 

 『忠次旅日記(三)』 http://amba.to/13cLaIz

 

 『忠次旅日記(四)』

http://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-11573007880.html


 『忠次旅日記(五)』

 http://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-11573314839.html


 『忠次旅日記(六)』

 http://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-11576171182.html


 

忠次旅日記(七)

(物語の核心に言及しています。閲覧御注

意下さい)

 

 『忠次旅日記 甲州殺陣篇』は伊藤大輔

が妥協で撮った企画として自らフィルムを

破棄しました。

 現存断片は『ちゃんばらグラフティー!

斬る』に『忠治旅日記』題名で収録されて

いる映像と思われます。

忠治旅日記 二

  わたくしが『忠次旅日記』の存在を聞いた

昭和五十三年(1978年)頃はフィルムの大部分

が失われた幻の名画と言われていました。

 

 伊藤大輔監督は「受難の忠次」と呼び、一本

フィルムが残っているかもしれないと書いてい

ました。

 

 平成三年(1991年)広島県で『忠次旅日記 御

用篇』111分版が発見されました。

 

 

 

 お品役の伏見直江様は当時満年齢二十歳
です。

   

 平成十五年(2003年)十月三十一日 

 京都文化博物館にて『御用篇』初鑑賞

です。

 

 平成二十四年(2012年)十月七日京都文化

博物館において見聞した版はデジタル復元・

活弁上映版でした。2012年10月7日は『信州

血笑篇』の数分版も上映されました。

 

 

 

 

 

 勘太郎坊やを堅気にしようとする忠次の父性的

な愛情、片思いの切なさからの刀を盗み父親に斬

られる美女お粂の悲劇、忠次を守るお品の母性愛

に心の底から感動しました。

 

 大河内傳次郎と伏見直江は恋人どうしになった

とも言われています。

 

 2012年10月7日京都文化博物館客席は立ち見が

出る程の大盛況でした。

 

 『忠次旅日記』の字幕は読む物ではなく聞く物と

感嘆し、佐伯先生復刻のシナリオを読み直すと

面白くてグングン引き込まれました。

 

 2023年2月3日に発売されるブルーレイは『御用篇』

現存版で無声版と活弁版が収録されるそうです。

 

 

御誂次郎吉格子 御誂治郎吉格子 (十三)

(結末に言及しています。閲覧

 御注意下さい) 

 治郎吉 大河内傳次郎

 お仙  伏見直江

 

 絶対愛の美を二人の名演が証しました。

 

 

 今回の上映では『狂った一頁』はオリジナルの

染色版、『国士無双』は発見部分の24分版とのこ

とです。

 

 『王将』は平成二十六年(2014年)七月十九

日から十二月三十一日に全十五回で感想を書き

ました。

 昭和六十一年(1986年)六月京一会館で

この映画を見聞したことが伊藤大輔写真と

の出会いでした。

 

われ幻の魚を見たり

 

 

200809121954

牧野省三

 

 マキノ省三(まきのしょうぞう)は明治

十一年(1878年)九月二十二日に誕生し

ました。

 昭和四年(1929年)七月二十五日、五十

歳で死去しました。

 

 日本において活動大写真・映画において

三百本以上製作しました。「一スジ・ニヌケ・

三ドウサ」を原則とした作風を徹底し、大

衆の喝采を浴びました。

 

 松田定次・マキノ雅弘・マキノ光雄・マキ

ノ真三・マキノ智子は子供、長門裕之・津川

雅彦・マキノ正幸・牧野アンナ・マキノ佐代

子・マキノ加代子・マキノ公哉は孫、松田寛

夫は養孫、真由子は曽孫であります。

 

衣笠貞之助(きぬがさ・ていのすけ)

本名 小亀貞之助(こかめ・ていのすけ)

明治二十九年(1896年)一月一日三重県に誕生。

昭和五十七年(1982年)二月二十六日京都市に

おいて死去。八十六歳。

 

 女形役者として、舞台・無声映画において活

動し、後に監督・脚本家として日本映画界を牽

引された大巨匠であらせられます。

 

 

伊丹万作(いたみ・まんさく)

 本名 池内義豊

 明治三十三年(1900年)一月二日愛媛県

松山生まれ。

 昭和二十一年(1946年)九月二十一日

四十六歳で死去。

 

 松山中学の同窓生の伊藤大輔・中村草

田男は大親友でした。

 義豊は『忠次旅日記』ではスタッフ

として働いたと言われています。

 

 昭和三年(1928年)片岡千恵蔵は伊藤大輔

と組みたいと望み、自身の製作プロダクションに

招聘しました。

 大輔は超多忙で時間が保てず、親友の池内

義豊・稲垣浩を千恵蔵の元に映画スタッフとして

紹介しました。

 

 

 「お前の伊藤の伊の字を俺にくれんか?」

と義豊は大輔に頼み伊丹万作の芸名を名乗り

ました。

 

 

 他に水田豊平・池内愚美・青山七造の名義

を用いて映画監督・脚本家として大活躍しま

した。

 

 『赤西蠣太』は片岡千恵蔵が蠣太と原田

甲斐を二役で勤めます。

 

 『国士無双』現存版は千恵蔵の美男の魅力

が光ります。

 

 若き日の伴淳三郎が老人役で出演してい

ます。

 シネ・ヌーヴォ 九条

 シネ・ヌ―ヴォの大上映会には可能な限り

行きたいです。

 七月十二日のラピュタ阿佐ヶ谷で『阪妻

阪東妻三郎の生涯』を鑑賞し「又『雄呂血』

を銀幕で見聞したい」と実感していたので二

十年ぶりの銀幕鑑賞が叶いそうで嬉しいです。

 

下郎の首

(結末に言及しています。閲覧

 御注意下さい)

 

 田崎潤は大正二年(1913年)八月二十八

日に青森県に誕生しました。

 本名は田中実です。

 

 昭和六十年(1985年)十月十八日に七十

二歳で死去しました。

 

 『下郎の首』の前企画は阪東妻三郎主演で

想定されていました。妻さんは熱き意欲を燃

やしていました。

 

 昭和二十八年(1953年)七月七日阪東妻

三郎は五十一歳で死去しました。

 

 伊藤大輔は「飼い主に噛まれた飼い犬の

悲劇の脚本」を書き直し田崎潤主演で撮り

ました。

 

 それが『下郎の首』です。

 

 

 

                 合掌